本日の徹子の部屋ゲストは瀬戸内寂聴さん

2002年8月15日

黒柳「瀬戸内寂聴さんです。よくいらしてくださいました。ところで去年の暮れしりもちをついた。病院にいかれたそうなんですけどもどういう状況で?」

寂聴≪テンタイ寺で大晦日には必ず行ってるんですけども≫

「岩手県の」

≪はい。そこで皆さんをお迎えするんですけども雪が多かったんですよ。元旦参りというのがあるでしょうみなさん雪の中を上ってくるんですよ。でいらっしゃいいらっしゃいってお迎えするんですよ。始めはね16年前に行った時はおまいりがなかったものですから≫

「人がこない」

≪だからたくさんきてもらおうと思って愛想よく握手なんかをしてたんですよ。そしたら段々増えましてですねもう大変になったんですよ。一生懸命サービスして走り回ってたんですよ。わらぐつっていうのがあるでしょ。それをはきまわして走ってたらズデーンって亀の子を倒したみたいにこんななってね倒れたんですよ。その瞬間に頭と右手をかばったんですね。商売道具ですから(会場笑)、でもお尻を相当打ったんですよね。それでもすぐに恒例のお餅つきつきがあって、それを私がつくんですよ。お餅をついてですね今度は鐘をついて除夜の鐘をついて。しりもちついて鐘ついて(笑)。そういうことしたんですよねでも余り痛くなくて平気だったんですね。それで帰ってきたら若いと思って自慢してたんですね。でも20日ぐらいたってあちこち痛くなってきたんですね。歳を取ると痛みは若い人はすぐに出るんですよ、でも年寄りはあとででるんですよ≫

「いやですね」

≪80にもなりますと20日かかるんですよ。今度は本当に痛くてどうしようもない。スタッフが心配してお医者さんに行かなくてはどうしようもない、多分おヒビが入ってるんだと。そういわれましてね行ったんですよレントゲン撮って調べますとどっこにもヒビは入ってないと。あなたの骨はね40ですというんですよ。私は80なのに。うれしくなってついでに内臓も調べてくださいと言って内臓も調べてもらったんですよ。内臓はね60代ですと。あなたは転びさえしなければ120まで生きますと≫

「すごい!!」

≪100まで生きてもみなさん死んでますでしょ。浦島太郎みたいでしょ(笑)。だからね痛くない転び方をこれから研究しようと≫

「それから痛みは?」

≪なんともないんですよ。≫

「でもお偉いですね。骨密度がいいというかお小さいときは走り回る子供でした?」

≪小さいときは育たないといわれましてね。産婆さんが1年持たないといわれまして母がねどうせ1年持たない子供だからしたい放題にさせてくれたんですよ。だから大変な変色でお豆しか食べられなかったんですよ≫

「偏食」

≪煮豆しか食べなくて。だから体弱くなりました≫

「走り回りました?」

≪20の時に断食しましたからそれで体質が変わったんですよ。≫

※断食(だんじき):修行や祈願または療法のために一定の期間自発的に食物を絶つこと

「へええ。でもまだ仏門に入ってないのに断食したんですか」

≪その時結婚しようと思いましてね婚約したんですね。(婚約相手は)学者の卵だったんですよ。多分この人は貧乏だろうなと思って弱い体で行ったらば気の毒だと思ってそれで体を丈夫にしようともって広告を見て行っちゃたんですよ≫

「断食道場みたいなところに」

≪それで20日間完全断食したんですね。20日間断食すると肉が全部落ちますよ。お釈迦さんのなんかこの骨だらけの像みたいになります≫

「わかります。若いのにそんなになるんですか」

≪全部落ちます。その後20日かかって元食に戻すんですよ。食べないのは平気なんですけども元食に戻す時に餓鬼になって私がおもゆなんか食べて隣がご飯を食べていると殺してやりたくなるんですよ(笑)≫

「そんなになるんですか」

≪自分の意思じゃ出来ませんわね。(断食道場に)入ってないとね。≫

「でも20日も。少しは食べるでしょ?おもゆとか」

≪何にも食べないんですよ。液体だけ。≫

「お水とか?それで人間はいきてられるの?」

≪平気ですよ40日でも50日でも出来ますよ。ただ水を取らないと人間は9日で死ぬんです。≫

「そうすると病気じゃなくて断食するということは20日間ぐらい食べないでも何とかなっていくんですね。」

≪そうですよちょっと具合が悪くなると2日間ぐらい断食をすると大抵治りますよね。≫

「まあみなさんおっしゃったことをすぐに鵜呑みになさらないでくださいね。(笑)病気になった方は2日断食すれば治りますって病気の方が2日断食しても治らなかったら大変ですからね。断食も道場みたいなところに入って正しい断食じゃないとね」

≪入らないとダメ。だから私が断食するとみんな一緒にきて断食やりますっていうんですけどもそれは絶対断るんです。もしもの事があったら大変ですから。するときは私だけ≫

「でも珍しいですよね仏門にも入ってらっしゃらないのに結婚する時に」

≪それだけ愛してたんですよ(笑)≫

「まあね何でもなさる方ですから(笑)。愛のためならね」

≪でも相手がびっくりしましてね≫

「急にゲソっと痩せました?」

≪痩せたけれども段々太ってくるんですよ。今度はまん丸になって見合いのときとは全然違う顔になるんですよ。≫

「そんなに変わったんですか」

≪1年ぐらいして帰ってきて私がまん丸になってお福大明神みたいになってね(笑)。≫

「でも小さいときに駆け回った人はトントントントンやるんで骨の密度が高いって言うんですかそれで骨が折れにくいというんですけども走り回ってらしたのかなって思ったんですけども。その暮れの時はそうでもなかったんですけども今法話をされる時は1万人以上も人が来て恐いぐらいなんですって」

≪恐いんですよ。もし将棋倒しみたいになったら皆さん怪我するでしょ。ですから1回だったけども今は午前と午後の2回にしまして1回目が終るとお願いだから帰ってくださいと≫

「面白いからだと思うんですけどもね。この5月15日がお誕生日で」

≪まあまあ80≫

「になったんですって。お元気でしょう。ちゃんちゃん歩いてらっしゃるからでしょうか。やはり普段なるいてらっしゃるからでしょうかね?」

≪講演の時に舞台にを歩くじゃないですかその時気取ってさっさっさっと歩いていくんです。そしたらみなさんがまあお若いっていうでしょ。そして私は80になりましてというでしょそしたら「まあお若い」って。それが聞きたくて言うんですよ(笑)≫

「できれば(歳を)多く言いたいってネ。若いときは出来るだけ少なく言いたいんですけども」

≪こうなればね≫

「家の母なんかはずっと90っていってますからね。いつ90になったのかわからないの(笑)。でもお若いですねって言われるのがうれしいんですかね。とにおかく57年前に戦争が終ったんですけども終った時は北京に」

≪そうなんです≫

「あまりこういう戦争が終った時の体験はテレビなどではおっしゃっていないそうですけども」

≪あの戦争の事って私達はまともに戦争を通り過ぎたことのある人間はいいたくないっていうところがどっかにあるんですね。なんか思い出すのがいやだって。でも私達みたいなのは生き残りでしょ。死にそこないの生き残り。その人たちはねもっと戦争はいやなもんだよってひどいもんだよってこんなにひどかったよっていわないのが間違ってたような気がします最近。だから言うべきですね≫

「だから徹子の部屋では毎年ね原爆の日ですとか終戦のひの1週間とかは皆さんからお話を伺ってねもういいってお思いの方がいらしても何人かが若い方があの戦争の時のね。その時はあちらに学校の先生の方のお嫁として北京にいかれてたんですよね」

≪はいはい。それで師範大学という学校の講師をしてたんですね。私は写真だけを見てもうとにかく日本を離れたかったから行ったんですね。≫

「21歳だったんですって。(その頃の写真登場)まあ可愛い」

≪これで騙したんです≫

「写真屋さんも上手。でも瀬戸内さんって・・・」

≪立木写真館で。立木さんのお母さんが撮ってくれたんですよ。≫

「ああそう。立木写真館で撮ったんですか」

≪結婚の写真もあの女学校の写真も≫

「お嫁にいらしてお嬢さんがちょうど生まれた」

≪8月の1日に生まれましたからそれから1年経っておりましたからね。1歳ぐらい≫

「戦争が終った時に。北京にいらしてご主人がそこにいらっしゃったんですね」

≪そこでね現地召集受けちゃったんですよ。向うでまさかそんな事はないと思ってましたが。大急ぎで行ったんですね。その留守にですね北京大学に帰りましてですね、月給が日本の文部省から来るんですよ。それがこなくなっちゃたんですよ。それで赤ん坊抱えてどうしていいか分からなくなってそれで働こうと思って一生懸命探してですねやっと職が見つかってそして運送屋に(職が)見つかって行ったその日に終戦になったんですよ。運送屋でしょ電話番だったんですよ。荷物を運んでもらうつもりだったけどもあれは止めてください止めてくださいってズーとねキャンセルの電話なんですよ。つぶれるんじゃないかと思って。もう(戦争が終ると)分かってたのねわかる人には≫

※寂聴さんは運送屋の電話番の仕事を見つけたが入社したその日に終戦を迎えた。

※終戦前にお客からキャンセルの電話がたくさん入った。お客は戦争が終ると感じてキャンセルの電話を入れたんだと後に寂聴さんは感じた。

「玉音放送の入る前に」

≪その日の朝に≫

「北京の人はわかってたのね」

≪(戦争が終ると)私はわからないからねつぶれるんじゃないかと思って。そしたら主人が12時にちょっと集まってくださいって。集まってくださいって4人しかいないんですけどもね。奥に集まってその放送を聞いて、でもなんだか分からなかったんですよ。≫

「分からなかったですよね」

≪私はソ連が攻めてきたと思ったんですよ。その放送だと思ったんですよ。いずれにしても大変なことだと思って。そしたら主人が急に泣き出したんですよ「日本が負けた」って。≫

「その運送屋のご主人が」

≪これは大変だと思って半日分の給料ももらわないで急いで逃げ帰って家へ帰って門を閉ざしてジーとしてたんですよ。私はそんなにいじめたりはしてませんけどもそれまで日本人がどんあに中国の人をいじめたかね。目の前で見てますもの。もう私達は殺されると思いましたからね。どうやってこの子を守ろうかと思って。それだけでしたね。恐かったですよ≫

「そこまででその後はコマーシャルの後」

≪≫

黒柳「本当にお若い若妻でお子さんは1歳の女の子。ご主人は現地招集されていない。戦争が終って、今まで日本人が中国人をいじめていたから殺されるかもしれない。お家に帰ってとにかく子供を抱いて門にカギをかけていたんですって」

寂聴≪ですからその時にね私が働かなきゃならないから子供のお守がいるでしょ。それに困ってましたらね主人がいたときに見てくれた”アマ”っていいますかねお手伝さんがいまして、歳をとったお手伝いさんがいましてね”ハンマア”って言うんですけどもねその人の孫がチュンニンていう子がいましてねまだ16歳で。そのこを置いていってくれたんですよハンマアが。もうねえこんなになったらね給料も払えないしお手伝いは置けないって言ったらば、その時ハンマアが我々はお友達じゃないかと。相手が困っているときに助けるのが友達だと。だから奥さん心配しなくていい、内のチュンニンは月給なんかは要らないから子供のお守に置いていくって言って置いて行ってくれたんですよ。それで私は中国人に本当によくしてもらいましたしねやっぱり戦争はしても相手の国民は1人1人いい人ですよ。≫

「特に驚いたのは夜中に(家の)壁になんかをみんな(中国人)が書いて行ったんですって?」

≪翌日恐くってソーと門を開けまして見ましたですね。あけてみますと向かいの壁に真っ赤なレンタンって言うんですけども赤い短冊が貼ってあるんですよ。”仇に報いるのに恩をもってす”という言葉がありますわね。感じで立派な字で書いてあってそれがベターと貼ってあるんですよ。こんな立派な国と戦争してまけるのは当たり前だと思いましたね。私達はテロがあったらすぐに報復戦争だってやってるじゃありませんか。仇に報いるのに恩を持ってしようというのは中国の昔からの教えですけどねそれが書いてあった。これはすごい国だと思いましたね。その内に蒋介石の軍隊が入場してくるんですよ。ガッガッガって(軍靴)の音がするんですよ。そしたらそのチュンニンがそわそわしてるんですよ。「どうしたの?」って「あれを迎えにいっていいか」って「そりゃ行ってらっしゃい」って。そしたらどこに隠していたか隠していた旗を(2本)出すんですよ。中国の旗とアメリカの旗。その2本をぱっと出したんですよ。1本を内の娘に持たせていくんですよ。中国はしょっちゅうそんな目に会ってますからね日の丸でもなんでも持ってるんですよ(笑)。≫

「すごいですね」

≪すごいですよ。ああそうかと思いましたけどもね。出迎えに行ってましたけども私は恐くて行きませんでしたけども≫

「でもあの瀬戸内さんはいろいろな事があったと思うんですけども短冊に書いてあった言葉というのがわすれられない」

≪忘れないですね。それと天安門が今よくテレビに映ってますでしょ。あの天安門の大きい壁に”我が山河に帰る”って書いてありました。一杯に。だから帰れなかったじゃないですか中国人は他所に行ってですね≫

「ああそうか」

≪それを見ましたときに本当に涙が出ましたね。日本ってひどい事してたんだなって思いましたよ≫

「直接中国人が日本人にけられたりぶたれたりしているところを随分見てらして」

≪足蹴にするんですよ≫

「私達にはそれがわかりませんけども当時はそんな風だったのにそれをちっとも仇と思わずに恩として返すんだと。我々は山河に帰ってきたと。いろいろな事あったと思いますけどもそういういい中国の」

≪はい私がつきあった人たちはいい人でした。よくしてくれました≫

「それでご主人はどうなったんですか?」

≪それがね帰ってきたんですよ。あまり遠くへ行っていてなくて帰ってきてくれたんですよ。ところがね彼はもう日本へ帰りたくはないっていうんですよ。中国でしにたいっていうんですよ。私はその頃彼一辺倒でしたからそうしましょうといって親子三人で帰る場所があるんですけどもそこに行かないでシホウコウに残ったんですよ1年間。隠れて。その時いろいろ面白い経験しましたけどね。で翌年の6月にみんな集められてトラックに乗せられて返されたんですよ。≫

「まだそこに残っていた方がいらっしゃって。日本人が」

≪共同生活してたんです≫

黒柳「それで日本に戻っていらしたんですけどもそのときには子供が栄養失調で死んでる様子をご覧になったりして日本に戻ってきて、その間に徳島のお母様は空襲で防空壕の中で死んだというようなことがあったんですけども、去年の9月11日のアメリカ同時多発テロの時にちょうど1週間後ぐらいに東京のホテルに」

寂聴≪いつも泊まっているホテルにいたんですね。地下に花屋さんがありまして友達にお祝い事があって花を買いに行ったんですよ。(花屋で)袖を引っ張られるんですね。よくそんなことをされるもんですからお辞儀しただけでまた花を選び出したんですね。それでやっと花が出来て後ろを向いたらその袖を引っ張った奥さんがまだいらっしゃるんですよ。男の人と。見るからに夫婦で立っている。それで悪かったと思って「何か御用ですか?」って≫

「何人の方何ですか?」

≪日本。何か御用ですかと聞いたら実は私は今度のアメリカのテロで貿易センターの20何階かにね息子がおりましたっていうの。結局被害者ですね。で行方はわかりませんっていうの。もう何と言っていいかわからないですね、お気の毒ともいえないし。どうしていいかわからなかったですよ。その時にはアメリカは報復戦争という事を打ち上げてましたからね、その反対の事を方々で言ってたんですよ。でもねその殺された方のお父さんとお母さんがここにいてね私はあんな事(抱腹反対の事)を簡単に言って良かったのかしらってドキッとしたんですね。テロで敵を討ちたくてもね相手は死んでますしねってオロオロして言ったんですよ(※敵を討つ=飛行機にのってビルに突っ込んだ瞬間に加害者は死んでしまっている)。それまでね傍らでご主人の方は下を向いて泣いてたんですね。その方が突然顔をあげて正面を向いて毅然としてですね「もうまっぴらです。これ以上無駄な人殺しはしないでほしい」と言ったんです。私は私が言ってる事は間違いじゃなかったってホッとしたんですけどもね、それから2人の話を色々聞いて。ご主人があまりのショックで倒れて今アメリカに行こうと思ったら倒れたんでお医者さんに行って明日結果の報告を受けるんでこにいますと。私は心配で次の日に電話したんですよ。そしたらとても明るいお声でご主人が。どこも悪くなくてただショックでって、それで奥様がでてらして瀬戸内さんにあってから段々いいほうに向いてるような気がしてねご安心くださいと。もうね涙が出ました。だけど1人息子ですよ立派な方がそんな目にあってね≫

「これ以上のは嫌だと」

≪敵討ちの戦争になるのは嫌だと。止めてくださいとおっしゃった≫

黒柳「瀬戸内さんは12月26日ごろから3日間断食を」

瀬戸内≪戦争反対で。10年前にもイラクの戦争がありましたでしょ。あの時は1週間しました。70の時。今度は80ですからとても出来ないと思って3日にしましたが前後入れて4日になりますよね≫

「湾岸戦争の後にイラクにいかれましたよね。私もいったんですけども大変な思いして」

≪断食しても何も役に立つとは思ってないんですよ。だけど断食するとなんで寂聴さんは断食するの?ってみんながちょっと考えてくれるでしょ。それがいいと思ってするんですけどね。これからもしようと思うんですけども周りが止めてくれって言うんですよ(笑)≫

「でもおっしゃるように「なんで断食したんですか?」って言われた時に考える事が大事かもしれませんよね」

≪ちょっと踏みとどまってこの戦争が本当にしなければいけない戦争かどうかねどんな戦争でもね・・・≫

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