2003年2月3日
黒柳「扮装リーズ第13弾です。私と小沢さんと、出ていただいたのは19回なんですけど扮装をしあっていつもこうコンビの扮装ということで13弾ということです。
小沢≪そうですか。もう13回になりましたか。
「はい今日からは徹子の部屋は28年目に入ります。
≪おやおや
「まあどうもよろしくお願いいたしますそうなんですね。
≪ご苦労さまです
「ありがとうございます。一応今日私は19歳ということなんですけどもメーンウエストの若いときでボードビルにいたんですね。後にハリウッドの大スターになるんですがボードビルの時はちょっと(胸を)出したりしていたんですが。人気取ろうと頑張った時代なんですこれが。
≪私の格好でこれはね江戸に唐来参和(とうらいさんな)になって戯作者というか、まあ軽文化人といいますかな、その人が悪い人で自分勝手でですね何でもどんどんそれで女房をですね吉原に売ったりなんかしてそのうられたのが私でもう亭主は死んでしまいまして、それでまあ吉原でですねえ不思議な仕事をやっているんですよ。それはどういうのかというと昔はですね指をですね切って小指を切ってですね男の人に渡してですねこれが私の真心ですよという印に小指を切った。痛いでしょう小指を切るなんて。だからその小指の代わりにこうろう細工みたいなもので小指を作ってですねそして吉原でお姉さんたちに売っているというおばさん。おばあさん。
「ニセ物作り(笑)
≪そうにせ物作り。そこにも偽物がありますけども(笑)昔からやっぱりで偽物はあるんですね。
「なるほどね。そういう芝居と芝居のお互いのこちらは1人芝居なんですけども私は3人なんですけどもそういう芝居のまあ共通点というところの扮装でございます。ただつくづく思いますのはいくら成れの果てであろうとも日本と西洋は違うなと思いません?。
≪いかにも日本ですね。そちらはいかにも西洋ですよ。
「そうです西洋ですよこれですものね(胸を触る)。まあ後にセックスシンボルとして有名になるメーンウエストですけども日本の男の人たちは気にいらなかったんですかね?メーンウエストのビデオは日本に1本もないんですよ。
≪へえ!
「いまだにすごい人気なのに向こうでは。やっぱりこういうふうにそばに来て「ヘイ!カモン・・・」というふうにやっていたので。それがいやだったんでしょうね日本の男の人は。お尻も大きい、おしりも大きくしております。
≪今気付いたんですけどもねどうせあなたがそういう格好をなさるんなら私もそれなんかをもうひとつ作っていただいてねこれをつけてそれでを叶姉妹の成れの果てとかそういう扮装シリーズがよかったかなと。
「(笑)。いえいえ。
≪そういう扮装シリーズがよかったかなと。でも日本とソウヨウ(西洋)
「ソウヨウ(笑)それで。あなたそれ辞めちゃったんですってねその芝居を。
≪そうなんです。やめたというわけでもないんですけどもね。まあ10何年も600回もやりましたからなんもんですからちょっとでお休みというか、おやすみのままになるかもしれないけども
「みんなでこれで初めて見たときは落語家の人かしらという感じなんですけども、だんだんだんだん見ているうちにこういうふうなおばあさんになっていくんですね。これがまあ唐来参和のいきさつなんですね。
≪これで私はで寄席に行っていたときにね芝居噺というのを見ていてね、それは普通の落語家さんがお芝居お話しをする。それがだんだんにぬいてですね扮装の格好になって後ろの屏風がパッと幕が取れると絵が出てくるというようなそういう芝居噺というのが昔から寄席にあったんですね。それを見ていて好きで小さいところでなくてもっと舞台全体でだんだん芝居になっていくというのをやりたかった。そんなもんでね1条さゆりというストリッパーの方がいましたでしょう。あの方とストリップをやってらっしゃるお気持ちをですねこういうふうに対談で、こんなに大きくはなかったですけどもあの人も。ですけどもそうやってお話をしながらだんだんに扮装をこっちはですねスリップ劇場の演出家というものに変えていく。そちらもだんだん脱いで
「ちょっと脱いでみます?
≪ちょっと脱いでみますか。1条さんの代わりに
「メーンウエストって、ストリッパーの人たちは全部出したんですかここも(胸)。メーンウエストは人気を取ろうと思ってこのころボードビルに出ていたのでちらっとパッとこういうふうに(胸を出す)(観客笑い)見ました?
≪おおお
「こういうふうに下げてちょっと出したというふうに言われています。これは自分のだったら出せないですけども彼女は自分のを出していたわけで
≪大胆なことをなさいますね。
「ところがで舞台稽古の時にこれが両方(肩ひも)はずれたものですからベロっと両方出したまま出ていったものですからそんなサービスをしないようにと言われましたけども。ですから1条さゆりさんはそんなふうにお出しになったんですね。
≪それでだんだんに出して言っているうちに舞台が後をガラガラガラガラと回るとですねスリップ劇場の舞台になって彼女がでてきて僕が演出家になるというそういう芝居を実はやりたかったんですけどもやれなかった。やれなかった残念でそんなことが積もり積もってこの井上ひさし先生のお芝居をですねそういうふうにやってみたいなと思ってまぁ1人語りの芝居ですけども
「井上ひさしさんがお書きになったまぁあの方いろんな作家のものシリーズをお書きになっていらっしゃるんですけども特によくできたものでそれを600回も。
≪とても長いこと芝居をやらせていただきましたよ。
「だからみんなもっと見たいという人もいるんですけどもやっぱりあのちょっと童謡じゃないな
≪歌を歌いたくなっちゃって。
「歌を歌いたくなって。それで
≪昔で野坂あきゆき、永六輔ご両所とあの武道館で歌を歌ったことがある
「すごい、皆さんご存じですか?中年御三家といってね武道館をいっぱいにしたんですよ3人で。
≪それがねちょっと忘れられないでまたちょっと歌を歌いたいなという気持ちがうずいてきてね。それでまあなかなか唐来参和の方のスケジュールが決まっていたからなかなかやれなかったんだけどもまあこの辺で思い切って失礼してちょっと音を歌わせていただこうと。歌好きなのよ。
「ハーモニカとやったりとかね。
≪そうですね今はボクのハーモニカ昭和史という題で日本中を回っています。
「本当にCDもお出しになってお忙しいことでございます。
≪ありがたいことで
「唐来参和もやる気になったらみんな楽しみにしているので。
≪今日久しぶりにこの格好したらちょっとやってみたいなと。だから私はそうなのよなんてやりたくなってきたんですけども
「メーンウエストという人は85まで映画に出たんですよ。すごいですよこの人はやっぱり。
≪85。
「85。ハリウッドのスターでね大体有名になったときが40でしたからね。それでずっと
≪じゃ40年間やっていたわけだ。
「でもね9本しか出ていないんですよ。その間ちょっと間が空いてね77で1回ででね、85で1回出てね顔はすごいことになっちゃったんですけども。
≪そのお芝居の中ではあなたのそのやっている85までやるわけですか?
「85までやりました。
≪85はピッタリなんでしょうなあ。
「(笑)そうなんですよ。85がぴったり。誰がなんといったってピッタリですから。
≪でもこれもぴったりだね。これは19?
「19ぐらい。18、19があってね
≪それから85までやる。
「でもそれが主流じゃなくてね私の芝居はねハリウッドの売れない女優・・・いやいやブロードウエイの売れない女優との2役だったんですけども。
≪まだでもおやりになるでしょう?
「これはやりません。もう終わりましたので。でも皆さんの大阪ではやったんですけどもやってほしいという方が多くて。29回これをとったり付けたりするんで大変でしたよ。
≪やってくださいよ。
「それでアレでしょうラジオは小沢昭一的こころ、31年ですって?
≪そうですね。
「皆さんすごい気長でしょう。
≪あの中学生の時から聞いてますなんて言われますとねちょっとで何か不思議な気持ちにこっちが。
「その方って中学生の時から聞いてますというからすごいお歳になってらっしゃるでしょう。
≪ありがたいといえばありがたい。2人とも昔からお仕事ができてありがたいですよね。
「本当にね。でもあなた本当にここのところよく本を出しになりましたね。しょっちゅう。何であんなにいっぱいしょっちゅう本が出るんでしょうね。
≪いろいろ。最近出したのが好きな本なんですけども俳句武者修行といってね。僕らご一緒に俳句の会をやっていますけども遊び半分かというかほとんど遊びみたいなことでやっているんだけども一体本職の俳句を作る方はどんなふうに、われわれはばか騒ぎをしながらやっているんだけども、あどういうふうに俳句をしているのか。というのでねみんなこういう結社の素晴らしいところをですねはじからいってですねそれで混ぜて下さいお願いしますといって。
「頼もう
≪たのもうと昔の道場破り。でも道場破りという言葉があって宮本武蔵なんかが道場を破っていくんだけども昔は全然気破れないでいってもいってもみんなペケでねそれで今の表紙もペケというふうになっていたぐらいでね。なかなかやっぱり難しいというか僕らの感覚ではとてもじゃないですけどもダメなんですよ。
「小沢さんの俳号が変哲というんですが。
≪これはね川柳を作っていたの、近所のでおじさんたちと一緒にね会を作って川柳をやっていたときの名前が変哲という名前。そんなもんで
「哲は哲学の哲で、変は変な変
≪変態の変ですけどもね。それをね2回目というのはね年をとってくるとね亡くなった50いくつで亡くなった父親というものがとってもね親しい気持ちがだんだんつのってくるの。そんなもんでおやじの名前をこうもらってだから言えば2代目変哲。
「それで変哲先生はねお出したちの中ではソウショウと呼ばれてお上手なんですけども
≪いえいえ
「”淡雪や、変哲先生四面楚歌”というの作られて。
≪それはやって結果が悪くて四面楚歌というのなら分かりますよ言った途端に作ったやつにねも四面楚歌と言われたんじゃねぇ私立つ瀬がないんですよ。
「それもしかも泡雪や変哲先生四面楚歌というのでお上手ですよねやっぱりね。
≪そうですよ。
「そこにね前からお願いしておくとアレなんですぐにこの場で今日の雰囲気で何かを作っていただけないかといったらいいですよということでお用意してありますのでちょっとコマーシャルにいかせていただいてよろしいでしょうか?
≪じゃお話しをしながらひとつ。何かを書けばいいですね。
「そうですそうです。
≪じゃごく最近作ったやつをひとつ。
「575で入れてくださいねちょっとコマーシャルに行かせていただきます
≪
黒柳「何かもうできたんですかね?
小沢≪・・・・
「ではちょっとご披露いただいて。
≪はい。先週の句会でできた、句会でしか作らない”寒月やさて行く末の丁と半”
「すごいですね。
≪あの月が寒々とした月をを見ているとなんとなく自分の来し方行く末こう思ってしまうさあ俺のいく末は丁と出るか半と出るか。も分からない一寸先は闇だぞと。まいうようなでそういう気持ちを。永六輔さんがほめてくださって。ありがたい。
「中村ノブオさんという俳優さんのご存じでしょう”除夜の鐘おれのことなら放っといて”。
≪なんでもおれのことなら放っておいてなんですよ。上は寒月や俺のことならほっといて。小春日や俺のことならほっといて。便利ですね。得意中の得意です
「そうご自分でお作りになったの。だからね除夜の鐘にはあうんですよね。除夜の鐘おれのことならほっといて。
≪徹子の部屋俺のことならほっといて。こういうのもあるんですよね
「(笑)
≪なんでもいけるんですよ。
「そうですよね。でまあそういうふうにして俳句、あなたが所属しているのは私たちがやっているのは話の特集、そちらは柳句会にも出てらっしゃるんでしょう
≪2つやっているんですけども
「あちらはセンキョウさんとかコサンジさんとか桂米朝さん。
≪みんな噺家さんもたくさん入って。あのね俳句というのはねとにかくご存じのようにもう17文字しかないんですよ。だから言いたいこと言っていたんじゃしょうがないんですよそんなもんで言いたいことが言えないんですよね。ほとんど。いえないところがね私好きなの。
「なるほどね。
≪言えないのがあるから何かさを何でもかんでもみんなしゃべったり言っちゃったりするとちょっと何か寂しいというか自分の本当の気持ちをですよ本当の気持ちをむき出しにしてですねえこう言っちゃったらさなにかその後寂しくなってしまうんだけども
「だから日本人の持っている心
≪そうなのかな。だから何かちょっと含みを残すことができてでも自分では納得していて人様にはそんなに分からないと。でもわかる人もいるかもしれないというその俳句ので妙技というのが僕は好きなんですよ。
「それはそうですよ。575の中に入れちゃうというのがね
≪そんなに入らないから。これだけだもん。
「それが出ちゃうんでね私はいつになってもうまくならないんですよ。いつまでたっても。
≪いいじゃないですかはみ出しても。そういうのもあるんですよ。はみ出し専門の俳人という方も。
「あの偉い方ねずっと旅をなさった
≪そうそうそうそうはみ出さなくてもちょっと”ケッパツにもあられ”というそういう俳句もあるし。短いのも長いのもいいんですよ。
「でも一応季語というものがあるから。
≪でもで黒柳さんのはね長いというけど独特だ。
「そうですかね全然そんなね
≪いやいやみんな変な発想。あの発想でやっぱりで発想が独特でなければいけないですよ。
「でもそれが入らないからね。
≪でもまあ無理に入れてみたらどうですか?
「みんながでお歌をやったらどうだとかいうんですけども。57577なら入るだろうとみんな言うんですけどもでも皆さんとまあ
≪まあはみ出すのもそれもひとつの個性ですから。こんなにはみ出ているんだもん(胸を指す)
「そうですよね。私が初めて作った小学校の時から俳句を作っていましてね、あの校長先生がトットちゃんの学校で俳句を作らせた。小林一茶を先生尊敬していたから。それで子供の時に1番作った最初のやつが”のらくろは兵隊をやめて大陸に行く”というのを私が最初に作ったといったらあなた言ったじゃない季語は入っていないって。
≪いったことがあった
「猫が入っているじゃないと言ったらのらくろは犬じゃないと聞いて驚いたんだけども。のらくろは犬なんだてね。そうしたら犬は季語に入っていないのね。そしたらびっくりしたんですけども山藤さんと米朝さんと私と3人でNHKの文化の日にその俳句の会をやったんですよ。覚えてらっしゃるどうかね。椿山荘かなんかで。その時にその話を私がしたの。のらくろは兵隊止めて大陸に行くってね。そしたらね季語ないとみんながね1度にいったのよ。季語はないのは俳句じゃないとかいって。
≪でも大陸へ行くころはきっと寒い冬だったんじゃないですか。
「そうですね大陸というのがねも
≪なんとなく
「そうよ満州の中国の東北部だったんですけども何かさあ時代が分かるじゃない。のらくろが兵隊をやめて大陸に行く、何をしに行ったのかちょっとわからなかったんですけども子供だったので。
≪いいんじゃないですか。子供だもん。子供の俳句というのがずいぶんあのTVなんかで紹介されているけども季語のあるものなんてひとつもないですよ。
「それはそうですよね575に入っているの。一茶だって入っていないのがあるんでしょう。
≪あるある。はじめ伸び伸びと、ぼくらはそれでどうしようというわけじゃないんだから
「(笑)
≪楽しむわけなんだから。自分の気持ちをこめて
「でも修業して結果はどうなったんですが。
≪結局だめでした。結局みんなでダメです。専門俳人の方たちからみんなけられたんです。でもねあのちょっと褒められたりなんかしたりなんかしたときはうれしいですね。
「やっぱりね。
≪大先生方に。それはとても嬉しかったですけども。でも一回りしてきたら何かではこういう事もあるんだなと専門の方たちというのはこういうふうにしてやっているだなということで逆に僕らはもっといい加減にのびのびとやっていいんだなという自信がつきました。逆に。
黒柳「さておとといの2月1日はNHKのテレビが始まって50年ということでございましてまあ私もその初めから出ていて50年出続けたということで一応司会をさせていただいたんですけどもあなたも試験放送のころから
小沢≪そうなんですよ。あの始まる前にね田村町の
「今内幸町という
≪入った所のすぐ右側のところに広いスタジオがあってねそこまで試験放送をやった。今でテレビのカメラなんていうのはカメラに1人ずつしかいないでしょう。3人ぐらいいましたな。
「そう。3人は。したのホースがすごく太くてねあなたは爆弾3勇士といっただけどもあまり重いもんだから3人ぐらいで束ねたやつを
≪今細いでしょう。あれで今の10倍ぐらい太かったですよ。
「このぐらいですよね。カメラが移動するたびに
≪カメラが移動するたびに持つわけですよ。それにカメラがだって下の台だってでかいし重いし。
「すごいのはあの場所でクローズアップも全体像もとれるじゃない。私たちの時にはクローズ後の時には来られない、私たちがカメラの方に寄っていって「おかあさま」とか言ってまた元に戻ってきたりしたでしょう。
≪そうそう
「あれがすごかったですよね。
≪でドラマなんかをやると時間経過というのがあるでしょう。夏やっていてはい冬に入りましたというときなんか衣装を変えなければならないからさっと行ってパッと脱いでパッと着てね
「でもきる時間がないから大体重ねてきてくれと言われて私3,4枚重ねてきて体形なんかはわからないわね。どんな人か。脱いでいくほうが早いから。1番下にパジャマを着ていてね。
≪とにかくみんな生ドラマで途中でしくじったら大変なことになるわけでしょう。
「そうそうそうそうでも私はしょっちゅうねこれ以上もう続けていられないという状況になる私がじゃないですよ全体が。そうなると私ねディレクターにもだれにも相談しないでですね「終わり」というのがスタジオ中に落ちていたの。その終わりを出しちゃうのカメラの前に。そうすると終わらざるを得ないのね。
≪(笑)
「終わりを出しちゃっているんだから
≪それはそうだ。
「そうするとしばらくお待ちくださいというふうになってそれでよかったの。
≪すごいことやってたんですね。
「しょっちゅうやりましたよ。やったことない?
≪僕はねあのセリフがあなた前もお話ししたけどもあなたはせりふはとてもよく入ったわね。私はセリフがなかなか入らないから(覚えられない)この張物のないところに行くんですよ。そうするとカメラは写さないですよ。それまではついてきますよカメラがだけどこうああいう張物のないところに入ってしまうとも写さない。パッとカメラさんの後ろに行くでしょう。するとカメラさんはみんな台本がでカメラの下に広げてあるですよ。そこに行ってささっと見てそれで急いでもどってきてああ失礼しましたちょっと今失礼しましたええ先のことですけどもというふうに続ける。でもそれもできないようなときにあなたに助けられたことがねもう本当しょっちゅうしゃべったり書いたりしてるんだけども忘れられない。あなたがね僕がつっかえようとしたら「あなたはね思っていることはこういうことでしょう・・・それに対して私はこう答えるは」ってねどんどんどんどん僕の台詞を言ってくれて先へ進んでいってつつがなく番組が終わったことが忘れられないですね。
「でも私も忘れられないのはあなたがある日私と2人きりで事務所に残っているという”若い季節”で僕は今日セリフをカンニングしないでやってみますとが言ったからやめた方がいいと言ったのにね何か何も書かないできたらしいの。あなたはお弁当を広げてバサバサといったから何か書いてあるのかなと思ったら突然ねその事務所からいなくなって私も何かをかきながらちょっと見ていたらあなたはすごい勢いでカメラさんの所に走っていってカメラさんの持っている台本をバーと見ていて「ああ忘れたんだ」書いていないんだと思ったら。すごいのこの方ズボンをこうやってしめながらいやどうもどうもとやっていてさトイレ行ってきた振りしたの。ああいうところどんなことがあっても切り抜けるというのはね。
≪まぁあの若い季節という番組でしたけどもあれはとにかくみんなをアドリブ合戦をやり出したらもう終わらないですからね。それだけは決まっていた。アドリブは一切なしと。じゃないと時間に収まらないですから。
「だって三木のり平さんの有島一郎さんエノケンさん渥美清さんシンチョウさん
≪バンジュンさん。のり平さんと2人であの方は何でもセリフを書いちゃう方だから、みんなこういうところに全部書いたんだけどもその箸立てにね箸の1本1本に全部書いてあったんですよ。それならこっちも迷惑をかけちゃいけないと思っているからこっち側の箸にぼくも書いていたのよ。それで本番の時にリハーサルのときはそれでよかったんだけども本番の5秒前3秒前といったら小道具さんがね「ごめんなさい」と言ってねそれをパッと持って行っちゃったの。どうしようもないですよ。それでこう2人で「え、だからねだからだ(笑)」なんて訳の後がないこと言ってそのうちまたのり平さんという人はすごくおかしいのだから「君は今日は顔が引きつってるね」とかいってなかなか収まらない。あんな子とは忘れられないですね。
黒柳「それにしてもメーンウエストという人はで胸が大きいからね安心しているとですね(小沢さんがずきんをとる)わあ!びっくりした。そういうふうになるわけね。おばあさん吉原で。
小沢≪だんだんに変わるというね。
「それで自分の出ていた映画のヒットした脚本、せりふを全部自分で書いていたんですよ。すごいです才女。今やっていないと思いますよ。出演メーンウエストと出てその後にメーンウエスト原作・脚本・セリフ。ブロードウエイの方も全部自分で書いていて出ていた人なんです。そんな人ってみんな知らないのね。でもビデオ1本もないからだ皆さんご覧になろうと思ってもね向こうではいっぱい売ってますけど
≪取り寄せれば
「もちろんです取り寄せられます。それで何といっても今から80年ぐらい前にゲイの人女装の人黒人こういう人をものすごく大事にして自分の出し物に全部出したの。
≪差別しない
「しないしない。しないどころか大好き。で女装の人たちのためにも脚本も書いている。それで今でもで人気があるんだって。
≪ナウイですね。
「ナウイナウイ。まさかねこの胸の大きい人がそうだとはみんな思っていないんですけども。あなたどんな感じですか今はおばあさんになって
≪ええとてもあなたと話をしているとおばあさんを忘れちゃってね。おじいさんで話をあしちゃった。
「おばあさん今年はさあ
≪はいよ。
「今年は丁と出るか半と出るか
≪そうですねでもまあ元気にやりましょうよ。
「そうですね本当にありがとうございました
≪テレビ60年までは何とかやりましょうよ。