本日の徹子の部屋ゲストは林英哲さん

2003年2月5日

黒柳「まあ本当にしばらくでございましたご活躍でなによりでございます。この間おいでいただいたときは

≪14年前

「そうです。ちょうどカーネギーホールにお出になってわあすごい和太鼓がカーネギーホールに出たんだ。その後ずいぶんいろんな国々。アフリカ各国

≪ちょうど番組に出させていただいた年がその翌年の正月だったんですけどもアフリカに行くということで番組収録後に黒柳さんがも番組の収録よりも長くあなたアフリカに行ったらこれだけは気をつけなければダメよという話をずっーと。あれがすごくスタッフわれわれのスタッフがね黒柳さんがあれだけ言ってくれているんだからといってすごかったんですよ。食べ物から水からつづらのように持っていきました。

「ごめんなさいね。ね多分ね大変な肉体をお使いになるのでやっぱりと思って心配したんですけども。その後ベルリン・フィルのメンバーとベルリン芸術祭なんかにもご出演になるという千秋楽にお出になると。それからモスクワでチャイコフスキーホール。あそこでまた和太鼓

≪それがまたソロでねしたんですけども。とっても喜んでもらって。

「そう。それから国立三重大学の客員教授

≪はい。

「それは何を教えてらっしゃるんですか?

≪客員なので特定の授業をやるというわけではないんですけどもあの三重県はいろいろ古い伝統があるというところでそういうところに学生と一緒に行ってお祭りを見たり芸能をみたりそれを僕がレクチャーして

「いいですねそういうの。1番生きた勉強ですよね。それから韓国のあなた夢でいらしたかたとご一緒の共演が。

≪キムドクスさんという、韓国でも今は大変打楽器が盛んなんですけどもそういうことの先駆けをやった人ですね。伝統のものではあったんだけどもそれを現代の音楽として通用するような形にして広めた大功労者。同世代なので仲がいいんです。

「そうなんですね。それと何といってもピアノの山下洋輔さんとのコンサート。これは随分やってらっしゃるんですね。

≪これがね18年(笑)

「ねえあの方ピアノを壊すということでホールを貸してもらえないという時期もあったんですけども今はそんなことはない。天才的と言われる方。こういう方々と一緒にやってらっしゃるんですけど、私びっくりしたんですけども持ってらした太鼓というか楽器全部写っている写真があったんですけども皆様おどろいちゃう。何が驚いたってこんなにあるんですけども(写真)1番後ろの左から2番目の直径あれ1メートル

≪1メートル15センチぐらいありますね。

「これですけども皆さんどれぐらい重いと思います?重さ。600キロ?

≪600キロぐらいあるんじゃないでしょうかね。

「どうしますそんなもの運んで持っていくといったら。楽器が600キロと言ったらちょっとすごいですよね。

≪大変ですね。これを箱に入れるともっと重たい。

「箱もあるんですか。

≪要するに飛行機につんだりするのにケースに入れなければ。ケース込みだとえらい重さになっちゃう。

「あれは木をくり抜いてあるわけですから今あんなに大きな木がないのでこれはアフリカ

≪アフリカのカメルーンにまだ森林地帯があって熱帯雨林。

「ほんのちょっとですよねアフリカだって。

≪それを飛行機で飛びながら探すんです。あそこにあった!そこまで道をつけて切り出して持っていく。

「直径150センチとがそれぐらい大きい木。

≪原木はもっと大きいですね。

「もっと大きい。

≪梢もすごく高くて葉っぱの形がどんな葉っぱかわからないです。下から見て。それぐらい高い。

「それをくりぬいて太鼓にして600キロ。で日本のその右の方にこれですね1番右端これはあのずいぶん使いこんだという色がしているんですけどもこれが日本の

≪これはケヤキの木ですね。

「これだって大変ですよね。

≪300年から400年たっていると思います。

「すごいですよね。その下にもいろいろな本当にいろいろな楽器がたくさんあるんですけども全部ご自分で持ってらっしゃる。

≪1回並べてみようといので自分でも忘れたようなものまで引っ張り出して。

「あと笛みたいなものまでいっぱいあって全部演奏なさるわけですからどれがあってもでおやりになる。それで演奏なさるについては肉体がすごくなくてはいけないというのでびっくりしたんですけども1分間に脈拍が40

≪今40ぐらい。この間ね去年アメリカツアーをやって虫にされた。そこが腫れて化膿して土曜日だったんでどうすると言って救急病院に行ったんですよ。そうしたら看護婦さんが都をとったりしてすぐに見てくれたんですけども年齢を聞いて荷役を見て「へ!」という(驚いた)顔をして

「全部違うという。

≪それでパスポートの年齢を見直してなくが40しかない。普通はあなたこれは病気だけども何かやっているか?と聞いたんですよ。まあそうみたいなことをやっているのかと聞きました。

「マラソン選手だったらあり得る

≪何か高橋尚子さんが40ぐらい。

「やっぱりああいう心臓がすごく強い人。

≪心肺機能が相当ないと連続舞台で2時間ぐらい打ちっぱなしするんですから。

「すごいです。それでお話していたんですけども皆さんで太鼓のバチというものがですね下にあってこういうふうにするんだったらまだ良いけどもこの方の場合は上にあるんだから今真似するだけでもいやだなと思って(笑)こうやって力任せにするんですからそれはもう並みじゃないですよね。だからこうやって拝見すると本当にすっきりとした華奢な方に見えるんだけども裸になってこういうところ(腕)が出るとすごいんですってね。

≪みような話で脱ぐとすごいんです

「すごいですねみろという感じでちょっと表から触ってみてもいいかしら?

≪いいですよ。

「ちょっと私ね(笑)

≪今日は無理やり若作りで細いのを着ているんですけども。

「本当に片手じゃ全然回らない(腕が太くて両手で覆いきれない)。この間メーンウエストという女優をやったの。男の人のマッチョが好きなの。あら片手じゃ回らないって両手でやってもいいかしらあらこれは何でできているのかしらというんですけども。でもこの辺はすごいですねカチカチですね。まぁどっちにしてもあとでスタジオで演奏していただこうと思ったらこういうスタジオだと音が割れちゃうんですってね。だもんですごくすばらしい演奏を後でVTRで皆様にご覧いただくんですけども召し上がりものなんだけどもこのコンサートがあるというと3日ぐらい前から食べ物を

≪変えるんですね。これはあのカガローディングとかプロテインローディング、マラソン選手なんかが試合の前からその1種の食事療法をやるわけです。

「ええ

≪それでタンパク質をとる期間とでんぷんを取る期間を分けるんですね。1回たんぱく質だけの日を作っておくと

「お肉なんかばっかりを食べる。

≪ええ、肉とか卵とか牛乳だけで過ごす日を作るんですね。そうすると1回体の中から力になるでんぷん質がむけるんです。その後でんぷん質だけをとるですね。うどんとかスパゲティとかご飯とかおにぎりとかお持ちとかそんなものだけ食べると1回干上がったところにものすごく効率よくエネルギーになる糖質が筋肉の中にドンとたまるんです。

「本当にそんなふうになるんですか。

≪あります。その状態で試合当日になると普段よりもエネルギーが筋肉の中に蓄えられているので長時間激しい運動をしても終わったとがすごく楽なんです。すごく力も出ますし普段より出易くなりますし終わったあととても楽です。

「そんなふうに体ってなるんですか。

≪なります。だからぜひお試しください。

「これぞ肉体を使う人はこれぞというときには3日くらい前にお肉とか食べて

≪あので2日ぐらいでもいい。前前日に今日はだから前前日だからあのお肉とかあれだけにしておこう。今日はご飯をやめておこう。

「ご飯をその時飯上がらないの?

≪食べない。一緒に混ぜると効果がない。

「なるほどおいしい焼き肉を食べてもご飯を食べていけない。

≪食べてはいけない。肉と野菜と果物ぐらいだったら大丈夫。

「でも肉中心で。

≪で翌日は昨日は肉の日だったから今日はご飯中心にしましょ。できるだけタンパク質をとらないように

「お肉の入ってないやつがいいですよね。ご飯とかパンとか。そうすると次の日には

≪もう朝からタンという感じがします(笑)

「なるほどね。そういうふうに体ができているとは知りませんものね。

≪今はでスポーツのそういう研究が盛んですからみんなも0コンマ何秒で競っているでしょう。薬危ないものは使ってはいけなかったりとか当然そういうふうにして体をできるだけ

「それからあの水着とかあのイアンソープさんの水着でもそうですけどもやっぱりどうしたら科学的にこう

≪研究されている

「でもあなたの場合裸だからほとんどであんまりお召し物がほとんど研究はされないと思いますけども。それではちょっとですねニューヨークでおやりになったライブの演奏があるので、それとちょっとみなさん亜波をなんといってもあなたですね客席に背中を向けて太鼓をたたく

≪はい。

「それは

≪それはねだんだん最初はそうではなかったんですけどもだんだんそういうふうになっていったんですけども。まずスピーカーが客席に向いているのと同じで音があれが1番伝わりやすいですね。で僕そりしつになっているから大きい音だけじゃなくて非常に微細な音とかいろんな太鼓全体を使ってさまざまな音色を出したいと思ってやっているので客席にスピーカーがちゃんと向いている方がよく聞こえる。

「こういう形ですね【写真】普通は横向きで太鼓が横で木の部分が横に見えていて

≪要するに斜に構えてうつというのがだいたい昔からの打ち方なんですけども。

「じゃあちょっとですねごらんいただければと思います。それと三味線と尺八とかの皆さんとご一緒にやっていいらっしゃるんですよ皆さん。ニューヨークですよちょっとご覧ください~VTR~ウワーすごい(拍手)今ちょっとジャズのドラムみたいな風にリズムの刻みが思ったんですけども皮の厚さが違うから。

≪あの普通のドラムのヘッドというのは薄いんですねティンパニとか。それであのスピードでやるというのはねまあ自分で言うのも変ですけども結構大変です。

「大変と思いますよ。それと体の中にはちゃんとリズムが入っていらっしゃるでしょうからね。あの時々ウンと声を出してやってらっしゃる。いやもう見ててもね本当に一流の尺八の方も三味線の方もすごいんですけどもまあすごいですよね。それでは皆の聞いてほとんどあれでしょう

≪あの音が太鼓の方がでかいものですから尺八とか三味線というのは自分の音さえ聞こえなくなるらしいですよ。確かにねよくリハーサルのときに彼らの場所に行って聞いているとよくこんなうるさいところでできるなって(笑)

「でもあなたもみんなのが聞こえないといけないですからね。

≪そこらへんはニュアンスをつけますしまぁ今のあれはマイクを使っているのでスピーカーで聞こえるようにはしているんですけどもなかなか大変です。

「でもあれ評判良かったでしょう。ニューヨークの方喜んだでしょう?

≪とても喜んでいただいてね。ニューヨーク10年ぶりぐらいだったのでああいう形のもの今太鼓がとても盛んなんですよ。アメリカで。太鼓=TAIKOで通じるぐらい。

「太鼓ていって

≪Japaneseドラムといわなくても寿司と太鼓は通じる。そのぐらいポピュラーなんですけども大体同じグループというかもステレオタイプでにたようなものしか行かないので僕のようなもの見たのは初めてに近い皆さん大変喜んでいただいて。

「大変反響を呼んだと思います。ではコマーシャルをはさみまして山下洋輔さんのあのピアノとご一緒にやってらっしゃるんボレロがありますのでちょっとそれのVTRもご覧いただくんですけども。ちょっとコマーシャル

≪はい

黒柳「ピアニストして奇才といわれています山下洋輔さんと一緒にずいぶん長くやってらっしゃるんですよね。

≪やってます

「やってらっしゃるんですけども、まあアフリカなんかにも一緒にいらしたんですけどもあのごろところピアノとあなたの太鼓でずっとセッションを。

≪今月からまたツアーが始まります。

「日本国内なの

≪国内です。

「初めてですって日本

≪その大規模なツアーは初めてなんです。

「でもすごいでしょう。あの方のピアノと一緒に。向こうも大変だと思ってらっしゃると思いますけども。

≪お互いに終わった後に「いやいやいやいやいや」とそれ以外言葉はない。

「どんなものなのか”いやいやいやいやいや”というものですけどもご覧くださいませボレロです~VTR~(拍手)いやあ大変なものですねこれね。

≪お互いに挑発しあうのでこう歯止めがきかなくなってどんどんどんどんクライマックスに行くまでにすごい欧州があって終わった後は2人ともハー(ぐったりする)

「それはそうだと思います。あなたの方もすごいんですけども山下さんの方は肘を使ったり今はやらないけども足なんだけどもこうガンガンガンガンなってくるでしょう。だからその日によって全部違うでしょうからね

≪違います毎回違います。

「それを聞きながら全部やってらっしゃるわけでしょう。いやそれでもってその技術をちゃんとおやりになってらっしゃるわけだからそれはもう何か50になったらできないなと思ってらっしゃるんですって。

≪もね20代のときは30を過ぎたらできなくなると思っていたんですよ。とても無理だ。でも30を過ぎてからソリストになったんですけども、やっていくうちに何とかつながってきて今は51なんですけども今年こないだなったんですけども。いや50を過ぎてまさか自分がやっているとは思わなかったので(笑)。でもでこういうものってやり続けるとできるものなんですね。

「そうだと思いますよ毎日。

≪どこかでドーンとブランクできちゃったらきっとここまでこれなかったと思いますけども。

「本当にこれは音楽的才能とかいろんなものがあるんですけども技術のものなので体の筋肉とかそういうものも全部がひとつになっていないとね。するとやっぱり研ぎ澄まされた神経とか集中力とか全部がないとね。

≪続けているとねそういう物って多分20代の時よりは筋肉の量何かは落ちているかもしれないけどもそういう神経とか記憶した量が増えてくるでしょうそうすると

「経験

≪経験が増えてくるからもっと表現が広がるんですね。それが体力だけじゃないもんだって最近よくわかりました。

「いやあーすごいです。もともと美術大学にお入りになるつもりだった方がこんなことになっちゃったんですから美術学校でデザイナーになりたかったんですって

≪そうです(笑)

「ちょっとコマーシャルをはさみます

黒柳「ここでお話しを伺っているとつくづく人生って本当に面白いって思うんですけども美術大学に入るつもりの子が落ちたりなんかしたものだからそこで突然永六輔さんのラジオをお聞きになった

≪横尾忠則さんが佐渡島のイベントに出ます僕も行きますと永さんがおっしゃった。で募集していますからと言うことでそれですぐに電話をかけて

「オンデコ座夏季学校。夏の。

≪そこに参加したんですよ。

「そうしたら

≪永さんはおいでになったんですけども横尾さんは後で聞いたら雨が降ったから行くのが嫌になっちゃって来られなかったんです(笑)

「そうなんですってね。そのラジオをもしお聞きにならなければ今日はないかもしれないですね。

≪ないです。

「なるほどグラフィックデザイナー

≪グラフィックデザイン。横尾さんにあこがれていました。

「そこでもっておんでこ座有名なおんでこ座の主催者の方とお会いになったりなんかしてあなたそこですごく長く居着いちゃってってそこで太鼓の技術は全部。10何年いらしたんでしょうそこに。

≪11年。

「すごいですよねちょっと行ったつもりが。

≪テレビもラジオも新聞も全然マスコミからの情報一切ない。

「佐渡

≪佐渡。休みもない給料もない。

「休みもない給料もない(笑)でもまあそこで食べさして貰って太鼓。でも世界に出ていくおんでこのあの妙子だったんですけども。それから現在のようにずっとなるようになったんですけどもそれでもいつまでもデザイナーになりたいという気持ちがあったんだけどもある日小澤征爾さんと一緒にやるということでアメリカにいらっしゃって。

≪結成して6年目ぐらいですかね1976年に

「おんでこ座?

≪おんでこ座。その前の年にボストン・マラソンを走って太鼓を打ったんですねえゴールで。それは大変だったんです。それを小沢さんがご覧になっていて君たち面白いね、曲があればぼくらとできるねという話になってすぐ話が翌年には実現しちゃったんです。

「ボストンシンフォニーと一緒に

≪小沢さんって世界知らない、バーンスタインさんとかも見に来ていて。ぜひ聞かせたいからと。これは大変なことで小沢さんがその当時音楽監督になる。有名なオーケストラの世界の、東洋人がそのポジションになるということはもう大変なことでしてなってまだ4、5年たたれたか小沢さんがまだ40代ですね。これは小沢さんの顔に泥を塗るようなことになってはいけないからこれは将来グラフィックデザイナーになりますなんてことを言っていてはだめだと思ったんですよ。その年アメリカをグレーハンドのバスで西海岸からずっと移動したんですね。4日ぐらいか3日4日。そのバスに乗ってくる人はみんな貧しい人なんですよね。で僕はずっと乗っていてこの人たちは一生その僕はこれからボストンシンフォニーのひのき舞台に出るだけども、この人たちひょっとして一生そういうその良い目に会えないかもしれない

「拍手をしてもらったりすることがない

≪この人たちはないかもしれない人たちがずっとバスに乗っているんですね。でそれを考えると自分は望んでそうなれなかった上手ではなかったけども一応そういう機会に恵まれてしかもボストンシンフォニーで小沢さんの指揮で世界1の演奏をするという立場になるんだからこれはもう腰掛け気分でやったら小沢さんにもお客さんにも失礼だ。これはしょうがない太鼓打ちなるということで(笑)きっと機関車のレールをポイントを切り替える

「わかります

≪レールを切り替えると

「ガチャンと

≪こういう人生だと思っていたのにガチャンと自分の中で音が聞こえたぐらいの決心でした。

「グレーハンドのバスに乗ったばっかりにね。それで小沢さんのところにお出になって大成功。ということで世界の林さんということになったんですけども本当に不思議な人生ですね。

≪黒柳さんのおっしゃっていた、黒柳さんのご本が好きでよく読むんですけどもあの最初はね絵本を上手に読むお母さんになりたかったからということで劇団にお入りになった。

「NHKに

≪人生てそのあとこういう番組をされていてどういう人の人生もこうなりたかったからこうなったということではないという人の方が圧倒的に多いんって。僕はそれもその助けになりました。

「私安心したんですよ。お母さんになろうと思っていた人間がこんなところに来ていてはいけないんじゃないか長いこと思っていたんですけどもほとんどの方が自分が思っていないって事でそれの方が長いということがねよかったですね。

≪分からないものだなと思って

黒柳「まあ本当にいろんなたくさんのことをやってらっしゃるんですけども鎌倉の大仏様の前で演奏ってこれは韓国の方とご一緒ん?

≪いやこれは山下さんと一緒ですよ。左ちょっと白いのが

「みえます見えます。すごいですねってこんなにライトです多いですね。ってそれと日本武道館で1,000人の

≪20世紀最初で最後のダイショウミヨウ

「1,000人のショウミョウとそこに和太鼓というのですから。そういういろんなことやってらっしゃるんですけども初めてのうんと長くご一緒だった山下さんと乾坤値千金という

≪はい。これはタイトルは村松トモミさんが命名してくださって。

「すごいですね乾坤値千金。

≪まだまだお前らがやれみたいな感じで(笑)

「そうですよね。それと山下さんと一緒のやつはCDと絵柄が見れるDVDと両方

≪今日発売

「それを両方とるのを大変だったでしょう。

≪大変だったです。収録が同時でというのがミスができないという。

「ご成功を

≪はい

タイトルとURLをコピーしました