2002年7月31日
黒柳「まあおきれいな。今日はどちらで出ていただいているのかわかんないんですけども」
ピーター≪5、6回出させていただいてるんですけども毎回違うんでどれが私なのか。全部私なんですけども。≫
「華やかなショーとかそう言うようなものの時はピーターで、時代劇とか商業演劇の時は池畑慎之介さんででてらっしゃる。池畑ピーターっていうのはないのって?」
≪普通だったらピーター池畑って言ってください(笑)。ジョージ伊藤とかそういう感じで。≫
「去年大河ドラマの時宗に出てらして知恵袋みたいな役で老け役まで」
≪金沢文庫をお作りになった・・・北条実時を≫
「ひげをつけてらっしゃってですね。似合ってらっしゃいましたよね。」
≪そうですか谷村シンジみたいって言われてましたけども(笑)。≫
「悪いじゃないの谷村さんに(笑)」
≪チンペイが言ってるんですよ。ひげつけたりするとおまえと俺はにてるなああって。親戚づきあいなんですよ谷村さんとは。私の高校の入学式に谷村さんが大学生で車に乗っけて連れて行ってくれたんですよ。≫
「お家が近かったの?」
≪谷村シンジさんのお姉さんがうちの父の弟子で≫
「谷村さんはチンペイさんと呼ばれているんですけども自分に似てるって?。お爺さんの役って言うのは初めてでしょう」
≪はい。おばあさんはあるんですけどね。あぐらってねかく家の人じゃなかったんですよ。父もあぐらをかけなくて。横座りはできてもあぐらがかけないので、でもあぐらをかいてずっと会議のシーンとかがあるんで。結構股関節にきましてね≫
「でもまあ役の中では楽しい?」
≪楽しかったですね。自分でもこういうことが出来て表現が出来れば気持ち的にも役柄が広がったかなって。≫
「それでまた普段の生活の中でもフリーマーケットをやってみたくなってこの間自分で売りに行ったんですって?」
≪自分が大事にしてたものでいらなくなったら誰かに大事に持っていてもらいたいとか。そういうの慣れてるから何か出さないって言われた時に自分で売りたいっていったの。≫
「出すだけじゃなくてあなたも行くって」
≪ぜひと言って撮影もしてもらったみたいで≫
「ああそうなの。それで浅丘めぐみさんあの方は詳しいんですって?」
≪同じ事務所なんですけどもどうしたらいいですかって聞いたら1回出してみなよって品物だけ送ったんですけども2回目は自分でやってみようって≫
「そうなの。それでそこに付いてお化粧してなくて男の格好だから」
≪真っ黒だし最初わかんなかったみたい≫
「映像みたいなの拝見したんですけどもないか靴とかいいものずいぶん出してらしたのね。」
≪2年3年はかないものは荷物のためだけに1部屋無駄にしてるわけですから、1坪高い東京で無駄にしてはいけないと≫
「お洋服は東京に置いてあるの?」
≪全部置いてあるんですよ仕事用のものは≫
「住んでらっしゃる時は?」
≪熱海と東京と両方なんですが≫
「でも売ってらっしゃる時にこれはアルマーニですとか」
≪もうブランドは出した方がいいと思って。≫
「はじめは人が買うんだけども午後になると」
≪一巡するんですよすごい広いところだから≫
「場所は?」
≪明治公園。一回周って見てから買われるんですね。ですからちょうどお昼過ぎにはお客様が少なくなって。寂しいなどうすればいいんだろう。よし自分の車を出していたんで車にポスターを貼って、仕事のポスターをはって”ピーターがやってんの”って気付かれてからまたバーと。≫
「あれだけ安いんだから人ってどんどん買うのかなって思ったらすぐには買わないで。」
≪値切りますね≫
「値切る」
≪私も値切りますけども買いに行くときは。これは攻防戦だなって≫
「ああ!!これVTRあるそうですからVTR見ていただきましょうか。」
≪スーパーJチャンネルかなんかの。~VTR~スタッフみんなであの後焼肉食べにいったり。≫
「結構売れたの?」
≪十何万にはなりましたね。最初に買った値段からすると何十分の一ぐらいなんだけどもそれでも置いとくことを考えると≫
「人のものってその人には初めてだから新鮮なのよね」
≪逆に私より似合う人がいたら「わあ!!しまった。あげなきゃ良かった」って思うことあるじゃないですか。≫
「越路吹雪さんいつもそうでした。越路吹雪さんやるってくださって、私が素敵にしてスカーフしたりブローチしたりしていくと「あれ、それこないだ上げたやつ?悪いけど返して」って(笑)。なるべく側で着ないようにしてたんですけども。」
≪自分が着てて自分は飽きてきて人が着るとカッコよくてしまったって。でも皆さんが新鮮な気持ちで思い出になったら≫
「あなたは本当に男になったり女になったりああいう売り屋さんになる時は男みたいになって足広げて男みたいにいえるのがねすごくいいと思うんですよ。またショーもやってらしてこのところ大澄賢也さんとこのところ一緒に」
≪ていうか30周年の時に記念コンサート”おじば”というのをやりまして。”おじば”ってわかります?≫
「おじいさんとおばあさん?」
≪おじさんとおばさん。まだそこまでいってません(笑)。”おじば”というショーをやった時に賢也君が相手役でずっと踊ってくれたんですね。それが3年前くらいなんですけども≫
「これもVTRがあって、これはこのかたがどんなにお召し物を、早替わりで変えていくんですよね」
≪そうですね≫
~VTR~
「体が黒いとね剥き出しになっても」
≪あまりいやらしくないでしょ。カッコよく焼けてると肌を見せる事が潔く見えるんですよ。≫
「お住まいの関係からやけてんの。それともわざと」
≪ゴルフ行ったり海に行ったり結構アウトドアなんですよ。≫
「割と出してやんのゴルフやる時は」
≪素っ裸でやってるわけじゃないんですけども(会場笑)。≫
「元々黒いんですって?」
≪鹿児島に10年いた時に黒くなっちゃって。両親が離婚している間の10年間は鹿児島にいたんで≫
「お母さんも黒くなったんですって?」
≪母も地黒でしたね。元々家は南方系なんですよ。母方のおじいちゃんは鹿児島ですし父は高知ですし、どちらかというとラテン系≫
「またお父さんとお母さんが再婚なさるという事でこの間その話を伺いましてねそのお話を。でもまた再婚なさってお父様のところにお帰りになったんですけども、すいぶんいろんなことがあってその時のお母様もずいぶん大変だったんですってねその10年間は。」
≪母は料理屋のお嬢ちゃんだったものですから≫
「それも有名な料理屋さんなのよね」
≪大阪の”ハマサク”。で料理屋をやるつもりで鹿児島に行って初めて借金をして料理屋をやって子供2人を育てたんですね。がんばってくれたお陰で私はこの母に迷惑をかけちゃいけないと思って一生懸命勉強してラ・サールはいって母に褒めてもらおうと思って≫
「ラ・サールにはいって。ラ・サール石井さんばっかし言うけどもこの方もラ・サールなんですよね。」
≪4つしたなんですけども、同じ時には学校にはいなかったんですけども。≫
「私はぜんぜんお勉強のことを知らないんですけども大変お勉強しなければ入れないんですよ。」
≪母が喜ぶ顔を見たかったんですね。大阪にいる時は父と結婚しても喘息で寝たきりだったんですね。だから母が起きてだっこしてもらった記憶がないんですよ。ずっとばあやさんの背中で。≫
「でもお母様は鹿児島にいらしたら」
≪喘息がピタッと治って。≫
「あなたとは二卵性兄弟というか・・・」
≪うちはどこ切っても金太郎飴みたいな親子で私も母も姉も叔母も同じ顔が出てくるみたいな。どこに行くのも一緒でしたし、私の舞台の楽屋とロビーにいるのが(※旅行の写真登場)これは一緒に旅行行った時ですね≫
「お母様もあなたの事が好きで、とってもファンだったと思うんですね。でもとっても残念なんですけどもそのお母様が今年お亡くなりになったんですね。ねえ。この前おいでいただいたときはお父様が亡くなったということでお父様の話が。お父様がなくなったのは4年前ですかね」
≪今年の1月22日ですかね。29日が父の命日なんでね。父が呼ばなければいいなって思ってたら1週間早く。せっかちな父だったんですね。京都の家に住んでいる時にタクシーを呼ぶでしょ、呼んで電話を切ったときに父は表へ出るんですよ。まだ10分やそこらかかるし着たらピンポーンってなるじゃないですか。でも表へ出て「はよしなはれや」ってすごくせっかちな父だったんですね。だから1週間早く呼ばれたんじゃないかって≫
「そうね。お父様に呼ばれてね。コマーシャルのあとお母さんの話を聞きます」
≪≫
黒柳「本当に残念で今年の1月29日にお母様がお亡くなりになったんだけども、あなた亡くなってからお父様とお母さんの結婚式の写真をご覧になったんですって?」
ピーター≪母の遺品を整理してましたら写真が出てきて、見てたら父の古い戦争に行く前の写真とか結婚式の写真とか。いっぱいあったんですけども今まで見せてくれなかったんですよ。≫
※ピーターさんのご両親の結婚式の写真登場
「お父様とお母さんがお若いときの綺麗な結婚式で」
≪この母の顔は私が白塗りしたときの顔と同じなんですよね。≫
「だけどお母さんが段々意識がコンダクされてきた時にはあなたの楽屋にいらっしゃる風だったんですって?」
※お母さんは病室にいるのにピーターさんの楽屋にいると錯覚していた事もあった
≪そうなんです。見舞いに行くと顔を見てお疲れって言うんですよ。お花とかを持っていくと「もろたお花は家にもってかえらな枯れるで」って言うんですよ。だから今私が舞台で花をもらって楽屋に帰ってきたと思ってるんですね。ずっと長いことしゃべってると「はよカツラかぶらな間にあわへんで」っていうんですね。楽屋に行ったりロビーに行ったりしてお客様に挨拶するのが母は好きで≫
「受付にもいらっしゃってあなたの公演を楽しみにしてらした。二卵性双生児といわれるぐらいだからあなたのやることはなんでも好きだったと思うんですけども、でもあなたはその時に時宗のあの人(北条実時役)をやっていてものずごい忙しい時だったんですって?」
≪今までの芸能生活の中で2番目に忙しい時だったかもしれませんね。テレビの収録とテレビのバラエティーみたいなのが4本ぐらいレギュラーがあって、歌のショーと舞台があって3ヶ月に1日休みがあるかないかで母が一番大変な時に見舞いにしょっちゅういけなくて≫
「でも夜中とかには行ったと思いますけども」
≪それでやっと去年の秋から私が座頭として座長としてやる芝居が始まったんですね”男の花道”という長谷川一夫先生がおやりになっていたのをやれることになっていたのも見れなかったし、明日から始まります新歌舞伎座の「一本刀土俵入り」という座長公演を見せる事が出来なかったので・・・すごく切ないですね。母が夢見てたものなので≫
「どこかで見てくれてるとは思っていても生きて実際見てほしかったっていうねえ」
≪劇場に看板が掛かって1ヶ月公演をやることが母の夢だったので、そこで楽屋に行ったりロビーに行ったりしてお客様ににっこりわらってご挨拶したかったと思うんですね。≫
黒柳「なんか大阪の新歌舞伎座で座長公演をおやりになることが初めてで」
ピーター≪ええ、その大劇場でやる1ヶ月公演というのは今年初めてですし自分が生まれた故郷の南のすぐ側ですし、父と最初に和解したのが新歌舞伎座なんですよ≫
「お父様が出てらしたの?」
≪いや橋幸夫さんの公演で私がゲストで出た時にそこではじめて和解してそこで振付けてくれて舞いを舞ったんですね。池畑慎之介を役者の名前にしようと思ったのもその劇場だったんですね。≫
「これをやってらっしゃる時にあなたもいい年にお成りになるんですって?」
≪大台って言うか50歳に≫
「そうですね今は皆さんお若いからいいですけども昔だったら人生50年って信長なんかがそういったっていいますから」
≪今からやっと始まった感じですね。東京では新宿コマで10月に違う作品をやるんですけども≫
「でお母様が亡くなった時はおいくつだったんですって?」
≪76でした≫
「いまでしたらお若いですよね」
≪父がなくなってからは熱海のお家に帰ってきてましたから変な話お風呂とかはいつも一緒に入って最後は足も弱くなってましたし露天風呂もあったし髪の毛も洗ってもらってましたね。肌を触れ合う事が出来て逆につらいのは母の肌の感触とか背中のちっちゃさとかそういうことを感じた2、3年でしたからなくなったこと事体がちょっと空虚でしたね。なくなって半年ですけどももっともっとすると悲しくなってくるのかなって。今は忙しくしてるので≫
※空虚=なにもないこと。から。
黒柳「小さい頃はお母さんにおんぶされた事がなくてお手伝いさんにおんぶされていたとかねそういうことがあったり、鹿児島時代お母さんは忙しくしてらしたからお母様に引っ付いたりする事がなかったから後年ねえ」
ピーター≪その肌の温もりとかちっちゃくなった背中とか身近に感じられてやっと自分のものになったと思った時にいなくなっちゃたんで≫
「でもお母様としてはずいぶん満足だったんじゃないですかね」
≪風呂はいるぞっていうとハーイって付いてくるんですよね。≫
「可愛いお母様ね」
≪ずっとシャンプーしてあげたりしていても子供に帰っている母を見てなくなったときもお疲れ様としかいえなかったですよね。≫
「そうね育ててくださった事がすごい事なんでね」
≪だから父のほうが先に逝ってくれて帰ってきてくれて母の面倒を見ることができてよかったなって≫
「お父様の芸の犠牲になったんじゃないかってあなたはずっと感じてらしたのでね」
≪こっちが結婚できないのはそのせいかもしれないですけどね。≫
「離れたほうがもっと見ていてくれるのは強いですからね」
≪芸事に手を抜かないでがんばっていこうと思います≫
「がんばってくださいね」