2002年6月10日
黒柳「作家の柳美里(ゆう みり)さんがゲストです。どうもお久しぶりです。5年前にお出でいただいたんですけどもそれからずいぶんいろんなことがあっと言う間に起こって。赤ちゃんはどのくらいになりました?」
※柳さんは1児の母
柳≪2歳半です≫
「”命”という本から始めていろんなことが起こったのはその”命”という本・・・」
≪そうですね。ちょうど妊娠がわかったときに、私の師匠でもあり恋人でもあり友人でもあった東由多加(ひがし・ゆたか)という人のガンがさらに末期がんということが同時にわかったのでそのことを書いたのが”命”です≫
「表紙(を撮影したの)が篠山キシンさんなんですよね。だから送っていただいた時に最初油絵かなってちょっと思ったんですね。お子さんの事も詳しく書いてあるのでなぜ書いたのかということを聞こうと思いますが、可愛いお子さんなの段々成長していく過程があって4冊目はずいぶん大きくなって立って並んでいるところもあるんですが。こんな可愛くなったのね」
※”命”の表紙は柳さんが生まれた赤ちゃんを抱いている写真
※「命」「魂」「生」「声」の4冊。表紙はすべて柳さんとお子さんの写真
≪もうねえ「ママあっち行け」とか言いますよ(笑)≫
「そんなこと言うの。5年前にいらしたときはお父様の事とか在日韓国人ということでいじめがあったりとか家族の崩壊をずっと書いてらっしゃる事があったんですけども東由多加さんという東京キッドブラザーズを主催してらした。」
≪はい≫
「東京キッドブラザーズはニューヨークとかロンドンで」
≪ロングランした≫
「ロングランしたものをやってらした劇団なんですけども。その劇団の創設家でもあり劇作家でもあり演出家でもあるんですけども私たまたま(東さんの)ドキュメンタリーを拝見したんですよね。末期のガンにお成りになってたのにそこも全部写ってたのでどうしてだろうと思ったんですけどもそれは彼はかまわないということだったんですか?」
≪ええっとですね。(東さんは)死ぬ事が分かってたので生まれてくる子供の記憶に残らない事が一番辛いと。テレビでドキュメンタリーということで残れば後で(子供が)見るだろうと撮影を(しました)。≫
「この男(東さん)の方の子供じゃないんですよね。」
≪はい≫
「それでドキュメンタリーを拝見していても胸を打たれたんですけどもあなたは16歳の時に女優さんをやってらしてその時にこの方と知り合って、あなたはその時に東京キッドブラザーズの女優さんになってらしたのね」
≪はいそうです≫
「あなたは16歳で東さんは」
≪39歳でした≫
「それが10年間一緒に住む事になってね。結婚という形ではなくて」
≪無かったですね≫
「同棲という形で。10年間ですよ。でもそのかたがあなたに(文を)書く様にとおっしゃったということはあります?」
≪あなたの人生で振り返ると家族が崩壊したとか高校を退学したとか全部マイナスだと思ってるけども表現する事を選べばそれがプラスになるんだと。あなたは引き出しを一杯持ってるんだから書きなさいといってくれたのが東由多加だったんです。≫
「東さんがいなかったら作家にはなってなかったかもしれない?」
≪かもしれないです≫
「東さんという方も生い立ちが複雑な方だったんですね」
≪そうですね。お母さんを早くに亡くしてお父さんが何回も再婚されたという≫
「あなたの辛さを分かってくださる方だったんですね」
≪そうですね。最初に会ったときにとても親しい感じがするといわれましたね。私も歳はすごい離れているん出すけどもとても懐かしい感じがしましたね≫
「育ててくださった方と言ってもいいんですけども大人になっちゃうと同じぐらいになっちゃうじゃないですか。17歳から一緒に住み始めた10年間。相手が40歳ですから大人ではあったと思うしあちらも物を書いてらしたから影響しあったことがあったと思うんですけども」
≪影響しあったというか食べ物の好みからしゃべり方まで似てしまって、ですから亡くなった時に他人が死んだ気がしなくて自分が死んだというか≫
「そういう感じですか。とにかく10年間暮らして食べ物も似る感性も似るそういうことがあってでもお別れになるのね?」
≪はい≫
「あなたはそれから芥川賞作家にお成りになってここにも来てくださったんですけどもその直後ぐらいですかねまた一緒に暮らそういうことになって?」
≪彼がガンだということが分かって彼の彼の子供ではない子が妊娠したということがわかって≫
「彼と別れて5年後ぐらいに妊娠してそのことを東さんに報告した?」
≪分かれても相談相手というか、私が書いたものの常に第一読者だったんです。≫
「嫌いとかで別かれたんじゃないんですか?」
≪はい。どうしようかと相談した時に(東さんが)とても具合が悪そうだったんで日赤病院に・・・≫
「(なかなか病院に)行かない方だったんですね」
≪連れていったら影が見えると。とても唐突で。≫
※レントゲンを撮ると影が見えた
「食道・・・」
≪食道がんだったんです。≫
「あなたはお腹が大きくなっていて」
≪妊娠したということがわかってたんですね。お互い厳しい状況だったんだけどもお互い生きるというほうに向かって顔を上げようというかそういうことで一緒に暮らし始めたんです≫
「そのお腹のお父さんとは暮らすということはしない」
※東さんではなく柳さんの子供の実の父親とは暮らそうと思わなかった?
≪いろいろ葛藤があったんだけども妊娠六ヶ月の時に・・・・≫
「そういうこともご本の中に書いてらっしゃるんですね。」
≪(※子供の実の父親とは)妊娠六ヶ月の時に分かれました≫
「東さんが末期のガンだということが分かって彼は何とかして生きようとアメリカまで」
≪日本では認可されてない抗がん剤を使いたいということで一か八かアメリカまで行ったんです≫
「赤ちゃんが生まれるときは彼も帰ってらして」
≪帰ってきてくれたんです。出産に立ち会わないと大変だということで≫
「少しは良くなって?」
≪悪かったんです。髪の毛は抜けて一日中嘔吐する状態で。≫
「あなたが陣痛が始めると(東さんは)タクシーを捜しに雨の中を」
≪1人で行こうと思ってたんですけども明け方4時ぐらいに飛び出して用意していた荷物を持ってタクシーをかなり駆け回ってタクシーを見つけてくれましたね≫
「赤ちゃんは早くに生まれて」
≪分娩室に入る前まではずっと付き添ってくれてました。本人もすごく痛かったんだけども≫
「その時ももうちょっとのところだったんですね」
≪そうですね私がよく泣いたんですね。1人でどうやって育てていいかわからないし「死なないでよ」って泣いたんですけども「いやあなたと子供を残して俺が死ぬはずはない」と、2年間は子供がしゃべれるようになるまでは約束すると≫
※生まれた赤ちゃんを抱いた東さんの写真が登場
「こんなに大きくなるまで」
≪でも3ヶ月の時に亡くなってしまいました。≫
「赤ちゃんが生まれて最初に抱いたのが?」
≪東さんなんですよ≫
「母でもない東さんが抱いてくれたそうなんですけども、その時雪が降ってたんですって?」
≪生まれたあたりで雨が雪に変わって東さんがちょうど自分を迎えにきたような気がすると言ってましたね≫
「でも雪が降って赤ちゃんが天使みたいに思うとも言ってくださったんですって。さっきお宮参りも一緒に(※柳さんと赤ちゃんと東さんとお宮参りに行く写真が登場)」
≪あの時はひどかったです。本人は七五三とかには行けないと分かっていてこの子の最後の儀式と言うか。楽しみにしていてモルヒネを大量に打って出てきたんですね≫
※モルヒネ=鎮痛剤
黒柳「可愛いから女の子かと思ったら男の子なのね」
柳≪はい男の子です≫
「丈陽(たけはる)君というお名前だったんですって。東さんはお風呂にも入れてくれて」
≪腕にガンが転移してあげるのもきつかったんですけどもそれは絶対に譲らなかったですね自分が(お風呂に)入れると。自分の分身だと言っていました。私は血のつながりの無い子にここまで尽くせるのかと言うぐらい尽くしてくれましたね≫
「自分の子供じゃないのにここまで可愛がってくれる。なのにこの人は死のうとしている。赤ちゃんが生まれて幸せだとかいろいろ複雑だとは思うけども書きなさいと言ってくれたのも彼だったし18歳の時に」
≪18歳の時も学校を退学処分になったり何度も自殺未遂をした時にあなたは不幸から逃げるなと、逃げないで不幸を直視して書きなさいと言ってくれた師匠でもあったので今回も書かなければいけないなと思いましたね≫
「あなたが作家としてどんな風に感じたのか楽しみにしてたのかもしれないんですけどね。残念ですけども54歳でお亡くなりになってしまいになったんですけどもね。どうしてこんなに詳しく書くのって。丈陽君が大きくなった時に本当のお父さんでもない人にこんなに可愛がってもらったとかね。絶対に書いておきたかった理由って?」
≪丈陽にとってはルーツだと思うんですね。自分がどうして生まれたのかという物語で。人は物語りなくして生きられないので彼(丈陽)に対して書いておきたかった。≫
「ルーツというとあなたの家族が崩壊した事からも書くことになるわけですよね」
≪はい≫
「これは珍しいんですけども同時に・・・」
≪妊娠臨月で産気づいた時もワープロの前に座ってました。同時に書いていました≫
「後で思い出して書いたんじゃなくて同時進行で書いてらした」
≪「命」「魂」「生きる」最新刊が「声」何ですけども「声」はだいぶ経ってから。≫
「繰り返しますが(表紙の写真は)篠山紀信さんなんですが。篠山さんは子供の写真を撮るのが上手いんですってね?」
≪ご自分も(子供が)いらっしゃるんだからだと思うんですけども、普通は(子供が)動いてしまうんですけども注意をひきつけるのが上手いんですね。パッと撮ってしまって。≫
「(東さんが)生きてらしたら読んで欲しかったと思います?」
≪私にいた言葉ではなくて見舞いにきた人にいった言葉なんですけども「柳が俺の死をどう書くかによって作家としての進化が問われる」と亡くなる1週間ぐらい前に言っていたそうです。≫
「それだけあなたの才能を認めて書きなさいといってくれた人がそれだけあなたの才能を信じてくれた事はうれしいですか?」
≪うれしいというか今でも傍らにいて一緒に書いてるという感じですね。とても居なくなったとは思えない≫
「だからあなたともう1回暮らす事になって他所の人の子でも一緒にお風呂に入れて、やはり分身だからあなたの子だから自分たちの子だと言う事で最後までやってくださった事」
≪そうです東も私も同じ認識として思ってた事が家族と言うのは血のつながりや制度によって裏うちされてると言うよりもお互いがお互いをどれだけ必要かということでささえられてるものだと。それぞれが必要だと言う事で家族だったんだと思うんですね≫
黒柳「それともう1つ柳(ゆう)さんが書いておきたいのは韓国人であるおじいさまのこと」
柳≪祖父は韓国が日本の統治下だったときに日の丸をつけて走らさせられたと言うかランナーだったんです。≫
「金メダルをとった・・・」
≪ベルリンオリンピックで金メダルを取ったソン・ギジュンさんというかたとはライバルだったんです。≫
「それであなたはソンさんにおじいさまのことをお聞きになった事が?」
≪聞きました。そしたらケイショウ南道の5000、1万メートルのNO.1だったんだよと。朝鮮で1番速かったんだよって≫
「おじいさまのことをどうしても書いときたいということで日本人として出さされたソンさんのことはもうご存知だと思いますけども本当は朝鮮半島の人なのにあとで段々明らかになりましたけども。それと同時にマラソンとはどういうものかと座業(ざぎょう/文筆業)の人ってあまり足がしっかりしてないじゃないですか」
≪そうですね。祖父の内面に踏み込んで書くためにはフルマラソンの42.195キロを走って見ないと分からないと思いまして。≫
「本当にフルマラソンを走りになられたんですってね」
≪走ったんです≫
「才能が受け継がれてるんだと思うんですけどもいやじゃなくてどんどん走りになれたんですってね」
≪膝が痛かったですけどね≫
※マラソンゴール時の写真が登場
「写真の裏にタイムがありますね4時間54分20秒。普通初めて走って4時間台で走れる人って少ないんですってね。」
≪はい≫
「5時間台とかもっとかかる方もいらっしゃるんですけども」
≪脚が痛くて限界に達してましたね。30キロからコーチが隣で走ってくれてたんですけどももう止めた方がいいと。これが最後だと思うなら走ってもいいけどもまた走るのなら止めなさいと言われたんですけども、やっぱり東さんのことを思い出しましたね。東さんがすごい痛みと戦っていてそれでも生きたいと言ったことを思い出して痛いから死にたいというわけにはならなかったわけですから痛いから走るのを止めるのはおかしいと思って完走しました≫
「これがちゃんと」
※完走したことを証明する賞状が出てきた
≪初めて見ました。完走証ですね≫
「どこでお走りになったの?」
≪ソウルです。やはり祖父の国と言うか私の国籍のある国で走りたいということで走りました≫
黒柳「でも日本の旗のようなユニフォームを着て走らされたお爺様たちの気持ちのようなものは分かるような気もしました?」
柳≪私も複雑で私は韓国籍で息子は日本籍で≫
「日本籍になさったの」
≪家族の中で国籍が違うので複雑な国というものを考え続けているので書きながら考えてますね≫
「その今書いているおじいさんの事は朝日新聞の夕刊に書いてるんですけども同時に韓国(の新聞)にも」
≪東亜日報の朝刊に同時掲載されています。それは例の無い事で初めてのことです≫
「翻訳しないといけないから早めに渡しとかないといけないですものねえ。じゃあ向うの(韓国の)方も読める」
≪ワールドカップ共催でもあるけれども微力ながら日本と韓国≫
「そういう才能のある人が日本にいるということは韓国の人にとってもうれしいことでしょうけどおこさんは日本の国籍になすったんですか?」
≪はい、そうです。≫
「そうするとこの5年間お目にかからない間は激動でしたね」
≪そうですね≫
「今の心境はどうなの?もう時間は無いけど」
≪前に向かっていくしかないですね≫