本日の徹子の部屋ゲストは長嶋茂雄さん

20023年1月6日

黒柳「2003年今日から徹子の部屋は始まるわけですけどもそれで1番最初にやはり明るい方にお出でいただいてあの2月2日になりますと28年目に入るわけでございますので幸先がいいようにおいでいただいてありがとうございます。

長嶋≪28年目もう

「ものすごく長くやっております。もうじきに7,000回を迎えるというところでございます。ところで皆さんがいろいろ期待してらっしゃると思うので私がどんな質問をするかということでですね。ですからいろいろ聞かせていただいてよろしいでしょうか。

≪はい結構です。

「とにかく明るくていらっしゃる。その明るさはいつごろからどんなふうに

≪明るさというよりもやっぱり長い間こうスポーツの世界といいますかね球技のほうをずっとやっていたはそのせいもあるんじゃないでしょうかね。野球というのはそういう競技体質ももちろん勝ち負けという大きな前提の中で戦うんですがね。ただ日その個人の中でやれば屋外のスポーツですしまあ今はああいうドームの中に入ってますけどもだいたいが元来が外のスポーツですからついついそういう性格も野球によって変化をしていくという感じが、はい。

「例えばあの監督をしていらっしゃる時でも選手の時でも負けたりなんかしてもそういうときもやっぱり明るくしてらっしゃる?

≪う~ん負けるときはねやっぱり無念さ悔しさはありますけどもねそれでも切り替えは早めにするタイプでしたから。やっぱりそれで最後まで翌日また次の日もですね次から次へスケジュールが毎日ゲームでしょう。ですからそういうこだわりはあまり持たないようにした方が割合いいんじゃないでしょうかねぇ。

「あんまり何か物に当たったり物をけったりけっとばしたりそういうことはあまりなさら前ないんじゃないですか。

≪うーん時折やりうるときはありますけどね

「そうなんですか(笑)拝見したことなかったんですけども。でも健康でいらっしゃるということもひとつあると思うんです。

≪まあもちろん健康も大事な要素が強いお陰様でまだ病院というか入院の経験はないんですよね僕は。

「やっぱりこんなに長く。

≪ですからそれは非常に両親に親には感謝しているんですが

「じゃ骨が折れたりとかそういうのは?

≪そういう小さなものは骨折あるいは風邪それぐらいのものは

「でも長く病院にお入りにならなければならない様のことは

≪そういうものはまだないのでそういう点では非常に喜んでおりますけども。

「普段はあの食べ物とかそういうお気遣いは?

≪いや食べ物は今はほとんど何でもいただきますけども選手自分はよくスタミナ力という形でよく肉食を中心によく食べました。

「現在それじゃ奥様が特別にこれは何か飲んでとか食べてとかおっしゃるようなものはおありなのかしら?

≪今はあまりありませんですね。今は自由奔放というか自然体で食べたいものをいただく食べたくないものはノーサンキューで(笑)

「でもいつも顔の色がとてもお元気そうなお顔の色なのでお化粧をしてらっしゃるわけでも何でもないわけですから血色やなんかがねピカピカしてらっしゃるしさっそうとお歩きになって歩いていらっしゃるどころもすごく颯爽としてらっしゃる。あのコマーシャルを拝見したりするとあんなふうにさっそうと歩けたらいいなあと男の人たちが思うと思うんだけども。何か気をつけてらっしゃることはおありですか?

≪いや別に気をつけてはありませんけどもね、今は散歩ぐらいはやりますね。四、五十分早歩きをする散歩はやりますけども、ユニホーム去年くらいまでやおととしあたりぐらいまではユニホームを着ているときは選手たちと一体となってね中に入ってやるんですよ。ああいう若い選手の中に入ってバカをいったり騒いだりいうようなものが非常にいいんじゃないですかねぇ。ですから昨年はユニホームを脱ぎましてね普通のこうプライベートになりましてから散歩ぐらいはやってますけども

「でも肩書はジャイアンツの終身名誉監督でいらっしゃる。それからアテナオリンピック、もうそうこうしているうちに来年になるんですね。

≪そうなんですよね。

「その来年の2004年でございますがアテネオリンピックの野球全日本の監督もその時はまたユニホームをお召しになる日

≪うーんうーんそうですね今年も11月5日もスケジュールが決まってましてね札幌のホワイトドームでアジア大会の予選が始まります。

「じゃあもうワクワクしてらっしゃる

≪そうなんですね。その予選が終わって2004年ににこれが本当のスタートに入っていく(笑)

「でも長嶋さんほどいろんな逸話がある方はなくてですね、それはまた後で時間があったら伺いますけども何か朝早く暗いうちに走ってらして黒いの踏んづけてかまれたというのは本当なんですか?

≪まあそういうことはよくありますね。

「あるんですか(笑)(観客笑)

≪僕早いんですよ朝ねぇ。今でも大体6時前後には目が覚めますしね。

「何時ごろお休みになるんですか?

≪就寝は約12時ごろですね。あんまり早く10時ごろ休んじゃいますとねも3時から4時ごろに目が覚めてくるしいですよきついんですよ。ですからちょうど12時ごろに休みますとね平均6時間寝ますから、それですぐに表に出るでしょう。

「多摩川の土手の近くに

≪犬の世話とか新聞をとったりですとかねそういうこまごまをして僕は散歩に行くんですよ。

「生ごみを捨てたりとかそういうことはなさらないの?

≪そういうことはしません

「そうですか(笑、観客笑)

≪そういうことをやるとまたドジでね近所に迷惑をかけちゃいますから(笑い)そういうことでよく犬にかまれたりね

「表で

≪ありますよね。

「何か暗やみで終わりと朝早く暗いうちに走ってらしたら黒いのが寝ていて踏んだら犬の方も驚いて噛んだとか

≪そうですねよくありますね2、3度ありますかね

「そうなんですか(笑)でも長嶋さんに踏まれている犬というのもぼんやりして寝ているんですね。早いのかしらお走りになれるのが。

≪そういうわけじゃないんですが割合テンポはスローなんですか、やはりこう薄暗い中でも結構野犬もおりますしねですからそういう点ではちょっと気をつけにゃいかんと思いますね。

「そうですよね狂犬病とかね。

≪そうですよね。あわてて医者に行ってその狂犬のね予防接種をしてみたり本当に

「そうなんですか。その時奥様が何か噛まれて大変だから予防注射をしてらっしゃらなかった時で狂犬病の注射をしなければと奥様がおっしゃったらね「いやいや大丈夫この間アフリカにいたときにちゃんとやっているから」とおっしゃってコレラや何か全然違うものの注射だったという話も本当なんですかねそれは?(観客笑い)

≪アフリカに行ったらその帰りの翌年あたりだったんですね。あの時はご承知のようにアフリカに行くと7種類か8種類か打ちますからね。その翌年でしたからまだ体内には余裕があるだろうと(笑)いうわけで。

「でもなかなか狂犬病の予防注射をしていかないのでまあ他のものに効くかもしれない。それにしても流行語大賞にも選ばれていらっしゃってメイクドラマとおっしゃったといわれているんですがメイクドラマじゃなくてメイクドラマティックだったんですよね

≪そうなんですで最初はメイクドラマティックと言っていたんですが。ちょっとティックがちょっと舌を噛むようでね面倒臭いのでじゃあメイクドラマという形でちょっと横着なんですが

「でもそれがとっても。それからミラクルとかおっしゃったりねああいう言葉というのはその瞬間にそれとも前にちょっと考えてらっしゃるとか

≪いやいやもう全く前から考えるということはほとんどありません。もうその瞬間瞬時でね思いのままという形で

「それが自然に出ていらっしゃるのでみなさんがとっても長嶋さんをとても大好きだというところだと思うんですが。

≪いやいや結構ドジなところもありますし。

「アレですかねおうちになるときは少しはお考えを・・少しお考えというと失礼ですかねあのでもあれだけ打ちになったんですけどもそのバット振るときですね野球場にいらっしゃって少しはお考えになっていらもうした?

≪勝負に入った時は殆ど考えません。頭は空っぽ。ただその入る前には色々とね確認作業がいろいろありますから基本的なイロハというものがありますからね確認作業をしますけども。いざプレーボールになりましたら頭はほとんど真っ白な気持ちで入ります。

「あのピッチャーはどうだからとかそんなことはお考えにならない

≪一切考えません。まあもちろんチームないですから組織というものはスコアラーデータ今のこういう時代ですからそういうフォローしてくれる人たちがいっぱいいるんですが、もちろん聞く耳はもちますけどもそれが全てじゃありませんからねそういう点では思い切って捨て切る。その捨て切るということか難しいんですよね。われわれはやはり最高のレベルの高い段階で闘うでしょう。そういうこだわりだとか捨て切るとかいうのはよほどの勇気と思い自信がなければできないんですよね。

「でもあのバッターボスにお立ちになったときにほとんどいつも無心といいますか無心の感じでいらっしゃいました?

≪無心というものかどういうことか無心といいましても幅と奥行きがありますから来た球をですねただストライクなら打つボールなら見逃すという。非常にシンプルな気持ちで僕はいつも入っていたんですよ。

「もうあの場合によってはピッチャーはああよかったと思うようなね球の時に三振をなさったりですね、ピッチャーがですねああ失敗したと思ったようなものをしゃくってなんだかホームランになさったとか聞いているんですけどもそういうのはやっぱり瞬間的なもの

≪まあいろいろありますね。ですからあれだけ長い間やりますといろいろなことが自分でも信じがたいような場面現象表現がね出てくるんですけどもやはり根底はつまりバッテリーをはさんで9人いるわけでしょう。9対1で勝負するわけですよね。

「ごめんあそばせ本当に申し訳無いんですけどもバッテリーって何でしょうか?

≪ピッチャーとキャッチャーですよね。

「ピッチャーとキャッチャーをバッテリというんですか。

≪そうなんですよ。それで1塁2塁3塁ショート・センター・レフト・ライト。9人で守っているんですよ。打者はひとりなんですよね。9対1で戦っている勝負を挑むわけですよね。

「そうですよね後ろにも敵がいるわけですからね。いやですね

≪しかもそういう形で芯をとらえても人の正面に打ったら勝負には勝てないんです。いないところに落とすボールを打つあるいはまたオーバーフェンスでホームランを強打するというそれが野球ので戦う1番大きな基本的な条件でしょ。

「そうですよね人のいるところにやったんじゃ意味がないですものね。

≪ですから解説風に言うといくら正面にうって惜しかったついていないという形で済まされますけどもわれわれ当事者にとってはそれじゃ勝負には勝てないわけですから。ですからそういう点ではいつもなんていうかな精神面というか今でいうとメンタリティ的なものでいつもこうハードな気持ちで強い精神力を持たないとシンプルになかなかなり切れないですよね。

「それは初めからその様に心がけていらっしゃいました?初めて形になった時から。

≪まあもちろん若いころは我が強いですからね結果を最優先で求めるわけでしょう。でもいろいろな試行錯誤しながらテクニックをする。だんだんテクニックというのはある程度限度がありますよね。ですからテクニックよりもつまりバランスというんですかね全体の調和ををとる方が意識を強く持ったタイプなんじゃないでしょうかね。ですから選手というとテクニック優先、つまり技術技術技術というタイプと割合技術よりも総合バランス。あるいは技術よりも気力でいくハードな精神力でいくいろんなタイプがいますけども。

「じゃ総合バランスということをいつも考えてらっしゃる。

≪いつも僕はバランスを考えています。

「でも長嶋さんの球をおうちになったすごいとき向こうから球が飛んできたら止まって見えるというふうに思いになったと聞いたことがあるんですけども。そうなんですか球って止まって見えるときはありますか?

≪う~んそういう現象もあるでしょうね。実際に144~45キロ早いピッチャーは150西武の松阪君なんかは150を投げますよね。

「150キロ

≪あの150キロというのはあの短距離の短いところでは早いですよ。それは。それを静止したままというより視覚の中に玉をとらえるということは非常に技術的に高度な技術ですよね。ですからそういう点では非常に難しい点もあるんですが、それを自然体のようにいつも自分の何かリズム感をですね主導権を握っていくということでしょうね。

「だからものすごく計算してやってらっしゃるのかと思ったら実はとても計算なさらないでね無心であそこに立ってらっしゃるんだって思っていらっしゃる方も随分いると思うんですけども。

≪ですから計算というものはまた別の形で部分的な計算はよくやっていますよ。

「本当にやってらっしゃるんですか?

≪部分的な計算は必要なんですがそれだけで勝負に挑んでもね確率の高いものはないんですよ。ですからやっぱりもしこれがマシンの世界ならば非常にそういう1+1は2になる可能性がありますけども野球は特にサッカーでも野球でもすべての球技を見ましてもね1+1は2じゃなくて5にも10にもなる。逆にまたでミスを犯しても1+1はマイナス5にも10にもなる。そういう怖さがあるでしょう。ですから非常にそういうバランスをとるというのは簡単なようで難しい面もあります。

「あのちょっとコマーシャルにこれからいきたいと思っているんですけどもあの野球はお好きでいらっしゃる?

≪僕は好きです。はい。

「そうですか。

≪大好きです。

「大好きでしょうね。いやお相撲さんでもお相撲はお好きですね?といったら嫌いですとおっしゃった方がいらっしゃったのでお強い方でも中にはいらっしゃるので。お好き?

≪大好きです。

「そうでしょうねぇみなぎってらっしゃいますものね。野球が好きというのが。でもやっぱり1番はご自分がプレーなさるのがお好きですかね?

≪そうですねぇやっぱり野球はプレーする方がいいでしょうね。やっぱり自分のノリが違いますでしょう。それで自分で自己陶酔というのかな自分でその興奮しながらそして自分を感動しながらプレーにのめり込んでいをいけるそういうものがあるんですよ。1度ですからダッグアウトコーチ監督になりますとそれが逆になるでしょう。全く環境が変わりますからねですからやるならばやはりプレーヤーの方がいいでしょうね。やりがいがあるでしょうね

黒柳「小さいときは背とても小さいお子さんでいらしたんですって。

長嶋≪僕は小学校ではいつも1番先頭です。1番前でで校長先生のお話しをいつも聞いていましたね。それはもう苦痛なんですよね。

「そうかお行儀よくしてなければならないから

≪お行儀よくして目立つでしょ。で担任の先生がずっと前にいますしそれはも嫌いで嫌いでこそこそこそこそと後ずさりしながら逃げたんですよね。そうすると担任の先生がつかつかときて僕の耳を引っ張りながら前へ出るんだとずっと前へ。立たされんですよねそういう時期も随分ありました。

「どういうお子さんでいらしたんですか?

≪もうわんぱくですかねやはりガキ大将ですかね

「女の子のスカートめくりとかは

≪そういうことはあまりしませんでした。

「そうですか。

≪そういうことはねあの時代ですからなかなか

「あの時代はあまりなかったんですか。

≪ええええ。そういうことをすること自体がね男としては最悪のねもうこれ以上のない悪さはないというねそういう雰囲気がありましたね。

「そのほんのちょっと前だとみんなスカートめくりやったんですよね。

≪われわれの小学校自分はありませんでした。

「それは上品でしたね

≪上品というよりも田舎でしたからね。そこまでやるしゃれぽさみたいなものもなかったんでしょうね。

「でもあの立ち入ったことですけどもそういう女の子の中に可愛い子がいてあの子好きなんていう子は小さいときには

≪まあ中学生のころになると結構おりましたですね。

「男女共学だったんですか?

≪そうですハイ。おりましたですね。

「どうなさいました?。

≪やっぱりまあ一般の(笑)

「(笑い)一般のというとどの程度?

≪ときめきありね

「お手紙なんかはお書きになった?

≪まあラブレターも

「ラブレターもあり。

≪まあそういう

「あまり特にそのころだとデートするとかそういうことってあまりそんなには。している人もいましたか?

≪デートはどうでしょうかねな授業と授業の合間にねちょっと廊下でこそこそと

「ああ!いいですね。

≪それでサイレンが鳴りますとねまた次の科目に入っていったり。何かそういう短いなかでもちょっとそういう経験というかね。

「じゃあその時の同窓会なんかにいらっしゃる時はあるんですか?

≪今はありませんけども何年前かは結構ありました。

「その時に昔ちょっと休憩時間にうれしくてお話しした子なんかにお会いになって大人になってお会いなったことはあります?

≪うーんそれはありますよね。みんな懐かしくなるし

「そういう昔特別な気持ちを持った大人の人に会ったときはどんな気持ち?どうってことないですか。

≪うーんどうでしょうかねその時その時代の何十年前の子供にかえってすごい不思議ですよね。

「そうですよね。

≪人間のこの習性というかね。こうやって老いていきながらでも過ぎし日の昔の小学生自分なんかを見るとほっとその時代に帰れるというね。人間の生命力のすごさというものいつも感じますが

「でも珍しく老いていくとおっしゃりましたけども、あの全然長嶋さんを拝見しているとそんなこと考えてもいらっしゃらないと思いますけどもやはり小学生時代と比べたらはそれは確かに老いていらっしゃると思いますけどもご自分で老いっていっているんだというふうには思っておりますでしょう普段はあんまり。

≪気持ちの上ではやはりなんとかいつも日々鮮度を持ちながらね新しい日を迎えようというそういう気持ちはで前向きさはありますけども、ところが肉体というのは年とともにこうやって新春を迎えましてねまた1つ増えるわけですから(笑)

「でも今はお誕生日の時じゃないと年はとらないですから、お誕生日はいつでいらっしゃるんですか?

≪僕は2月20日ですね。

「ああそう。じゃあもうじききちゃいますね。

≪そうなんですね。

「早生まれ

≪早生まれなんです。

「じゃあ小さい子だといっても早生まれだったということもあるかもしれませんね。

≪それもあるでしょうね。それでも小さい子でありながらもけんかは僕は負けませんでしたしね。非常に俊敏であったし、ケンカのテクニックも持ってましたし。ですからみんな大きい大の男でもね僕にはやはり一目二目おいていたようなでそういう教室内ではありましたね。

「さっきちょっとガキ大将みたいにと

≪ガキ大将でしょうね。

「そうでいらしたんですか。じゃ野球はいつごろから

≪ですから小学校4年です。

「4年生ですか。

≪4年です。ですから4年といえばちょうど昭和の終戦の迎えた20年ですよね。8月15日。昭和天皇がその玉音放送を僕はちょうど聞いたらあれをいまだに記憶が鮮明に残っていますからね。

「学校で?

≪いえいえ家で。

「われは夏休みの時ですものね。そうですものね。

≪それでラジオの下ででみんなうちの親父がまだ元気だったし今日は大変なお話しがあるからみんなラジオの下に集合というわけでね一家で聞きました。あの記憶はあります。

「そうでしたか。まあ子供はねあのとき何だったかよくは分からなかったんですけどもね。それから始めるとおっしゃっても道具お道具は野球のは。

≪野球の道具はとても田舎でしたからグローブでもね、しかしねあのころは3角ベースから最初入ったんですよね。われわれの世代は随分経験なさっている方が随分おるんですが。つまり2塁を外してね1塁から3塁に走るんですよ。

「3角形になっている。ええ

≪非常に横着な野球を僕はそこからスタートしていますから、ですからあのルールをどなたが作ったのか、どなたが考案したのかというわれわれの野球の世代いっぱいいるわけでしょう。北海道から九州までいっぱいいるんですがあの考案したのはまだ誰とわからないですよね。いまだに。いまだにあの考案者が分かっていない。

「それで面白いんですか?3角ベースは。

≪面白いんです。非常にこう野球も早くスピーディーになるし

「そうでしょうねひとつん塁がないわけですからね。

≪ないですからね。

黒柳「何かボールなんかを自分でおつくりになったんですって?

長嶋≪ボールですか。ええ。スポーツのでショップがなかったんですよね田舎ですからね

「どっちにしてもものがない時代。

≪ですからねものがないでしょう。で船橋に買いに行ったりあるいは上野まで行ったり、ないからみんなが苦労しましてねでボールの形をしようという形でビー玉の上にですね固い布を巻いてい、ボールのような形にして近所の子供たちが当番制でしてね1週間ごとにそれを変わりまして、今週は君来週になったらお前だと。

「つくるのが。すぐに壊れるから

≪作るのが順番でね。

「サトイモのなにかを

≪サトイモの皮でやったとか。あるいは帯締めとか硬いねあれで巻いてやるとかね。それで僕は本当にいつも忘れないんですがうちの母親も当時まだ若かったし僕のちょうどですね番になったときに僕はもちろん針仕事はできませんしうちのオフクロにお願いしてこういうふうにして2つ作るというね、明日持っていかなければいかん。うちの母親というのはそれは野球は分かりませんですよね。で僕は子供のあれにうるさいながらもいつも丁寧にぼんぼんぼんぼんビー玉を巻いて作るんですよ。針仕事でね。電灯の下で。僕はずっと見ていて形が違えばダメなんだよこれはボールじゃないんだと。おむすびになっちゃったらボールはできないんだと。丸くしなさいと。丸くやるとねこうしながらやっていてやはりわからないんですよね。針を通すときにね親指にこうふっとミスって刺したり、血が吹き出たり僕はそのあれおねタオルで拭いてやるんですよ。親子で一体となってボールを作る。そういう思い出が小学校時分にありましてね、いまだにあのボールを作った親子の今でいう手作業みたいな形がねもうほんとに思いでが強烈に残っています。

「そうですねいってみればすぐに買えるというようなものでは絶対に味あえない

≪で近所の子供たちにみんなやるんですよ。それで自慢するんですよね。形がどうだとかそういうような形でやりましてですね。バットはもちろん竹やぶに行きまして切りましてね。

「竹で

≪竹でやるんですよ。

「あらすごい。

≪ビー玉が芯でしょ。竹でしょうもインパクトその音がしたらものすごい音がするんですよキーン。

「それはそうですよね(笑い)

≪すごい音ででけっこう飛びましてですねそういうのが僕の野球人生の最初のスタートなんですよ。

黒柳「ちょっと話は飛ぶんですけども

長嶋≪はい

「あのジャイアンツにお入りになってものすごくみんなから期待をされて1番最初の試合の時に、金田さんがピッチャーでそのときにあの全然打てなかった

≪ええ四打席4三振ですね。正確にはね次のゲームもひとつにしているんですよ。だから5三振をしている(笑)

「5三振。そのときどんなお気持ちでした?

≪やっぱりプロの投手だなと。やはり金田投手というのはナンバーワンの投手というで身をもって体験してねもうまさにバットマンとしてはこれ以上のない屈辱を味わったんでしょう。ですから今思いますとああいう試練屈辱というものは勝負師の中ではこう足元を見直す意味ではね非常に良い体験じゃないでしょうかね。

「そうですね。その大学生のときからすごいぞすごいぞと言われた方が

≪割合その前の3月のオープン戦というね今でもやってますけども

「あのちょっとよろしいですか

≪はい。

「本当に申し訳ないんですけどもちょっと途中になっちゃったのでこのまま続けて明日もおいでいただくということで構いませんか?

≪構いません。

「今ちょっと三振のお話しのところでもう1回明日また頭からやりますので。まあみなさんうれしいじゃありませんか明日もまた長嶋さんでということで今年が良い年になるようにということでおいでいただいて明るい年になるということで。

≪明日もお願いします

「お願いします。まあ嬉しいこと皆様ご期待ください(拍手)

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