2002年9月11日
黒柳「蟹瀬誠一さんです。つい先ほどまではテレビ朝日のスーパーモーニングで解説をやってらして」
蟹瀬≪まだやってるような気がしますけどもね。朝早く眼がさめちゃうんですよ≫
「どのくらいやってらしたんでしたっけ?」
≪いつも4時半に起きて、1年半やりましたけどね。≫
「わたしもアフガニスタンの時に出させていただきましたけどね。このかたは物凄いジャーナリストでいらっしゃって今までお勉強なさったのがまず初めに上智大学の文学部の新聞学科」
≪はい。≫
「そこを卒業なさいまして。でも在学中にフィリピンの大学」
≪ええアテネイドマニラというところにいきましてね≫
「そこで交換留学生として心理学を」
≪社会心理学みたいなのを勉強しながらいろんなことを見てきたというのが正しいんですけどね≫
「それからアメリカのAP通信社。そこの記者におなりになてまたフランスのAFP通信社の記者でもあります。sこでAFPでは写真部長までなさいましてそこは英語で全ておやりになられるんで英語も日本語も同じぐらいお出来になる。そして日本の政治経済文化を何でも紹介されるアジアのほうを担当なさいましてそれからミシガン大学の大学院に」
≪少し落ち着いて考えてみたいなと思って。≫
「テーマがすごいんですね”大統領と選挙とメディア”」
≪ちょうど選挙の時だったんですよ≫
「どなたとどなた?」
≪デュアカキスとあん時は誰だったかなあ。アメリカではメディアが物凄く大きな力をもって最近日本でもそうなってきてますけどもそこを自由に調べてみたいなと思ったんですよ≫
「それで帰国なさったんですけどもタイムの東京特派員になるんで帰国」
≪そうです≫
「あと単独インタビューもすごいしてらっしゃるんですけどもカンボジアの女性を調べに行ったり。ロシアの潜水艦」
≪あれは最終兵器と呼ばれるものすごい核兵器をつんだ原潜があるんですけどもそれはタイオフーンと呼ばれていたんですけどもそれを何とか見てみたいという事で何回も挫折しながら取材して最終的には西側におのテレビとしては初めてということになったんですけどね。≫
「そういうのをなさったり後モスクワで最高会議ビルの銃撃の時に」
≪たしか以前に徹子の部屋にお邪魔させていただいたときにそのVTRをながしてもらった記憶があるんですけどね。やはりエリティン大統領と議会が争ってる時に銃撃があって間抜けな事に僕はその真ん中に出て行っちゃたんですね。≫
「そうですよねでも何事も無くてよかったですね。あの時に流れ弾に当たるってことはいくらでもありますよね。」
≪ありました。ちょっと人生観変わりましたねあれで≫
「それからロシアの極右のジリヌフスキーという恐いねえ」
≪当時ロシアがきょくすい的になってきたときに圧倒的な人気で出てきた男なんでねこれはその人間がいいか悪いかということよりもジャーナリストとして関心が会ってね≫
「なぜこの人をみんながそんあに支えるのかと。私達にとっては恐ろしい事を言う人がね」
≪そうなんですよね。でも会ったらたいした男でもなかったんですけどね(笑)≫
「いいおじさんだったんですかね」
≪ただ危ないところはあったんですけどね自分で見るのと人から聞くのとではの差というのがねこれを生めるのが僕の仕事なんでね≫
「湾岸戦争のときは?」
≪湾岸戦争事態は僕自身は現場には行かなかったんですけどね。≫
「あとフジモリ大統領と」
≪単独インタビューさせていただきました。選挙の時ずっと追いかけていて。あの方も独裁的な方でスケジュールを誰も把握してなくてそれで変える日大統領が外にいるときに大統領に直談判しておれは明日帰んなきゃいけないんだおまえの話を聞かなければならないんだと言ったら「よしこい」と「明日大統領官邸に来い」というので話を伺いましたね≫
「スーパーモーニングに出てらしゃると気は聞けないのでこのかたがどんなに素晴らしい経歴をお持ちの方なのかなって。そして今日は9月11日。私ソマリアに行きましてニューヨークを通って返ってきたんですけども。あそこの跡地も建築家も入って後をどうすんのかってなかなか決まらなくてっていってました」
≪講演にしてメモリアルにするのかまた高層ビルを建てるのかっていろんな思いがありますからね≫
「本当にそうなんですってねえ。人の中にはもっと高いのを作って人に見せてやりたいとかねえいろいろ大変な事をしてたんですがなんといっても1年足ってしまいました。アメリカにとって大変なことだったのでね。で去年の9月11日にたまたま夜遅くみてらしたんですって?
≪僕はねえちょうど家にいて女房がねなんか大変なこと起きてるわよって。ぼく正直言って家であまりテレビ見ないんですよ。言われてみたらあの映像でしょ。最初は直感的には事故かなとみんな思うんですよ。tころが2機目がああいう形でビルに突っ込んでこれは事故じゃないって。若い頃はすぐにどっかへ飛び出すという事をしたんですけどねずうっと経験をつんできますとねこれは一体何なんだろうって考える時間を取るようになったんですね。でとにかくどういうことが起きたのかということを自分の中で把握してそれから次何をしたらいいのかって職業柄直ぐに考えるんですね。現場のビルと国防総省のペンタゴンにうも突っ込んでますよね。この次はアメリカがどういう手を打ってくるのかねつまりワシントンがねニュースの中心になると思ったんですよ。そrっでプロデューサ-とも色々話をして。それから次はニューヨークに行けという話もあったんですけどもワシントンに生かせてくれと
「なんでもアフガニスタンとその隣のパキスタン、あの辺にはいかなくちゃとすごく思ったんですって」
≪パキスタンの入国ビザを取りに行ったんですけどもね。実は100円でとれるんですよねたぶんいろいろな人が入りたいとなると制限するといいうことになると思うだか先手必勝ということでまずもらってきたんです。≫
「その前にワシントンへいってらした時にニューヨークは行きました?」
≪いえ僕は経由だけして≫
「あの時ワシントンではどういう状態だったんですか?」
≪なによりも星条旗の多さね、今もまた多くなってるんだと思うんですけ飛行機から降りたら赤の他人の人が小さな星条旗を振って降りてくる人が星条旗を持ってそしてお互いが旧友のような挨拶をしているんですね。だから星条旗の持ってるすごさというか多民族国家を旗のところにね。というのが1つとあの事件のショックが非常に大きいわけですから国民が1つの方向に流れていったというのが印象的でしたね≫
「それであの時のブッシュ大統領の演説はどういう風にお受け取りになりました?」
≪実は僕の知り合いが貿易センターの中で行方不明になったのがいるんですよ。だから僕自身も何てひどい事をしたんだろうという気持ちが直感的にありますよね。だから大統領の演説もアメリカよ立ち上がれ見たいな仕返しをしなければならないみないな自然なその時の気持ちとしてはよく分かったんですけども。ただちょっと待てよこれでいいのかって僕らの中には制御装置が働きますよね≫
「ダンラザー、CBSの看板キャスターが最近謝ったんですね」
≪あの時に涙を流して戦争を鼓舞するような発言をしたわけですよね。1年近くたって彼自身もジャーナリストとしてよかったのかと反省したと≫
「でもあれですよねキャスターとして看板キャスターとして国民に謝るってすごいなと思ったんですけども」
≪アメリカ的な部分だと思いますよ。自分が語った責任みたいなものを彼自身が感じて修正したと。それと対照的にABCのピータージェニングスというキャスターは事件がおきて数日後にこの事件を子供にどう伝えるかという特集をやってるんですよ。これはぼくはやっぱりキャスターとして見識だと思いましたね≫
「そうでなければいわれなきイスラム人が襲われたり事件が起こってましたよね。」
≪そんな中でメディアの揺り戻しっていうのはすごいなと思いましたね≫
「あの瞬間にこれを子供たちにどう伝えればいいのかって言うのを放送するというのは大変な事ですよね」
≪それは愛国的な流れに水をさすようなことですから勇気ある行動だと思いました≫
「それで今度パキスタンにいらっしゃってイスラマバードにいらしゃって」
≪それで今度なるべく国境に近いところに行ってみようという事でペシャワルだとかの難民キャンプを見にいったという事ですね≫
「前は書くお仕事だったんですけども今はテレビのキャスターをやってらして今はあれですよね朝日ニュースターの”日本のエネルギー”という番組を」
≪僕はエネルギーの問題に関心があるんですよ。歴史的に見ても戦争ってエネルギー源の取りあいじゃないですか、だkぁらそういうところがあるんでこれは26,7回のシリーズで≫
「なるほど。去年の9月11日から今日でちょうど1年目なんですけどもだけどもまだ解決がついてないんでね。私ソマリアから帰ってきたでしょ。そしたらソマリアとアフガニスタンってとっても似てるんですね」
≪そうかもしれないですね≫
「ソマリアは無政府状態で武装勢力が戦っていてすごく危ないんですが。そういうものをずっと放送してらっしゃたんですが。奥様との色々なお話もすごく面白いので蟹瀬さんの普段の生活もうかがってみたいと思います」
≪≫
黒柳「奥様とお会いになったのはどういう状況で?」
蟹瀬≪僕が上智大学にいたときに大学祭であいましてね何人もいたんですけども男女の組かえがおきてそれで何となくこいつと結婚するのかなって≫
「その時クリーニングから返ったまんまでタグがついたまんまでいらっしゃったそうですけども」
≪よくチェックが入ってますね。こうみえても雑駁でね靴下も右と左を違うのを履いてたり≫
「でも奥様のコーディネートで」
≪割と妻のアドバイスを聞いてやる。今日なんかも何着ていったらいいかなって聞かないと不安なところがありますね≫
「奥様はねボディショプというね」
≪バス用品とか化粧品だとか≫
「米国に本社のあるあの会社の日本の社長さん」
≪そうなんです。3年ぐらい前にこの仕事を引き受けて、以前は広告代理店のコピーライターをやっていたんですけどもそこをやめて自分の会社を作ってそのあとにこういう仕事をやらないかといわれて引き受けて≫
「いまボディショップってすごいですよね。」
≪日本で100店舗以上あって、僕は宣伝しにきたわけじゃないですけども物を売るというよりも人種差別をなくすとかエイズを撲滅しようとかそういう社会的貢献を前に出してる会社で非常に珍しい会社なんですよね≫
「でも結婚された時は忙しくてアパートにシングルベットが1つあればよかったんですって」
≪それでよかったというよりそれしかなかったというか。お金も無かったし≫
「時間のすれ違いが」
≪僕がね通信社の記者だったものですから3後退で朝の7時からか、午後の3時からか、夜の11時からでていって朝に帰ってくるという感じで妻は会社づとめで朝の9時にいって5時に帰って来るという。でも子供はちゃんと作りましたけどね(笑)≫
「何と言っていいんでしょうか(笑)。15年間くらいはジャーナリストでその間は奥様の収入の方が大きかったんですって?」
≪そうなんです。振り返れば女房の収入のほうが大きくて世帯主は女房だったなという感じがしてますけどね。まあテレビに入ってそれなりの収入になってぼくのほうが多くなったんですけども。まあ僕自身は女房の収入が多いということで負い目を感じるようなところは無かったですね≫
「それで当時は何でも一緒にやろうということで紙おむつも無かったのでオムツも洗ったりして」
≪それは長男が生まれて保育園に通わせる事になってそこの保育園の園長さんがね共働きじゃないんだと、ともに育てるんだと。共育てということを非常に強くおっしゃってて眼からうろこが落ちてそうするとおむつを洗ったりたたんだり。そんなに苦痛だという事じゃなかったですね≫
「でもずいぶん子供の運動会に出るようになさったんですってね」
≪これは外資系の会社にいたんでよかったんだと思いますけどねタイムの支局長なんかは今日は子供のリトルリーグの試合があるから会社休むよという感じなんですよ。だから僕も息子あるいは娘の運動会があるんで行っていいですかって言ったらいいよって≫
「もちろん事件のないときでしょうけどね。で今度お嬢様が踊りのバレエをやってらっしゃってロンドンに」
≪今年の秋からロンドンに留学してどうなるかは分かりませんけども小学1年生からやりたいことが決まっていたんでね親として出来る限りのことをしてやろうと。日本に居るよりは本場にいって自分の力を試してみるのもいいだろうと。さいしょはイギリスにあるアメリカンスクールに入れましてねそこで英語で生活できて勉強できる基礎を作らせようと思ってその上でバレエもやっていくというそうじゃないとお父さんとしてはちょっと不安なところもあるんです(笑)≫
「朝のテレビも終ったんで娘のことが出来るんでいいんですって」
≪僕は楽観的というか3月にテレビのレギュラーが終ったという事は神様が娘の為にこれからは時間を使えといわれたと思ってほとんど日本とイギリスを行ったりきたりして学校探しをしてね今日まで過ごしてきたんですけども≫
「息子さんもいらっしゃるでしょ」
≪息子の方は社会人になってね≫
「そんなに大きくなってるんですか」
≪24で代理店勤めしておりますけども。≫
「そんなに大きいおこさんがいらっしゃるんですか。ビックリしましたね」
≪ええ52になりますから≫
黒柳「蟹瀬さんはジャーナリストとしてお働きの一方でカンボジアに学校を作ろうという運動を」
蟹瀬≪これは何も自分が始めたというわけではなくて知り合いのアメリカ人がはじめたプロジェクトで200作ろうと。なるべく農村部に作ろうという事でもう半分以上建ちました。≫
「先生が大変ですよね半分以上ポルポトに殺されましたからね。」
≪大体子供たちに聞くと学校へ行きたいと言いますよね。僕は勉強をする施設を作るだけじゃなくてこのプロジェクトでは先生も2年間きちんと雇うということで日本円で180万円あれば生徒を400人ぐらい収容できる学校を作れるんですね。≫
「先生の給料も保証されている。すごいですね」
≪そういう意味では子供たちに教育の場を与えてあげる事によってたぶんそのころは僕は生きてないでしょうけどもその学校から出た子供たちのなかにこの国の指導者が出てくればうれしいなと≫
「本当にそうですね。スーパーモーニングが1年半だったので何か機会があったらまた挑戦したいと思ってらっしゃるんですか?」
≪僕自身もテレビの世界に入って10年余りなんですけどもね今回の番組の終り方は非常に唐突で僕も非常にストレスのたまる形で終ったもんですからねチャンスがあればテレビのキャスターとしてあるいは現地にいってリポートする形としてやる場面があればぜひやってみたいなと思います≫
「そうですよね。このごろもワイドショーでもこんなに政治が入ってくるというのもないことでしたからね」
≪その流れをなくさないようにやっていければいいと思いますね≫
「今日9月11日ですからアメリカでは大変でしょうね。」
≪あの事件から僕たちは何を学んだのかそれをきちんと考える必要があると思いますね≫
「本当にありがとうございました。お元気で」