2002年9月2日
黒柳「布施明さんですどうもしばらくでございました。話は積もってるんですけどもオリビアさんとの間の息子がもう19歳。」
布施≪19です≫
「毎年そうですけども夏休になるとあなたと過ごすって日本にいらっしゃって」
≪そうですね。1ヶ月か2ヶ月ぐらい。≫
「まあ生まれるってまえからオリビアさんから私のところにお手紙が来てあの男の子でって。生まれたのかと思ったらまだ生まれてなくて名前もつけちゃったって。19歳ですからね。あなたも夏休に来るとなると普段あってないってこともあってサービス。あちらでお母さまと一緒に住んでるっていう事で。1番最初にいらしてくださった時はですねうまっれて直ぐの時で誕生の話をしてくださってですね、それからその頃からうかがってるから人事とは思えないんですが。その次が4歳、そのころあなたはあちらから単身赴任芸能人というんでこちらにいらしてた。その次が6歳のときこのころは向うから息子さんが」
≪いろいろ事情があってこっちに帰ってきてたんですね。≫
「で次が中学生ぐらいの時でしたね。それでおとうさん命の洗濯をしにきたよって生意気な事を言うようになって。この前来たのが15歳の時。で今回が高校を卒業して大学に。」
≪これから通うんですね≫
「(※息子さんの写真登場)こうやってみるとあれですね。マキシミリアン君はあなたにも似てるけどもオリビアさんにもにてるって。」
≪そうですねだんだんそういう感じになってきましたね≫
「初めはどっちの顔に似てたんですか?」
≪初めは・・僕にソーと似てたんですね≫
「実はスタジオにお父さんの仕事を見にきてるのよね。夏休見こっちにきてるときは常に一緒に行動してるの?」
≪しょっちゅう行動してるわけではないですけどね。まあの仕事場に連れて行くと家でごろごろしてるよりはいいだろうって≫
「まあそれはそうですね。芸能人というか俳優とか歌手とかになりたいと思ってるのかと思ったらそうでもないのね」
≪まあそう思ってないと思います。去年とか一昨年とか聞きますとね母親の仕事とかを見てるわけですよ。大変ですよ仕事とるのはね。日本にくれば父親が大変だっていってるわけですよ。あんまりそのギャンブルみたいな賭け事みたいな仕事はしたくないって。≫
「そうなんですか」
≪なんとなくよかったなと思ってるんですが≫
「去年ですかお母さまがイギリス、ロンドンで仕事をしてた時に一緒にに付いていった」
≪そうですね。高校をダブって≫
「それはやっぱり仕事の場でみてるのは。日本語ダメでしょ」
≪日本語ダメ≫
「そらそうよねお母さんと住んでるんだから」
≪でも本人は習いたい気持ちすごいあるんですよ。いつもね来るとね覚えなきゃってフラストレーションがたまるみたいですよ≫
「日本人の友達でも出来るとね。それで時々だらっとしてるところを見てると俺とにてるなって」
≪そうですね。出掛けにはっきりしないとかですね。ええそんな感じですね≫
「それで来年はがんばるって、来年は見てくれって言うんですって」
≪来年はって。去年も言ってたんであんまし信じてないんですけどね。あの大学生ですから≫
「でもあなたがえらいと思うのはかれが夏休に来ると彼が見たいもの、またあなたが連れて行きたいものに」
≪最初は北海道に連れて行きました。北海道の友達がそのホテルを紹介してくれまして、今はどうなってるか分からないですけども洞爺湖のホテルを紹介していただきまして。その時に一番いいお肉っていうのを友達が用意してくれたんですよ。ですごい柔らかい。ぜひ食べてもらいたいと出してくれたんですよ。食べた途端に「What?」って言って出したんですよ。これは腐ってるって。口の中に入れたら歯ごたえがなさ過ぎるんで。アメリカに行ったら引っ張って切らなきゃならないところの肉があるものだから≫
「ありがたみが少ないって」
≪北海道にいってもあまりのらないんですね。その時はね。ああと思ったらその前にカナダへ行ってたんだって。カナダの広野の方が広いって。≫
「あと静岡にお連れになったりして、あと京都にもお連れになって。なんと言っても彼は富士山に登ってみたいと。あなたも登る事になったんですが」
≪その年に富士山と広島っていうのを両方行ったんですよ。彼が行きたいところは広島の原爆があるのでどうしても広島≫
「そうえらいわね」
≪富士山に行きたいというので僕は静岡に友達がたくさんいるので一緒に登ってもらいました≫
「ところがあれなんですってねえ富士山軽く見てたわけじゃないけどそんなに大変じゃないと思ってたら」
≪夏だって富士山マラソンをかやるじゃないですか。あんなもんだったら大丈夫だろって登ったんですけども≫
「それも登る前に釣りなんかして」
≪そうあのねえ我々のいるところは海抜でいうと0じゃないですか。やはり0から登らないと8000・・・≫
「3730メートル」
≪あそこにいけなくなるんでまず沼津で舟遊びをしてから夕方から登ろう。これが大失敗。舟遊びで食べるだけ食べて飲むだけ飲んでだんだん登っていったんですけどね。その時九州の方へ台風がきてましてすっごい天気が悪かったんですけども一緒に登った人が雲はあるけども雲の上に上れば上のほうは晴れてるよと。≫
「ああそう」
≪全然晴れてなかった。全部雲。上の方へ行ったらば頂上に近いところは風速20メートルぐらいの風があってで雨が降ってるんですけどもそれが霙のように≫
「何月だったの?」
≪8月ですよ≫
「夏休なんですからね」
≪珍しい事じゃないらしいんですよ。ですから富士山を馬鹿にしちゃいけない。≫
「みんな初日の出がみたいから夕方から登るって言うんですけども本当は寝たりなんかして体を鍛えてから行くべきだったかもしれないね。でも息子さんは元気だったからどんどん行っちゃうんですって?」
≪ちょうど京大の生徒さんがバーと上がっていってその生徒さんが英語がしゃべれて一緒にしゃべりながら上がって行っちゃった。1人だけ取り残されて≫
「本当?」
≪ほんの500メートルくらい先に。見えるんですけども500メートルって結構長いんですよそこをあの途中から階段になるんですけどもそこを僕は這って上がりました≫
「その時思ったんですってね。本当に死んじゃうかもしれないって」
≪富士山で死ぬ初めての芸能人かもしれないって(会場笑)≫
「フフフ。新聞記事があたまをよぎったんですって。でも夏なのに霙になるわ、風が吹くわじゃねえ。」
≪それでもまあ上まで上がりまして。ご来光も見えずに≫
「見えないの」
≪上は嵐ですから。雲の中ですから。それでいる所がないんですよ≫
「身を隠すところがない」
≪パッと見たらライトが1つ付いてるのでそこは夏のあいだは郵便局があって山頂の郵便局。あそこだとおもったらこのくらいのスペースに人が一杯。全員たって寝てるんですよ(笑)。この中に自分の息子がいるだろうと思って。いたんですけどね≫
「どういってました登った事に関して?」
≪あの当分はいやだって言ってました≫
「暗い時だし、ご来光でも見れればねえ。暗いうちに降りてくるんじゃねえ」
≪降りてくる時も寒いんですよ。でも若いから速いんですよ降りるのが。俺ってこんなに体力が落ちたのかなって。で右足裏のじん帯を傷めて、、おう5合目かな降りてきた時には僕は知らなかったんですが僕はけんけんして降りてきたらしいんですよ。必死ですから。で茶店でひどい事になったけどもこんな富士山で死ぬ人っていないよねって言ったら「いや実は先週事故がありまして亡くなったんです」って。ですから富士山を甘く見ちゃいけない≫
「わりとみなさん軽くお登りになる風じゃない。ねえだからそう思いますけどね」
≪でももう一度登りますけどね≫
「でも彼はもう一度新幹線でもなんでも富士山を見ればあの頂上に上ったんだなって」
≪そう思うでしょうね。僕も思ってますよ≫
「そうでしょうね(笑)」
≪2度といやだって≫
「でも外で見てるのと行くのでは違うでしょ」
≪富士山は外から見てると綺麗ですね。登ったら大変な山です≫
「そうでしょうね。で広島にもお連れになって原爆資料館ですか」
≪でその連れて行った日がその年の1番広島が暑い日で、もうその中を行きましたけどね。原爆資料館の中でジッといろんなものを見てましたけどね。どう思ったかは分からないですけどもね≫
「まあ暑いってあの日も暑かったそうですけどもね。」
≪そうですね。こんな暑い日だったと思うってその時言ったと思うんですよ≫
「でもお父さんの国を知るっていうのは悪い事じゃないし」
≪そうですねで、自分のルーツを知るっていうね≫
「彼もね。やはり日本というのを知るっていうのはね。それで彼は来年は中国に行きたいって言ってるんですって」
≪あのねえ中国はずっといってるんですよ。万里の長城は人工衛星から見れる唯一の人口の建造物だと。そこを見たいというね。あとマレーシアとかいろんなところに行きたいみたいですけどね。勝手に行って貰いたいですね(会場笑)≫
「あなたも一緒にいくんだから」
≪いやいや私は足が悪いです≫
「(※黒柳さん、布施さんが会場にいる息子さんに来年は中国に行きたいかと尋ねる。)」
≪マレーシアに行きたいみたいです。友達がいるんだかマレーシアに行きたいみたいです。≫
「彼を見てると若いなって希望をもってるなって前進してるなっていうのがとってもわかる感じで。」
≪でも黒柳さんも毎年海外にソマリアいったり≫
「こないだ帰ってきたばっかしですからね。さてみなさまお子さんの話も一段落つきましたのでですねこちらにございます猫なんでけども”眠り猫”なんですね。私が眠り猫を集めてると申しましたら陶芸をおやりの布施sんが挑戦してくださいまして」
≪ふた物になってるんですね≫
「こんな事が出来るなんて。これについてのいきさつなどを。」
≪≫
黒柳「さてこの前彼が15歳の時だったんですかね陶芸をやってらっしゃるってことでコウゴンをお作りになりたいということで。私”眠り猫”を集めているんだけど、すきなんで眠り猫できないかなっていったらやってみようっておっしゃってね」
布施≪ええ≫
「1年がかりくらいでお届けくだすったんです。その時ビックリしたんですけどもお作りになられるとき日本の猫を研究したと」
≪日本の猫なんですよ。江戸時代のものに陶器なんかに猫の絵が出てくるんですね。その顔をなんかを先生はオオカワさんって言うんですけどもこういう感じがいいんじゃないかとかでもどうしても牛みたいな顔になっちゃたりとかね難しいもんなんですよ。まあその中で1番いいものなんですけどね≫
「このなかに”福”って(書いてあって)いい事があるように。」
≪千鳥とかトリなんかにコウゴンは多いんですよ。コウゴウというのはお茶の時にこの中にお香のたまなんかを入れまして、でそれを火にかけて匂いを出す。僕はお茶のことは知らないんですけどもお茶を見せるとともにコウゴウ見せというのがあって≫
「日本独特のものですけどもピルケースというのがあるじゃないですかそういうものいれとは少しちがっている。」
≪国宝になっているコウゴウは江戸時代なんかに外国から渡って来た昔その女性がピルをいれていたのか化粧品を入れていたガラスのすごい綺麗なものが国宝になってたりするんでしょ≫
「そういうのもぱるんですか。でもとにかくこれを1年がかりで研究されて作ってくれましたね。大事にしておりました。あなたも久しぶりに対面でね」
≪今見ると人面魚みたいですね≫
「いやだそんなこと言わないで。でも一生懸命作ってくださって。でもこれから進歩したでしょう」
≪どうですかね。あのね絵付けするのがすきだったんですけどもだんだん形になってきますね≫
「今どんなものをお作りになってるの?」
≪先日内の事務所の女の子が誕生日だったもので何が欲しいっていったらいろんなことを言ったんですけども洗濯機が欲しいといったら僕はプレゼントするからって言ったんですけどもそれよりも”花さし”がほしいと。花瓶が欲しいと。変なこと言ったなって、そっちじゃないほうがいいなって思ったんですけども1ヶ月ぐらいかかって作って。≫
「上手くいきました?」
≪やると花さしも面白いですね。コウゴウは小さいからいいんですよ。でもコウゴウは何千万ってするコウゴウって聞いた事ないんですよ。≫
「たとえばお茶碗からすると」
≪江戸時代からのものでもどんなに高くても何百万。今人間国宝の方が作られても何万円とか≫
「であけたところが上手くあわないといけないっていう難しさがありますよね」
≪ええ、作るものの楽しさがありますね≫
「これからもコウゴウを作っていきたいって」
≪こうごう作家になりたいって思うんですけどね。商売にならない陶芸家で≫
「いいんじゃないですかね。お出来になったら。」
≪今度はちゃんと作ります≫
「いえいえいえいえ。というわけでこのごろは陶芸もなさる布施さんです。コマーシャルのあとは坂本九ちゃんについて話していただきます」
≪はい≫
黒柳「坂本九さんこの間8月12日で丸17年になってしまって。でもやっぱり重い17年だったと家族にとってはねえ。ただいろいろ思い出があると思うんですけどもあなたが歌い上げるようになったのは九ちゃん。」
布施≪そうですね。あのすごく仲良くしていただいて食事するとかではなくていつも優しかったんですよ後輩に≫
「後輩になるのね」
≪僕は全然後輩です。僕はイタリアの歌なんかを歌ってさらっとした歌しか歌えなかったんですよ。≫
「そのころカンツオーネを歌ってらしたんですよね」
≪そのカンツオーネもあまり盛り上がらないやつ。そういうのすきだったんです、その時に坂本さんが好きな人を見つけたらいいんだって。僕はプロになったら物真似をしてはいけないと自分でも思ってたんですね。でもそうではないんだよ好きな人を見つけたらこの人だっていう人を見つけたらその人のいいところを全部とっていったらそのうちに全部君のものになる。そんな言い方はしたかは覚えてないですけども≫
「でもまあ」
≪好きな人を見つけていいところをパクればいいんだとみたいな風にいってくれたので坂本九sんにいわれたんだか良いんだろうねって≫
「それまでは考えてもいなかったことで。いろんなものは聞いてらしたんでしょうけども自分にあった歌手の人を探すっていうことは」
≪してなかった。自分に合う歌手というのを探したんですよ≫
「はいそれでジャンニモランディアの”あなたにひざまずいて”」
≪似てると思うでしょ。私の場合はこのジャンニモランディアの発声というか歌い方の物真似から今現在があるんです≫
「これはイタリカさんカンツオーネの代表作というもので歌い上げる。でもあなたはあんなに声がいい方なのに自分Dえ歌い上げようとは思ってなかったんですって」
≪今でいうライブハウスみたいなところでやりますとね全然受けないんです。≫
「で今の歌を布施さんがお入れになったのがあるんでちょっとこれを。”愛を歌う”という題でしてちょっとこれを。~再生~」
≪似てますね。でもこれは18ぐらいの時でして≫
「あなた本当に声がいいものね」
≪いやいや≫
「それでそれ以来歌い上げるようになって女の子たちがキャーと言うようになったのは和製絶叫カンツオーネという」
≪そうですよね。こういうものをやるようになって≫
「九ちゃんの言葉がすごくよかった」
≪その言葉がなかったら自分で探して物真似をしても良いんだっていう気持ちがなかったですからその言葉がなかったらもうあれですね。今がないかもしれないです。すごい一言だと思ってるんですよ≫
黒柳「今のカンツオーネの絶叫型の勉強のしかたを今まで仰った事が」
布施≪そうですね。あの自分でも物真似から始まったとは中々いい難いものですから≫
「まあね全然別物だし日本語ですしね。コンサートをなさるんだけども9月5日からなさるんですけどもその時このカンツオーネとかも入る?」
≪この曲は入んないんですけどもまあそういう≫
「カンツオーネはね。ドラマチックコンサートというんですけども9月5日から始まって10月の瀬までいろんなところでなさるんですけどもあの文京区のシビックホールでなさると」
≪オープニングとフィナーレと。本当に音だけで考えると日本一かもしれない≫
「まあ区長さん、私名誉館長やっておりますので私聾唖者の劇団とか東京フィルハーモニーの副理事長あのとても使ってくださってるのね。いいホール?」
≪いいホールです。≫
「そうですかじゃああと少し息子さんと夏休を。ありがとうございました」