2002年9月10日
黒柳「長倉洋海さんです。今日はよろしくお願い申し上げます。さて今日私がアフガニスタンの民族衣装でございます。去年の7月と今年の2月に行きましてねユニセフが作ってくださって私にくださったんですね」
長倉≪そうですねあでやかというか。あちらかたの衣装というのは花のような鮮やかな衣装が本当にたくさんありますね≫
「これは全部手で刺繍してあるとおもうんですけども、あの戦乱の中でもこういうことをやる人がどこかに隠れてたんだと思うと不思議な感じがしますけどね。普段はブルカっていうのを被っちゃって何にも見えないですけどね。」
≪だけど特別なお祭りとかにぎやかな時にはそういうのを着て出てくる人もいますね≫
「私が飛行場についたときに子供たちがお迎えにきてくれたときにこういうのを着て来てくれてこれがアフガニスタンの民族衣装なんだなと思いました。さてマスードさんという最高司令官が亡くなって暗殺されてちょうど1年」
≪はい。≫
「機能が命日というか。まあずいぶん2冊マスードの本を出してらっしゃるそうですからもちろん暗殺されるとは夢にも思ってらっしゃらなかったと思いますが」
≪そうですね彼はこの国に侵攻してきたソ連軍そして最近はタリバンという勢力と戦ってきて僕は17年間取材を続けてきたんですけども何度も危機があったにも関わらずそれを乗り越えてきてかれは死なないんじゃないかと、直前のインタビューでも彼はお父さんが93まで生きたもんでね≫
「珍しいですねアフガニスタンの平均年齢って45とか」
≪47ぐらいでしょうかね。だから自分もそれぐらいまでは生きるよと言ってたんでね僕も本当に生きるんじゃないかなという気がしてたんでね≫
「本当にきれいな方でね。民族を超えて愛されてたという方なんですけどもね。本当にあのこうみんなが素敵といえる資質を持っていた方なんですよね」
≪そうですね笑顔ていうかもちろん戦争の中で物が無いしみんな戦乱の中で大変ですよね。その中Dえ殺伐とした雰囲気になるところに彼が冗談をいったり時にはたまが欲しいといっても無いですから詞を読んで聞かせたりですねまったくなんか違う世界というか、笑顔1つにとっても子供のような笑顔をしてたり、なんかいらだってた人が和むというような雰囲気がありました≫
「いつも本を読むのが好きだったそうですけども、ちょっと前の写真は何をしている時でしょうね?」
≪これは隣の国に逃れた友達から運ばれて来た手紙ですね。それを懐かしそうに≫
「花を持って」
≪野の花を持ってますね≫
「ねええ。それからねっころがって1人山頂で本を読んでいる。子供を抱いている写真もあるんですけどもそのときも本を持って子供を抱いているんですね」
≪そうですね。野の花が好きでしたし読書が何より大好きでしたね≫
「この人が司令官で英雄と言われてたそうですけども」
≪はい。≫
「なんて素敵な人なんだろうという気がしますね」
≪相手に分け隔てないところがあったんですね。僕も日本人で最初は彼が受け入れてくれるんだろうかという気持ちで山を12日間かけて越えて彼のところに行ったんですけども僕はちょっとだけペルシャ語が出来るんでそれで話したら最初は怪訝そうな顔をしてた彼がふっと笑顔を見せてそして僕が生活をしたいといったら「いいよ」と「ありがとう」と逆に彼の方がそういう申し入れに対して「ありがとう」と言ってくれて≫
「これはこの写真は?」
≪これは90年ですね。もう十何年前になりますけども彼とテレビの取材がちょっとあってテレビ用にインタビューをしてその後に記念撮影をした≫
「左側が」
≪マスードですね(笑)≫
「右があなたですね。これもうあなたがアフガニスタンの人かどうかわからないような感じ何ですけども」
≪正規には当時入国できなかったもんで隣の国から山を越えて密入国だったんですね≫
「そうだったんですね」
≪ですから現地の格好をしてないとまずいということで≫
「それで。でもそこに到達するまでがですねすごく大変なんですけども、長倉さんは北海道の出身なんですけども同志社大学にいらっしゃいましてそこの探検部にはいってらして遊牧民に憧れてあの国境なく出入りする人はいいなということでそれでアフガニスタンに行ってみたいと」
≪はい。それが最初でしたね。遊牧民が国境にとらわれずに旅をするというのにすごくひかれてただその時は僕とマスードは歳が一緒でその時は彼も大学生だったんですね。そして僕は遊牧民を探しにあちこちを旅してたんですがかれはこの国をもっとイスラムの理想に近い国にしたいということで最初に武装蜂起した年だったんですね。それ以来彼は戦いをずっと27年間にわたる戦いを続けて≫
「だから始めてお会いになったときは彼は30になってましたか?」
≪29か30ですね≫
「29か30で英雄になってたんですけども。彼に会うためにパキスタンの方の地雷で足を無くした人たちが義足を作りに来た人たちが中に入るときに一緒にいていいですよということで一緒に入って、それで結局マスードの近くまで12日間かけて」
≪5000メーターの山が5つあるんですね。本当に気が遠くなるというか山を見ただけで(笑)≫
「こういうようなとk路をずっと12日間かけて歩いてマスードのところまで行って、それでマスードさんはすぐにあってくれたんですか?」
≪ええ驚いたのはかれはソ連軍に100万ドルの賞金をかけられてたんですよ。で暗殺部隊が何度もやってきてたのに村人が「ちょっと前までここにいた」とか「あっちにいるんじゃないか」とか簡単に教えてくれたんですね。それが不思議でしょうがなかったんですね、命を狙われる人がどうしてこんなに簡単に分かるのかなって≫
「誰も彼の事を密告する人はいなかったんですかね?」
≪故郷ではすごいやっぱり人が彼を守ろうと≫
「この人の故郷ってどこなんですか?」
≪パンシールというですねカブールの北にある渓谷ですね。そこが100キロぐらい続てる。≫
「じゃあ彼はそこにいたんですか」
≪いました。本当にアフガニスタンというと荒涼としたイメージがあるんですけども1歩家の中に入ると緑豊かというかみんな人が住んでるところには水をひいて作物がありますし、花を愛でる人たち。文化的にも僕なんかよりも詩を読んだり、花を愛する気持ち文化的にもレベル高いなって≫
「そうですね私なんかもずいぶんアフガニスタンの中に行きましたけどもずいぶん詩人という方にお会いしました。本を欲しかったので誰かに訳してもらったりしてお願いしてたんですけども子供たちが詩も読んでくれましたしそれも簡単な詩でしたけどもあのいつも戦争をしてましたよねでやっと今年の2月に内戦が終ったら”私どもは春夏秋冬というのがあると知ってました。本当にあるということを知りませんでしたけども今本当に春があるということを知りました。そして私達は鳥のように自由にね空を飛ぶjことが出来るのです”というような詩を読んでくれてああアフガニスタンの人たちってこういう人たちなんだなと思ったんですけども」
≪詩の中にも花とか鳥とか水のせせらぎとか本当に豊かな風景画映し出されてますね≫
「でもこの人たちは本当に気の毒な人たちですね。首都のカブールにしたって満足な建物一つとしてないんですよね。全部壊れてるんですよね」
≪ただあの去年の11月に、今年の6月にいってきたんですけども子供たちが本当に明るい笑顔って言うんでしょうかねワイワイワイワイ道路一杯に広がりながらみんな暑いから水筒を持って歩くんですけどもないからペットボトルをみんな大切そうに水筒みたいにもってみたり、女の子はバラを手に持ったりして≫
「で凧も今まではタリバンが禁止してきたけどもたこをあげたり」
≪タコもサッカーも今まで禁止されてきたものを≫
「でもこのマス-ドという方はタリバンに対して戦ってきたので日本では北部同盟と言ってたんですけども本当は北部同盟というよりは反タリバン連合イスラム救国戦線の司令官であったわけですよね彼は」
≪そうですね。戦ってきたのも事実なんですけども今までタリバンに対してそんなにあなた達が国民の支持を得ているのであれば選挙をしよう。その結果に私は従うと申し入れてきたんですね。≫
「そうなんですか。」
≪ですからマスードが望んでいた国の自由、独立そして平和というのが今やっとアフガニスタンで全土ではないですけども特にカブールは安定し始めている。ですからこの安定というか平和が早く全国に広がっていってほしい。であからいつもマスードは平和になったらと彼自身の夢を語っていたんですね≫
「ねええ。カブールに大学をと、この方大学に行ってらして建築を、フランス系の学校にいってらしてカブール大学で建築をやってらしてそして全部が終ったら大学に戻って勉強するんだって言ってらしたんですってね」
≪なかなか終らないものだからいつ夢がかなうのって聞いたらいやあ今は大学に戻って勉強をしたいという夢も忘れてないけども今は貿易をしたいと。たくさん電話機をオフィスにひいてアフガン人が喜ぶようなものを輸入したいと。これは十年ぐらい前ですけども。20年位前は大学にっていってて、10年ぐらい前は貿易をって。この間あったときは国を再建する仕事がしたいと。かれは子供が6人いるんですね。女の子が5にんなんですけどもその子達にも会ってきたんですけどもお父さんの思い出って言う事を聞いてみたら最初の長男12歳アガマッドというのがいてかれは軍人になりたいといったそうなんですね。そうするとお父さんが軍人は家族と一緒にいる時間がなくなるから止めろと。次女のマリアンというマリア様のマリアなんですけどもお父さんがヘリによく乗るのをみてるからヘリのパイロットになりたいといったそうです。するとお父さんがヘリはよく落ちるからその時は家族が悲しむから止めなさいと。それじゃあ何になったらいいのって、国を再建する仕事がいいと。学校の先生とか技師とかそういうのになりなさいと≫
「でも惜しいですよね。アメリカの空爆が終ってタリバンが全くいなくなったアフガニスタンが暫定政権を作る時の会議がスイスであったときに(会議場の)うしろに大きな写真があったのを覚えてらっしゃると思うんですけどもマスードさんの大きな写真があったのでびっくりしたんですけども。それぐらいアフガニスタンにとっては」
≪いろんなグループが戦いあったんですけども最終的にはタリバンとマスード。他の反タリバンの人たちは敗れて海外に逃げたんですね。彼だけが残って戦って彼が残って戦ったということでタリバンの崩壊をまねえたということで人々はマスードの町に行くと。今回もカメラ屋さんに入ってみると”あれ!”と思って僕の写真がいくつもあて売ってるんですよ(笑)。写真集からコピーしてですね。その他にもマスードの写真が町に張ってあったり、女性なんかにも僕が「戦争したんだからよくないんじゃないの?」って意地悪く聞いてみるとかれはただ戦った人じゃない。私達の希望だった。そして女性の為に戦った。というのはタリバンという政権が女性に対して非常に抑圧的で、マスードの死をみんなBBCのラジオを聞いてるんですね。マスードが死んだということが口伝に伝わった。3日間泣き続けましたという女性もカブールの中にいましたね。だからマスードが戦ってる事、抑圧をなんとか止めようとしている事が希望の側面があったという気がしてるんですね≫
黒柳「このマスードが自爆テロで暗殺されたというのはどうう状況の時だったんでしょう?」
長倉≪昨年ですねマスードが欧州議会に招かれてそこで演説したりいろんな首脳と会う機会があったんですね。それがタリバンにとっては欧州で彼が認められるという精神的なプレッシャーがあったり。タリバンとアルカイダというグループが一緒に戦ったわけですけども昨年の1月にバーミヤンの石仏を爆破してその事から国際世論がタリバン側に悪くなってそういう焦りがあった。それとこれは僕の推測ですけどもアメリカで彼らが何かをやろうとしてたテロのようなものをやろうとしてたその時にアメリカは反撃してくる。その時にマスードが国内にいては自分たちの背中を付かれるていう思いがあったんじゃないか。マスードは非常に忙しい人なんですけどもジャーナリストがくると会おうとしてたんですね。好きではないとおもうんですけども世界がアフガニスタンのことを忘れている。アフガニスタンの現実を伝えなければならないので出来るだけ会おうとしていた。ジャーナリストに対してはある意味警戒心が弱かったところもあったんではないのか。テロリストには付け入る隙があったんじゃないかと。ただマスード自身は1年ぐらい前から死ぬんじゃないかという予感はしてたそうですね。夢で自分が何かの爆発で死ぬ夢を見ていたそうです≫
「ああそう!!」
≪おきてその時に遺言を書こうとしたんですけども奥さんがそんな不吉な事はやめてくれと頼んで書かなかったんですけども言葉の節々に「これで最期の庭歩きになる」とか息子に「あの丘」自分の家を見渡せる丘がるんですけれどもあの丘に埋めろとか。ただこのテロリストたちには普通ジャーナリストには直ぐに会うんですけども2週間会わなかったんですね。それはすごい長さなんですね≫
「普通だったら何かに乗って行っちゃうところなんですけども」
≪最前線に行こうとしたんだけども砂嵐がふてヘリが飛ばない。その時に他の人に頼まれて仕方なくインタビューに応じた≫
「カメラマンと司会する人と2人ですか向うは?」
≪助手と2人ですね。カメラに爆弾を仕込んで体にバッテリーのような爆弾をまいて爆発させたと。ですからマスード自身はいつか自分が死ぬ時が来るとそれは神が決める事だと、それまでを懸命に生きれば神が遠いところから見ていて喜んでくれると話していました。すごい信仰心厚いひとでしたから神という存在が彼の中にすごくあったと思いますね。死ぬということはしょうがないと思ってたんだけども家族の事を考えるともっともっと生きていたかっただろうと≫
「私なんかはちょうど1ヶ月ぐらい前に北部同盟の方のラバにという大統領にお会いしましてね、その時にあなたの(長倉さんの)本を見ていてマスードという方がこれほど魅力的だったらマスードさんになんとかお会いする事が出来ないだろうかとユニセフなり大統領にお願いしておいてマスードさんにお会いする事が出来たら、その時は最前線まで110キロの所まできてたんですよ。万が一のことがあったらヘリコプターで逃げられるだろうということでそこまで行ってたんですね。万が一マスードさんがそこにきてくださってると本のちょっとのところだったんですね8月に入ってましたから。そんなことで返られはしないと思いますけどねこの方の運命だったかもしれないのでなんかの加減でねその時も砂嵐が無かったらなってね。本当にお会いしたかったなって」
≪本当に笑顔がね相手の警戒心を解くようなね、彼は地位としては上の人ですけれども本当にえらぶらないというか1人の名も知らない村人でも兵士でも本当に肩を抱くように話しかけたりする人がふと安らぐような人でしたね。だから軍事的にも財政的にもタリバンにおされ気味でしたけども私語にぎりぎりでも踏みとどまっていらられたのはその地域の人たちや彼の周りの人たちが彼を愛する気持ち。裏切ってタリバンに味方する人もいたわけですよねお金もあったし軍事力の差で。でも彼を最期まで守ろうとした人たちもいたし、だからマスードが死んだ事は僕にとってもすごい悲しみだけど指導者としてこれだけ愛されたマスードは幸せだという気もしますね。ただ家族と会ってみるとね、かれが始めて自分の家を作ったんですよ。お父さんから受け継いだ家は2間しかなくてお客さんも入れないような家だったんですね。自分で設計して死ぬ2週間ぐらい前10日ぐらいやっと家族と一緒に住む事ができた。≫
「そうですか」
≪≫
黒柳「長倉洋海さんの写真展があります”マスードとアフガニスタンを愛した”」
長倉≪そうですね。”マスードが愛したアフガニスタンとマスード”という形で≫
「10月1日から21まで新宿のコニカプラザ。これは新宿のタカノの」
≪4階にあります。≫
「今のマスードさんを側でご覧になりたい方はいらっしゃってください。それから本もお書きになったんですねえ」
≪”アフガニスタン敗れざる魂”。マスードのテロの前後、それから私がどういう風に彼の死を受け止めたかとか、その後のアフガニスタンの動きというのをマスードを軸に書いた本なんですけども≫
「17年間日にちにすると500日だそうですけどもマスードと行動をともにしたということだそうですけども、危険な事はなかったですか?」
≪マスードと一緒に歩いていてそこは地雷原だったんですね。で僕は1番後ろを歩いていたのでマスードが立ち止まって僕のところまできてぼくの方に手をかけて「ここは地雷があるんだぞ。生きて返りたくは無いのか。日本に帰りたくは無いのか」って言ったのをすごく覚えています。でその時も司令官が山の上まで案内しようとしてたんですね。その人もマラリアでずっと具合が悪かったんですね。手で押しとめて立つなお前はここにいろって。そういう彼の優しさみたいなものが思い出すことがあるんですね。すごくユーモアもあったし優しさもあった。僕は最初は取材でいってたんですけどもいつのまにか彼の人柄に惹かれてきてずっと撮り続けてきた。彼といると自分の嫌なところも小さいところもすごく見えてくる。彼が老人に優しいところを見るとお前はそういうところは優しいのかととわれるところもあったりして。大げさに言うと合わせ鏡みたいな存在だったと思うんですね。≫
黒柳「ある日一緒に歩いている時に爆弾が落ちてきて」
長倉≪僕はよかった自分に当たらなかったと思ったんですが、マスードは横にいた副官にそこに人はいたかってすぐに聞いたんですね。僕は自分の事がよかったと思ったけどもかれは≫
落ちてきたところに人はいなかったかって」
≪僕はそういう意味で指導者としての姿がそこにあるんじゃないかなって。≫
「ある村でいろんな人が彼に陳情して話を聞いてください聞いてくださいという時にかれは自動車から降りて話を聞いて「じゃあ」という時におじいさんを自動車に乗せて」
≪自分は歩いていく。そして彼を送って自分は戻ってくる。自分は歩いてるからと山道を歩き出すそういう事もありましたね。≫
「ずいぶん魅力的な、文学を愛し詩を愛しいよいよ疲れたときには詩を読める人をそばに置いて詩を聞いていたそうですけども。49歳」
≪はい≫
「長倉さんは余計アフガニスタンの平和を願ってらっしゃると思うけども」
≪いま1番望んでいた平和が目の前にきてるので≫