2002年11月1日
黒柳「藤間紫さんですよくいらしてくださいましたしばらくでございました。またおめでとうございます(笑)なんかこんなことになるとは思わなかったっておっしゃっていました
藤間≪いや本当に思わなかったですからねぇ。だって年も上だしね
「でもあれだけ長く本当にひとつの目的を持って一緒に仕事をしていらしたわけでしょう。
≪そうなんです。
「でも結婚とは全然考えていらっしゃらなかった
≪考えていませんし、ただもし私があんまり長くついているとあちらは若かったから結婚もできなくなったら大変だと思ってね。そんなことも考えたりはしたんですけども。
「でもとにかく私が2年半と申しあげたらそんなになるかしらとおっしゃってたんですけどもあのその1年前に今2年半ですから1年半の前の1年前にですね要するに2年半前に入籍をなさったのが1年間世の中の人にわからなかったのね。
≪そうです。別に隠しているつもりはなかったんですけども特別自分から言うこともなかったので
「そしたらそれが突然わかっておめでとうございます、おめでとうございますになってから1年半。
≪そうなりますか
「そうです
≪そんなになってないような気がして(笑)。
「(写真)お写真ですねえこれはどこでおとりになったんですか
≪これはで軽井沢のけいこ場ですね。
「軽井沢にお家があるんですけどもそこにけいこ場もお持ちでいらっしゃってそこにお弟子さんもたくさんいらっしゃって、猿之助さん。
≪あそこに合宿をしてねそれでここのけいこ場でやるんですよ。
「そうですか。なにしろ猿之助さんは紫さんに初めてお会いになったのが12歳の時だとおっしゃっていました
≪よく覚えているね(笑)私忘れるのに
「うんそうなのあの方よく覚えていらして。紫さんは覚えていない
≪覚えてないですけども。ただ金ボタンの学生だったことは覚えています。おとなしくて無口でね
「そのころは奥様だったしそこはたくさん踊りを習いに来る子がくるからたくさんそういう格好の子もいたでしょう他にも
≪そうですねぇ皆さんそうでした。橋蔵さんもそうだったしちょうど一緒ぐらいですか
「橋蔵さんって銭形平次の橋蔵さん。残念早くお亡くなりになったんですけども、橋蔵さんも女方でねぇ大変歌舞伎できれいな方だったんですけども。同じくらいの年
≪仲よかったですよ
「じゃ金ボタンとかがごちゃごちゃして。それでも新聞にご結婚の時に半世紀婚と出たんですけども(笑)
≪え!なんですか
「半世紀婚、50年越しということでしょうねえきっと。
≪50年
「だから要するに猿之助さんがお会いになってからということだと思うんですけども。まあこのごろは地味婚とかハデ婚とか言うんですよね。地味な結婚式をやるとかはでな結婚式だとかそういうのがあるんですけども。半世紀婚と新聞にこんなに大きく昨日ちょっと見てみたら半世紀婚と出ていました。すごいでしょうか映画のように思いますけども。でこの3月にですね猿之助山はここにきてくださってその結婚をしたわけというのをちょっとご覧になっているかもしれないですがご存じだと思いますがその気持ちをおっしゃっているので
≪申し訳ないけど私それ見ていなかった。
「じゃあちょうどいいですねぜひご覧くださいませこんな風におっしゃっていますのでどうぞ。
******************************
黒柳「藤間紫さんという方はよく死ぬ瞬間のことををおっしゃっている方があって
猿之助≪そうですねぇ死ぬ瞬間を考えて生きているとおしゃいましたね。前からねそれに僕はとってもあこがれてしまってね、すごく厳しいですよね私もずいぶん若い時から一緒にこの同じ物を見つめて猿之助を歌舞伎というものが作られたとすればそれを作って下さった同志の1人だと思って。そういう1番その学んだというか大変ですけども1番を教えてくれたのは極論すれば愛は犠牲なりということで私はこのお坊ちゃん育ちでそんな世界から遠くて何でも自分のやりたいことばっかりやってきて人のことを考えないというようなだいたいお坊ちゃんで世間知らずみたいなもんでしょう。そういう自分にそういう1番最初に愛は犠牲なりみたいな精神的なことを教えてくださったんですよね。それからずっと長くこの1つのものを見つめて、お陰様で猿之助歌舞伎も立ち上がってそれでその時から死ぬ瞬間を目指してこの生きているというか死ぬときに幸せに死にたいとかだいたいそういうことをおっしゃる方には宗教家が多いんですけども、それで死ぬ時に幸せになりたいという思いがずっとあったみたいなので幸せにしてあげられるかなと
******************************
「そうだったんですって
≪私ねぇこれほんとうはみたいんですけども、きまりが悪いのとなんとなく恐いのとねそれで見なかった
「でご覧になっていなかったの。そうですか
≪今ちょっと初めて(笑)
「あんな風におっしゃっていたんですけども。そんなに紫さんは死ぬときのことを考えてらっしゃる
≪それはねぇ私娘時代からそう。あとやっぱり生きてくれば必ず死ぬということがあるでしょう。で私ももちろん怖かったですよ若いときは、だけどどうしても逃れられないことだからだからその死に向かって私は生きていたんですよ。
「でもお元気には生きていらっしゃいましてね
≪もちろんそうです。だから死ぬ時にああ幸せだと思いたいと思って
「ああそうかそれをちゃんとした形としてあのなんていうのかしらあげたいとお思いになったんでしょうね。
≪そう。それは若いときからの自分の思いだからね。だからそういうことを思うと悪いことはできない。それから人には親切にしなくてはいけないとかそういう答えが自然に出てきますでしょう。
「正直に生きるということ
≪そうです、自然に生きていきたいと思っていたんです。自然に生きるということは楽ということではなくてあのやっぱり台風が来たり地震が来たりいろんなことがあるじゃないですか。自然の中には。その中でじっとそういうものと向き合って生きていきたいとそう思ってって生きたから今でもおんなじ。
「そうですねぇ。でもずいぶん台風もいっぱい行きましたけども。いまは非常に良いお天気が続いているんじゃないかと思いますけども。ここ何年かはですね。それで何か昨日畑仕事をしてらっしゃるとうがったので、畑仕事をしてらっしゃるんですねてうかがったらとるばっかり、収穫するばっかりに当社いましたけども
≪私で子供が今の孫も全部ですけども、お弟子さんにも子供がいますしそれがどうやってとるの、何がどこにできているのか知らない人がいっぱいいるんですよ。ですからその子供にねぇまず畑へ連れていってそういうものをとらせてやりたいとかそれからもうひとつは猿之助さんに農薬のついていない野菜を食べるチャンスがあまりないですからね、それをやりたいと。
「(写真)今後ろに入っているのがこのとき軽井沢なんですけどもあの左側が紫さんですよね。おんなじようなお帽子をかぶっていらっしゃるので右側猿之助さんなんですけども猿之助さんも手袋をしてらっしゃるから一緒にやってらしたのかしら。
≪やってたんですよ2人できゅうりなどナスなどの
「何かズッキーニを栽培してらっしゃる
≪ズッキーニが好きで好きで好きでね今年もズッキーニをズッキーニばかりずいぶん取りましたよ。
「そうですかズッキーニいためで食べてもおいしいし何をしてもおいしい。不思議なキュウリみたいなものなんですけどもね。このごろ日本でもずいぶん食べられていますけども。そういうものお作りになっているんですけどもでもいずれにしてもどうやって作るのかということはご存じなので紫さん
≪それは知っていますちゃんと畑をやるときにいろいろメニューを持ってきてトウモロコシもなんとかというトウモロコシがいいとかいろいろ種類がありますからそれを自分で注文して
「でも東京生まれの東京育ちでいらっしゃるんですけども戦争中は疎開していらした。
≪疎開してました時にねぇ本当にわずかなところで一生懸命ものを作って作らないとないんですから。
「それはもそうですね。
≪ですからその時は本当に大変な思いをして作りましたしあのダイコンができたときには嬉しかった
「私も小学校の時に学校の先生がねぇあのお百姓さんを先生として今日は畑の先生だからと言って教えていただいてなんか出来た時には小さいものでしたが嬉しかったです。
≪本当にこういうものを捨ててはいけないとかそういうありがたさが身にしみる。
「そうですよで買ってきたものだってねそんなに捨ててはいけないって。でもまあお母様も疎開してときに一生懸命お作りになって。
≪うちの母は上手でしたね。
「考えてみればお母様のというのはお医者さまの奥さんのわけですよね。
≪そうです。
「だけどよくそうやって母親ってすぐにそういうことができるものなんですね。
≪だからコイイレの愛情からそういうことってよく母様はこういうことをなさるなと私でみんなにもいったんですけどもねありがたいと思いましたね。
「だってお父様はお医者さまにいらっしゃるわけですからお母様はお百姓さんではないわけだからだけどそうやって母親というのは子供に食べさせなきゃとかだから今も紫さんは猿之助さんに無農薬を食べさせなきゃと思うとどんどん出来ちゃう。
≪猿之助さんだけじゃなくてみんな今ねぇ家にいる人はみんな若い人たちでね子供ができたのがずいぶんいるんですよ。ですからその子たちにね連れてきてねもぎらしたりとかして(笑)
「ずいぶんいろんなものなんですけどもで今おっしゃったようにトウモロコシなんか出来すぎて何かずいぶん配ったりやなんかをなさったんですけどもあとルッコラとか割としゃれたものがお好きなんですけどもあとバジルとかミントとか
≪ミントはねぇ1年で枯れないんですよね。ですから増えて増えて
「じゃお茶なんかの時に。
≪そうですね。
「後カボチャ、おネギ、ジャガイモ
≪ネギもとってもおいしいです。ジャガイモは去年はだめだったけども今年はとても美味しかったですね。
「そうですかそこのところにお弟子さんがですね軽井沢のお家にけいこ場があるせいか多いときは40人ぐらいいたりするんですって
≪ええきますきます。前からそうでした。前は狭い家なのに困ってね
「でも猿之助さんがお料理を作ってくれる人を抱えているんだっておっしゃっていましたけども
≪それはねぜいたくで抱えたわけじゃないんですけども偶然に家に料番さんで来てくれた人が自分の店がつぶれちゃった人なんですよ(笑)割烹やさんが。ですからそういう道具や何かもあれを売ったら二束三文なんですよ。私もやったことあるから分かるんですけども
「おやりになったことあるんですか?
≪そうですよ(笑)料理屋じゃないけどもあのあそこなんでしたっけ六本木の門でお弟子さんがやっていたのをどうしても自分はできないから引き取ってほしいとそれで仕方なくしたことはありますから。
「そそれじゃご存じなので。
≪ですからそれも本当に二束三文ですからですから勿体ないでしょう。ですからそれをね運んできてでそれでしまってあったんですよ。
「じゃその板前さんも一緒に来てもらって。
≪ええ。板前さんは自分はそういうものをやめるつもりできたんですけども勿体ないでしょうそれだけの修業をした人を。ですから何かお客さまがあったときはその人に頼むとか
「でも人数が多いから全部紫さんおやりになるわけにはいきませんものね
≪ええそうじゃなくて前は全部やっていたんですよ。本当に賄いのおばさんですから。私はそういうときは。だけども板さんがいるけどもその40人のまかないおね板さんにさせるということはもったいないじゃないですか。ですからねその時の方がトブフだからいく品を作るから私はいく品を作ると台所を手分けしてそれで作るんですよ。
「でも紫さんのお小さい時からの夢というものがあって何か白い家があってグリーンが回りにあって
≪そうなの。私がおかしくてね子供の時に白い西洋館に住みたいなと思ってねそれでふっと気がつくといつの間にやらそっちの方へ歩いているらしくて自分がシロを建てたときは白い西洋館だったんですよ。
「じゃあ今の軽井沢のお家というのは白い西洋館
≪それは違うんですよそれはまた後の夢なんですよ。
「それはまた後の夢なので。
≪初めは六本木のけいこ場が白かったんです。
「そうです私も覚えております。
≪それでこのごろネズミになっちゃったけども。
「ねずみ色になった。あれははじめ白かったんですか
≪そうなんです。それから次の夢は牧場みたいに木でかっこってカンカンとたたくとみんなお昼の時に集まってくるような。
「外でご飯なんかを食べられるようにして
≪そういうふうなことをしたいと思ったら牧場まではいかないけどもそういう広いところは少しずつ少しずつ土地をずいぶん10年ぐらいかな忘れちゃったけども少しずつ買って広くした。
「広くして例えば40人お弟子さんが多いときは10人とかいつもいらっしゃるそうですけどもお弟子さんが多いときはそれをカンカンとゴンゴンは今はやっていらっしゃらないの?
≪今はそれはしなくてもとても響くんです。だからご飯ですよというともう全部聞こえてしまう。
「そうか大きい声、紫さんの声だと響くんですね。
≪(笑)
「でもみんなも待ってるしね。あのそんなカンカンなんてなんなくても。カンカンとならすのは表に行っていろんなことやっている人がいるからあれきっとならすんでしょうね。みんなお稽古をしている人とかはねぇ。
≪そうですね。畑にいる人もあるんですよ。夏なんか。そうするとうちのキョウコちゃんってとっても畑の上手な人がまた幸せなことにいるんですよ。その人なんかご飯いりませんって聞こえるんですよ。畑に夢中になって
「畑の中で。またそんな健康的な生活も猿之助さん、紫さんの仕事のちょっと息継ぎができるぐらいのお休みがあったときにいつもそこに行ってらっしゃるそうですけども。その時は本当に猿之助さんもリラックスなさるようですか?
≪猿之助さんのね顔が変わりますね。なんか目がつるし上がって緊張している顔がねそこに行くとえびす様みたい(笑)になってしまうの。
「やっぱりね芝居の時はねぇ。
≪やっぱしねぇこういう時間が必要だなとしみじみ思いますね。ええ
黒柳「まあ若い女優さんとかタレントの方ではないですからその手にしてらっしゃる指輪はエンゲージリングですかとか聞くのは変なんですけども、すごくきれいなダイヤモンドなのでそれはなんなんですか?とちょっと伺ったら
藤間≪これはねぇまだ
「ちょっと見せていただけます。
≪恥ずかしくてそんなつもりで持ってきたのでは
「めったにこんなことはないんですからまあ一応。これが
≪これはねぇあの猿之助さんがねぇずいぶん昔外国に行きますでしょうよく。その時に買ってきてくれたんですよ。それをねぇ私しまってあったんですよ。それで作った。
「このために
≪もすぐに。
「もらいになってすぐに
≪だから前からあるんですよ。
「じゃずっと前から。そのときからそのおつもりだったと思うんですけどもずいぶんきれい
≪そういうつもりはなかったんですけどもね(笑)
「でも分かりませんよ。猿之助さんの心の中にはよ。
≪いやそんなことないと思う。
「でもいずれにしてもすごくきれいなダイヤの指輪なんですけども。猿之助さんという方はあんなに歌舞伎がお忙しくてとにかく大変なんですけどもその間にまあご自分の日記をつけてらっしゃるのはわかるんだけどもすごいの紫さんの日記も一緒につけてくださっているんですってね。
≪(笑)それがねぇ。私の行動範囲がみんなわかるの。だから。自分で書かなければいけないと言われたんです日記はつけなさいと。
「猿之助さんが?
≪うん。ところがねぇ私ずぼらなんですよ面倒臭いですよ。そしたら僕がつけるからいいと。2つ持ってね
「すごいでしょう。いかにいつも一緒にいらっしゃるかということですけどもそれにしてもあのときどうしたんだっけなと紫さんがお思いになると紫さんの日記というのを猿之助さんが開くとすぐさま。
≪あの時あなたはこうしていたよとかでどこどこに行っていたとか、私の今のスケジュールもそうなんですよ。
「じゃあ今日もきっと徹子の部屋にいったって
≪もちろん
「いったじゃないんだ徹子の部屋に来たってご自分でお書きになっているように書いてくださるの。
※猿之助さんが(紫さんの代わりに日記をつけているのに)紫さんが書いたように書いてくれているのかという質問
≪いやそうじゃなくてなんか調べられているみたい。
「そうなの(笑)
≪きょうはどこどこで。何も私の気持ちがうれしいとかそんなに日記ではない
「(笑)それはそうねえ。行動をちゃんとした記録ですね。
≪それで2人離れていると電話がかかってくるんですよ。今日は何したのだかって言われるんですよ。ところが朝やったことを忘れちゃうことがある(笑)だ私は。今日は何やったかなって、自分がやったことを忘れちゃうのとか言われて(笑)ぼけたかなと思ったりして
「それでもちゃんと覚えておいておかないといけないからそれをちゃんと書いてくださる。
≪そうそうスケジュールも今も私全部わからないです。明日何?私聞くんです
「猿之助さんに
≪そう。明日はあなたけいこ用なんて言われるんです。
「でもいつもご一緒の時はいいですけどもね違うものときにはねぇ
≪そういう時はねぇ私にいつもついていいるのにねきつく言っています
「猿之助さんが
≪うん。ちゃんとやってくださいこの人ダメなんですからあなたやってくださいと。
「でもすごく何て言うんでしょうお元気な方なんですね。
≪そうですね
「自分のことで精いっぱいで芝居のことがあったら日記なんて書くところじゃないって普通なのにご自分のも書いてそれはご自分の気持ちも書いてあるかもしれないですよ。
≪それにはね見たことないからね
「まぁなんか書いてあると思うんだけども。その他は紫さんの日記も書いてくださるというからすごいなと思うんです。昔うんと若いときにとっても猿之助さんがねぇ楽しい気分じゃなかった時にねぇ何か紫さんが読んだらって本を渡してくださったんですって。
≪ああ!私は忘れちゃったいたんですけどもねあなた渡したのこれよって私に持ってきたの(笑)古い古い本で。岡潔さんのね本なんですよ。あまりにねちょっと何か自暴自棄みたいに感じられたときがあったんですよ。
「そんな風に
≪感じられてもったいないなと思ったんですよ。その時からあの方はキラリと光っているものがをぇあったからこれをあげるといいなと思って、常々そういうこと思っていたんですよ。それなのにお酒は飲むは何か遊んじゃうってそう感じられちゃったのでなんかはその読むチャンスをと思ってマンガの本なんてその時分ないしそれでちょうど私のところにあった本をたまにはこういうものを読んでみたらと渡したその覚えはあるんですけども。
「そしたら何でこれをくれたのってその時お聞きになったら紫さんは忘れてらしたそうですけども「だって勿体ないから」とおっしゃったっていうのをちゃんと覚えている
≪そういたかもしれない。
「そうなんですって
≪もったいないと思ったんですよ。この人が変な風になっていったら
「この本でも読んでくれたらちょっと思って。
≪そう思ったらしい
「全部お忘れなんですけども猿之助さんは全部覚えてらっしゃると
≪本当に恥ずかしい
黒柳「そのお勧めになった本は岡潔さんのを本をお勧めになったそうです。でも数学者だけどもすごくあの方の本おもしろかったでしょ私も若いときに読んだというか面白いと思った。
藤間≪ムヨウとかね
「物の考え方とか。。それであなたのこともったいないからとおっしゃってくださったことを猿之助さんはずっと忘れなかったと。それからあのさっきもおっしゃっていたけども今の猿之助歌舞伎というものを立ち上げて本当にうまくいったのはいろんな方がいらっしゃったんだけどもやっぱり紫さんの力が多かったとおっしゃっているんだけども
≪そうですか、それは自分ではあまり意識はしてないんですけど高をにって彼がやりたいことはこういうことをやりたいんだということをわかると私それに向かって一生懸命で手伝っただけですよね
「でもそのお手伝いが、あそこ女方もいらっしゃるんだけど歌舞伎の女方のように小さいころからけいこはしていらっしゃらないけどいい女方の方もいらっしゃるでしょう。
≪そうです。もったいないですからそれこそ。私すぐ勿体ないという(笑)
「そうそういう方の女方に関してはなんかわりと紫さんが任せられていらっしゃって。
≪そうです。ですけどねぇそれを私であんまりね公表をしたくないしいまでもそうですけどもただやっぱり一人ひとりに個性があってですねぇ、非常に透明感のある笑也(えみや)さんなんていうのはそういう人だし
「笑也さんって笑うと書く人ですよね
≪それから笑三郎というのはこれは本当に古風な顔もねぇちょっと洒落のような
「そうですねぇ本当にみなさんきれいなお顔ですよね
≪そうですねああいう顔をしていますしね
「春猿さんという方もいらっしゃいますね
≪春猿さんという方は不思議な色気のある人なんです。
「本当ですね
≪たくまずしし不思議な色気のある方ですから。それから下に段治朗さんという人も何か
「今の春猿さんの下にいる男の方がそうなんですけども
≪一生懸命やればスター性があるし、
「(カメラに向かって)もうちょっと前によっていただけます1番左側の真ん中の男の方です。この方ですね。そうなんですか。色っぽい
≪ですから色気があるんですよね。ですからそういうのを私がなんとかして引っ張り出したいという
「ご自分のあのあれでしょうお弟子さんも紫派藤間流
≪そうですそれはねぇ男ももちろんいますけども女の人が多いんですよ。
「お弟子さんが。
≪ええ。またその女の扱いはまたちょっと違うんですよ(笑)
「なるほどね一応その歌舞伎をおやりになるときに猿之助さんはまあとにかく脚本をいろんな方にお頼みになったりご自分でお書きになったりすることもあります?脚本
≪あのね昔はね全部自分でやったんです
「そうですよね。ご自分で
≪ひげもじゃらになって。今はですごくねぇ右腕になってやる人が
「いらっしゃる。それからお衣装のこと有名ですよね、とても良い衣装の方がいらっしゃる
≪毛利さん。
「毛利さんという方がいらっしゃって。それから後装置のことそれから配役のこと演出のこと全部をやって自分がご出演ということになるから本当に猿之助さん大変でしょう。
≪ですからそういうねアサクラセツさんもねぇ私ととても親しいもので、そうですからまず最初に朝倉さんを引っ張ってきたんですよ。そこからでいろいろ始まって
黒柳「あの11月13日に心配してらっしゃる若手の方たちの歌舞伎がありまして11月13日に文京でシビックホールで笑也さん笑三郎さん春猿さんさっきのチラシありましたみなさんこれにお出になりまして右近さんもお出になって若手の義経千本桜というのを文京シビックホールでございます。それからご本人の明日から新馬演舞場
藤間≪ちょっとしか出ないんですけどもあとクニちゃんとヤエコさんが大活躍するんですよ。
「花たち女たちという
≪だから見てやってほしいんですよ
「大変ですねぇあちこち面倒を見なくてはいけない人がいっぱいいて(笑)
≪ええ大丈夫です。
「なによりです
≪まあそれだけですね
「何か女ぽくおなりになったってご自分でも思うんですって?
≪ちょっとねぇ(笑)