2002年5月27日
黒柳「今日のお客様がお書きになった”案外知らずに歌ってた童謡の謎”という本が今ブームになっています。そして松田聖子さんそして田原俊彦さん河合奈保子さん」
合田≪岩崎良美ちゃん、マツバラカズコちゃんと同じ年の歌手≫
「全員ベストテンにいらっしゃいました。」
※合田さんは元アイドル歌手。「釧路にて」という曲も出された
≪私以外は≫
「(合田さんは)渡辺プロにいらっしゃいまして。でも昔私にあったことがあるそうですけども渡辺プロにいらしたのは17歳から20歳で。もう20歳でご自分の会社をお作りになった」
≪はい≫
「あと作家としては日本歌謡史とか紅白歌合戦をご研究。」
≪連載とかはさせてもらってます。≫
「私は昭和33年にその時までの最年少司会者としてどうしてだかあの時だけが新宿のコマ劇場で高橋圭三さんと(紅白の司会をして)。あの時にマツシマウタコさんが(紅白に)お出になったんですけども私は渡辺ハマ子さんと言ってしまってですね。ご存知ですか?」
≪「喫茶店の片隅で・・渡辺ハマ子さんです」とおっしゃってました。≫
「そう言って私が引っ込んでいったらおでになる方が私をにらみつけて(舞台に)出て行かれたので違ってたのかなと思ってたら(紅白の関係者の人に)「君!!マツシマウタコさんだよ」って。ですからマツシマウタコさんがここ(徹子の部屋)に来てくださった時は丁寧に謝りました。そしたら「そんなことあったかしら」って言って下さったので心がね。昭和33年の紅白はテレビではありましたがまだ歌手の方々が重要視してなかったんですね。」
≪まだ紅白と言うものをね≫
「ほとんどの歌手の方々が日劇とかと掛け持ち。ですから新宿って(渋滞)込むじゃないですか。パトカーの先導で入ってらしてパトカー(のサイレン)が聞こえると誰かが入ってきたなっていうのがわかって。次に歌う人がいないというのがしょっちゅうなんです。(歌手の方が到着すると)「女来ました!!」っていうんです」
≪ハハハハハ(笑)。歌手の名前じゃなくて≫
「そんなところじゃなかったんですね。(誰も歌う人がいないと黒柳さんに)出て行って何か言いなさいって言われるんです。そうしてるうちに「女来ました!!」って言うからどなたが来たかわからなかったですからその前に渡辺ハマ子さんが来たって聞いてたからそこで間違えてしまったんです。(客席に)酔っ払いもいたんですよ。「何とか出せー」って大きな声で言ったりするの。ケンカするわけにもいかないしその方紅白に出てないんですって言うわけにもいかないんで。大変でございましたわ」
≪それは僕が生まれる前の話なんですけども。そのマツシマ先生の88歳の米寿の記念コンサートの司会と構成をさせてもらったんですよ。それが最後のステージだったんですけども。その時にうかがったのがたまたまそのお話だったのでね。”月の砂漠”っていう歌があるじゃないですか≫
「ええ」
≪”月の砂漠”を最初にレコーディングしたのはマツシマウタコさんなんですよ。≫
「そういうことがお分かりになったりして。童謡のことを研究してらっしゃる方にとってはいい巡り合いで。その時(の紅白は)紅組が勝ちまして局長さんに「お前度胸あるな」って言われましたけども。そういうことがあったんですけども(合田さんは)札幌大学で面白い勉強をしてらしたんですね?」
≪ロシア語学課と言うところに行っておりまして。当時歌い手さんが北海道だとか地方で歌うというのが流行ってたんですね≫
「ありました」
≪その時に卒業論文と言うのがあるじゃないですか。ロシア語の勉強をされる方は一杯いらしゃたんですが僕は歌手をやってましたからロシアと日本の音楽はどっかに関係はないかなっと思ったら”カチューシャの歌”というのがレコーディングで一番最初の歌なんですね。”カチュ-シャかわいや~♪”ってやつですけどもこれからやってみようと思ってロシアと日本音楽史を勉強してそれからか歌謡史とかそっち側に入っていったんです≫
「この”案外知らずに歌っていた童謡の謎”なんですけどもこの前こちらに出てくださった小沢昭一さんが童謡にこっていてどうしても大黒様を歌いたいと。大黒様なら私は因幡の白兎だわねということで白兎になったんですけども。でもあなたの本を読ませていただいたら顔が赤らんでここでは話せないような関係なんですね。びっくりしました。」
≪その歌は艶っぽいというコーナーに入れて。恐い童謡、悲しい童謡という形で一杯あって。≫
「謎を調べたきっかけはお嬢さんが二人いらっしゃって上が小学校4年生で下が幼稚園で(娘さんが)自由研究をすると」
≪夏休みの自由研究をするということで私代々木に住んでいるんですけども代々木に”春の小川”って代々木の川の歌なんですね。その碑があるんでどうせだったらパパは歌の研究をやってるんでそこへ(碑のあるところへ)行ってみたんですよ。≫
「そこは本当に”春の小川”らしい川でしたか?」
≪もう無いんですけども。埋まってるんですけどもここにあったと言うところに碑が立ってるんです。それから次の年になって春休み、冬休み、夏休みとありますからねやってる内に(娘さんが)「じゃあ赤い靴~♪のとこにも連れて行ってよ」って。≫
「「赤い靴は~いてた女の子♪」って私子供の頃聞くたびに泣いてましたね。なんなのか訳がわからないくらいかわいそうな歌詞ですよね。」
≪本当にいた子なんですよね。横浜の波止場から船に乗る前に9歳で亡くなってしまった。ですから船に乗って青い目になる前に亡くなってしまった。≫
「あの歌を聞くと心細くなっていつも泣いてましたね。お嬢さんのそういうことでいろんな所にいらっしゃるんでご研究されていった」
≪そうなんです。それから「パパ(カラスの子の歌の)7つの子って7歳?7羽?」って聞かれたんです。その時連載してた新聞(の読者)からもどっちなのって聞かれてたものですからそっから調べ出したものが≫
「「可愛い7つの子があるからよ~♪」は7歳なのか7羽なのかという質問があって娘からもあってそれからお初めになった。ではコマーシャルを挟みましてその謎に」
≪はい≫
黒柳「結局どうだったんですか?」
合田≪あれはね鳥類研究所というところに電話をしましたらねカラスは1回には7つの子は産まないと。それでこれは絶対に7歳の(カラスの)子だと思ったんですよ。≫
「そんなに(カラスは)長く生きるんですか?」
≪今まで長く生きて7.2歳だったんですよ。これは違うなと思いましてこれは7歳の人間の女のこの事を歌ってたんです。たとえてたんですね(作詞家の野口)雨情は。当時は病気とかですぐに子供が死んでしまうと。だから七五三と言うのがだからできたんですってね。3歳まで生きてこられた5歳までありがとうございました7歳だよこれでということで。7歳になったらこれで一人前ですよということで子供たちも帯解き式って子供たちも帯じゃなくて今までは紐で縛ってたものを7歳になたtら帯で縛ると言うものがあるんですよね。やっと7つになりましたっていう意味で。70数歳のご夫人からお手紙がきてあなたの本を読んで本当に良かった。(そのご婦人が)7つになったときに私の歌ができたよって言った時に周りの人からこれは7歳の子じゃなくて7羽の子なんだよとずーと言われてきたけどもこれでのどの小骨が取れた気分ですって言われて。≫
「日本は世界一なんですね子供が死なないのは。1000人中(子供時代に死んでしまうのは)4人といわれてましたけどもアンゴラなんかは内戦をやってるときには1000人中375人ぐら死んだりしてましたからね。そういうことからすると昔も日本
は死んでたんだと思います」
≪あの今回いろんなやつをやってみて新たに思ったんですけどもこの童謡の世界は古い話ではなくて世界にあるんだなと。≫
「さてこの”シャボン玉”という歌なんですがこれも(作詞家の)野口雨情なんですがこのシャボン玉の謎は?」
≪これは”シャボン玉きえた。とばずに消えた。生まれてすぐにこわれてきえた”これもやっぱり子供なんですね。≫
「これはシャボン玉の事と思って歌ってましたよね。でも・・」
≪これは雨情の子供の事を書いたという説が流れてたんですね。≫
「野口雨情記念館の館長さんにも聞かれたりして」
≪ええう雨情さんの息子さんにもお聞きしましたけども雨情の子供だけじゃなくていろんな子供が医学の発達がされてなかった。シャボン玉というのは子供の命の事を歌ってたんですね。≫
「子供を無くされた方たちに(シャボン玉の歌を)子供たちが声をそろえて歌っているとあなたのお子さんの魂も慰められてますというような事だったんでしょうかね」
≪でもこの歌を発表したその年に関東大震災が起きるんですよ。≫
「でも子供たちが歌う時はそんなことは全然考えませんからね。さて次なんですが”花いちもんめ”。「あの子がほしい。この子じゃわからん」ってやつですね」
≪花いちもんめの”花”はもちろんお花の花という説もあるんですが子供たちがお金がないために貧しくて遊郭に売られていくというその花代という説もあるんですね。”かってうれしい花いちもんめ”この”かって”というのは勝ってじゃなくて買うんですよ。”まけてくやしい花いちもんめ”の”まけて”は値切られるという意味なんですよ。≫
「もうちょっと高く買ってくれてもいいじゃないかという親の気持ちですかね。」
≪これも今ある話じゃないですか?≫
「世界には家族を養うために売春をしている子もいますから。」
≪ですから童謡も唱歌もわらべ歌も全部今回やりましたけども中に潜んでいるものが悲しかったり辛かったりする。≫
「この歌はどこからできて来たのかとかわかるんですか?」
≪これについては発祥地とかもあるんですがそれは花市場の有名なところから出てきた歌だという説なんですね。≫
「ご本も読ませていただきましたが悲しいのが童謡には多いですね」
≪あらためて僕も知りました≫
黒柳「いろんな方が研究されてると思うんですが合田さんはそういう風に解釈されてるんですね。”汽車ポッポ”」
合田≪はい。(本の第2弾が)来月6月に(発売されるんですが)みなさんからこれも教えてよというのがすごく多くて。例えば”とおりゃんせ”の”いきはよいよい帰りは恐い”とか。その中で取り上げていこうというのが”汽車ポッポ”であの歌は兵隊さんの歌だったんですね。”汽車汽車シュッポシュッポシュッポシュッポシュッポッポ。兵隊さんを乗せてシュッポシュッポシュッポシュッポシュッポッポ。僕らも手に手に日の丸の旗を手に手に送りましょ。バンザイバンザイ兵隊さんバンバンザイ”≫
「それが本当の歌詞で。でも最後の兵隊さんは聞いた事があるような。」
≪これを経験なさってる年代の人たちが僕の周りにいないんですね。徹子さんがそうだという話をこないだ聞いたんですけども≫
「そうですね”小さい頃から考えてきた事”に書いてあるんですけども(戦争中)自由が丘の駅に日の丸を持っていってこうしえ振るとねスルメの足を焼いたのをくれたんですね。スルメってそれまで食べた事はないものですからこんなにおいしいものはないということで、ただ今日は兵隊さんの(駅から戦地へ)送りがあるというと何の気持ちもなくスルメが欲しくて行ってたんですけども戦後あの時送った人の何人が帰ってきたんだろうって。小さい子供が送ってきてくれるからがんばって行ってこようといったのに帰ってこなかったんだというのがそれがとっても心の傷でね。スルメをもらえるとしてもなんということをしたんだろうと。そういう人に会った事があんまりなかったんですって?」
≪周りにいなかったんですね。スルメって今でも子供じゃなくてもおいしいものじゃないですか。≫
「そうです。あんなものはないんですから。布が破けたところも全部スルメに見えたぐらいなんですから。ですからそこの歌詞がいつから変わったんですか?」
≪それこそ昭和20年の紅白歌合戦の原型から変わっていくという話があるんですね。川田正子さんが紅白の前身の歌謡祭でこの兵隊さんの唄を歌うといったら4日前にこれはダメですと≫
「アメリカからですか?」
≪しかし”里の秋”はまだ発売されてませんし”みかん”も発売されてませんしですから”汽車ポッポ”という今の歌詞が4日前に出来上がったんです。”僕らを乗せて~♪”という本当に明るい唄に変わったんです≫
「戦争中の唄とは知らずにみんな歌ってると思うんですよね。知りたいという人に教えて差し上げるとみんな謎が解けたってお喜びになります?」
≪まだまださっきも言ったように子供を中心に始めたようなものですから自分が調べていろんな方に出会ってお話を聞いて今のお話のようなものが聞けたり。だから自分が勉強していて人におしえてるのではなく。≫
黒柳「”月の砂漠”は王子様とお姫様がラクダに乗っていていかにもロマンチックという感じですけども」
合田≪そうですね。本当に質問が多くて2人はどこに行くのでしょうって。もちろん書いた加藤まさおという人はもういないわけですから多分こうだろうという説しか立てられないんですけども”月の砂漠”の砂漠のさは砂じゃなくてさんずいに少ないとかいて沙なんですね。”月の沙漠”が本当なんですよ。千葉の御宿海岸に”月の沙漠”記念館というのがあって砂浜の歌であるという≫
「記念館ではそうなっている」
≪沙漠を人生にたとえていたんじゃないかって。白い服を着てますよね王子様とお姫様は。結局沙漠の先にあるものは最終地点であるという。人間とは表裏一帯で金と銀であったり王子様とお姫様であったり。悲しい事があったらかならず喜びがある。そういう感じじゃないかなっと。≫
「ありがとうございました」