本日の徹子の部屋ゲストは上妻宏光さん

2002年11月13日

黒柳「上妻宏光(あがつまひろみつ)さんとおっしゃいます。津軽三味線の名手でいらっしゃいます。よくいらしてくださいました。このごろは格好のいい方で津軽三味線が本当にお上手な方が何人もいらっしゃるということはびっくりすることなんですけども。あなたも驚いていらっしゃいません?そんなにいっぱいいるって。いっぱいでもないけども

上妻宏光≪あの古典は昔からひいてた方は若い方はある程度いたんですけども。新しいジャンルこうやるということでいえば最近本当にずいぶん増えていると思いますね。多く若い方が

「そうしかも津軽三味線という非常に技術的に難しいものをすごい高度な技術で弾ける方がいらっしゃると言うので驚いて、特に若い方なのでね。ただあなたなんかは昔から6歳からをはじめになったそうですけど友達はやはりダサイというんだって

≪ダサイというかご年配の方がやるというイメージがすごく強かったんでしょうね。同世代の方は小学校のとき。子供のけんかをしているときに何かおまえ何でおじいちゃんくさいことをやっているだって言われて。それから余計に三味線を習っているということが言えなくなっちゃって。

「みんなに隠しちゃう。茨城の出身なんですよ。このごろ本当の津軽の方ではない方がいろんなところで多いんですよ。だから逆にいうとそういうにおいがないと言われちゃったりもするかもしれないですけども

≪それはあります。

「あるやっぱり

≪現状でもあります。でもあの自分が青森を訪ねてそこで感じたものを表現できればいいと思いますし古典じゃない自分を三味線のフィールドというものを作りたいと思っているんですね。をいをいをだからその三味線というのは日本海しか元々なかったものがもっとジャズとか、ブルースとかちょっと違う位置を使ったりとか使う音を変えることによっていろんな世界の民族音楽とか音楽ジャンルと演奏できるのでそちらをどんどん広げながら

もそれをきっかけに古典というものを皆さんに聞いていただければいいなと思っています

「またこの方がね格好がいいんですよ。ちょっとVTRで皆さんにご覧いただき、まあ演奏はしていただくんですけどもそのジャズとかそういうものを皆さんと一緒に演奏してらっしゃるところがあるんですけどもそういうときは立ってやってらっしゃるんですからこれはほとんどギター状態ですよねぇはっきり言って。

≪そうですね。

「ところがこれをギター状態に弾くということは並大抵のことじゃないですよね

≪バランスが全然違うんですよね。三味線をこう思っていると普通右手で抑えられるぐらいちゃんとおさえるです。

「(ひざ)この上にちゃんと載せていないとね

≪そうです。それが立ってひくとこっちにバランスが行ってしまうんですね

「重くなってね

≪だからもう全然

「ギターというのはもともとかついでやるようにある程度できているんですけどもこの三味線を今みたいにかついでですね格好よくおやりになるというのはすごいなと思うんですけども。お父様はサラリーマンでお父様がもともとやっていらっしゃった

≪はい父親は趣味で三味線をやっていましてその音を聞いて習いたくなったんです

「そうなんで特にお父様が途中から津軽三味線に変わったときから

≪そうなんです最初細い方の三味線をやっていたんですけどもその知人の紹介で津軽路三味線をなっらたらどうかということを言われてそれでその習いはじめて家で練習している音を聞いてビビッときたんですよ。

「そのビビッときたのが才能とうまく結びついたと思うんですけどもそれにしても何とか触ってみたくてお父様が会社に行ってらっしゃるときにちょっと触ったりなんかして

≪そうですねぇ楽器がやはり高いものですからなかなかこう触らせてくれなかったですね。壊したらまた修理代がいくらもかかってしまうというのがあるので、だからどうやったら引けるのかということを考えて父親がいないときにこう隠れて練習したりしたんです

「そうなんですよ隠れて(笑)。お父様にしてみると誰かがいじったということは子供だからうまくね

≪うまくやったつもりでもなかなかでばれちゃってそのへんは

「6歳からそれじゃということでお父様も楽器を用意してくださってそれでも今写真がありましたよね皆さんね。バイオリンは小さい子供のは何分の1というのがあって小さいのがあるんですけども、三味線はないんですってね子供用のが

≪ないですね。殆ど上の方を引こうと思うとぶら下がっているような

「そうですね手があがんないでしょうねあんな高いところまでね。高い音を出そうと思ったらね

≪よく弾いてましたけどね。

「よくだけどその時は下げて弾くことになるんですかね。

≪いやもうこのままで

「このままで

≪背伸びしながらやってましたから。

「背伸びしながら手を伸ばして。それしかない。お父様は初めやってらしたんですけどもだんだんあなたに負けていってその時お父様はサラリーマンなんですけどもこんな格好なすって太鼓になったんですね。(三味線を弾くのをやめて太鼓を引いた。)

≪いやいやいやいや(笑)太鼓じゃないです。これはちょっと自分の師匠の方の会の発表会で親子共演ということでだったんですけども。

「そうなんですか。

≪父親が本当にけいこ場自分が行って「お父ちゃん音が狂ってるよ」とか、言い出したら回りのいろんな男のプライドもありますから「馬鹿野郎!そんなこと言うんだったらやっていられねぇ」とか話になる。それで自分が小学校3年生ぐらいのときに父親はやめてしまったんですけどね

「なるほどね。いろんなものがあるんですけどもきょうはビデオテープが本当にいっぱいあるんです。

≪お恥ずかしい(笑)

「とにかくまあどんなに格好がいいのかということをですねあとで日本のものもひいていただくんですけども西洋楽器と一緒にドラムスとエレキベースとキーボード。そういうものでやってらっしゃるVTRがあるんですよ。まあそれをですねギターのように軽々とまたこれが重い楽器なんですよね。

≪そうですね

「何だってこんなに重いのかと思うぐらい重いですよね。これ持たしていただいたことあるんですけども

≪そうなんです。

「頭の上の方。そのVTRをちょっと皆さん、格好いいんですご覧ください。~VTR~すごいこういうことをなさるんですよ皆さん。こういうことをできるのは技術があるからだと思うんですけれども、とにかく3歳からおやりになってですね三味線コンクールにお出になって13歳のときに全日本津軽三味線競技大会で優勝なさいました。

≪はい

「10代でこれで優勝した人は初めてだと言われた。

≪そうですねいまだに多分14歳で優勝した方というのは多分いないと思いますけども。【写真】これはまた別の大会だったんですけども

「その後大人になって22歳、23歳と続けて津軽三味線全国大会で優勝なさいました。

≪はい

「これはまぁ大人になってからでねぇ。これだけ弾くのには1日どのぐらい勉強なさったかとわからないですがだいたい自分が1番やりたいと思うときの勉強は1日何時間ぐらいなさったんですか?

≪そうですねあの1番練習した時期というのは6歳から10歳、11歳ぐらいまでだと思いますその間は時間があればずうっとひいていましたね。

「何かテレビを見ていても両手を使ってご飯を食べるとき以外はもテレビを見たりラジオを聞いたり何もして目だけ使っているときはもうそれでも弾けたんですってなんでも。

≪そうですね。夕方と学校から帰ってきてひいてで母親がご飯を作っている間にドラえもんとかを見ながら

「かわいいわねドラえもん(笑)

≪引いたりとか。まあ後寝る前ですねご飯を食べた後にひいたりとか時間があればずっと弾いていました。

「だからも本当に楽器が自分のものになっているというか自分の体にちゃんと身についた。それであなたは小さいときにですねチビッコ天才大賞というのにお出になってこのテレビ朝日で。そこで優勝したんですって

≪そうなんです。

「小さい当時あなたが何歳ですか?ね

≪10歳とか11歳ぐらいとかそのへんだと思います

「チビッコ天才大賞というのにここで優勝なさっているんです。その後あなたタイムショックというのにお出になったでしょう

≪そうなんです夏休みの子供大会というのがあったんです

「子供大会というのがあったんですか

≪そうなんです。そこで出演させていただきました。

「クイズが1曲ちゃんと答えられると1曲弾いていいという。何かすごいんですけども。あの実はですね山口たかしさんという方が司会をしてらしてVTRがあったんですよ皆さん

≪え!

「これが1985年だそうですから

≪ちょっとモザイクをかけていただいて(観客笑)

「ですからですねあなたは12か13

≪そうですね何歳かちょっと忘れてしまったんですけども。

「だから12歳13歳

≪今は29

「はいそうですかだからそのようなものですね。そのVTRがなんとこの局だったんで12歳だそうです。あったんでですね皆さん当時からどんな少年でありですねこのときは自分はもちゃんとした三味線を弾く人になろうと思ってらしたの?

≪いやまだその当時はなかったと思いますね

「とにかくまあタイムショック私もあのとっても懐かしい感じがいたしますよね。だって20年近く前なんですからね。

≪そうですね。

「ちょっと見せていただきましょうか。この方がお出になったタイムショックです。~VTR~すごい(拍手)

≪こっちのときの方がうまいかもしれないですね

「いやいや。小学校6年生くらいですかね?

≪う~ん多分そうだと思います

「栄養たっぷりの元気良さそうな子(笑)

≪ブクブクしてもおかっぱ頭でですね

「可愛いですよね。まあとにかくこの局の放送なのでよく残っていたと思いますよね。

≪そうですね。まぁうちの両親もいろいろとそういう資料を取っておいてくれたんですけどもありがたいですね。

「でもああいうのはね。だいぶ前ですので。これもまたあなたの中にね資料の中にね加えて

≪宝ですよね。

「ねぇ。やっぱり自分が昔どれぐらい引けたかとかどんなかだったかとか記憶の中のだと分かりませんものね。

≪そうですね。

「まあこういうことがありましてですねそれでまぁまた一生懸命一生懸命おやりになりまして。あ!このタイムショックの帰りにあなたはもう全然余裕シャクシャクで今ちょっとねもずいぶん上手にひいてね帰りになってね何か浅草を通ってお父様とお帰りになってそしたらそこで。

≪そうですねぇ、あの民謡酒場というものがあってそこでショーとかいろいろやっていたんですね。プロの方がひいてそれでその前までは茨城ではそんなに引ける子供ってそんなにいなかったんですよね自分より。だから今態度も大きかったですけども天狗になっていたんですよね。

「そうそうそうそうこんなのを簡単だよ僕はって。チャラランチャラランって

≪そしたら東京に来たら一流の芸のレベルというものを知ったんですよね。

「そう、その三味線酒場というか、浅草で

≪浅草で。それでそこで思いきりおられてそれから大会に出て自分はどれくらいできるのかということを試そうというふうに

「それからだんだん民謡酒場っていうんですけども。そこでだんだんだんだんいろんなものにお出になっていったんですけども。でもまあさっきの13歳のときにあれのちょっと後にタイムショックの後に全日本津軽三味線競技大会で優勝していらして10代では今でもその記録は破られていないそうですけどもそういうのにお出になってだんだんだんだん津軽三味線全国大会で22歳、23歳で連続優勝というようなことで認められていいらっしゃるんですがそしてコマーシャルをはさみましてこちらでちょっと三味線を弾いていただきたいと思いますのでご用意よろしいですか、こういうのはすぐに引けちゃう?

≪いやちょっと準備させてもらって

「じゃちょっとコマーシャルです皆さんちょっとコマーシャルです

黒柳「上妻宏光さんにこれから演奏していただくんですけども津軽よされ節というものだそうですけどもその22歳、23歳で連続優勝なさいました時の2回目にお弾きになったんですけども、この津軽よされ節で優勝した人というのは今までいらっしゃらないですって?

上妻≪ええ、そうですねまだいないですね。

「ジョンガラ節が多い?

≪はいそうです。

「派手な感じがする

≪そうですね。すごく派手な曲調ですよね。

「よされ節というのはちょっと地味なんですけどもそれだけに難しいということで1回目に優勝していくのはちょっとプレッシャーがあったので2回目はプレッシャーに勝ちたくてまたこのよされ節でお出になったというところもあったんですって

≪そうですね。そういう気持ちもありました

「まぁそれで優勝という2年連続すごいんですけども。じゃ津軽よされ節をお願いできますかお願いいたします

≪~演奏中~

「(拍手)すごいですね。大変なことだと思いますよこれだけお引きになるのそれで今の鉢の方があのたたくだけではなくてさくったり、こすったりなんていうんですかね(笑)私言葉分かりませんけども

≪そうですねさくったり擦ったり

「滑ったりしゃくったりたたいたりといういろんな方法があってそしてアレなんですよね鉢のはじの方がもう拷問器具のようにですねちょっと持っていただいていいですか。

≪鉢だこというのができて

「すごい。鉢だこ、これが鉢だこです。ちょっとそこにいいですかここのところに拷問器具のようにですねあれがこうあれがはいるんですからちょっと見せていただいていいですか

≪はい。

「ちょっとそこに入れてみていただけますか。こうなるんですよここのたこのところに引っかかるぐらいになるんです。それでちょうどいいぐらい。これがこのぐらい大きくないとすべちゃってダメなんですって持っているときに

≪そうですねだからすくったりするのでこういうふうな形で持ってしまってはダメなんですよね。やはりこう小指をこちらにかけて

「真四角なものなんですよね硬い。

≪そうですね

「(バチの素材は)水牛かなんか何ですか?

≪これはそうなんです。

「これすごいでしょう皆さんヨウカンのような厚みを見てください。こんなですもので。これを力任せにやればあんな大きなタコもできますよね。小さいときは座っているとこんなに上に出ていましたけども今はやっぱり大きくなると不思議なものでね当たり前のことですけども

≪おかげさまでちゃんと一応大人になりつつあるので(笑)

「ねぇちゃんとここのところにお背えが高くていらっしゃるんですけどもここのところにいい案配にでこういうふうに来ていたのはいいんですけども。まあそれにしても今おっしゃった津軽よされ節、これで優勝した人は今までいなかったというぐらい難しいことは難しいで

≪拍子がちょっと特殊で3拍子、8分の6拍子でこうちょっとなまりがあるんですよね

「そうなんですよねちょっと風景なんかを考えながらやるとね私青森に疎開していました

≪あ!そうなんですか。

「あなたの茨城もそうですけども風とか雪とか降っているねあのビュービュー音のしているところでこの皆に聞こえるようにこの音を出すというような

≪そうですねあの青森の方も敷居も体験したいということで冬場に行ったり地吹雪を体験したりとかあの秋に行ったり春に行ったりいろいろあおもりができるだけ四季を感じてそれを自分なりに表現したいなと

「なるほどねそうですよね。雪が降っていなくても死ぬほど寒いというところもあれかんからに寒かったんですよ。私の行った所も三戸というところは雪が積もらないですけど、もう朝起きてやかんに手をついたらやかんに皮がひっついちゃうというぐらいのやかんそのものが凍っちゃってるんですよね。何かわからないですけど。そういうところですからねそういう中でできたものですからこれぐらい強くないとだめなんでしょうね。

≪そうですね。

「はーでもあなた本当に上手ですね。びっくりしちゃって

≪僕もプロになりたいと思います。

「まあ外国のジャズの方にもまざってやったりなんかされているんですけども、まあ津軽じょんがら節というのも聞いてみたいなという方もいらっしゃると思いますのねちょっと短くてもいいですけども、いや今はいいですよコマーシャルをはさみまして津軽じょんがら節をみなさんよくお引きになるものですけどもお引きいただきたいとちょっとコマーシャルです

黒柳「上妻宏光さんせっかくお越しいただいたんですからちょっと短くていいですからいわゆるじょんがら節というのもどん何違うか

上妻≪はい~演奏中~

「(拍手)やっぱり確かによされ節で優勝した人はいないというだけあってこのほうがジョンガラ節の方がのっけから派手といいますか技術を必要とするのがよくわかる。

≪あのじょんがらも曲引きもう本当に人によって違うので静かに入る人もいろいろタイプがあるんですけども

「そうなんですか。でもこういう楽器だからこそジャズとかブルースとかそういうものにあうんだというところがあなたの中にはあるんですって

≪そうですね。ニューヨークとかニューオーリンズに行ってジャズの方とかブルースの方と一緒に共演させてもらったんですけども本当に日本で使っている音にちょっとアレンジをこうひとつの音を足すことによってそういうこともニューヨークのジャズクラブに飛び入りしてあのセッションさせてもらったりとかをしてきたんですけども、あのですね形にしたいということであのまま今回の先ほどのアルバムに関してもこう三味線の幅をいろいろ広げてもらってそれを資料の作品として残したことはよかったなと思いますね。

「なるほどね。あのやっぱり外国の方はこういう楽器を見たことないしそういう音が出ることもびっくりたまげるいうことだと思うんですけども。またするだけの技術がすごいと思うんですけども、これは2枚目の(アルバム)方?

≪はいこれは2枚目ですね

「2枚目のCDですね。ご自分の作曲したものをさっき西洋楽器と一緒になさったFUNという曲が入っていてこれがまぁ去年お出しになりましたデビューアルバム。これはアレでしょう第16回日本ゴールドディスク大賞純邦楽アルバム、純というのは純粋の純ですね。純邦楽アルバムオブザイヤーに選ばれていらっしゃいます。(アルバムのジャケットの話)まあちょっとねはだしで靴を履いてちょっとしゃれた感じでやっているけども涙ぐましい努力がなければあれだけ弾けないという2枚上妻宏光さんのCDが出ているということなんですけども。さっきちょっとアレを変えることによってブルースにもなると言ったんですけどもそれをちょっとやってみることってできます?

≪ええ。ええジョンガラと今つかったような音階にハンを加えるとですね~演奏~なんとなくわかりますかね。半音。という感じですね

「わかります。なるほどであこれはをかなり音楽がわからないとアレですねやはり西洋音楽。あなたはピアノもやっていらっしゃった?

≪ピアノはほとんど独学でブーニン。ショパンコンクールのブーニンとかを見てですね

「ショパンで

≪ショパンでこの曲を弾きたいと思って、でそれも次の日にすぐに譜面を買ってきてそれでちょっと五線譜を勉強して独学で手を右手から左手をやって両手でバランスよくやって

「皆さんそんなことやってショパンが弾けるものじゃないですよ。私は5歳からピアノをやっているんですけども猫踏んじゃったがやっとぐらいなんですから(観客笑)まぁやっぱりとても才能がおありだったと思うんですが。いろいろ聞いていただいていまだ番組は続きます。ちょっとコマーシャルです

黒柳「まあ今でこそいろんなお仕事があるんですけども

上妻≪はい

「ひところは本当にこの三味線で食べていくことは大変でずいぶんアルバイト

≪そうですねぇアルバイトもしましたし東京に出てからほとんど独学でやったもので仕事のつてというものがまずなかったですね。自分でそのへんを開拓していかなければいけないという状況だったので、なかなか仕事というものはそう簡単にはなかった、取れる方ですね。

「ねえ。料亭とかに行ってそういうところで弾かしてもらったりとか。

≪あります

「ギターとかそういうものはみんなが歌えるからカラオケとかだけども三味線じゃ歌えませんからね皆これじゃ。

≪そうですねぇなかなか難しいですね

「カラオケにはならないので。まあそういうところででもおなかが空いているときも随分あったそうですよねぇ。食べられなくて本当におなかが空いて

≪もうぎりぎりの時もありましたね。

「でもそういうときも家に帰ってしまおうとは思わなかったの?やっぱり

≪あのそれは何度も実家に帰って休むこともありましたけどもやっぱり地元に帰ろうということはなかったですね。

「そうですか。これからは外国でのいろいろ予定もおありのようですし、世界の人に三味線というの

≪そうですね寿司とかカラオケと同じくらいに

「そうですね

≪通じるぐらいまでにこの楽器をメジャーにしたいと思います。

「そうですよね。やっぱり楽器、三味線ぐらい覚えていただかないとやっぱりねぇ。私たちだって外国の難しいことも覚えているですから。

≪そうですね

「世界に出て行っていただいて本当に格好のいいところを見せていただきたい。本当に今日はありがとうございましたご成功を祈っています

≪ありがとうございます

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