2002年4月30日
黒柳「朝倉雲鶴(うんかく)さんです。お名前は片岡鶴太郎さんがつけてくださったそうです。主婦でいらして手術をされて子宮とか卵巣とかを取ったりするともちろん女性としても憂鬱なんですけどもホルモンがいろいろ」
朝倉≪そうですねバランスがいろいろ。≫
「実はこの方は趣味を持つことによって憂鬱から解き放たれたんですけどもちょっと見ていただきます。憂鬱になるまでは絵をお書きになったことは無かったんですね。この絵は”破顔一笑”という題名になってるんですけども」
≪そうです≫
「(絵の横に文字が書かれている)”泣いて過ごしても一日。笑って過ごしたい”。本当に一生懸命やろうとするとこんな風にできるもんだなっと思うんですね。次に”赤大根”という絵があるんですが。そこに文章をお付けになったのはご自分で?」
≪はい、そうです。思ったことを書きます≫
「”自然に育てられるありがたさ”。でも赤大根なら赤大根をずいぶん見る(観察)ようになったでしょうね?」
≪はい≫
「この頃は絵手紙(絵ハガキ)というものが流行しているようですけども初めは小さいものを描いてらした?」
≪はい。絵手紙から始めました≫
「おやりになった(絵を書き始めた)きっかけなんですけども手術をされたときはお子さん2人は成人されて主婦でいらしてご主人がいらしてでもものすごく憂鬱だったんですって。その憂鬱から抜け出るのは並大抵のことじゃなかった?」
≪そうですね。誰に言っても分からないんですね「ああそう」で(笑)。≫
「どうしてもっと明るくしないのって言われても体の中でなってるんですからね。(憂鬱になった理由として)1つには子宮と卵巣を40代でとられてしまうということが」
≪そうですね。健康な時はそんなにも気にはして無かったですけども1つでもとられるとしわ寄せが来るなって。≫
「テニスなんかスポーツをおやりになる元気主婦だったんですけども。テニスなんかはお好きだったんですね?」
≪ええそうですね≫
「今はどうですか?」
≪全然やってません≫
「憂鬱だったんですけどもお友達がどこかに行ってみましょうって誘って下さったんでしょ」
≪家の中に入ってないで近くに地区センターというのがあるんですけども、そこに行った時にお年寄りの方が元気にがんばってらっしゃるのを見てがんばらなくちゃと思いました。≫
「そうすると歳をとっても元気で前向きにやってる方はその人それぞれにいろいろはあるんでしょうけど「ああ!!私もがんばってやろう!」といういい見本になる」
※元気なお年寄りをみると元気になる
≪すごい衝撃的でしたね。ですごい楽しそうな顔をしてらして笑った笑顔が私にはなんとも衝撃的だったんです≫
「そういう時は霧が晴れるみたいに憂鬱から抜けられるものですか?」
≪そうですね一気に抜けた感じがしました≫
「でそこに(地区センター)いらしたらば水墨の教室があって」
≪そこで受講してたら新しく絵手紙の教室ができてちょっと絵が付いたら楽しいかなっと思って入って絵手紙を習ったんです≫
「それでそうこうしている間に片岡鶴太郎さんのい展覧会を見にいらした」
≪それまでは鶴太郎さんのことは存じ上げなかったんですけども自分が魚とかを描くようになったときに何か引っかかるものがあって友達と(展覧会に)行ってみようかと思ったのが取っ掛かりだったんです≫
「それで行ってみてどうでした?」
≪なんていうのか私にはこの絵しかないんじゃないのかなって思っちゃって≫
※展覧会で片岡鶴太郎さんと初めて出会う朝倉さん
「そこで朝倉さんの面白いところなんですがその時に思わず鶴太郎さんになにをおっしゃった?」
≪絵手紙を出していいですか?って。毎日描いて出しますって言っちゃたんです≫
「そうすると鶴太郎さんはいいですよと?」
≪はい。絵葉書のようにして文章もちょっと書いて≫
「365日大変ですね。その時は目的が何であれね」
≪そうですねその頃はまだ体調が優れてなかったんで寝たり起きたりの時期だったんですけども。それでベットのなかで書いて息子とか主人とか妹とかに出してもらって「明日でもいいじゃない」っていうと「ダメ!一日でも欠かしちゃダメ!って言って」≫
「でもご自分では毎日絵手紙を出していいですかっていうのは突然口をついて出たもので」
≪(笑み)わかんないんですけども言っちゃいました(笑顔)。≫
「それからは動物園にずいぶん行くようになって?」
≪行きました≫
「病気は子宮ガンということだったんですね。しゅじゅつで子宮・卵巣も取るという事になっていろいろな不安もあったと思います。その間に鶴太郎さんに名前も付けて欲しいと頼んだんですって?」
≪(笑)はい≫
「鶴太郎さんからお手紙が来まして出すね」
※その手紙を読む
≪”一年間お疲れ様でした。意志の強さに頭が下がります。お約束の名前決めました。「雲鶴(うんかく)」いかがでしょうか”≫
「ちゃんと覚えてくださったのがありがたいですね。その時(名前を付けてもらったときは)はますます前向きにおなりになって」
≪はい≫
「憂鬱は全然」
≪はいがんばるしかないと思いましたし激になりました。≫
「もちろんお薬なんかも必要なんですけども人間の精神が体に及ぼす力っていうのはすごいもんなんですねえ」
≪それはあると思います≫
「精神だけで直せって言われてもそれは無理だと思うんですね。(鶴太郎さんに会ったときに)もっと絵手紙よりも大きいものを書いたらどうだって言われた?」
≪それから大きいものを描くようになりましたね≫
「で”フグ”の絵を見ていただきます。」
≪フグは一杯いたんですけどもこの子はかわいかったので。それで1人ぶつぶつ言いながら泳いでたんでおしゃべり上手なのかなっと思ってそのまま書いちゃったんですけども≫
「”ぽくぽくぱこぱぷおしゃべり上手”って。絵は右手でお描きになる。字は左手でお書きになる」
≪はいそうです≫
「左手で(字を)書くと思いがけない効果が出るそうで。(※かにの絵が登場)”変わらずにいる。簡単そうで難しい”。あれですねこういう物をじっと見るチャンスがあるというのもねえ」
≪これは岡山が実家なんですけども帰った時に渡りかにを割り箸で書いたんです。≫
「ちょっと文章があると絵が締まったようになりますね。雲鶴という名前も鶴太郎さんずいぶんお考えになったでしょうね?」
≪いろいろ考えたそうです≫
「今はお元気になってそして個展をしてくださる方がいて」
≪3回やりました≫
「お知り合いのギャラリーの方が?」
≪はいそうです≫
「自分でやりだしたことがお元気に(つながった)?」
≪そうですねいろんな人の力を借りていい出会いをさせてもらっているのでいいお話をいただいたらそれに向かって一生懸命やってます(笑顔)≫
黒柳「その3回の個展で取材をしてくださったまあ見えない糸ってあるんだなと思うんですけども朝日新聞の記者の方が」
朝倉≪その方の先輩にあたる記者の方が≫
「上野創さんという朝日新聞で長く連載されたもので”ガンと向き合って”という連載を読まれた方がいると思うんですけどもこの方(上野さん)はこう丸のガンになってずっと闘病記を書いてらしたんですね。その所の挿絵が今日のお客様のだとは思わなかったんですけども取材に来た記者の方の先輩が闘病記を書いてるので挿絵を描いてくれと。そして今度はあなた(朝倉さん)の闘病記を書いてくれと」
≪私ガンの記事っていうのはなるべく避けて通ってたんですけども記事を読んでるうちに自分の体験と重なってくるものがあって今までは自分の体験は(心の)箱の中にしまっていたんですけども(上野さんの闘病記を呼んで)こういう人もいるんだと思って上野さんの記事と自分の記事を平行に書いていったんです≫
「それを」
≪上野さんにお見せしました≫
「別に上野さんには絵をお見せになったわけじゃないんですよね。今まで触れたくなかったものが上野さんの闘病記を読むようになってガンに向き合うようになって並行して書いて(書いたものを)お送りになった」
≪やはり上野さんと同じようなものを書いてたりするんですね。で女性の場合顔色が悪いと嫌なんで派手なパジャマを買いましたとかを書いたものを送りました≫
「そしたら上野さんはそれを読んでくださって。それで途中からこの上野さんの記事に挿絵をお描きになるようになったんです」
※最初上野さんの闘病記には挿絵は無かったが朝倉さんの闘病記を上野さんが読んで挿絵を朝倉さんが描く様になった
≪はい≫
「それでご自分の絵が新聞に載った時はどういうお気持ちでした?」
≪うれしかったですね。自分の宝物がまた増えたっていう感じで≫
「上野さんも喜んでくれて?」
≪そうですね最初は記事に関係する絵っていうのは全然無かったんですけども自分が生きてる時に残るものがいいんじゃないかと思って上野さんにもそれを伝えて≫
「それで内容にあった絵を描くようになった。それで上野さんは現役の記者になってお戻りになって活躍しているそうですけども。朝日新聞の報道部でご活躍だそうですけどもね」
≪そうです。上野さんには精神面でもいろいろな言葉をいただきましたねお若いんですけども≫
「このかたは30代でしたかね?」
≪30だと思います。私の長男と同じ歳ぐらいなんで≫
「でもこの方も病気を克服して良かったですねえ」
≪そうです≫
黒柳「今お家で憂鬱だなと思ってる方に言うとすれば何がありますか?」
朝倉≪憂鬱といって家の中に入って人に当たったりしたことも私もありましたけど自分で乗り切らないといけないと思うんで何でもいいんでちょっと外を散歩してみるとか一歩踏み出さないと始まらないと思うんですよ。私も一歩を踏み出したことで衝撃を受けてこれではいけないと思って気付きがありまして今の状態にあると思うんですけども。いろんな方に相談を受けたりするんですけども聞くことはできるんですけども自分で考えて行動することを薦めていますね。≫
「一歩踏み出すことですかね?」
≪そうですね一歩踏み出さないと始まらないですね≫
「踏み出したことによって考えてもいない世界が広がったわけですものね。それで今ボランティアをやってらしゃるん出すけども”傾聴(けいちょう)”という。聞くことを傾ける」
≪はい。私も知らなかったんですけども上野さんと話したときに今僕は傾聴のボランティアを追っかけてますって言われた時に初めて聞いた言葉でそれはなんでしょうと聞いて今東海大の先生がやってて昨年ですかね私も参加しまして勉強したんですけども。やはりお病気になた方で看護婦さんは忙しいじゃないですかで患者さんも話もできずに悶々としているそういう所にお話を聞いて差し上げるそういうボランティアなんです≫
「全然違う第三者に自分の気持ちを聞いてもらいたいというのがあると思うんですね。今もそれをやってらっしゃる?」
≪はい≫
「年代は?」
≪若い方も最近多いですけども我々ぐらいが一番多いですね≫
「相手は病気の方?」
≪私が今いてるところは高齢者の方が多いんですけども≫
「そういうこともねはじめのご自身の状態から考えれば考えてもいなかったことで」
≪自分も多くの方から大きな力をいただいたんで自分もなにかお返しが出来ないかなって思ったときに自分で役に立つことっていうことで始めたんですけども。ボランティアが終ってお爺さんがエレベーターのドアが閉まるまで手を振ってくださって「また来てね」って。それがうれしくて私役に立ってるって≫
黒柳「(羽子板に絵を書いたものが出てきて)こういうものを残しておくとね」
朝倉≪よく死んだら何もなくなると言うんですが私には息子がいますんでお母さんがこういう風にして生きていたんだなって思ってくれればいいかなって。女の子だとお料理教えてとかあるんですけども男の子の場合はそういうのが無いんでお母さんこういう風にして生きていたんだなって思ってくれればいいかなって≫
「最初の地区のセンターに言ってみようって誘ってくださったお友達がありがたいですね。その方がいらしてくれなかったらこういう活躍も無かったですね。その方は今・・・」
≪元気にしてます。こんどイタリアで個展をしてみようかと≫
「すごいですね話が大きくなりますねご成功を祈ってます。朝倉雲鶴さんでした」