本日の徹子の部屋ゲストは崔洋一さん

2002年12月18日

黒柳「崔洋一さんです。よくいらしてくださいました。それにしても月はどっちに出ているという映画は賞を53お取りになったというんでよくそんなに賞がたくさんあるもんだって申しましたらば数えてないけども53よりもっとだったって(笑)。ちょっと傲慢かなとおっしゃったんですけどもそんなにたくさん賞というものがたくさんあるものなんですね。

≪いや本当に日本の中で大きな映画祭から小さな映画祭までも本当に把握しきれないぐらいあるそうです。中で調べた方によるとね500まではいかないが300以上は確実にある。

「すごい。そんなにあるんですか。

≪映画祭だけで。

「あら知らなかったそんなにあるんですか。やはり映画お好きな方が多いんですね。そうしてみると。この頃映画が入らないとか皆さんおっしゃるけどもそんなことはないですねそんなにたくさんあるということは。

≪好きな方はいらっしゃるんですよね。それがなかなかうまく広がってこなかったというのがこの頃辛い歴史ではありますけども。

「まあ私はこのごろはビデオでいろんなものを見ているんですけどもたまに映画を見るとやはりこの大きなスクリーンで見るといいもんだなと映画って思いますものね。

≪そうですあの劇場の中でスクリーンと一対一で見る。たとえデートで行ったとしても映画に没頭するとデートのことちょっと忘れて映画に集中するようなことってやはり僕ら体験的にあったと思うんですよ。

「家で見ているとどうしても途中で話をしたりですねちょっと止めてお茶を持ってこようとかいろいろあるじゃないですか。でも映画館に行くと集中して、だけどこの頃映画館の中でもしゃべっている人が多いんですよあれ家でテレビを見ているくせだなと思うんですけども。大きい声で。でもまあとにかく静かでずっと集中してみるというのはね映画館

≪とても入りやすいと思うんですよね。体にはとてもしみ込みやすい

「それから忘れないですよねぇみたらやっぱり。

≪やっぱり映画って不思議なんですけども人にいろんな記録を与えるような装置のような効果をもたらすような存在だなと思いますよね。

「そうなんですねビデオだってもちろんそうなんですけどもやっぱりあの大きなスクリーンの中で集中して見ているというのはそういうことなんだなととても映画この頃みて。とにかくそれにしても数えただけでも53。それは毎日映画コンクールの賞だとかブルーリボン日本アカデミー賞そういう監督賞作品賞。作品賞なんていうのもすごいですけどももちろん主演の男優さんたち俳優さんたちもそういうのも全部入れてですけどもまあ53以上の賞をお取りなった映画をお作りになったんですけども。1番最初が友よ静かに。

≪いやもうその少し以前にですね83年ですからだいぶ前ですね内田裕也さんが主演なさったジュッカイモスキートあれが僕の劇場用映画のデビュー作なんです。

「そうなんですか。でもその前に愛のコリーダの大島渚さんの

≪チーフ助監督をやりました。

「もうこれは若いときでんチーフ助監督としてはずいぶん抜てきのチーフ助監督だったんですって。

≪ええ多分驚異的な速さでなれたと思いますね。だから25の時に大島さんにお会いして26がちょうど撮影の最中。日本で上映されたときには27ですから足かけ丸2年ぐらいコリーダにかかわっていました。

「愛のコリーダもう26年前のことだそうですけども日本でもすごかったですけども外国ですごかったんですねあれは。

≪そうですねぇあれで一気にやっぱりそれまでの先鋭的な仕事大島さんがなさっていてカンヌ映画祭でも非常に注目されていたけどもあれでガット世界中の人が大島という名前を知るようになったと思いますね。

「でその後で戦場のメリークリスマスになっていくわけですよね。それにしても非情に大抜てきだったんですけども大島さんはとても恐い方で監督としては。

≪恐いですね

「本当に?

≪恐いですね。あの僕も比較的大島さんにつく前にチーフ助監督になっていたんですね。あのなんていうか23の時になっても生意気の盛りです本当に。

「23で助監督じゃねえそれは生意気のチーフ助監督で。

≪もう怖いものなし世の中に敵はなしというような風情で大島さんにお会いした、そしたらやっぱりねぇなんて大島さんのこの眼光の鋭さというか言葉のひとつひとつの選び方というのかなもの凄い緊張しましたね。

「だからこのいろんなスケジュールありますよね。助監督ですからお作りになると「君のスケジュールには思想がない」とか言われたんですって。

≪言われました。

「思想がないと言われちゃうと本当にねぇ。

≪こたえましたね。チーフ助監督というのは映画全体のスケジュールを作るんですけどもね僕はそれまでスケジュール作りがうまい助監督という評価もあったんですけども非常に合理的なスケジュールを監督このようなスケジュールでいきましょうと出したらねふっとさーと見てね今の言葉ですよ、君のスケジュールには思想はないね催君。そこで思想と言われちゃっても困っちゃうなぁと思ったんですが、ただひとつだけ褒められたことがあってその愛のコリーダという作品をもちろんよく皆さんがご存じのようにハードコアですよね。性愛を極限まで描こうという。

「言ってみれば阿部貞といわれた人のね。

≪阿部サダと吉蔵の恋の物語り。ある意味じゃそのなんでしょう人間の愛と憎しみがもウワーと集中したような物語でしたのでその性愛場面を僕は初日にすえたんですよ。怒られた後。君のスケジュールには思想がないねと言われた後。何が思想だと思いつつじっくりとやっぱり考えたら僕たちはもちろんそのある意味では純愛というものからスタートしないそのプラトニックなことがあって肉体関係まで結ぶというような映画ではなかったんで。いきなりやっちゃう。要するにクランクインの初日にそれをドーンと据えたんですよ。それをほめてくれましたね。

「俳優としてはちょっとアレですよね。

≪つらいでしょう。

「つらいと思いますよいきなりそのシーンからですから。

≪大ラブシーンから。それをほめてくれました。なんというかはその映画の骨という部分をこう参加したスタッフと役者たちがどう理解してどう受け止めるのかということは君がスケジュールで示さなければならないということ僕にお教えになった。

「それが思想がないということでしたか。それからやるとみんながそうかそうなんだと。この映画はそういう映画なんだと思って最初から緊張して

≪構えの中で仕事を進めるということだったと思うんですけども。

「たまたまですけども私あれの裁判記録を昔若い時に読んだことがあるんですよ。それでものすごくびっくりしちゃってね安倍貞の事件。この映画とは直接は関係ないかもしれないですけどもその時にこういうことだったのかと。その切り取ったものを持って歩いていたということで非常に猟奇的に言われたんだそうだけどもこういうだと思ってでとってもお出しで胸が若いときでしたけどもね胸が痛んだ記憶があるでねとても関心を持っていたんですけども。

≪あの僕ねだからね出来上がっていわゆるノーカット版を見ているんですけどもねえ、やっぱり撮影時に持った緊張感というものがなかなか解きほぐれなくて。普段であれば作品の評価を自分の中でできるんですよ。まあいろんな監督にお仕えしましたから面白いとこ面白くないところ。やっぱりねぇ何か僕は失敗していないだろうかという自分自身の自己点検に忙しくて安心して見れてなかったですね。

「なるほどね。

≪最初の試写の時には。そういう意味でもまあ僕はある意味ではその映画界にかかって大きく変わる節目の作品だったのは間違いないと思いますね。

「なるほどね。まあ外国までわざわざ日本人の方がいらしてノーカット版を見たいという方がねぇずいぶん

≪まあね(笑)ちょっとしたブームになりましたものね。

「そうなんです。あったということなんですけども。そのとき26歳で助監督、チーフ助監督。何人もいらっしゃるんですってね助監督の方ってね

≪そうですねぇちなみに愛のコリーダの時は4人いました。全員僕よりも年上の方だったんです。

「そうですかじゃ随分ラッキーでいらっしゃって。それからいろんなことがあるんですけども松田優作さんと一緒にあれは焼酎のコマーシャルを一緒におとりになった。

≪そうです。あの焼酎のコマーシャルを5年間やっていました

「(写真)お二人ともででいらっしゃってこういうのですよね。で松田優作さんと

≪これはマドリードですねマドリードに一緒にロケに行ったときですね。あのこのね焼酎のコマーシャルはほとんど外国で取っているんです。され最初の一本目だけスタジオなんですけどもあと全部外国で

「右側が松田優作さん。

≪左側のヒゲで

「そうですねひげで。(頭の)毛がずいぶんたくさん

≪あの今と比べるとよくわかるんですけどもあのころのヒゲ今の僕のヒゲというのはですねえいっぱいあるし黒いです。

「そうですねぇ。

≪今僕も完全にまばらで白くなっちゃっていますから。

「お顔もちょっと違うような感じが(笑)

≪だいぶこう今よりは縮んでいるんです(笑)

「なるほどでもまあ松田優作さんと一緒にそんなにたくさんおとりになった外国が主だったそうですけども。いい経験をなさいましたよね。

≪おもしろかったです。

「とても気があってらしたんですって。

≪そうですねあのなんですかねぇ僕が引っ越すたびに彼の家が偶然近くなんですよ。意図的じゃないんですよ。でまあ彼がうまくなったときは最後の家の時には僕が住んでいた所と歩いて3分ぐらいのところでした。まったく偶然でした。

「そうでいらしたんですか。

≪だから近所では照れくさいんでわざわざ銀座とかね青山とか麻布とかでわざわざ待ち合わせて飲んで帰りも別々に帰るんです(笑)

「(笑)あまり近いから

≪バカみたい。

「近いのでね、本当は女の子だったら一緒に帰りましょうというところですけども男の方ってそういうところがあるのかもしれない。それから大島渚監督がご2人病気になってからそれから頑張っておとりになったご法度。あのご法度では俳優としてお出になってらっしゃるんですね。

≪はい。まあ新選組の話ですので近藤勇みをやらしていただいたんですけどもね。大島さんというのはある意味ではひとたらしというか大変魅力的な

「(写真)これはカンヌ(映画祭)。

≪カンヌですね。カンヌで正式上映。

「正式の上映

≪奥様の小山さんがおうつりになっています。正月の1日に電話がかかってきたんですよ。あのそういうことってあまりなさる方ではないんですけどもね。

「元旦に

≪元旦の夜8時。何となく予感はしたんです。なんとなく大島さんかなと思ったら大島さんで実は僕映画を撮る。いやそれは存じ上げています僕ができることは何でも応援しますからと行ったら。「うん実はだね役者にはできない仕事があるんだ君」。何か禅問答みたいなこと始めるんですよ。何をおっしゃってるんだろうこの方はと思って一軍の商というものは君ね一軍の商人にしかできないんだよ。君に近藤勇をやってもらいたいんだけどもどうかね?とこうくるんですね。

「俳優としてはいままでは?

≪友人の作品にただ座っていろとか前を通過してくれとかいうようなことはありました。ただそのときに一言ぐらいサービスでこれを行ってとか言われて喜んでまあいわばアマチュアイズムに返ったみたいで喜んで出たことは何回かあったんですけども、こんなふうに本格的

「しかも新選組の映画で。

≪まさか近藤勇とは思わない。普通言えないですよ一軍の商を演じるには1軍の商でなければならないと僕を大変ほめてくださったわけですからね。

「そうですよねぇ。

≪びっくりしましたそれは。

「でもお引き受けになって。

≪はい。

「いかがでしたおやりになってみて。

≪あの大変おもしろかったです。あの普段はカメラのわきとかカメラの後ろから役者たちの芝居を見ているわけなんだけども、いわばカメラの向こう側に行っちゃったわけじゃないですか。監督をやっているときの何かこう特殊な神経の張り巡らすような過敏になる神経になるのかなと思ったら意外や意外に楽だったんですよ。

「じゃあってらっしゃるじゃないですかね。

≪何かこう出たがリヤの部分がすごく出たのかもしれないですけども。とても気持ちよくて毎日毎日が楽しくて撮影が永遠に終わらなければいいのになと途中で思いました。

「そうですかそれがカンヌの正式招待作品におなりになってさっきのお写真のようにねあの本当に大島渚監督の奥様もああやっていらっしゃってあの時お立になっていらっしゃってどんなにうれしくていらっしゃったでしょうかね。

≪嬉しかったですね。

「まぁ本当によかったと思います。でもそれにしても映画にはそうやって役としては大きい役は初めてだそうですけどもテレビにはとってもたくさん出ていらっしゃる方でですね

≪(笑)

「テレビのおもいっきりテレビのレギュラーで何曜日かにずっと出てらっしゃる。それからあの野次馬ワイドという今年の4月までこの局でやっていた朝のやつにも出ていらっしゃいまして。あのNTVのズームイン朝というビデオ審査員というやつに出ていらっしゃって。後TBSのラジオで夜10時から金曜日ですけどもニュースとかそういうの

≪アクセスという番組。

「それからNHKの日曜のラジオマガジン

≪日曜ラジオマガジンというのにも

「映画のお話しとかで出ていらっしゃる。あとその他にASAHI芸能に2年間コラムもお書きになって来年からですからね東京新聞にもまたお書きになる。

≪はい。書きます。

「それだけ人前にしょっちゅう出てらっしゃるので演じるということもそういうふうにコメントしょっちゅうおっしゃったりしているのもお客さんはそこにはいらっしゃいませんけどもやっぱりその向こうに何千万という方がいらっしゃるというとこでお話しをしてらっしゃるので演技なさるのもまあ少しはやりよかったかなと。

≪あの前の日京都で撮影だったものですからホテルじゃないですか。前の日寝る前の鏡の前で僕名優なんですよ。自分ひとりでやっているから(笑)。でもやっぱりねぇカメラの前に立つとねいろんな緊張感やいろんなことがあるんでしょうけどもさっき楽といったじゃないですかとっても楽しかったし楽なんですけども突如として頭の中が真っ白になってセリフなんか平気に飛ばしたり忘れたりするんですよ。NGを出すのはその後快感になってきてそのうち「あなたいいかげんにしなさい」と途中で大島さんにしかられましたけども。あの監督もう1度やっていただけますかといったら今のでいいの僕がOKと言っているだから君はいいの、決めないでと怒られてしまいましたけども。

「そうかそうかご自分は監督でもいらっしゃるからここでこれを編集してこうなってこうなってじゃあもう1回撮っていただいた方がいいなって思いになったりしたんだと思いますけども。あのほか北野武さんも出ていらっしゃいましたけども考えてみればあの北野さんも監督でいらっしゃるので。じゃああの映画はあれですよね

≪監督だらけ。

「監督だらけ(笑)でもまぁ本当にそういうこともあってよかったんです。さて催さんはお名前でもお分かりのように日本でお生まれになったんですけども

≪あの韓国籍を持つ在日韓国人の2世になりますね。

「お母様が

≪日本人です。

「そうですってね。お父様が。

≪ええまあ韓国人ですね。

「ただお父様はいろいろ政治運動とかしてらしたのであまりお父様に家の中でお会いになったことがなかったんですって小さいときに。

≪僕はですね父親と会ったのは、父親としてあったのは小学校1年生のときですね。それまでは2回ほどあっていますけども母親に連れられて外で会っているんですけどもおじちゃんなんですよ。

「あら地下に潜ってらした。

≪そうなんです。当時はそういう時代だったんですね。

「その話も含めてちょっとコマーシャルがございますのでコマーシャルの後でゆっくり。

黒柳「崔洋一さんは昭和24年生まれでいらっしゃって

≪1949年、24年ですね7月に生まれました。

「そうですってねその1年後に朝鮮戦争が

≪そうですね50年ですからね。

「さっきおっしゃったようにお父様と初めてお会いになったのはちゃんと家の中であったのは

≪ええ

「小学校の

≪1年生のときでした

「後は2回ほど外で。

≪そうなんです。羽山の海岸とまぁ父親が母親の後で分かるんですけども友人の家であっているんですね。

「そういうやっぱり政治活動してらっしゃるということでお父様にしてみればやっぱりつらい

≪そうですねなかなかその当時の時代の難しさというんでしょうかまあ歴史ですねやっぱりねぇ。

「でも戦争が終わっていましたのでね。

≪まあそういう中でまあそうの政治運動をやっているものとしてなかなか表に出てこれなかったということがあったみたいですね。

「でも後にはお父様出ていらっしゃって。

≪はいあのなんていうんでしょうか幼いころから父親不在であるということが普通でそれがも当たり前になっていましたからだから最初は違和感を持ちましたね。

「この人は何だ。

≪うん。どう呼んでいいか分からない。だから母親が今日お父ちゃん帰ってくるようといったときはお父ちゃんが帰ってくるお父ちゃんが帰ってくると喜んでいたんですよ。らしいんですよ。ところがいざ現れたら以前あったことあるおじちゃんですからねなんて呼んだらいいか悩んだんですね。何か違和感がありましたね。

「でも自分のことを産んでくれた父親だということは認識したのは大体幾つぐらいだったんですかその時はじゃあ。

≪ええやっぱり父親といろんなことでそのあたり出したというかけんかが絶えなかったこのですからやっぱり中学2年とか3年ぐらいですね。それでだんだん顔が父親に似てきますから性格も重なるところがありますので、重なるがゆえに反発し合うということです。

「なるほど

≪そういうことで壮絶な親子喧嘩も1度ありましたけども。

「激しい方でしたか性格は?

≪そうですね普段は大変温厚なんですけども

「崔さんもとても温厚のようにお見受けしますけども

≪あの怒ると激しい人でしたね。だからそういうことはちょっと血を受け継いでいるかもしれませんね。

「やっぱりその時おありなんですか崔さんも。普段は全然わからないですけども

≪(笑)特に撮影現場では怒声罵声はほとんど僕みたいですね。自分では意外と意識はないんですけどもその様になっているみたいですね。無責任にいっていますけども(笑)

「でもまぁその時は真剣でいらっしゃるのでねそうしないと取れないというのもありますのでね。まあそういう中でじゃお母様はずいぶんご苦労なさったということでしょうね。考えてみると。

≪そうですねぇ母親は大変苦労したと思いますねそれと僕が小学校低学年のときにまあいくつか今でも持病を持つんですけども体を悪くしましたね甲状腺を悪くしたり

「どなたが?

≪母親が。甲状腺を悪くしたり今は心臓もうちょっと悪いんですけどもやっぱり病弱な母親だったものですからね父親はいわゆる潜っている状態からでできてその友人たちと事業を始めるんですけどもこれがうまくいかないんですよ。

「(笑)そうなんですね。最終的には倒産しちゃったんですって。

≪そうなんです。何回目かの倒産であの夜逃げ同然にわれわれ家族は練馬にいたんですけども僕は高校の寮で今も忘れませんけどもミゼットに机をのっけて小さな本箱をのっけてじゃあねいってくるよといって別れて。その後は

「一家離散みたいな感じなんですか

≪そうですねまあ簡単に言えばそんな状態でしたね。だから子供のうちからいろんなこと覚えちゃいました。

「でもそれは後にはで役に立っているでしょうけどもね。

≪今は笑い話ですけども小学校のなんて言うんでしょうか高学年のころから手形のこととか約束手形とか小切手とか内容証明とか配達証明を知っている子供はまずそんなにいないと思います。

「私なんかも今でもちょっとわからないところありますけども。やっぱりそういうことをお父様は苦労していらっしゃって。

≪大変苦労していましたね。本当にに典型的な零細企業でしたから今のこの時代で中小零細の方たちの苦しんでいるところ僕よく分かるんです。

「お別れでしょうね。でもそういうところおわかりになっていらっしゃって映画撮っていらっしゃると予算立てることにしても何にしてもいろんなことも分かりだからそれはずいぶんいいと思いますよね。みんないろんな人がやみくもなことおっしゃらないでしょうから。

≪あのところがこれで自己矛盾というか人間ていいかげんだなと思うんですけどもあの目の前の自分のお金の10,000円とか1,000円とかはとても大切なお金だと思うんですよ。でも映画で使う分には一億二億が屁みたいに思っちゃう。あのここから先は予算オーバーするよう監督といわれてもだからそれがどうしたのて平気でいっちゃうんですね(笑)とんでもない奴ですけども

黒柳「でもお父様がその地下に潜ってらっしゃるときに焼きリンゴ

≪そうなんです。父と母の共通の友人の家に母親に連れられて遊びに行ってあの夜眠たくなるじゃないですか子供ですから。寝たい寝たいといったらもうちょっと起きてろもうちょっと起きてろと回りの方がみんないうんですよ大人たちが。限界にきたころ前あった羽山の海岸であったおじちゃんが現れたんですね。その時に回りの大人たちは知っているわけですから僕だけ分からないですよ。でその時に羽山であったおじちゃんが現れてですね「ハイ」とくれたのが焼きリンゴだったんです。お土産に。であの焼きリンゴが焼きリンゴだって当時ものすごいにやっぱり子供にとってはものすごいごちそうというのかななかなか普段めったに食べられないものでしたからそれで焼きリンゴのおじちゃんとしてですね僕の一生の記憶に焼きつけられたんですよ。そこまではいいんですけどもまさかその焼きリンゴのおじちゃんが後にお父ちゃんとして現れてくるなんてそのころはまだ考えていませんでしたからね。

「ずっと自分の家にいるなんてね。

≪もそれはとても不思議な感覚でしたね。

「で話は変わるんですけども韓国に留学にいらっしゃいましたね。それは何でいつごろ?

≪あのちょうど「月はどっちに出ている」を取り終えまして2年ぐらいして何となくアジアの中で映画を撮るということを考えていて特にアジアの人たちに見てもらいたい映画を何か考えたいということでその前に1、2回韓国に行っていたものですから韓国で大喧嘩をしたことがあるもので

「(笑)

≪それが面白くて自分の中で

「そうなんですか。

≪あの僕自身韓国人なんだけども何か距離を離れてみる韓国という関係ですから。やっぱりここが東京よりはより僕の中でのアジアに向けた玄関先になるんじゃないかなという思いがあってでその済州島でいずれ撮りたいなという企画もあるものですからその前にいってみればなんていうんでしょうかフィールドワークのために1年間に行ってみようと。

「1年間、ずいぶん長いですね。

≪それで留学という形で。

「言葉はどうなんですか?

≪ええとですねダメですね。あの年をとってからの言葉ってなかなかねあの教室の中ではトップなんですよ

「そうなんですか。

≪教室の外に出たとたんに物覚えの悪いおじさんなんですよ。

「まぁお母様が日本の方だから普通に日本語で話してらしたわけですからね。

≪そうですねぇ家庭内では日本語でした。

「まぁお父様がいらっしゃったといってもお父様お帰りになってもやっぱり

≪大半は日本語堪能というかよどみない本当にきれいな日本語を使う父親でしたのでだからそういう意味ではで家庭内でやっぱり使うか使わないかってかなり影響すると思いましたね。さっぱりいまだにダメですけどね。

黒柳「いま上映中の「刑務所の中」というんですけども網走刑務所の

≪あの実は北海道の架空の刑務所を舞台にしているんですけども。ロケーションは網走監獄で有名な網走市で撮りました。

「おとりになった。それでアレなんですってね全部いろんなものも本当のもののように

≪寸分違わずです。

「寸分違わずなんですって。ちょっと拝見したんですけども私みんながあまり清潔なところでおいしそうなものを食べていたのでこれ本当かなと思ったんですけどもこんなふうに自由がないということはもちろんなんですけどもずいぶん何か清潔なような感じがしたんですけども。

≪そうですね。あのこれはもちろん規則で求められるんですけども毎日毎日そのいわば受刑者の皆さんが自分の部屋のみならずいろんな刑務所内の施設を掃除しなければならないです。

「あの今だと麦3米7というんですか。

≪そうなんです。

「私たちが1番食べたいようなご飯なんですね。

≪だから言ってみれば刑務所ヘルシーライフとでも呼ぶんですかねえ、やっぱり多分この映画の中でいろんなタブーが出てくるんですけどもちょっと胸騒ぎがしたり食べたいなと思うのはやっぱり日本の中でのね貧乏なDNAがきっと蘇る(笑)んじゃないかなと思うんですけどもね

「お野菜の煮付けみたいなものがね。体に良さそうというような感じが。

≪スロー風土の典型ですね。

「でも何でこういうものをおとりになろうとしたんですか?

≪あのひとつは原作にひかれたということ。ひとつは僕らは塀の外にいるけども塀の中とどう違うんだろうなということを僕なりに淡々と甘く描いてみたいなと思ったのかまあ動機ですかね。

「山崎努さん主演してらっしゃるんですけども「刑務所の中」今は渋谷シネクィーントというところこれはあのパルコの

≪パルコパート3の7階にあります。

「そうだそうでございますけども。だからその通りにできているそうでとても面白い

≪ヒットします。

「ヒットします。ヒットですって。ありがとうございました

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