2002年7月30日
黒柳「良くいらしてくださいました。いろんなところからタレントにお成りになった方がいらっしゃいますが元祖に近くて”元祖ベースボールタレント”。それでいま解説者でもいらっしゃいます角盈男(すみ みつお)さんです。それでお名前ですけどもこれをみつお(盈男)と読めといわれてもってみなさんお思いかもしれませんけどもこれ本名かと思ったらそうではないんですってねえ?」
角≪ええ、あの女房がこういう風に変えたほうがいいって≫
「本当は”三男(みつお)”であなたは三男(坊)なんですか?」
※角三男(すみ・みつお)が本名
≪ええ三男(三男坊)です。≫
「この盈男の盈というのはとっても良い字で内容がいい」
≪一応そういうことでつけたんですけどね≫
「エイとも読むんですが、お皿に一杯盛るという意味で乃木大将の外側のところにヌって書くんですね。下に皿と書いて”あふれる”とかいう意味であまり見たことがない字で。でもこれで盈男(みつお)と覚えてくださるとみなさんが忘れないんですって?」
※盈
※乃木大将=明治時代の軍人。日露戦争で有名
≪こ話の取っ掛かりでこういう話になるんですよ。三男(みつお)だとああそうですかで済むんでそれだけでも良かったかなって思うんですが≫
「私長いこと、私野球のことあんまし知らないんですけどもあなたの事を角(カク)という人だとずっと思ってたんですね。そういう方もいらっしゃいますねカクという人も」
≪野球を知らない方はそういいますね≫
「私もカクっていうんだなって思ってたんですね。巨人の選手でいらっしゃいまして左のピッチャー。」
≪はい≫
「しかも横から投げる。写真見たらすごいんですね。(※投げる瞬間の写真が登場。巨人時代の写真)手がどうなってるのか分かりませんけども」
≪横からほうるということですけども。もう20数年前ですけども左で僕は身長183センチあるんですけども横から投げるというのはまず無かったんで。野球の中ではやっちゃいけないフォームなんですよね。不利といわれるフォームなんですよね。≫
「刑罰にはならないんですよね(会場笑)」
≪別にならないんですけども。右バッターが多くて損するよっていわれていてほとんどやらない。しかも僕は最初上からほうっていてそして横投げに変えたんで当時はずいぶん反対されましたね≫
「でも打ちにくいんじゃないですかね?」
≪左バッターはちょうど背中から来るんで打ちにくいんですけども、右は見やすいところから来るんで≫
「でもどんな風に投げようともちゃんとストライクにこなくてはならないんですよね。でも横から投げてちゃんと行くっていうのはかなりの技術ですよね。」
≪自分ではそれがあってましたね≫
「サイドスローという投げ方で」
≪アマチュアからプロに行く時に(投球フォームを)大体変えないんですよ。それが良くてプロに採られるわけですから。プロに入って2年目であっさり変えちゃったんで≫
「あなたの事をプロでほしいって巨人が・・・くじ引き引いたりありますよね。」
≪ドラフトですか≫
「そうそうドラフト。詳しくなくてすみませんねえ(笑)で3位でお入りになった。3位というけどもあれだけいた中で3位で入るということは」
※ドラフト3位=全国のプロ入り可能なアマチュア選手の中から角さんは3順目に巨人に指名された
≪あのうれしいのはその年に入団する気は全く無かったんですよ。それを(スカウトの方や関係者に)言ってたんですけども人材不足だったんですよ。その年が≫
「高校は出てらっしゃいますか?」
≪でてますよ≫
「珍しいケースですね。」
≪で社会人で就職しながら野球をするんですけどもそれでやってたんですけどもドラフトされたんですけども≫
※社会人で野球=企業に就職し企業の野球チームで野球をする。日本生命や自動車会社のチームが有名
「それで巨人に入ってうれしかったでしょう?」
≪うれしかったですねえ。田舎育ちですから巨人しか知りませんから≫
「鳥取で米子」
≪はいテレビの放送は巨人戦しかありませんからね。≫
「ああそうか巨人しか写んないんですか?」
≪巨人対何々、巨人対何々しか写んないんで≫
「巨人名が中心で。巨人の星とかが年代的に」
≪そうですねずっと見ていて。巨人軍よりも巨人の星のほうを見てましたね≫
「ヒュウマをね。あなたは今アメリカに行っている大魔人の佐々木のようにですね抑えのピッチャーで。偉いんですよね」
≪佐々木ほどは偉くないですよ。走りみたいなものですよ≫
「抑えの角と言ってですね「じゃあ出て」っていって抑えて勝つと。その頃はジャイアンツは勝ってたんですか?」
≪ええ一時全盛期言われたのが巨人軍はタコ野球だって”危なくなったら墨(スミ・角)を出すって”。≫
「タコだから墨をだすって。でその時はこないだより前の長嶋さんが監督で。」
≪入団した時は長嶋さんでした≫
「しかも王さんが現役でいらした。」
≪はい現役でいました≫
「ホームランとか打っているときで」
≪もう晩年ですけどね。引退の時もいましたけどね。≫
「それは(王さんとプレー出来て)うれしいことじゃありません?」
≪うれしいというよりもおかしいですね≫
「どういうことが?」
≪ONといったら小さい頃から野球をしてきて憧れの人じゃないですか。だから左だと1番をつけて右だと3番をつけるそういう時代なんですよね。それをずっと見て育ってますからプロに入ってマウンドで投げて王さんがそれを取るんですよね。どう考えてもなんでそれを王さんが取るんだろうって≫
※ON=王(Ou)、長嶋(Nagasima)のアルファベット頭文字の略
※王さんは1番、長嶋さんは3番が現役時代背番号だった。
「仲間だから取るのね。なんで打つ人が取るのかなって(会場笑)。」
≪僕らは見てた人だからどうしても一致しないんですよね。≫
「うれしかったでしょうね」
≪うれしかったですけどもキャンプで2月に練習をするんですけどもその時に王さんと一緒の部屋になったときは緊張しまくりましたね。≫
「あの時の王さんと長嶋さんの人気というのはねえ。性格は違うような感じでしたけども素敵でしたよね」
≪僕らにとっては雲の上の存在でしたね。≫
「で坂東さんが投げてたのは同じ頃ですか?」
※タレントの坂東えいじさん
≪坂東さんが投げてたのは僕らはいっさい見てないですね。≫
「もう止めちゃっていたの?」
≪坂東さんがタレントになられて自分でおれは昔王さんと対戦したことがあるって言われてるのを聞いて初めて坂東さんって野球選手だったんだってしったんです≫
「ええ!!それはあの方が投げていて長嶋さんが打つ係りだったんですから(会場笑)、(長嶋さんが)監督になる前ですからずいぶん前ですね。さきほど元祖ベースボールタレントと言いましたが・・・あの方はあまり解説はしてないでしょ。」
≪今はずいぶんやっておられますけどね≫
「そうなんですか。」
≪当時20数年前で坂東さんが選手だってほとんど知らないんじゃないですかね。≫
「だいぶ前に坂東さんがジャイアンツの解説をなさったんですってね。」
≪僕も一緒にやらせてもらったことがあります≫
「そしたらすんごい局に電話がかかってきて「いやあこういうときの選手の気持ちは」っていったらなんでおまえに選手の気持ちが分かるんだって一杯かかってきて選手だっちゅうのっていくら言っても」
≪ものすごいいいピッチャーだったらしいですよ≫
「契約金が長嶋さんよりも高かったっていうのがあの人の誇りなんだって。」
≪すごい選手というのは僕には分からなくてすごいタレントさんとかすごい俳優さんとか。昔局は違いますけども”金妻”とかありましたね≫
「金妻とかありましたね。アカデミー賞の俳優の賞も取ってらっしゃるし。私達俳優でいてもアカデミー賞、日本のアカデミー賞ですけども賞を取った方がすごく少ないんですよ、そこで坂東さんが「俺もらったんや」ていうと恐れ入りましたって言わなきゃいけないですから(会場笑)」
≪そういうイメージしかないんですよ。野球選手というイメージはまったくないんですよ。≫
「徳島商業から呼ばれてなんだかしらないんですけども契約金がね長嶋さんよりも高かったというのが自慢で。ただ後半ね株をやるんで当時はトランジスターラジオがないんで、線のついたラジオでもうじきでますからという時にキャッチボールですかあれをやる時に遠くへいかれないんですってこれやってるから。この線が届く範囲でしかやれなかったんで後半はあまりいいピッチャーではなかったと。そんなに坂東さんと年がはなれてるんですか」
≪坂東さんはいくつなんですかね≫
「あの人はわたしのことをお母さんってよんで老人扱いするんで、でもあまり変わんないですよ。この間ねあんまり歳かわらへんなって自分でいってましたからね。」
≪僕いま46ですから≫
「じゃああっちは2,30おおいですよ。でもこの角さんにもお辛い時代がありましてAクラスのピッチャーだったんだからすぐに解説になれるかなって思うけどもそう簡単には解説になれないんですって?」
≪僕らがイメージしてるのは巨人を卒業すると解説をやって、夜は解説をやって昼はゴルフみたいなそういうイメージだったんですね。ところが大失敗したのが世の中がバブルがはじけて解説者受難の年みたいになっちゃたんですね≫
「今から7,8ねん前ですよね」
≪解説者を取らない時代になって、1つの局に決まりかけてたんですけどもそれがどんでん返しでだめになりまして≫
「お仕事がなくて」
≪1週間ぐらいですかね寝込んでましたね。どうしようって。結局は1局2局はやってもらえたんですけども収入は現役の時と比べて”0”1つ減りましたからね。≫
「寝込んだ後も仕事がなくて解説者になろうと思ってたわけですから」
≪ラジオの解説が決まっていたんで女房に蹴っ飛ばされましてとにかくグラウンドに行けと言われて、グラウンドに通っていたんですけども≫
「選手の動きを見たりラジオでしゃべったり」
≪でも僕らは収入がガクッと減っていますから電車で行って電車で帰ってくる。で若い契約した(テレビの)解説者はハイヤーで行ってハイヤーで帰ってくるあれだったんで結構惨めだったですね≫
「そういのが2年間ぐらい続きましたかね」
≪ただそういう時に自分の仲人が芸能界畑にいらっしゃった方でおまえは酒飲めば面白いからタレントになんないかって言われたんですよ≫
黒柳「さてお仲人さんをやってくださった方が芸能関係に近い方」
角≪タレントやってみないかって。その時やってみないかって言われても何をやっていいのか何をやるのかパッとわかんなかったんですよ。仕事がほしいだけで何でもやりますって言う感じだったんですよ。タレント事務所に入って解説者でもなんでもやっていったという感じです。バラエティ番組にも出ましたし≫
「バラエティ番組に出てこれで名前が売れたり顔が売れたりしたらいずれスポーツの解説をするのにはいいかなっていうのはありました?」
≪ただ野球界でバラエティとかに出ると野球から離れるという感じでしたね。僕と同い年ですけども僕よりも1足早くユニフォームを脱いだのに定岡がいるんですよ。彼も野球から離れて完璧にそっちの方へ行ったんで、そうすると角も完璧に野球から離れたんだなっていう感じだったんですよ。でも僕は野球解説しながらそっちもやっていたんでちょっと異色でしたね。だから現場に行っても選手は僕をどういう風に見ていいかわからない感じでしたね。≫
「だからなれないときはスタジオにいらっしゃるとあなたよりも若い人に「よろしくお願いします」っていわなきゃならない。それもまあつらい時期があったって伺ってますけども」
≪そうですねえ。自分よりも歳の半分ぐらいのばかりの時もあるじゃないですか。仕事上は彼らのほうが先輩なんで頭下げなきゃいけないんでそこらへんは苦しい事は苦しいんですけどもただ勝負の世界に生きてきたんで力のある人が1番だと思ってましたからなんとか耐えられた≫
「そこのところはお口もお上手だったし、やってやるぞっていうのもあって」
≪その場をこなすのが精一杯だったですね≫
「仕事をしなくてはなんないということで」
≪タレントの中でバラエティやってもどうやって生きていこうかなって苦しみましたね≫
「そういう最中にドラマが来て「かりん」という。ドラマに出るということがあったりして」
≪ええ、ビックリしました。監督がいろんなパターンの違う教師をやりたいということで3人ぐらいでしたかね。僕の女房の里が三重県で日本そば屋をやっているんですよ。監督がたまたまそこへ食べにいかれたそうなんですよ≫
「NHKのドラマの監督が」
≪それでそこの娘むこが角だということで何かの縁で僕が呼ばれたみたいなんですよ。≫
「何がご縁か分かりませんねえ。その方がそこのおそば屋さんに行かなければ」
≪行かなければ呼ばれなかったと思いますけどね≫
「呼ばれたのはいいですけども君は何もセリフを覚えなくていいからって言われて割とフラッといらしたら」
≪素人じゃないですか教えてもらえると思ったらセットがばっとあっていきなり「はい!やります」って言われたんですよ。ええちょっと待ってって言う感じで。教壇がありましたからセリフを書いてとにかく自分では上手くやったつもりなんですけども(※教壇にセリフを書いてどうにかその場を乗り切った)。あと終って確認するでしょ。OKって出たんですよ。1発でOKだったんでどうしようもないからそれで終わりにしたんじゃないかなって思ったんですけども。≫
「でも何回かおでになりましたよね?」
≪3回くらい。後はそういうセリフはなかったんで。≫
「NHKのドラマの人はそういう先生がほしかったんだと思います。」
≪でもいい勉強になりましたね≫
「でも俳優やったことがない人が大丈夫ですって言われて、セリフがあるのに手を取り足をとりここに立って生徒の前に向かってセリフを言うって教えてもらえると思ってたんでしょ」
≪思ってました。≫
「そうじゃなかったんですよね」
≪もうセットしてあってそれどころじゃないじゃないですか。≫
「でも稽古というものはなかったんですか?」
≪1回だけあったんですよ。その時も台本持っていってやればいいなって思ってたんですけども誰も台本は持ってないんですよ。いやあでも俳優の人はプロだなっと。≫
「でもその後瀬戸内少年野球団なんかにおでになったりして」
≪ああ!!この時は楽だったんですよ≫
「なんで?」
≪この時の役は野球のコーチの役だったんで。セリフもノックを練習で打つんですよ。その時に「もういっちょ」ってそれだけだったんですよ(笑・黒柳笑)。見るだけで終ったんですよ≫
黒柳「今はバラエティや何かでお顔も売れたし面白いという事もあってスポーツの解説も色々なさるんですけども初めのタレントになった時はとにかくタレントとしてがんばんないといけないという時に食べ歩きの仕事があって、見てる人にはいい仕事してますねって」
角≪それ言われます。いいものばかり食べれてって≫
「北海道にイクラ食べ放題っていうのにいらした時に」
≪ヘヘヘ(笑)。そこは売りがいくらイクラの塩漬けをいくら食べてもいいといことでこんなボウルにいっぱい来るんですよ。それを食べるシーンがあって僕らは演技しろって言われても素人じゃないじゃないですか。でも食べる姿がおいしいといわれるんでひたすら食べてたんですよ。で途中で大体食べれば終るじゃないですか「もういいですよ」って。イクラ食べても終らないんですよ。結局ずっと食べ続けたんですよ。で最後そのボウル全部食べきったんですよ。で「なくなりましたけども」っていったら「(※ビックリした感じで)ああ!終ります」っていわれたんですよ。あまりにもおいしく食べてたんで止めるのは可哀想と思ってて。かんべんしてよって。≫
「それはかわいそうですよね。いくらおいしくても。でもおいしく召し上がるのがお上手だったんでカットするのが遅れて」
≪でもあれは1年分くらいのイクラを食べましたね。≫
「そうかと思うとご対面番組のお母さんと娘を引き合わせる番組をなさってずいぶん人間をご覧になった時期もあって」
≪本当に嘘みたいな本当の話もあるんだなって驚きましたけども≫
「こんなにもいっちゃったきり会ったことのない親子がご存じないぐらい多かったんですって?」
≪一番悲しいのは母親が分かれた娘を探しに行かれて娘さんが亡くなられていたらちょっとつらいですね。≫
「そうかと思うとお母さんが会いたくないっていう場合も」
≪もうまったく会いたくないって。私が産んだ事も忘れてくださいみたいな。ですからものすごい疲れるんですよ≫
「するとちゃんとあえて抱き合ったりするのはその中の何分の1」
≪そうですね半分ぐらいじゃないですかねえ≫
「そういうのもおやりになったんですね。」
≪それで(出会えて)喜ばれて泣かれるとそれはうれしい事なんですけども、でも自分の気持ちも入っちゃうんですね。終った後にすっごい疲れるんですね。≫
「おうちに帰った後に「あああ~(※疲れた~)」っていう感じだったんですね」
≪どうしても体育会系なんでそんなに動いたかなって、全然動いてないでしょ。≫
「精神だけですよね。そういうお仕事もずいぶんおやりになったそうです。」
≪≫
黒柳「さて角盈男さんには息子さんが2人いらっしゃいまして、素敵な奥さんがいらっしゃいましてこの2人の息子に野球を教えている」
角≪息子が2人ともどういうわけか野球をやりたいということで、≫
「中3と小学校6年生。はやぅお仕事がお休みの時は奥様がお弁当を作って」
≪土日休みの時は5時ぐらいにおきて、女房にお弁当を作ってもらって河川敷に練習に行くんですよ≫
「4人でいらっしゃることもあってそれがとっても楽しい時間でいらっしゃるんですけども」
≪そうですね自分の中で一番うれしい時間ですけども≫
「中3の方が大きいんですけども野球選手になりそう?」
≪ええっとねえ、完璧に親ばかいっていいですか?≫
「いいですよ(会場笑)」
≪プロにはいけると思います。いけるとおもうんですけどもプロの中でどれだけ活躍できるのかはわかんないです。≫
「でもやりたいと言ったらやらしたい?」
≪本人はやる気みたいですよ。目指せメジャーみたいな気持ちでいるんでお父さんは一応チチローを目指してがんばろうかなって≫
※チチロー=現在メジャーで活躍されているイチロー選手のお父さんのニックネーム
「でもすごいんですよ公式のボールでやるようになるとお家でもお父さんは教えちゃいけないって言う規則があるんですってね?」
※元プロ選手はアマチュアに指導してはいけないという規則がある
≪高校に入ったらね。それまでは大丈夫なんで≫
「たいへんですよね。長嶋さんもそういうことが合ったらしいですけども。でも楽しみが一杯あって奥様も良くおやりになられましたよね。ありがとうございました」
≪ありがとうございました≫