本日の徹子の部屋ゲストは黒田福美さん

2002年5月28日

黒柳「どうもしばらくでございました。黒田福美さんです。クイズ不思議発見ではリポータで」

黒田≪初代のリポーターでいろいろなものを食べました。イモムシからカエルからアリですね。≫

「アボリジニの所にいらしてカエルのお尻からお水を飲んだり。とても韓国に興味をお持ちで年のうち?」

≪1年半くらいになるんですけどねソウルに家を借りまして6:4ぐらいでソウルの方に長く滞在しています。≫

「60%はソウルで。W杯の直前にお出でいただいたのは別にW杯のことをお話いただくためではないんですがFIFA(国際サッカー連盟)からおたのまれになって役員をしてらっしゃる?」

≪日本組織委員会の理事というお役目を。≫

「韓国との間ということで韓国語もお出来になるし韓国との橋渡しのような事もしてらっしゃるんですけども(W杯に)あなたもわくわくしてらして?」

≪そうですね。88年のオリンピックに次いで今度は日韓ががっぷり4っつで共同作業をしていく時ですしそのあとも日韓がどうなっていくかもとても興味を持っています。≫

「韓国語がベラベラで。前も(韓国語を)ラジオでお勉強になったんですって」

≪ええ。NHKのハングル語講座が84年に始まりましたときに毎日20分のラジオ講座を連日聞いて勉強したんですけども≫

「それでもお出来になったのにこんど向う(ソウル)へ行って完全にお勉強になったんですって?」

≪やはりもっと深く知りたいという事もあって住んだ事がなかったんですよ。ソウルを体感したいという事と一回でいいからちゃんと習ってみたいという思いがあって(笑)ソガン大学というところに通ったんですけども面接試験を受けたら最上級のクラスに入れてもらえたんですよね。≫

「(韓国語が)お出来になるという事でね」

≪聞いたり話したりは結構するんですけども書いたりするとなるとやはり独学なんでスペルの間違いも多かったんですけどもね、ですから学校から帰ってくると夜中まで人生の内でこんなに勉強したことはないっていう勉強をしましたよね≫

「元々は何でそんなに韓国のことが好きだったんでしたっけ?」

≪バレーボール選手のファンになった事がきっかけなんですよね。≫

「男の?」

≪はい。ナショナルチームのプレーヤーでカン・マンスさんという方なんですけどもね。だから文化って素晴らしいなって思いますね。私自身がバレーボールの選手のファンになったことがきっかけで韓国にのめっていったんですけどもファッションであるとか歌やグルメ、映画。こんな風に交流がたくさんになっていくとね皆さんの目に触れるたくさんの文化があって、それを入り口にしてどんどん韓国に興味を持っていく人が増えるんじゃないかと。実際にそうですよね私が韓国に興味を持った20年前とは隔世の感があるなと≫

「一番近い外国ともいえますよね。」

≪20年前は女性が1人で旅行する国って言うイメージは無かったですよ。でも今は女の人がエステであるとかグルメ、ショッピングに魅力を感じていて≫

「私このお洋服を作った方のファッションショーを見にいった時にあなたにお会いして」

≪ああーそうですね94年偶然に≫

「よく覚えてらっしゃいますね何年って。あの時もあなたはいろいろな方にインタビューをなさったりしてとてもご活躍だったんで」

≪実は”ソウルの達人”という本がありまして韓国のソウルを中心的にガイドした本なんですけどもその初版の時に韓国のファッションを紹介するページを作ろうと思っていて扉にする写真にファッションショーがあると聞いて行きましたら偶然にお会いしてびっくりしました≫

「この服をお作りになったイー・ヨンシさんと言う方私はチョー・ヨンピルさんから紹介されたんですけどもあの方紅白におでになったりいろいろな時に韓国服をチョー・ヨンピルさんが着てらしたんでいいなっと思って「どなたが作るんですか?売ってるんですか?」って聞いたら私の場合はイー・ヨンシさんに作ってもらうんですって言うので紹介してもらってお友達になったらとっても良い方だったんです。あのファッションショーは私日帰りだったんですよ」

≪はー。≫

「あなたは(韓国服を)着てないのに私ばっかりゲストみたいになっちゃって。イー・ヨンシさんと言う方はとっても面白いものをお作りになる方なんですね。今のチマチョゴリもお作りになるけどもこれは李王朝時代の・・・」

≪そうですね。このすその長いものはその時代のものなんですね。≫

「(前の長い部分に)手を入れたり(手を隠す)」

≪手と言うのは無骨なもので日本でも隠しますよね≫

「足出しちゃいけないって。すねを出してはいけない。昔はね。本当にね女っぽくてなんて綺麗なものだろうってシルクと麻で(できていて)。」

≪日本の方がね韓国の美を認めてそして好んで着られると言う事その事自体が非常に画期的なことですね≫

※画期的=今までに無かった事を始めて、その分野で新しい時代を開くさま

「チョー・ヨンピルさんは私がこの服を着ていることをとても喜んでくれました。韓国でみんなでご飯を食べに行ったときに私着て行ったんです韓国服を。私1人しか着ていなくて1人も着ている人がいないのであれは普段お召しにならない(韓国の)みなさんは?」

≪来ている人がいると結婚式かなという感じを持つぐらいですから。≫

「仕事をするにはちょっとねえ。で次の日がお休みの日(国民の休日)で全員が(チマチョゴリを)着てらしたの。お花畑みたい。あなたも着る事はあります?」

≪はい韓国大使館のパーティーとかにはこれは敬意をひょうして着ていったらやっぱり私1人だったりして(笑)。≫

「わたしこの前韓国大使館に着て行ったんですね。大使はすごく喜んでくれたんですけども(大使の)奥様は着ていなくて私だけだったんです(笑)。本当に住みいいとこなんですって韓国って?」

≪日本におりますととても一目を気にしなくてはいけない社会なんだなって。≫

「まあね女優さんでもいらっしゃると言う事でね」

≪なんか韓国の人って所詮人間は完璧じゃないんだっていう所があってとても自由に振舞っているんですよね。向うへ行くとまず心が自由になることとそれといろいろな生活面でもですね何でも配達してくれる文化だったりしてですね。日本ではお蕎麦屋さんとかピザ屋さんとかですけどもマーケットが出前してくれたりね。≫

「じゃあキャベツとか」

≪そうなんですよ(笑)。お水とかビールとかでも何でも重いものでも持ってきてくれるんですよ。航空券とかはなはだしくはですね市場が出前にきてくれるんですよ。家はマンション群なんですけどもそこに一杯ビルが立ってるものですから水曜日になるとうちの裏の空スペースに青果とか食べ物屋さんの屋台とか本屋さんとかが≫みんなテントを持ってくるんですよ。だから韓国の人はアーケードがあっても市場の雰囲気おじさんとかとやりあったりして物を買うのが好きなんですよね。≫

「そうなんでしょうね。それと物価が安いんですってねえー」

≪そうですね食べ物とかは大変安いですし≫

「それからおいしい」

≪そうですね。それからオンドルがなんてったっていいんですよ。床暖房なんですよね。(韓国の)冬はとても寒いじゃないですか。零下18度までさがりましたからね。日本だとエアコンの噴出し口付近は暖かいけども隅の方は寒いじゃないですか。でもあそこは床暖房でどこに行っても暖かくて。でもねえ温まった水が床を回ってるんですぐには冷えないんですね。最初どのくらいに調節していいかわからなかったんで最初の2日、3日はね夜になると熱くて寝れなくて起きましたね。でエアコンみたに切れないので零下18度なのに窓を開けてそれぐらいしないと≫

「なるほど。好きだわそういうところ(笑)夏でも冷房しないぐらいですから。合理的にできてるんでしょうね」

≪ですから洗濯物が乾かない時は床にまくんですよ。≫

「それで女の方が1人で住んでも安全?」

≪そうですねすぐ前に警備員さんがいてくれるのでかなり安全ですね。≫

「でもあなたはお綺麗だから向うで1人で暮らしていると「何してる人ですか?」とか言われない?」

≪最初は学校へ行ってるのかなと思われていてその内学校も卒業したのに毎日毎日どこかに出かけていくわけですよね機材を持ってね。日本の撮影のクルーとかがインタビューに来たり韓国の有名人が尋ねてきたりするのでいったい何なんだろうなって思われたと思うんですよ(笑)。≫

「でも20年ぐらいかかわりになって今度はFIFAからお頼まれになった組織委員会の理事もやってらして今度はすぐにお帰りになって大変でしょ。」

≪はい≫

黒柳「ごく初期の頃韓国に関わるきっかけとなったといってもいいんだけども占いを見ておもらいになった」

黒田≪はい。2、3回目に行った時だと思うんですけどもまだ26、7でそんなに俳優としても売れないしこのままやっていてもどうなのかなって思ってた時期だったんですよ。たまたまバスで占い師たちが集まっている集落があるのでそこに行ってみないかと言われて行ってみて適当なところに入ってみてもらったんですよ。ここは目が見えない方が集まって占い師として暮らしてるんですけども≫

「どういう占いですか?」

≪四柱推命がおもですね。生年月日と生まれた時間ですよね大事なのは。ああでこうでと言っていくわけですよ。韓国語が良く分からないので友達に通訳してもらったんですよ。そしたらあなたは非常にね”業(ごう)”が深いと。前世で散々に悪い事をしたのでね金にあかせて悪い事をしたのでどんな男の人が来ても結婚はダメでしょうと。絶望という感じだったんですけどもね(笑)。≫

「でも女優の仕事は?」

≪それを聞いてみたんですね。すると成功すると。それを聞いた時におかしくてまず芸能人としてやっていけるというのは夢のような話じゃないですか。当たってないわと思いながらでもその後に不思議な事をおっしゃったのは「今は三日月のような運勢だけども満月になっていくように運勢が良くなるからそれ(満月になるの)がたいがい40ぐらいだ」と、背中に翼が生えたように何でもうまくいくからあなたは先祖の悪かった事をね申し訳なく改めるためにも社会福祉をしなさいと。≫

「ええー!!」

≪その時は聞き流してたんですけどもね≫

「40まではずいぶんあるしねまだ。」

≪でもその時を契機にだんだんと仕事も上手く行くようになり始めて≫

「伊丹十三さんの”たんぽぽ”でもずいぶんいい役をおやりになられてねえ」

≪あれでもねえ4シーンぐらいしか出てなかったのに急に注目されるようになって食うや食わずの俳優だったのに生活も安定していって余裕ができ始めるにつれて40になっての社会福祉というのが気になり始めたんですね。そう思ってる内に震災が起きて≫

「阪神大震災」

≪その時に私は何もできないなと思ったんですね。歌手の方はギター1本を持って慰問に来られたんですけども俳優というのはアンサンブルですから1人じゃなにもできないと思ったんですけどもちょうどその時に10年間取り貯めていた写真展を発表していたんですけども≫

「巡回展なんかをやっていたのを」

≪まず渋谷で1個やりましてじゃあ関西でもって思ってたんですけどもねああいうことが起こってそんなところじゃなくなってしまったんですが私が今もって行かれるものはこれがあると。(神戸の)長田区というところは在日の方もたくさん住んでられてせめてこういうものをもって≫

「ああそうか韓国の写真もたくさんありますからね」

≪そう考えまして10月に写真展をもって行ったんですね≫

「長田区の区役所に持っていったら祖お方が大変に良く分かってくだすったんですって」

≪相談に行ったのが夏だったので震災後半年ぐらい経ってからだったんですね。衣食は足りたけども文化的な飢えが始まってるということだったので、それだったらと思って写真展だけじゃなくていろいろと呼びかけましたらば俳優の白竜さんですとかアライエイイチさんとかがぜひ僕もやっていただけるということで野外コンサートをやっていただいて後田中ヤスオさんとうイラストレーターの方が今でこそ子供たちの心の傷と言っていますがあの時は頭の片隅にも無かったですよね。でも自分の描いた絵をTシャツにプリントしてあげるような教室をやってあげたいと言ってくれて。それからちょっと考えたのはみなさんに自分の町の写真を撮ってもらってそれを東京に持っていって”さっき見ていた神戸展”というのをやろうと思ったんですね。≫

「それがすごいなと思うの」

≪何でそういうことを思ったかというとソウルオリンピックの時に報道していてもね本当のことを報道していてもねすごく突出していて過激な部分だけが連ねてしまうので受け取る側が間違えてとらえてしまうと思ったんですね。震災にしてもそうで横倒しになった高架とかがっかりした人々とかだいたいこのパターンにおさまるんですね。本当に見るべきものを私達は見てないんじゃないかと思いましてFujifilmというところに行って”写るんです”100個くださいと言って貰ってですねコンサートにいらしたみなさんにお配りして東京の人たちに見せたいものを撮ってきて下さいといったっら本当にみなさん駆けずり回って素晴らしい写真を撮ってきてくださったんですね≫

黒柳「本当にびっくりする写真があります。」

※お母さんを描いた絵を撮影した写真が登場

黒田≪この時には震災から10ヶ月経っていたんですけども子供たちは親戚の家に預けられていたんですね。お母さんと離れ離れになっていて兄妹の妹の方がお母さんが恋しくて広告の裏にこれを書いてそれをお兄ちゃんが撮ったという写真なんですね。選定に当たってくださいました中村郁夫さんというカメラマンさんが初めに出てきた写真がこれで本当に胸に詰まって。写真もすごいんですけどもこれを撮ろうとした子供たちの気持ちもね。≫

「そして次お写真が」

※テントで暮らす男性と犬が写った写真が登場

≪これはテント暮らしをしている人の写真なんですけども報道カメラマンの方はかえってこういう写真が取れなかったというんですね。悲惨な状況を撮ってこいと言われてもテント暮らしの方にカメラを向けられなかったと。でも撮ってる人たちも自分も被災者だったりするものですからすっとカメラを向けられたわけですけどもこの方(写真に写ってる方)は自分の家が全壊してしまったのに公園でテントぐらしをしながらボランティアをされていると≫

「しかも犬小屋はちゃんとしているというねえ」

≪こういう暮らしがあるんだなと思いましたね≫

「これもね」

※壁が崩れて骨組みが見えている家(商店)が写った写真が登場

≪これはね倒壊してしまったビルにライトバンを入れてね金網屋さんなんですけどもね仕事をされているところです≫

「10ヶ月経ってもこんなだったんですね」

≪とにかく仕事を始めなくちゃということでね。≫

「これいいですよね」

※瓦礫の下に大根(野菜)をうえた写真が登場

≪この写真に感銘を受けたんですけどもね。瓦礫をかき分けて大根を植えてるんですね。人というのはこんなに生命力があるんだと≫

「瓦礫の中で作物を作っている。これがまたいい写真なんですね」

※お年寄りが向かい合って手をつないでる写真が登場

≪三宮の駅の前で「いやあー生きてたのか」ってねえ無事を確かめ合ってる写真なんですけども。これを撮った人は自分のことと重なり合って涙で目が曇ったといっていましたけども。よくこんな瞬間の写真を撮ってくれたと思いますね。≫

「子供たちがこんな中でも元気なんですよね。」

※元気に遊ぶ子供たちの写真が登場

≪どうしても悲惨なものばっかしをみようとして子供たちには子供たちの元気さがあると見ようとしないじゃないですか≫

「これ(震災の写真展を開催したの)がちょうど40だったんですって」

≪そうなんです。その時39だったんですがふっと考えたのが韓国では年を数えで数えるので40だったんですよ。ああこのことかと思いました。≫

黒柳「1年がかりで本当にご自分の足で歩いて写真を撮って”ソウルの達人”という本を出してらっしゃるんですけども読んでみたら本当に詳しくいろんなことが書いてあってねえこういう本が1冊あればって思ったら裏表紙に書いてあるんですね」

黒田≪えええ。”(韓国語で)この本を持ってる人はとっても良い人です。よろしくね”っていうふうに書いてあるんですけどもね。この本持ってる人が韓国に行って親切にしてもらえたらなって。≫

「この(本の)中にもいろんなお店があるんですけども韓国にこんなに一杯漢方薬やさんがあるって知らなかったんですね。」

≪韓国人と漢方って切っても切れなくて歯医者さんのような頻度で町にあって、春と秋にですね栄養補給というか体を整えるための薬をもらって飲むんですね≫

※頻度=ある事が繰り返し行われたり、あらわれたりする度合い

「そういうお店の事とか食べ物屋さん。本当に食材が豊富でねえ~」

≪日本の中では焼肉というイメージばかりですけども日本人の人たちにとっては高級感のある素材ですねえウナギやドジョウや(いろいろあります)。それともちろんお風呂ですねえ≫

「垢すり。安い大衆風呂とか」

≪大衆風呂が面白いんですね。≫

「でもあなたこれからサッカーが始まるとお忙しい?」

≪ええあっちこっち両方飛び回りながら≫

「どっちを応援するかするか大変ですねえ」

≪悩みますねえ≫

「がんばってください。ありがとうございました」

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