2003年2月12日
黒柳「よくいらしてくださいました。あの冒険家私たちに勇気とかは元気とかいろいろなものを与えてださった植村直美さんがに姿を消して19年ということでございまして。今日は植村さんのお誕生日。
植村≪はい
「ええと姿を現してくださっていたら
≪62歳です。
「62歳。で奥様にまあ今日はおいでいただいたんですけども43歳の時に消息をおたちになってということになるんですね。で奥様はテレビにお出になるのは初めてだそうでございますけどもよろしくお願いいたします。あの何かインタビューのようなものにはお出になったかもしれないんですけども。そして25年前にずいぶん前になるんですが植村さんにこちらに来ていただいたときのVTRはずっと消息をお立ちになったということで放送を追悼とかはしていなかったんですけどもその封印をしていたVTRもあの今日はちょっと皆様にごらんいただければと思います。奥様にも辛いかと思うのですがいろいろお話しを伺いたいと思うのですが。この19年間は奥様にとってはどういう19年間?
≪そうですね。時間がたってしまうと何とも言えないんですが遊びに出たきり帰ってこないかなという感じがいたします。
「もしかしたらどこかで帰ってらっしゃるかもしれないというお気持ちもどこかに
≪そうですね。
「そうでしょうね。多分そうだと思います。ご自分では皆が冒険家というといや冒険家ではない放浪家だと自分ではおっしゃっていたそうです。植村さんは皆さんご存じのように世界初をたくさんなさいましてなんといっても5大陸の最高峰に登頂なさったことも成功。これは大変なことでしてヨーロッパのモンブラン、それからアフリカのキリマンジャロ南米のアコンカクア、それからアジアではエベレストそして北米のマッキンリーそしてエベレストは日本人初の登頂だったそうでございますけども。これはご結婚の前?
≪はいそうです。
「だったんですね。ま冒険家でいらっしゃる植村さんのひとめぼれで。何屋さんでお会あいになったんでしたっけ?
≪とんかつ屋さんです
「とんかつ屋さんでお会いになったのが最初だったんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロ。これはご結婚?
≪してから。
「だったんですね。それを送り出すときのお気持ちはどんなだったでしょう?
≪何でもいいから無事に帰ってきてほしい。
「そうでしょうね。でもメソメソするとかなさらないで元気に送り出していらっしゃったんですか?
≪はい。でまたすぐに帰ってくるからねと言って1年半ぐらい帰ってこない。
「その時は1年半帰っていらっしゃらなかった。そうかそういうことがあるとこの19年前のマッキンリーの時もまだ帰ってくるかなということできっとお待ちなってらして19年だと思うんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロの後今度北極点到達。そしてグリーンランド縦断、単独で犬ぞりというこの時もご結婚していらして。でまあいろいろあるんですけども最後になったのが北米マッキンリー。そして冬に真冬に登頂してご成功になったのは世界で
≪初めて
「初めてだそうですね。それで消息を絶ったあとその登頂をなさった証拠に日の丸の旗があって登頂をなさったまでは。あのときみんながね雪洞の中に荷物が残っていたていうことで。その時雪洞の中に残っていたカメラの中にご自分でセルフタイマーでお取りになった写真が残っていてそれをあとで現像なさった。
≪はい。
「そのお写真もありますので本当に真冬のマッキンリーだったんですけどもその時のお写真もありますので拝借できましたのでご覧いただければと思っております。元気いっぱいの写真ですよね。いつもそんなふうに犬ぞりの時もそうでしたけどもご自分でビデオでも何でもおとりになっていつでも単独でやっていらっしゃったので。(写真)ちょっとこれは暗いんですけども真冬のマッキンリーに登頂なさって成功なさったんですけどもこの写真は雪洞に残っていたということはこれから登頂なさる前だった。
≪そうだと思います。
「登頂なさったことまでは日の丸があるので確かなんですけどもその後がどうなったかというのがはっきりしないということなんですけども。2月12日真冬ですね成功なさってそれで15日・・・13日には交信があって。
≪はい
「14日に
≪その後16日の日に捜索隊の方が手を振っているのを見えたと言って下さいましてその後もうそれで終わりでした。
「なるほどね。お元気。それでまあ43歳の誕生日の日に登頂成功ということなんですけども。25年前にわ徹子の部屋に出ていただいたんですがその後それは奥様もまた帰って来るかもしれないというお気持ちだったので封印してあのお見せしないようにしていたんですけども今日はお誕生日だということもありますしお若い25年前の植村さんのVTRを皆様にもごらんいただけいればと思います。お辛いかしらね。
≪大丈夫です。
「大丈夫ですか。ちょっと皆様にもごらんいただいて本当に魅力的な方だということがよくわかりになると思います。まあその消息を絶ったあとマッキンリーの方にいらっしゃってマッキンリーをご覧になったんですって?
≪ええ、いい山だなと思いました。
「じゃ植村はいいところにいるんだなって
≪思いました。
「そういうことなんですけどもその前の非常に元気な時の徹子の部屋においでになったときの話なんでちょっとグリーンランドその北極点を成功なさったお一人でというグリーンランド縦断ですねそしてもう極点までに到達その後のお話しなので植村さんってこういう人だったんだということごらんいただければと思いますではご一緒に。
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黒柳「おかえりなさい。本当によかったですねおめでとうございました。でも今回はお顔も凍傷のようなものも直りが早い。
植村直己≪あの寒かったのは3月ごろでしてでして5月以降になりますと気温もマイナス二十度から0度前後になりましてずっと前のことなのですっかり取れちゃっています。
「でその凍傷の時はだいたいどれぐらいですか?
≪ええと-50度-40度30度そのあたりが毎日続いておりました
「マイナス50度40度というと寒いというと寒いってどのぐらい寒いでしょうね。
≪どうなんですかねやっぱり針でさされるような痛みを感じます。
「とても毛皮、あれは何の毛皮ですか?
≪あの白熊のズボンだとかトナカイの防寒着ですね。そういうのをおおっています
「それでもやはり寒い。
≪それでもというか顔だけはどんなに寒くてもおおうことはできませんのでいつでも外気にさらしています。
「ああいうマスクみたいなものもすると余計に良くないですか?
≪マスクしますと今度吐く息ですねすぐに凍ちゃってですねかえって悪くなります。
「そうですか。でも何かをやっていらっしゃっても寒いのはやっぱり寒いでしょう。
≪そうですね寒いです。-30度過ぎますと何を着ていても寒いです。
「ねえ、その北極点にお立ちになったときはどのぐらいの気候の時に
≪もう-20度、4月29日のことだったんですけどももうあったかくてですね生あったかいという感じで
「もう慣れてしまうとマイナス20度でも生温かい(笑)。そしてまあ随分前からの目標でいらしたそうなんですけども北極点にお立ちになったときというのはやっぱり御気分はどうなんです?
≪まあそれほどのものでもありませんでした。なんといいますかただ使命を果たしたというそういうような感じでしたね。
「はああ。初めのころのこの若かったころのこの目標のいってごらんになりたいというのと、訓練とかいろんなものを乗り越えていらっしゃった時の感じが
≪いやそういう点では自分では精いっぱいやってやっとこう自分の目標を達成したというね気分ですね。それは満足感はありました。
「景色はどうなんです?北極圏て。
≪なんといいますかね出発したとき当地とですね北極圏とまったく変わりないですね。ただ氷が1面敷き詰めていてあたりに凸凹の氷、ナンピョウがに広がっているという。
「空はあるんですか?
≪空はもちろん青空が1面に広がっているという。そういったことでまったく変わりない氷原であるという。
「今度の中で1番の大変だったというのはどういうことですか?
≪まあ大変といいますか死ぬ思いをしたというようなことが2つあります。あの白熊に襲われた時のこと、それからもうひとつは氷が割れて今にも落っこちそうになって逃げ場を失ったときのこと。この2つがあります。
「この前のあの北極圏の時にはあのアレでしたでしょう白熊が来たけど遠くだったとおっしゃったでしょう少し離れて
≪以前は犬がね白熊が来たらみんな一丸となって白熊をいやしてくれたりさらにですね白熊に対して闘争心が非常に強くてですね全然怖くなかったんですね。そんなもんで8ミリに白熊がやってくるところを取ったりしていたんですけども今度の場合は実は出発して間もなくテントで寝ている間にですね白熊が来たときに犬は主人をおっぽり出してですね逃げてしまったんです。だから気づいたときには白熊がこうテントのそばに来てですねばりばりこう寝ているところをかき始めている
「わああ!!大きいんでしょう。シロクマって
≪でっかいですよ。牛ぐらいあります、子牛ぐらいあります
「それからこう立ってきたんですか
≪立ってはきませんけどもこう四つんばいになって寝ているテントの中に
「入ってきたんですか?
≪入ってはきませんけども。ところにきてねているテントを爪でひっかき始めたんです。
「でどうなったんですか?
≪なるがままにですねしていたんですが結局白熊はは私を見つけることはできませんでして、あのすぐ近くにあった私のアザラシの肉だとかそういった犬の肉を食べて腹満腹になってですねそして去っていきました。私を見つけることはできませんでした。
「あなたは何かに潜ってらしたとか隠れたんですか?
≪しらふの中でですね寝袋の中で死んだふりをしてきっとこう息をひそめていたんですけども。
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「37歳の植村さんだったんですけども。どんな感じがするんですか?
≪若くて楽しそうですね。
「本当にね。いいですか?本当にじゃ奥様としては悔いがないという感じがありますか?
≪はい
「この19年間随分いろんなことお考えになったと思うんですけどもいつか帰ってくるんじゃないかとさっきフラッとに帰ってくるんじゃないかと思いになっていたというけどもやはりあの方の人生が幸せだったろうと
≪と思います。うんと幸せだったと思います。
「まあそこへ到達されるには随分おつらかっただろうと思いますけども。でもなんて優しくて魅力的な方だろうと思います。でも実際にも優しい方だったですね。
≪はい優しいところもありましたけど
「でもいっちゃう事はいっちゃうのね
≪そうです。
「コマーシャルをはさみましてもう少しVTRをご覧いただきたいと思います。笑顔の本当に美しい方でしたらちょっとコマーシャルがございますのでコマーシャルです。
≪
黒柳「奥様はやっぱり若かったとおっしゃった。やっぱり若い感じが?
植村≪はい
「でもいつも思い出の中には若い植村さんが
≪そうなんですね。ずるいですよね。向こうは若くて。
「この徹子の部屋においでくださったときは37歳。まあこれの5年後か6年後かに消息を絶ちなるということですからそういう不安みたいなものは一切なくて。本当に明るい感じてお話しをしてくださったのでちょっと続きをご覧ください。おやさしいお話が続きます
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黒柳「植村さんはいつも単独で行動なさるんだけどもやっぱり単独というのは寂しい?
植村≪いや全然寂しくありません。気ままでいいです。自分の気持ちが全部こう通ってしまうから人に左右されなくていいですよね。そして純粋な犬がいますでしょう人よりも純粋でよろしいですよ。犬が仲間がいて。
「そういう相談相手(笑)でも話なんかをなさるのか?
≪唯一のあれですから仲間ですから人と話す以上にいると話しているんじゃないかと思いますけども(笑)
「じゃああなたがとてもうれしそうにとにかく北極圏におつきになったということは犬たちもわかったようでしたか?
≪やっぱりこちらが気分が爽快ですとね犬もそれとなしにみんな分かってくれたようです。
「ウワーかわいいのね(笑)今度は17頭でご出発でしたか?その走行中に赤ちゃんが生まれ大もいるんですて今度。
≪今度も出発してですねまもなく-40度30度越していましたですね40度近くの時にです。寒い中にやっぱり行こう赤ちゃんが生まれてですねそれをですねえもうテントの中でうまして。
「何頭?
≪9頭。
「へえそんな寒い中で9頭も
≪だからもうですから最初はですね最初生まれたのはテントの外で生まれましてですね他のオス犬どもが食ってしまいましてですねあわててテントの中でうましたんですけども。
「テントの中で。この前の時はねやっぱり生んだだけども今度は経験ずみでいらっしゃるからすぐさまテントの中に。それで9頭が生まれたんですか。
≪はい。それをちゃんと四頭だけ生き残りましたですけども。育ったんですけども
「じゃあお母さんの役目も
≪いや生命がこう生まれるそういうものに対して何かこう父親というのが気分を味わいましたですけどね(笑い)
「そうでしょう。テントの中でこうやって小さい犬を抱いて
≪そうですねとにかくかわいいですね。しかもマイナス40度ぐらいあるでしょう。でやっぱり行動している中でしょうソリの上に積んで母犬と一緒に積んでおっこちないようにしてあったかくしてやって。大変だったですけども世話をやかせればやかせるほど子犬がかわいかったです。
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「
≪(笑)
「若いご主人、自分よりもかなり若いご主人ですけども今おっしゃっていたのはお一人で判断してあの氷の中を物凄い氷の中ですよね。よくいらっしゃいましたねといったらどうしていきたかったんでしょうねとおっしゃっていたけどもやっぱりなぜいきたかったというのはわからない
≪わからないですね。
「よくそこに山があるからと皆さんおっしゃるんですけどもこんなにこれから皆さんにご紹介するお手紙植村さんからの手紙がたくさんあるんですけどもそれを全部を読みになってもなぜいきたかったのか分かりにならない?
≪(うなずく)
「あそこのマッキンリーで消息を絶ちにならなければもしかしたら今日は62歳の誕生日でおめでとうございますなんてやっていらっしゃったかもしれないと思いになるとやっぱりねなぜって。でもマッキンリーをしたからご覧になってここにいるのがあってそれはまあよかったのでしょうかね奥様としては。
≪はい
「さてあの植村さんの持ち物そして最後の雪洞に残っていたものそういうものは植村さんの記念館が板橋にあるんですね。あの冒険館というんですが。そしてもう一つは兵庫県の日高にも植村さんの冒険館があるんですけどもそちらの方にお渡しになったんですが植村さんが奥様にお出しになった手紙、全部でずいぶんあるんですね。何通でしたっけ?
≪280通ぐらいあったと思います
「280つうぐらい。まあギリギリのところでも手紙を奥様にを出してらっしゃるんですねそのお手紙でそれは人に見せないでくれとおっしゃっていたんですって。
≪はい。
「でもそれはご自分のものだからということで冒険館の方にはお上げにはならないでご自分でずっと持ってらしたんですけども19年間もってらして今度植村直己さんのお手紙ということで本をお書きになりましたよね。妻への手紙という。これはどういうお気持ちで。
≪何かあの長生きして私が長生きしちゃったからだけなんですけども。はい。
「できることならば1週間ぐらい前に死んじゃって
≪先に植村よりも行って1人ってこんなに寂しいのよって思いを味あわせたかったんですけどもはい。
「それから19年もたってしまったということですけどもやはりこれだけの冒険家ご自分では放浪家とおっしゃっていたそうですけども奥様にお出しになったお手紙が280通もあったのでは植村さんはあんまり人に見せないでほしいとおっしゃってらしたんですけどもまあそういう中でも人間というものはこういうお手紙をがお書きになれるんだということで。10年間結婚をしてらしてだいたい一緒に大角なったのは何年ぐらい
≪5、6年ぐらいですか。
「半分ぐらい。本当にこのお手紙を、本を拝見致しますといつもご自分のことよりもあなたのことを気遣ってらっしゃるんですよね寂しくないかとか風邪をひかないようにとか寒くしないようにとか直子ちゃんでしたっけ?ご親戚のあなたの姪御さんに泊まってもらいになってとかね。いろいろあんなすごいところにいらっしゃってもあなたのことを心配してらっしゃるお手紙なんですけども。ああいう風に絵もお書きになって大変な状態でもいろんなすばらしいお手紙をお書きになってらっしゃるんですね。それをやっぱり私たちが読むとこんな素晴らしい冒険家の方がどんなふうに冒険をしたかというのがずいぶん詳しくどんなことがあったか。またその奥様に対しの気持ちこれは中でもとてもいいお手紙なんですけどもそれは帯の最後の方に書いてあるこれは本文の中からということですけどもちょっとご紹介してよろしいですか?
≪(うなずく)
「”いつだって新しいこと危険なことをやる前にまず君のバックの忠告を守りそして私を支えてくれる多くの人たちを思いそして決行している。はっきり言って厳しかった旅がここまで無事にできたのは本当に君のおかげである。君の寿命を縮め、結婚してから迷惑ばかりをかけているが一体君にこの償いは何ができるのだろうかとふと旅中思ったりする。私は君と一緒になれたことの幸せは神に感謝しなければならない。”まあそういうお手紙がたくさんこの中には封じ込まれたというか今でもその出してごらんになるとどういうお気持ちです?
≪あまり出さないですね、あまり見ると癪にさわっちゃうから(笑い)
「それはそうですよね。この時だって帰ってくると言ったじゃないか。最後の時もちょっと行ってくると言う感じでマッキンリーにいらっしゃって最後のお手紙もあるんですけども
黒柳「この植村さんから奥様にあてた手紙の中に本当にあの子供がお母さんに説明しているようなところがいっぱいあってとかくじっくりと安全にやるから何ひとつ心配はいらぬからどんなことがあっても時間は人間に関係なく過ぎていって必ず帰ってくるからというふうに本当に何回も何回も繰り返していらっしゃるんですけども。でも優しいことを書いても行っちゃうと奥様はおっしゃっている。
植村≪はい
「そう何もかも置いていってしまう。
≪あったかいものを全部をおいて出掛けられるんだから。
「じゃあ帰ってきたときはどんななんですか?
≪「終わったよ」って行って帰ってくるんです。
「終わったよって。じゃ奥様にどんなに大変でも、お手紙がそこにきているだけどもどんなに大変だったかという話をなさるんですか?
≪しませんね。
「しません
≪終わったよといったころにはもう次のことが頭の中にあると思います。
「じゃあちょっと悔しいでしょう
≪はい。
「ねえ終わったなら終わったよって帰ってきたら少しはゆっくりしてそんなに優しい気持ちを持っているならもう少しゆっくりしていてもいいじゃないかと。じゃ帰ってきたときは次の冒険を考えている
≪と思いますね。
「でも口に出しておっしゃらないですよね次はどこに行くとか
≪はい
「でも植村さんがそういうふうに考えてらっしゃるということは奥様にはわかる?
≪わかりますね。何でいっしょになっちゃったんでしょう(笑)
「ん?
≪なんで一緒になっちゃったんでしょう。
「でもやっぱりそういう運命だったと思うんですけども。でも中の手紙には君がここにいたらいいのになんていうのもありますよね。
≪はい。
「お誘いになったことはないですか?奥様をどっかに行ってみようと。
≪ないですね。
「まあちょっとで肉体的に大変ですからね。やっぱりしょっちゅう先の方から風邪を軸だとか寒くしないようにとか。でもあの方はとても臆病なところがおありになって日本に帰ってらっしゃるときに夜中になって音がしたら大変だったんですって?どんな時。
≪猫がこうガチャンと音をさせても怖がりますし寒がりですし。すごい寒がり。
「どうしてじゃあの人はああいう所に行くとできるのかとそう思いになったでしょう。
≪そうですね。
「ああ怖がり。奥様は猫じゃないという感じなんだけどもあの方は何だ何だ今のことは何だっていうふうに
≪ひとよりも人様よりも怖がりだといってあたしは思うのですが
「でもそういうものがそれまで本当に臆病で細心だったから成功したとも言える
≪そうですね。
「でもそんな憶病な方がよしオレがいってみてやるということはあまりない
≪ないですね(笑)
「本当に怖いのなんて寒いだなんて。面白いですねあんな零下40度零下50度のところでね何とかやってきましたとおっしゃっていたのにおうちにいらっしゃると寒がり。じゃご一緒にいらっしゃって面白い方でしたかしら?
≪そうですね。
「でもこういうご性格の奥様でいらっしゃるのでわりと安心して彼は出ていったとも思いますよね
≪そうですか。
「あまりメソメソしたりとかあのどうしていっちゃうのとかそういうふうにおっしゃらなかった
≪なんで行きたいの?とは言いましたけども
「そうすると彼は何て言ったの?
≪俺はこれしかやることがないという感じで。変な理由をつけては
黒柳「まあ19年たってこれは文芸春秋から出してる文芸新書というところの種類の本の中に植村直己妻への手紙ということなんですけども。もし植村さんがどっかでそれを見てらしたらなんておっしゃるでしょうね手紙?
植村≪それはないよっていってると思うんですけども。今でもごめんなさいと思うんですけども。
「今でもこのお手紙をご覧になるとあまりさっきそんなに出してみることはないとおっしゃってらしたけどもやっぱりつらさみたいなものは奥様のつらさみたいものは変わらないのではないかしらと思うんですけども。どういう風かしら
≪手紙ではつらい、つらかったときもあったでしょうしそう思いますけどもあの動いた映像を見てますと楽しかっただなと思って。
「じゃご主人が楽しかったんならいいやっていう
≪はい。そう思います。
「でも遭難ていう言葉をお聞きになったときは初めてのことだったんで定めしびっくりなさったと思いますけども。
≪人様に迷惑をかけてしまったと思いましたけど。
「でもやっぱり今度どこかでお会いになったらやっぱり報告はすることはたくさんおありになる
≪はい。
「じゃ奥様がお元気でニコニコして生きてらっしゃることを植村さんは望んでいらっしゃるでしょうかね。
≪(うなずく)はい。
「ね。まあ本当に今日はお辛いこともあったと思いますけどもお目にかかれて本当によかったですありがとうございました。植村公子さんでした