2001年11月30日
黒柳『キネマの天地はブルーリボン新人賞をお取りになって本当によかったですね。結果的にはよかったんですけどその時お苦しみだったんですって』
有森「そうですね何がなんだかわからなくて台本もらって3日目から撮影だったんであれよあれよという間に撮影が始まって」
『はじめのうちはニコニコしてたんですけど段々』
「最初のうちは監督もああしてこうしてっておっしゃってくださってたんですけどでもそれができてなかったんでしょうねで口を利かなくなってきて、無口になってきてそうすると隣にいたカメラマンの高羽さんが」
『高羽哲夫さん』
「監督にボソボソって耳打ちするんです。そうしたら監督もああだこうだって」
『ボソボソって監督に耳打ちする』
「そうです。美術さんやスタッフのかたがいろいろ言ってくださるんです。1時間ぐらいそうしてそうするとだんだん1人消え2人消えして・・・何もいわなくなってしまうんですよ監督が。そうすると何もいえなくなってしまってどうしていいかわからなくなてしまうじゃないですか。そういう状態が1ヶ月ぐらい続いて。」
『泣くシーンがあって目薬を入れてくださいって言われてでもあなたも反発心があって』
「ショックでした。自分ではその気になって涙も出てたんですけど足りなかったみたいで”メイクさん涙入れてくれる”って」
『監督が』
「”泣いたのに”って思ったんですけど。演技っていうのは気持ちだけじゃないんだなっていうのが後でわかったんですけどそのときは」
『泣けばいいんじゃないっていう』
「すごいショックでした」
『これが映画ではデビュー作ですよね』
「そうですね」
『その前は』
「”東大一直線~もう高校はいらない~”っていう名古屋の吉村さんていう方の実話をモデルにしたドラマなんですけど」
『ああそう。そのうち山田さんは何も言わなくなって』
「私はどうしていいかわからなくなって」
『そのうち眠れない日が続いて』
「眠れなかったですね」
『お母様にはいえなかったんですって』
「そうですね」
『でもそのときですか”下半身がしっかりしているから大丈夫だよ”って吉永小百合さんも同じで大スターになれるってどなたかがおっしゃてくれた』
「私はそれを気にしていてそれもショックでした」
『でも結果的にはブルーリボンの新人賞をお取りになられてうれしかったんでしょう』
「今でも励みになります」
『あなたはおもしろいですね役柄を作るときにベットカバーを』
「1つの仕事が終わると模様替えをするのが趣味っていうか」
『一人暮らし』
「母と住んでいるんですけど」
『自分の』
「テリトリーは」
『それをどういう風になさるの』
「ソファーの位置を変えたり、ベットカバーを変えたりします。この仕事は終わり次の仕事に行きますていう」
『気分を一新さってでもカバーも新しく買ってくるんじゃなくて順番にあるものを』
「そうです」
『今度は強い女だっていうときは何色に』
「赤」
『マネージャーのかたが見ると今度は何の役かって言うことがわかる』
「そうですね。わかるみたいです」
『テレビが部屋に無いときは』
「横のほうにどけていた時がありました」
『今度は時代劇なんだって』
「なんとなく潜在的に楽しようとしてるんでしょうね。あんまし演じないでいいように」
『そういうことは邪魔くさがらないでやるんだけど今の若い人には珍しく携帯だモードだっていうのは苦手なんですって』
「壊しちゃうんです。一回テレビが爆発しちゃって」
『爆発したんですか。大丈夫でした』
「煙がモクモクあがって」
『なかなかテレビって爆発しないですよね。ふろしきが詳しい』
「いやそんなには」
『珍しいわねもの包むの』
「寒いときは巻いたりもするし」
『台本なんかも包むの』
「そうですね。地方に行くときはカバンを増やすよりは風呂敷のほうが」
『珍しいわね。ズルズルしない。だらだら物がおっこてきたりして』
「いい風呂敷だからですよ。綿の風呂敷だったら大丈夫」
『あなたはきちっとしまう性格?』
「やりますけどね」
『今日はいろいろ聞くようですけどそこにかわいいお人形が』
「これは私が生まれたときに母が作ってくれたものなんですけど。私と同じ年なんですけど」
『あなたと同じとし』
「34さいです」
『今34歳とおっしゃいました。もうそんなになりました』
「まだ33でこんど34です」
『ご結婚なんかは考えてるの』
「考えてないです」
『でもお聞きになるでしょ』
「縁があればいいんですけどないんで」
『あなたは結婚したらご主人に仕える人になりたいんですって』
「全部ささげたいです」
『あら有森さんは全部ささげたいとおっしゃってますけど。ごみ捨てなんかしてほしくない』
「絶対してほしくないです」
『そう思うとなかなか決められない』
「あははははははははは」
『お仕事が面白いっていうのもありますかね』
「いろんな役ができるようになってきましたし」
『お父さんは元サラリーマンでいらして今は神主さん』
「九州で代々っていうか3代目ぐらいですけど」
『曾おじいさんぐらいから。お母様はあなたのことをよくわかってくださる人で24歳ぐらいのときにあなたがスランプだったんですって』
「学校にいってるときは私のプライベートな時間があったんですけど卒業してからはすべての時間が仕事の時間になって映画をみても買い物に行っても全部仕事に通じてそれが苦しくなってきてつらかった時期に母に助けてもらいました」
『お母様が昔やってたバレエをやってみたらっていってくださった』
「スポーツクラブでバレエの教室があってそれを進められて」
『ずいぶん長くやってたのねえ。5歳の時から』
「16までやってました」
『一度やめたんだけど24歳のときにスランプみたいになってお母様がもう一度やってみたらっていわれて本当によかった』
「楽しかったです。がんばることとかバレエを通して学んできたので」
『本当に晴れ晴れしたんですって。でもお母様はすごいわね』
「お仕事のこととか女優のこととかバレエやってるときは考えないですんだんですよね」
『それを見抜いてバレエやってみたらってそういう母親の決断の一言で人生うまくいったりするんですよね』