2002年7月19日
黒柳「今サザエさんの磯野波平さんの声をやってらっしゃる。サザエさんが始まって32年半。でも一番面白いのは永井さんがお父さんの声をやっているというと毛があるっていうのがすごいんですってね。」
永井≪え!!何ていわれますね。私が絵と同じわけはないのにね。≫
「でもサザエさんのお父さんは毛がない、ツルツルというのは浸透してるんでしょうね。32年半毎週日曜日に放送、とにかく声を入れるのにずーと東京に行かないといけない。その日は行かないといけない」
≪録音の日が木曜日なんです。木曜の11時に始まる。毎週木曜の11時には東京にいなければいけない。≫
「」その週の分を」
≪その(収録は)週の分だけですね。年に2回ぐらいはどうしても休みをプロデューサーの方ディレクターの方は家庭サービスをしなければいけないしゴールデンウィークとかお正月には1回休む事もあるんですね。≫
「なんたってお父さんがいて、お母さんの舟がいてサザエさん、マスオさん、カツオさん、ワカメさん。そしてタラちゃん。フグタさんという方が時々出てらっしゃる。みなさんあつまってやってらっしゃる。これはすごい面白いんですけども長谷川町子さんがお書きになったのは昭和21年、戦争が終った次の年にはもう始まっていたということでして。でもその時には波平さんはかなりの歳だったんですね」
≪そうですねあの頃の定年は55歳ですから52,3歳だと思うんですね。≫
「ですから本来でしたら」
≪100を超えておる。サザエさんが始めて出た時の波平は明治27,8年日清戦争の頃に生まれた男なんではないかと思いますねえ。≫
「サザエさんの不思議っていう面白い本を読んだんですがいつまでも歳をとらないということではねえ寅さんもそうだったんだけどもそんな日清戦争の頃のの人だったんですか。」
≪でも今週放送の波平は戦後の生まれですよね。≫
「今日は舟のつもりできたんですけどもあの舟さんも変わんない人ですね。すごく面白いのはこの永井一郎さんに対して怒ってくださいって、「バカモン」と言って下さいってみなさんがおっしゃるんで」
≪そうなんですよね。私がいつも怒ってるようなイメージがあるんですね。スキー場なんかに行ってばれたりすると叱ってくださいって言われたりします。僕は叱ってるつもりはないんだけどっていうけども叱ってくださいと。そんなに僕はしかってますかって言うと「いつも怒鳴ってるじゃないですか」って。私は叱ってるっていう思いはずっとなかったんですね。そういうイメージがあるみたいですね≫
「なにかいつも「バカモン」って言ってるみたいで。」
≪しょっちゅねえ≫
「それは永井さんの分析によりますとそれは息子のカツオをよーく見ている」
≪そうです。波平がいつもカツオの目を見ている。向かい合っているというところから叱るということがでてくるんじゃないですかね。≫
「だからそれがわかっているのでお父さんに叱ってもらいたいと。」
≪ということはどっか叱ってもらいたがってるんじゃないかなっていう気がしますね。叱ってやらないのがいけないんじゃないかなって思いますけどねえ≫
「でもそこには愛情があってわかってもらって叱ってもらいたいというのがあるんでしょうね。やみくもに叱るんじゃなくてね」
≪やみくもにというと”怒る”ということになりますよね。”怒る”と”叱る”は違うと思うんですよね。怒るというのは感情的に怒るとか理不尽に怒るとかあるんですが、叱るというのは明確な基準がないと叱れないんですね。波平が最初に出てきたのは明治27,8年の男ですから、明治の男ですから叱る基準というのをしっかり持ってるんでしょうね。今の親というのは戦後の生まれの方がほとんどでしょうから、そうすると叱る基準というのがほとんどなくなっている時代ですから終戦で全部捨てちまいましたから基準をね。諺(ことわざ)も捨ててしまった諺という漢字もないほど捨ててしまった。やっぱり叱る基準をみんなが求めているんじゃないかなって思うんですけどね。≫
「時々講演にいらっしゃるとガヤガヤしてるんで静かにしなさいということをおっしゃると子供たちが叱ってる叱ってるって」
≪喜んじゃうんですよ。おかしいですね≫
「そういう時は大きな声で「静かにしなさい」とおっしゃるんですか?」
≪だれだーって≫
「あのお父さんみたいに。そうなんですかそういうのが子供たちはうれしいいんですかね。それから逆ギレをしない(子供の)叱り方を教えてくださいという大人の人もいるんですってね」
≪そうなんですよ。最近そういうのが多くて。逆切れしない叱り方なんかありませんよっていうんです。逆切れしないような子供に育てる事の方が重要であって、そういう叱り方はないと思うんですね。なんで子供たちが逆切れするかというと小さい頃から道理を教えてこないから人間の道の上に乗ってこないというのがあるでしょう。きちんと道理を教えていく。その道理というのはどこにあるのかというとどこにもないんですよね。文部省も言ってくれませんしね。文部省じゃなくて文部科学省ですかややこしいことになって。≫
「フフフ(笑)。波平さんはいろいろご研究でして。「バカモン」という本をお出しになったんですがバカモンというのはもちろん磯野波平さんの事を書いてらっしゃるんですけども、今のこととか今の大人の人のこととかそういうことをいつもお考えになってると思うんですが」
≪元々は「バカモン」という本を書くつもりはなかったんですが雑誌に連載してたものですから酒を飲みながらじじいが世の中を嘆いておるというものの中から日本人が忘れてきたものを探していこうかなというコンセプトで書いてきたんですけども。≫
「波平日本を叱るっていう副題がついているんですけどもこれを読みたいということはお父さんてどういう人かっていうのを知りたいというのがあるんでしょうね。」
≪そうだと思いますね≫
「永井一郎さんに叱ってくださいというのはきっと自分の代わりに叱ってくださいという事なんでしょうけどもねえ」
≪でも自分の子供にはきちっと面と向かってあげてほしいですよね。叱る理由というのはいくらでもでてくると思うんですよね≫
「昔のお父さんって恐かったですよね。父親というものはね」
≪私も恐かったです。だけれでも恐いまんまじゃないところがあって。親子ですからね。しっかりしつけていくというのがね。しつけていくのが次の時代になんないと良くはなんないんですね。≫
「昔父親なり母親なりからいわれたことを次にするということ(※注意を受けたことを再び繰り返す)はものすごく恐い事で2度とできないという感じがありましたよね」
≪刃物をこっち向けて渡すんじゃありませんと手を叩かれるとその手の痛さをちゃんと覚えてますものね。パシッとやられることのほうがいいと思いますけどね≫
「私もね父にねお友達が近くにいて遊んでたりすると「表で遊ぶんじゃない」と父は言うんですよね。それに表で物を食べちゃいけないと言われてたんですけども何が楽しいって近所の事外でおままごとをしてお煎餅を食べるのがすごくうれしい事で私はござの上に座ってお煎餅を食べてたんですよ。そしたら向うから父が来たんですよ。そしたら「ふえ!!(※ビックリして息が止まる)」ってなって、どうしようと思ってとにかくここに座っていることはしょうがないとしてお煎餅をござの下に入れて座ってお煎餅が割れちゃって「ああ~割れちゃたなあ」と思ったんだけども内の父はすごい近眼なんで気が付かないと思って(父が)「どうしてんのここで」って言われた時には魂が凍るほど恐かったですね。」
≪そういうことがあると電車の中でジュースを飲んだりということもしなくなりますから≫
「お化粧もしなくなりますよね。お化粧といってもみなさんご存知だと思いますけどもちょっと口紅つけたりとかじゃなくてはじめっから基礎化粧からやるわけですから。」
≪そういうのをみると注意しようかしまいか毎回ドキドキしてショックを与えているから私は誰にも迷惑をかけてないと思ってるだろうけれども僕にドキドキさせてるということは僕にものすごい迷惑をかけてることじゃないですか≫
「そうですよね。なんでも永井一郎さんは京都大学をご卒業仏文科をおでになって突然俳優になりたいと思った方でいろんなことを考えてらっしゃると思うんですがこの他ではあのハリーポッターでは魔術学校の校長先生の声とかスターウォーズのヨーダの声、ずいぶん前になりますが風の谷のナウシカのミトの声をやってらっしゃる方なんですがコマーシャルはいります」
≪≫
黒柳「永井さんは憧れの声優さんなんですがマスオさんの声をやってらっしゃる増岡さんもこちらにおいでいただいてお味噌の作り方とか中々面白い方で(笑)」
永井≪そうですね。お家も自分で建てましたしね。≫
「それで永井さんは京都大学の仏文科にお入りになったんですが突然俳優になりたくて」
≪大学時代に演劇をやってまして、そして世の中の事を全然知らなかったものですから役者になろうと思ってそのまま役者になってしまったわけでもないんですけどね。働いたりもしましたけども≫
「でも文学座とか俳優座とか民芸座とか」
≪全部落っこちましたけどね。≫
「そしたら有名な電通でそこでアルバイトをやんないかって言われてアルバイトをしてたんですってね」
≪高校卒ということでメッセンジャーボーイというアルバイトをやってたんですけどもねばれてしまいましてね≫
「京都大学卒業がね。」
≪私の先輩からばれたもんで「入れ」ということで無理やり入れられて(電通に入社)≫
「でもいいですよね、今電通に入りたいといっても入れないのに」
≪今考えるとなんて傲慢だったかと思うんですが役者になりたいという一心だったものですから。≫
「民放の初期のドラマで”ひまなしとびだす”というドラマのアシスタントプロデューサーというのをやられていて。ずいぶん初期のテレビの現場もご覧になって」
≪そうですね。TBS開局番組のミツゴロウさんが踊られたサンバソウなんかの担当もしてましたから本当に開局の頃ですよね。≫
「そのままおやりになっていたらずいぶんお偉くなってたんだろうと思いますけども」
≪もう退職しております≫
「その点は俳優はいいですね定年がないですから。そうこうしてるうちにサンキカイ」
≪そうですサンキカイで人がいるから出ないかって言われて「はい出してもらいます。ついては電通はやめさしていただく」ということで≫
「サンキカイでも通行人の役なんですけどもそれでもって。それから声優になるつもりはなかったんですがローハイドの御車のおじさんでその人が老け役だったんですって?」
≪向うは42くらいで若かったんですが60に見えまして私も若かったんですが27ぐらいでの時で、劇団では若くて老けをやってたものですからそのまんま老けの仕事がたくさんくるようになった≫
「そのローハイドで老け(役)をやるようになって段々老け役をやるようになったものですから結局磯野波平さんの役を32年やってらっしゃるということはずいぶんお若いときから磯野波平さんの声をやってらしたということになりますね。」
≪若いというほどでもないですけども若いですねえ。≫
「それが定着しちゃってそういうつもりでもなかったかもしれないんですけども俳優になりたいということからいきなりサザエさんになっちゃって32年いらしたというのはその人生も面白い?」
≪変な人生だったと思いますねえ。でも後悔はありませんし面白かったですねえ。≫
「まだ続いてますから過去形ではありませんけども。でもここまでは面白い人生だったと。」
≪≫
黒柳「実は大阪付属池田小学校のご出身でいらっしゃるんですってねえ」
永井≪はい。これは今度の本に書いたんですけどもね事件が起こる前のずっと前に書いた文章を再録したんですけどもね。私は役者というのは音楽家でもなんでも表現する人はそうでしょうけども体を開かないと、筋肉を開かないと心は開かない。心を開かないとちゃんとした人間にはならない。またはちゃんとした芸術はつくれない。そういうところから話し始めてみんな心を開こう校門を開こうという話をしたんですね≫
「それは池田小学校にいらっしゃって」
≪そういう話をしたことを書いたんですね。それから6,7年経って去年のあの事件が起こったんですね。ものすぎショックであたしが自分で犯人になったような気になって今度の本にそれを出そうか出すまいかすごく迷ったんですけどもね、やぱり校門を閉めるからああいう犯人が生まれるんだと。あそこでまた校門をしめたらあの犯人が勝ちということになる。あの犯人に勝つには校門を開いて地域が学校を守るという子供を守るという形を。守るというだけじゃなくてワーと暮らせるような世の中を作る事の方が大事だから非難されるかもしれないけどもこれは乗っけようと思ったんですね。ちょっとつらいもんだったですね≫
「子供ほど周りの大人を信頼している生き物はないって。そういうことが起こるなんて考えてもいないことなんでおつらいと思いますけどもね。ただ私のトットちゃんの学校もまったく門がありませんで生きた木でできた門で昔は大丈夫だったんですがねえ。」
≪子供にきちっと向き合わなければいけない親も先生も向き合わなければいけない。子供を叱るとか監視するとかではなくて目をきちっと見て物を言ってやらなければいけないって思うんですがね≫
黒柳「サザエさんはアニメーションで映画の吹き替えといっても映画の吹き替えとアニメの吹き替えでは全然違うんですってねえ俳優さんが」
永井≪少しは重なってますけども違う人が多いですねえ。≫
「まず映画の吹き替えというのは人間、たまに犬なんかやる時もありますけどもほとんどが人間。ところがアニメーションの方はあらゆる」
≪犬もしゃべります石もしゃべります≫
「タンスなんかもねえ。それはおもしろいですかねえ」
≪面白いです。何か表現したい、他のものになりたくて役者になったんですから毎日毎日別のことをやれるのはおもしろいですね≫
「それじゃあ思いがけない道にいらっしゃたんだけども後悔はない?」
≪はい≫
「でもこういう”バカモン”という本。これは新潮社からでてるそうですけれどもこういうのも読んでくださると。どうも」