2002年10月1日
黒柳「まあどうもうしばらくでございました。おかげさまで元気でございますあなたもお元気で本当になんとか」
堺≪なんとか≫
「なんとかっていうこと言葉が急に胸にぐさっと(観客笑)NHKの朝の、朝のテレビ小説は初めてでしたね。チュラさんで沖縄の男性をおやりになっては大好評。そして明るくパワーとなって方言なんかも最初のうちはずいぶんお勉強になったんですって」
≪ひとつひとつを申し上げる全部方形指導の先生がテープに入れてそれをこう毎回聞いてやるんですけども3話ぐらい聞いたら飽きまして飽きたというのか勉強するのがおっくうになって
「そのことに気をとられて他の芝居がうまくいかないということがありますね
≪そうそうそうそうそう覚えなければいけないことが多くて。で自分流でやろうと思って3話ぐらいから自分流でやったんですよ。そしたら方言の先生が堺さんたまに沖縄の方言が東北へ行ったりしてますよ(笑)。そうですかってやっぱりねぇ沖縄の言葉じゃないですね。沖縄に見せようとする方言になってるんですね。そのへんがねぇ沖縄で私の沖縄便がはやったっていうくらい。あのちょっと特殊だったみたいですね
「なるほど。だめだったということですね。でもあそこで三味線のような
≪三線(サンシン)
「三線をお引きになってあれも大変だったじゃないですか。あれは本当のご自分の音でもしくはあちらの音で?
≪私がひいている場合もありますけども大部分は先生が隣にいまして先生のこれに合わせて私も
「音は先生の音
≪音は先生の音です。顔は私の顔で
「時々ちゃぶ台の下に手とね全部の形が下に入っていてこっちは動いていてこっちは全然映らない場合がありましたのでねああいうときはいいなと思ってたんですけども
≪ずいぶん細かいとこ見てらっしゃいますね。
「そうですよ。昔は私は三味線をやったためにテレビで大変でしたから
≪そうかそれはどんなことで
「これはなんとで三味線トヨキチさんというすごい方がいらっしゃって、あの方の生涯を江利チエミさんがやって1の弟子のトヨフミさんというのを私がやって、トヨフミ先生が教えにいらしたんですよ。手が違っていると手をビシとたたかれて。
≪そんな厳しい先生だったの
「怖かったです私とチエミさんは本当に2人で逃げちゃおうかって。でも2人で逃げちゃったらもう芸能界には戻れない。それぐらいまで差し迫ったんですよ。三味線って琴に合わせるだけでも本当に大変で。でそのうちどんどん三味線が前の方にちゃうんですよ。
≪あれはねぇここ押さえ方がねぇ非常に難しいですよね。それから立ち方ねこうなっちゃいけないああなっちゃいけない、それで3本の線でしょう。ですからそれを単純なものなんですけどもそれほど味が必要な
「それからあなたも歌いになったりして
≪小浜。小浜節とかね
「私もであなたの方はだいたい進んでいたと思うんですけども。あなたももともとできている人ということなんでしょう
≪いえいえ私もそんなものやるのは初めてでぇ
「でも台本では。もともと三線ができる人でしょう
≪できる人できる人。
「(私の場合は)全然できなくて江利チエミさんに「先生教えてください」って言っても台本の終わりごろには何年かたち教えているというふうになるんですよ。だからそのときは驚きましたよね。教えているんですから(笑)。教えてくださいって入っていって、次の時にはもうビンビンてひいてなければいけないですから。大変でしたけど。だから拝見していてちゃぶ台があってひいている方の手はちゃぶ台の下にあってこれは楽だろうなって思ってました。
≪どうも(笑)
「でも一緒に出てらしたほらあのおばあと呼ばれる
≪平さんね
「そう!。冨さんここへ来ていただいたんですよ。あの方のいろいろなお話しをね。
≪作用でございますか私のお話しなどおおかたでございましょ
「いいえ全然(笑)。
≪ああそう。全然知らなかった
「あのねえあの方はねぇ沖縄の方では本当に有名な女優さんで素晴らしい女優さんなんですけども、全国的にこのちゅらさんで有名になって渋谷を歩いているとおばあちゃん!おばあ!って若い人に呼ばれて、うれしいっておっしゃってました。でもあなたはあの方にずいぶん感銘を受けたでしょう
≪あのねぇやっぱり人間というので年を重ねていくとというか沖縄の女性特有のというかあの男の人こううまくリードしていくというかそういう女性そういう沖縄女性特有のおおらかさと大きさ持ってらっしゃるんですね。だからお察しなんか非常にこう安心感といいますか、それと嬉しかったのは沖縄では大変な有名な方ですけども全国的にちゅらさんでオバチャンが有名になってみんなに知られると存在になったというのが僕なんかにはすごくうれしいことで
「沖縄の方はとても芝居が好きでこんなに良質なものを沖縄でやっていらっしゃった。それがとてもわかって私もとても嬉しかったです
≪郷土っていうものに対して日本てちょっと希薄になってきてでしょう
「私たちは東京で生まれて東京で育ったんで特に
≪そういうことがあるかもしれませんね。そういうものが地方でもちゃんと成り立っている
「あなたは東京生まれじゃなかったでしたっけ?
≪いいえ私は東京でございますよ。
「そうですよね。なんか神奈川の方で育っていたことなかったでしたっけ
≪ありますよ。えーと幼稚園が上がる前から鎌倉の方でいっておりました
「そうそうそう。でもまた東京にお戻りになって。このロケをやったところがチュラさんで
≪小浜島。
「皆さん小浜島ってどこにあると思いますよ?このねぇ石垣島にわりと近くでびっくりしたんですけども石垣島というのがそうなんですけども台湾に近いんですね。
≪近い近い近い
「だからものすごくちょっとご覧くださいね(地図登場)
≪ちょっと泳いでいけばもう台湾です
「そうです。それで。私石垣島でお仕事を頼まれたんでその日のうちに那覇にいきませんかといったら行かれないというからじゃ船はって聞いたらそれもだめですっていうんで、泳いでいけませんか聞いたらそれも行けませんって。地図みたらそうだなって。
≪私が台湾へ泳いでいけるって言ったらそうそうそうはないですね。
「だから台湾ならいけるかもしれない
≪いけませんよ。すごい小さい島人口が300人でね。牛が400頭いるんですよ。そこの村長さんがね牛に選挙権を与えたいっていうぐらいで。
「そこで民宿をやっているという設定なんでしょうあなたは。
≪ですからねああいうところがまだ日本にもあってね、時間がのんびり流れるってわかります。なんかね本当にフワーと流れていくですよ。
「星がきれい
≪星が綺麗です。
「海がきれい
≪二三日はよかったですよ(笑)いやな自然とはこんなにもかと思いましたけども4日目ぐらいからなんか灯が恋しくなりましたね。電灯があまりない。
「チラチラしているところがないので(笑)
≪チュラさんだけどチラチラしているところがあまりない。
「ネオンサインがない
≪そうするとはるか向こうの石垣島の光光が見えるですよ。それが恋しくてね。(笑)わかります?
「石垣島人はもっと違うところを見て思っているかもしれないけども
≪そういいなと思うんだけども小浜に入ると石垣がとっても都会だなって。そういうところにねぇかなり長いこといました
「そうなんですって。それからあなたはすぐにお正月になるもんですから素人・・・なんでしたっけ
≪(笑)一応スターかくし芸大会で。素人かくし芸大会って(笑)いう番組はいまだにないと思いますけども。
「そうですスターかくし芸大会(笑)
≪素人はのど自慢です
「スター隠し芸大会の練習をする時間がなかったのでそこで小浜島であなたは練習をしようと考えた
≪それでテレビ局のスタッフ全員連れてNHKとは別にそのスタッフ
「そうかそうかその隠し芸をやるスタッフを連れて。
≪小浜島へ乗り込んだわけですよ。他の女優さんなんかは僕だけスタッフがたくさんいるわけで、で中にはマッサージ師なんかもいるわけですよ。やるものがハードなもんで。そういう人たちが港のところでマッサージをしてくれているわけですよ。そしたら堺正章というのはすごい人数を連れてきて演歌なんかよりももっとすごいねと。いうぐらいスタッフが10何人にいるわけですよ。でもそれは隠し芸のスタッフでその人たちが小浜小学校の体育館を借りて
「そうなんですって。割と場所が必要なもので今年のお正月になさったものなんですけどもこういう縄の先に
≪そう縄の先に。去年の正月のものなんですよ。
「そんな前になるんですか1年経つの早いですね。今年だってもう年末ですからね。
≪そうですよどんどん時間を早く過ぎていく。
「去年の正月のものでおととしなんですねあなたが小浜島に行ってロケなんかをしていたのは。
≪そうです。
「大変でしたね。でそこで何やってたんですか?
≪なまりみたいなはわっかがついていてそれでそれを昔アメリカンヨーヨーというのがあったでしょう。あれの長くて太いやつだと思って下さいな。それを遠心力で回すとひもが棒のようになって体をぐるぐる回ってこういう芸ですよ
「気をつけないと顔になんかぶつかったりして大けがという感じですね
≪何回も当たりましたけども、ヘルメットしながら練習をしたり
「やっぱりそんなだったんですか
≪そうですそれを毎日NHKのチュラさんのロケが終わるとそのみんなはスタッフと食事をするんですけども私だけ独り寂しく小学校の体育館行くとそのテレビ局の人が待っていてくれて食事を用意してくれていてじゃ皆で夕食を食べましょうてそこで食べてじゃそろそろ練習するかていって毎晩夜11時、12時んごろまでやってで朝6時ぐらいからロケに行くわけですよ。
「ちゅらさんの方へね
≪そうそれが終わるとまた体育館でこれですよ。
「だけどもまたそこの子供私たちが、かわいいの
≪励ましに来る。ずうっと11時ごろぐらいまで教頭先生がカギを持っていますからね。でも子供たちは9時10時まで見ている、そしたら先生がお前たちもそろそろ帰ったほうがいいんじゃないかなんていうと子供たちもハーイって。で僕もお菓子なんか食べるとか言って
「他のことなんかやってあげなかったのほらテーブルクロスとる奴とか?
≪そんな暇ありませんよ(観客笑)
「ああそうかごめんなさいねぇ(笑)
≪そんな暇ございませんよ。ですから自分のけいこだけにまい進しましてで子供たちのおやつあげたりして毎日来てくれて、で今日も来てるかななんて私も心配なんかして、こうみるときてるんですね今晩はなんかいいながらでけいこを見て帰るんですけども教頭先生がで普通なら車に気をつけるようとかいうでしょう、
「うん
≪細いからなぁハブに気をつけるようて
「(笑)
≪帰るんですよ。お友達もハーイっていって、ハブもたくさん出ますから。そういうあいさつに小浜ならではだなあっていうことでちらっと感じましたね
「でもその子供達にとってもテレビに出てる人がそういうのを見せてくれているのが楽しみだったでしょうね
は毎晩集まる子が一緒なんですよ。体育館というか学校の近所の子なんでしょうね。毎晩来てくれて見てくれているとこっちもちょっと励みになって。
「そうそうそうお客さんがいるって感じでね
≪練習一生懸命しようという感じになるんですね
「その子たちお正月きっと見たでしょうね。
≪みたいじゃないでしょうか
「あの時けいこしていたのはこれだっていう感じで。みんなに自慢して本当はこんなにうまくいってなかったんだよとか自慢したりして。
≪そんなことあなたが言う必要ないですよ
「(笑)でもさぁ本番の時うまくいって
≪本番のときはうまくいった。いい思い出になってくれればいいなって
「でもそういう子供たちを見て家族だんらんのシーンがおおかたですよねチュラさん。それにつけてもあのだんだん話があれなんですけどその最中でしたからね
≪何か?
「あなたのほら、そういうのはもほら全部終わっていたんですかね?
≪やってる最中ですね
「だったら大変でしょう。あれだけのことをおやりになりながらね大変だなって子供たちのことみたりとかいろいろあって、いろいろ大変だと思ったんでせっかくいらしてくださったんでそのお話しをねやっぱりうかがはないわけにもいかないなと思いまして
≪私も腹くくってきてますから
「そうなんですか(笑)まあそういうことですのでやっぱりほら貴方がさ
≪黒柳さん言いづらいですか(笑)
「いやいやそうじゃなくてほらいいんですか何をうかがっても。じゃちょっとコマーシャルです
≪尋問かよ
黒柳「まああれからお目にかかってないものですから奥様だったかたのお父様出会ったEHエリックさんのお葬式に私うかがったじゃないですか。
堺≪はいありがとうございます
「その時はそんなに前じゃないのにこんなことが起こるとは夢にも思わなかったですね
≪まあ私にもいろいろ油断があったり安心感があたりそういうところがいけなかったりしますけども今回のことは人間というのは永遠というものがないもんだなって非常に深く感じさせられたというかね。そういうところがございましたね。だから緊張していないといけないですよどの場面にも
「ええそうなんですってねですから世のお父さんたちに言いたい。会社でも
≪そうそう家でもねどこか1番大事な自分の見せ場は家だって思えるぐらい
「スイッチはオンにしておかないとダメ
≪そうです。オフにしちゃうとどうしてもお母さんはオンにしたいんだけどもスイッチの場所が見つからない。でなかなかオンになってくれない。ですからうちに帰るときはもう1踏ん張りだって言って家ドーンと帰っていくと。それぐらいのエネルギーを持ってほしいなと私も反省している部分があって
「でもうち家帰ったら全部鎧も脱ぎ何も脱ぎだとできるぞと思って家帰るじゃありませんか
≪まあその気持ちも大事なんですけどもその中でもお父さんという意識もちゃんと持っていないといけないんだけども男というのはえてして家に帰ると本当に油断もスキも見せてしまう。というところがあるのででそれがやっぱりお母さんは家にずっといると主婦の方というのは褒められないんですよ。
「それはそうでしょう褒められないときれいにならない。
≪家事をいくらやっても褒められない。評価してもらいたいというのがあると思うのでそういうところでお父さんが一言でいいんですよ「うまいね」とか。
「あなた言わなかったの?
≪申し訳ございません(観客笑)
「あなた何もおっしゃらなかったの
≪言いましたよう言いましたよ。少しはいいましたよだけどやっぱり足らないんですね。その気持ちをもよく分かるのでまあ僕はもしかしたら子供がいますから、それがも側面からでも応援をしていかなければいけないですけどもどうしても抱いて挙げられる両手を持ってないですけどもね、でも1人がいいのかなって
「おうちに帰ったときにねやっぱり子供たちの声だとか温かみとか電気がついてないとかそれはお寂しいだろうと、
≪今ですか?
「今です。
≪それはもうポッカリ穴が開きましたよ。それはねぇあれだけ3人がいて
「お別れになったときは11歳と8歳で子供がいてきれいな奥様いらっしゃるんですから、女の人が3人いらっしゃるんですからそれはもう華やかですよね
≪散らかってたりしていてもこうやって遊んでただなっていう跡を見るわけですからなんかいいなというのがあるんですけども。今となってはもうそれはかなわぬところですからね
「でもおとといですかねお嬢さんが遊びに来たんですって?
≪そうですそうです泊まりにきましたねぇ
「うれしい?
≪やっぱり寝顔なんか見ているとねぇもずいぶん大きくなったがとか思ったり、どっかではなんとか
「お父様に対しては子供はわだかまりとかなくて
≪ありますよ少し。3人で会っているときはいいですけれども第三者が入ってくるとやっぱりこうちょっとたためらいみたいなのがあるんじゃないでしょうかね。手やしたり申し訳ないなという気持ちがあって非常に強くて
「子供も思っている以上にそこで考えていますから。
≪だから素直に入ってこれないこうちょっとした壁みたいなものが彼女たちになりに持っているんで。ママのところに帰るときにバイバイというとすごく何とも言えない目をするんですよ。やっぱり
「バイバイっていうと悪いんじゃないかなって。
≪どうしてこの家にいられないんだろうって。
「あああそうかあちらがお出になったのね。
≪はい私が出たんじゃどうにも
「そうかそこのところは詳しく知らなかったんで。
≪でもいい人生経験というか勉強をしましたね
「これほどうれしいということはないってあなたおっしゃったじゃない子供が生まれたときに。44で子供を授かってこんなに幸せないっておっしゃっていたから、今こんなつらいことないかもしれませんね。あんなお喜びを与えてくれたということではねぇ
≪それがずっと継続持続していればそれに越したことはないんですけれどもこういうふうな試練をお互いに迎えて
「人間て気づかないですよねそういう時って。あの本当に顔を見合わせてこれが幸せなんだねて思うときがなかなかわかんないですよいつまでもそのままでいくんだなって思うから。
≪いつも幸せ家ってってってってすぎて気づかない2人だったんです。悪いのは僕のほうさ君じゃない。さらば恋人という私のヒット曲があります
「そういうのがあるの!!なんてそういうものが偶然あるんでしょうね
≪どうしてなんでしょうね(笑)
「そういうものが。
≪いい歌なんですよ、いつも幸せ過ぎたのに気づかない2人だった、
「あれでしょうねぇずっと前でしょうね歌ってらしたのは
≪ずいぶん前ですね。昭和で言いますとね・・・ちょっと鼻をふかしていただいて。
「涙でも鼻でも。さっきここにティッシュペーパーがあって何するんですかってって
≪何するのかなって思って
「鼻垂らした人のためにあるんですって。
≪なんかで悲しいいね
「ちょっとコマーシャル行きますね
≪コマーシャルいてください
黒柳「でも同じくらいの年代の人や男の人はあなたが1人でいらっしゃるのを見ていいジャン独身に帰ってとか言って
堺≪そうそうそう。っていうんですよ。まぁその気持ちも分からないではないんですけど。ラッキーとかいうんですけどもほんとうはラッキーではないですよ。やっぱりそんな離婚とかそういうことに勝ち負けはないですからね互いに傷つくことですから。人生の勉強ができたということをしっかりしていかなきゃということをもう1回再認識したということで
「でもあの前のときも土日はなるべく休むように仕事をしてらしたんですよね。
≪そうですよそれはやってましたけどもねって。それが今は土日がぽっかりしちゃうんですよ。いつも来てくれるわけじゃないです
「どうしてですかその日は?
≪は?
「どうしてですかその休みの日は?
≪だからウオーキングしたり、あと友達がたくさんいますので友達に会うようにしたりしてって気をまぎらわし行ったりしていますけども
「でも本当にまぎらわしているっていう感じですよね
≪そうですよまぎらわしているっていうことはねぇ完璧に立ち直ってないなっていうことですよ。
「それは立ち直れないですよねぇ。
≪仕事でまぎれるというのか仕事をやっていく意思というのがどこにあるかっていうと家族のためだっていう気持ちで
「あなたはそうだったんですってねぇ
≪そういうものがなくなってしまうと自分のためにだけ働いているというのがなんかはちょっとねぇ空虚感というんですか、ちょっとそういうのがあります私も1回再スタートだなっていう気持ちをどっかで持ちたいというのがあるんですけども。
「あのねえお嬢さんたちがパパもそろそろ自分の幸せを見つけてくださいというような年になったら
≪だけどね時間がないんですよ
「そうなの?
≪そうなのって
「いくつ?
≪56ですよ
「私から見たらずいぶんいいと思いますけどね。花ですよ
≪そう言われるとうれしいんですけども、でもやっぱりそればっかりを待っているわけにもいかない年齢に
「だから自分の幸せを見つけたらって言われるまでずっと娘の訪問を待っているだけで生きているわけにはいかない
≪そうもいかないし、そのへんがなんというんですか、自分の幸せをとるのか娘の・・・
「でもキメちゃうこともないんじゃないですか。
≪でも自分で切符を買わないとダメなんですよ。その目的地へ行けないから
「はっきり言うとね
≪どうしようかなぁどの切符を買うべきなのかなっていうのがまだちょっとわからないですねぇ
「メーンウエストという女優がね私もお芝居でやるんですけどもその人がいうんですよ、あなたと一緒に地獄に行ってもいいわよまあ帰りの切符が手に入ればね。って言うのがね(笑)ちょっといいでしょう。まぁそのいい切符が手に入ればねそうなれば。やっぱり渥美清さんがいつも言っていましたよ。自分はとっても元気にしていても、あの方は自分が結核になっていたのも気づかなかったんだけどもお客さんがさきに気づいたんですって。でいつもは笑わしていたのに笑わなくなったんですってどうしてだろうどうしてだろうと思っていたら客が結核だって気付いて、客は敏感だねって。やっぱりあなたも傷ついているのを上手にをかくそうとしていてもまあわかんないんですけどもテレビを見てらっしゃる方がどうかはわからないですけども
≪この番組だからこうも言えるというのがあるわけじゃないですか、他に行って全部これじゃあなんかをお料理番組をやっていて涙を流していたんじゃさあ
「鼻水を垂らしていたりねぇ
≪鼻水を垂らしていたじゃさあ、それはやっぱり臨機応変にやらなければいけないことで。
「でも本当はそういうことがあるんでお幸せになってほしいと思ってらっしゃる方もいると思います。
≪そのへんはあとは自分で選択しないといけないですね
「何でも本当に乗り越えていただくというのね
≪きょうはこの番組に来て励ましていただいて、本当にありがとうございます
「今度土日に暇なとき私が遊んであげるから。
≪恐れ入ります
「いらないかもしれないけども(笑)
≪いえいえいえ助かります
「ハハハ(笑)
≪
黒柳「涙もろくならないようにね。
堺≪はい
「顔で笑って心で泣いてっていうのはよく分かります。明治座が今日から初日なんですね
≪10月の1日からなんですよ。
「27日まで
≪はい。
「おしゃべり伝六捕物帳。これは平成7年におやりになって芸術選奨文部大臣新人賞を。
≪そうなんです新人賞
「植木等さん、名高達男さん。紺野美砂子さんいろんな方がおでになります。ね
≪てぜひ皆様にも見ていただいて。
「本当にこういうのをおやりにおやりになるとシンモン辰五郎もよかったですけどね。最後の将軍の時の。こういうのがお得意中のお得意でいらっしゃるので
≪間時代劇が少ないですから大いに笑っていただこうと思って
「お父様のこと大好きだったあなたのことですから