2003年2月18日
黒柳「エッセイスト・コメンテーターでもいらっしゃい今は母親として大変ご活躍の南美希子さんですけどもどうも。きれいなお洋服ね。貝みたいな。
南≪貝を縫いつけているんです。民族衣装みたいな感じですけども。
「ねえ有名なメーカーの(笑)
≪(笑)いやいやいや
「某ブランドだそうですけども。本当きれいきれい
≪ありがとうございます
「でもあなたはテレビの草野さんのに出ていらっしゃるでしょう。コメンテーターであれはお洋服自分でやってらっしゃるんですって。
≪全部自分の。だから使い回しですねほとんど。
「でもいろんなお話しがあるから割とスーツみたいなものが多いかしらね。
≪特に最近はあの北朝鮮の拉致被害者の方々の問題があって。派手な格好はできないので
「久しぶりにきょうはあなたの胸も豊かな胸などを
≪ちょっとずいぶん下降気味ですけども最近(笑)。
「いやいやそんなに胸の大きい方とは思っていませんでした。いやいやびっくりいたしております。さっきたっていて拝見したらあらあらあらと思って。
≪(笑)
「その時に皆さんをおあけになったのをご覧ください。胸がとても豊かな方を初めて拝見いたしましてびっくりいたしましたけども。
≪家系なんですけどもホルスタイン形で。
「ああそう。
≪母も祖母も。ですから年になると随分こんな感じになって本当に牛になってここら辺にあるんですけどもやっぱり巨乳タイプですよね。
「ああそう。でもそれは遺伝子してよかった私の母はそうなんですけどもホルスタイン形なんですけども私は全然父の方に遺伝子ちゃったんですね。父の方が遺伝子しちゃったので全然筋肉質で。こないだ母にね下がってくるもの?と聞いたんです。芝居をするものですから下がる下がると言っていました。
≪本当に下がりますね。
「でもまあそれだけ豊かでいらっしゃるので
≪いいえいいえ(笑)
「なによりだと思います。テレビ朝日の局アナだっていうことを今やご存じない方も多いかもしれませんね。
≪そうですねもうやめて何年になるのかしら。16年ぐらいになりますね。
「ああそうじゃあ外にお出になっている時間の方が長い。
≪もう長くなりましたね。古舘一郎さんだとか吉沢さんだとか渡辺さんだとか全部同期なんです。
「そうですね。ずいぶん花の何期生とかで。皆さん大活躍で。
≪そうです。
「古舘さん渡辺ノリツグさん朝のでここの局でやってらっしゃる。そして吉沢さんもそうです。この間まで野次馬ワイドで
≪そうですそうです。
「佐々木さんはお昼の前でもって新聞をやってらっしゃる。そういう方とご一緒でいらっしゃるですものね。この前いらっしゃった時に赤ちゃんが生まれたときにあなたはウソと思いになったって
≪できたときね。
「そうそうそうそう
≪びっくりしました。まさか自分ができるとは思っていなかったので妊娠出産したのは40歳だったのでよもやできるはずがないと。主人はちょっと望んでいたんですけども。
「で結婚なさって何年目ぐらいだったんですか?
≪もう1年ですね。
「じゃあ
≪入籍してすぐ出来たんです。主人は何となくほしそうだったんですけども、私は子供が大嫌いだったんです。だからできたときは焦りまくって仕事が中断されることが怖くて怖くて。でどうしようと思って本当に妊娠した高校生みたいに実家の母に電話したんです「どうしようできちゃったできちゃった」って。そうしたら母がよかったじゃないといわれてそれでまあよかったんだって不思議なものですね。その時から何かこう母になる喜びというのがフツフツと沸き上がってきて。
「へええそうだったんですか。その時ね嘘と思いになったというですけどもそのうそだった子が小学校をピカピカの1年生に
≪この春からなります。
「そして今や子供中心なんですってオタクじゃ。
≪そうですね。もう私の本当に1日も子供中心で。まあ仕事もしていますけども家に帰ると自分のこと一切できませんね。
「前コスメの女王って初めてここにいらっしゃった時に何かこんなお化粧箱のこんなのを持ってらしたからどうやってお化粧をするというのを教えていただいて見せていただいたじゃないですか。それがもう子供生まれたら顔も洗わないとおっしゃっていたので(笑)
≪今でもここらへんに目やにがついていることがありますね。
「やっぱりね
≪起きてからババと全部子供のことばっかり
「お坊ちゃん?
≪男の子です。
「だから元気だから押さえていないとね。
≪そうですねおまけにビーグル犬も飼っているので家の中は
「ビーグル犬?
≪ビーグル犬
「それもかっていてありますあります。
≪そうなんですよスヌーピーのモデルになったもの凄くやんちゃな犬なので。
「足がちょっと短いみたいな。
≪そうですそうです。うちの中はいつも金魚鉢をひっくり返したようなめちゃくちゃです。
「前はご主人とお2人でこう何か旅といってもすてきなところに行ってみたいな感じだったんですけども今もいらっしゃる所は子供中心のところだからすごいのね。おイモ掘りとか。潮干狩り
≪潮干狩りも行きました。それから牛の乳しぼり。イチゴがり。イチゴ狩りってこうやってスナップを効かせるんですね。いろいろ勉強になりますね。イチゴ狩り潮干狩りいきました生まれて初めてでした。
「それで乳しぼりなんていうのは子供にやらせてくれるんですか?
≪ちゃんとであれは小岩井牧場に岩手県まで行ったんですけれどもやらせてくれるんですね。当たり前だけども出たばっかりのお乳って牛乳て暖かいですね。
「それはすぐに飲んでもいいんですか?
≪それはね飲ませてくださらなくて体験だけでしたね。
「そうですね何か殺菌なんかするんでしょうねきっとね。あったかいの絞っていると。
≪そうなんです。あとは新幹線を見るのが大好きなので。今まで私は新幹線に乗るときに
「子供が好きなのね。
≪もう大好きなんです。何号車の何番の席に座るとかどの光号に乗るということしか頭になかったんですけども五百系のぞみとか700系300・・・・・いろいろあるんですよ。
「同じ新幹線でも。
≪ええ。東北新幹線東海道新幹線も2階建てのマックス。
「今のユスリ系というのは何ですか?
≪ユスリ系というのはコマチ・山形に行く新幹線です。福島でこう分岐していましてね。
「へえ先の方は尖っているやつ?
≪あれは秋田、秋田へ行く新幹線です。今は流線形でほんとだから東京駅に行くと興奮しますね。何か子供がいなくても1人で出張で乗るときももうドキドキしちゃうぐらい500系なんてかっこいいですよ。鉛筆の芯みたいに。
「ありますよね先っちょが長い奴が
≪ええ。
「あれはどっちのほうへ行くんですか?
≪あれはあの東海道新幹線などで博多まで行くと思うんですけども。最高時速300キロです。
「そうなんですよねノゾミなんかそうですよね。
≪今は700系というとカモノハシの形もあれが大体主流ですね。あと鉄仮面みたいな300系。
「そんなに違っているんですか新幹線って。乗る時行って先の方は見ないですよねそちらから歩いていかないから。
≪でも私は必ず最近は先っちょをみますね。
「ああそう
≪で連結車両なんかがあるんです東北新幹線で。小町とやまびこなんかが連結しているとその連結部分を必ずカメラに収めますね。
「気をつけないと途中から離れて違うところに行ってしまうのね。あれね。芝居の旅でよくそちらの方に行くんですけども。あの何かちゃんと自分のところにのってくださいて、そうじゃないと違うところに行ってしまいますから。
≪あの繋がってないんですよね。
「いかれないんですよね中で。
≪そうなんです。
「全然別個のものがつながっている感じなんですよね。そこの連結をおとりになって。
≪そうなんです。興奮しますね。
「子供って何でもそういうものに興味があるのね。
≪男の子というのはああいう機械モノとか乗り物とかで血が騒ぐ性質なんですね。
「(笑)前はシャネルだなんだっていうのが1番の関心事だったようですけども今は乳しぼりとか
≪独身時代が私長かったので、もうお買い物も恋愛もフルコース全部済ませたので落ち着いて子育てできます。
「ちなみにご主人は建築がでいらっしゃいまして堀池さんとおっしゃる建築家でいらっしゃいます。
≪そうです。
「堀池ヒデトさんとおっしゃる有名な建築家でいらっしゃいます。ご主人はそうするとお出かけは多いの外にお出かけ
≪ええ、海外出張等々が多いのでもうほとんどなにか母子家庭みたいな感じなんですけども。でも比較的休みの時は主人も一緒に蒸気機関車に乗りに行ったり潮干狩りもですから3人で行きましたね。バケツで足をここまでたくし上げて
「靴をまくってね。あれは脱ぐほどじゃないですよね潮干狩りっていうのはめくる程度なんですね。男の人もね。
≪熱中していると思わずおしりがついちゃってパンツまで染みちゃうんですね。
「そうですビショビショですよね。今でも潮干狩り出来るとこあるんですね。
≪あるんです。私たちは木更津に行ったんですけども主人と息子というのが血液型がB型なんです。B型というのは凝り性で時間の感覚が飛んでしまうんですね。終わりの何か蛍の光が拡声器で聞こえてくるんです。潮干狩り場に。それでもまだモクモクと2人ともパンツまでびしょびしょになって。
「何がとれるんですかそういうところって?
≪あさりですね。今では前の夜に家韓国産何かを巻いているという話をタクシーの運転手さんから聞いてしまったのでちょっと興ざめだったんですけども。
「ああそう。そうじゃないとそんなにはとれないかもしれないわね。
≪たくさんの方がお見えになるので。それで結構じゃんじゃんとれるから。楽しいですよ。
「楽しいでしょうね。私も昔やったとき楽しかったですものね。後ボストンの方へサマーキャンプみたいなものにいらっしゃったんですって息子さんと。
≪そうです2年前に
「小さかったでしょう
≪4歳のときだったんですがまあとても1週間だけですがいい経験でした。
「子供だけを預けちゃうの?
≪子供だけ預けて。あの朝9時から3時ぐらい夕方までですねずっと預けるですね。初日はやはり怖くて怖くて子供はそれで環境も全然違うので預けてからずっと主人と影から見ていたんです。
「(笑)
≪そこがまた環境がいいところでリスがね木にちょろちょろと行ったりするようなところなんですけども。でもホント子供がなじんで最後何か頭からつま先までを泥だらけで遊んで。
「でもそうやってこうやってあなたたちが覗いていらっしゃると子供っていうものはすぐに親しむの子供に?
≪何かそれなりに遊んでいますね。女の子がとても好きなので今は幼稚園でも女の子の後しか付いていかないですけども。やはりそこでも女の子と一緒に遊んでいました。
「遊んでくれていました女の子も?
≪ええ女の子には受けがいいみたいですね。(笑)
「じゃあいいですよね。そこで楽しく過ごして。
≪そうですね。でもホテル住まいだと1週間、やっぱりお弁当ももたしていかなければいけないものですから
「そう大変ですね。
≪ルームサービスでいつも毎朝同じものをとるものですからルームサービスの電話で向こうのおばさんが笑っているんですよね。ボイルエッグとパンとパンとプチトマトと毎日決まったものをとるので何なんだろうと。
「そのキャンプのところでは自分たちで煮炊きはしない。子供たちは。
≪サマーキャンプというんですけどもまあシュタイナー教育といってドイツのシュタイナーという人の教育に基づいてわりと自然に基づいた幼児教育をしてくれるところだったんですけども。
「そうなんですか。じゃ子供がいなかったら体験できなかったことを今体験してらっしゃる。
≪そうですね本当に今思うと独身でいたころの日々と子供ができてからは全然違いますね。
「だってご結婚なさった時だってみんな「え!」といったんでしょう。
≪自分でもえ!と思いましたけども、ましてやそんなにすぐに子供ができるなんて。
「しかもその子が1年生になるなんて。その息子が本好きですって。お宅なんかは本がすごくいっぱいあるんですって。
≪そうですね。だから子供の絵本だけで今12,000冊はあってそれを全部彼が読破しているんです。
「12,000冊。どういうところに本は、本棚?
≪本は置くところがなくなってしまって最後はだらしなく積んであるんですけども
「そんなに絵本てあるものなんですかね。
≪あるんです。
「私もいわさきちひろ絵本美術館の館長をしておりますんですけどもあそこにだってそんなにはないと思いますよ。そんなに12,000冊なんて。
≪ゆくゆくはどこかに寄付でもさせていただこうかなと思っているんですけども。最後はね私自身の趣味になりましたね。もともと絵本を手に取るなんて機会が全然なかったんですけども子供がそうですね4、5カ月のころシッタさんが初めて絵のない絵本をくださった熱心に見るんです。この子はもしかしたら本が好きなのかもしれないと思ってそれから私は本当に毎週週に1回は絵本の店に行って自分でもてないぐらいに10冊ぐらい買って帰るというような感じだったです。
「でも子供が読破したっていうのはすごいですよね。でも。
≪そうですねそのボストンから帰ってきて子供が完全に時差ボケになったんですね。
「子供でもなるのあれは。おかしいわね。
≪初めての海外だったものですからなってね夕方6時に寝てどうしても12時に起きちゃうんです夜中の。
「夜中の12時に。
≪こちらはそれに付き合えないのでついつい寝ちゃって朝の6時ぐらいに起きるとこんなに本が積んであるんです。こちらに1度もベットルームに起こしに来ないのでたぶん彼はずっとそれを読んでいたんだと思います。
「ああそうなの。じゃあ本好きでなによりですけどもね。
≪そうですね。まあとりあえず本が好きというのが自分の世界が広がりますから悪くはないなと思いますけども。
「でも小学校に上がる前に12,000冊読んじゃった子なんて少ないんじゃない。
≪どうでしょう。まぁ他にはこれといった教育はしてないのですが本だけは好きな子に育てたいというのがとりあえず伝わったみたいです。まあ読むのが私は本職なので
「あなたはね
≪今はずいぶん読みきかせは減りましたけども1時は寝る前ノルマ5冊でした。
「そうか。あなたは読んでお聞かせになったのね。
≪1時間くらい必ず長く読んでいましたので。仕事でのどを使うのでとてもきつかったんですけども。これはやっぱり子供の要求にこたえようと思って一生懸命読んでいました
「やっぱりそういうことって必要かもしれませんよね。私の家もねいろんなものを買ってはくれなかったんですけども本屋さんで欲しいものがあったときはツケで買っていいということになっていたの。だからずいぶん子供の時に本いっぱい読みましたね。他は何も買ってもらえないので。本屋さんに行って自分の好きなのをツケで買ってずっと読んでいましたから。
≪よくだから成功した方のお話しを聞くと本だけはつけて買うというの話を徹子さんもそうですけども石原慎太郎さんもそうじゃなかったかしら。私そういう話もあったので本にはお金をかけようと思って。着るもの何かは本当に汚いものを着ているんですけども汚すものですから
「それはそうですよねああそう。というようなお母様ぶりでいらっしゃるまだちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「多分自分ではそういうふうに思っていらっしゃらなかったかもしれないんだけどもお受験も
南≪そうですね。私はもどこでもいいと思ったんですが主人の方が熱心だったので1年前から急に準備をはじめまして。1年間はあちこち子供を連れて行きました。夏の暑い日もはしごしてお勉強のところから体操。大体皆さんお勉強とたいそうをやっているみたいなので。ただでも今の先生方もすごく捨てたもんじゃないなというのは失礼なんですけども素晴らしい先生方で子供たちって体操の先生って私感激しました。ずっと朝赤ちゃんから受験生まで最後の受験する幼稚園の年長組というのが始まるのは6時から7時ぐらいなんですね。それまでずっと同じテンションで全力投球で汗まみれになってたれてくるあせもぬぐわずに教えてくださるんです。
「どういうこと?
≪あの、クマさん歩きといって。うちの子はそれが最初遅くて、それはそうですよね普段直立不動で歩いているんですから。でも皆さんなんかはとても小さいころからやってらっしゃるので「やりなさい」と言われたらタタタタといくんですね。うちのは遅くて遅くて涙出そうになって。毎回1時間見学に行くんですね。おかあさま方もずらっといて。子供を見ているよりあるとき親を見てた方が面白いなと思って。親の顔が「そこ違うわよそこ違うわよ」。もう監督みたいに自分の子供の番になるとね「足の出し方が遅い」とかすごいんですよ。私も自分の子が遅いので本当に穴があったら入りたいみたいな気分になって
「やはり自分の子供のことになるとそういうふうになってしまうんでしょうかね。他の子供と比べて。
≪おかしいですね。自分だと何でもできるような気持ちになってたのに子供だと思うようにいかなくて。
「それはそうですよね。
≪家でビーグル犬と一緒に練習させたんですよ。最後は何かビーグル犬を追い越すくらいになって(笑)
「上手になったの。
≪それはどう考えてもビーグル犬の方が早いんですけども。そうやって一生懸命練習してそうすると子供なりに達成感ができてきますしだから
「大変ですよね。まぁそれは才能を早く開発するということも必要だと思いますけども。
≪いいことか悪いことかよく分かりませんけどもただ私自身はそうやってとても熱心ないい先生方に巡り会って自分自身がすごく面白い1年間でしたね。
「ああそうなの。そんな小さな子供のころからよくいって、私あの漢字を読ましたりとかいうのを見たことはあるんですけどもテレビで見ていたので。小さな子供でも感じがどんどん読めるようになっていくのを見たんですけども。それ体操や何かは見たことなかったのね。やはり体を動かすことは必要なんでしょうかね。
≪そうですね。とくに小さいお子さんの場合にはわりと運動神経と知能の発達というのは相関関係があるらしくてそれを一生懸命やれるんですけども。
「昔は思っていらっしゃらないような。でもあなた自身は内気な内弁慶のお子さんなところでもって
≪いや本当に声を発するのが恐ろしくて。とくに幼稚園の思いでというのは嫌な思い出しかないです。象徴的だったのはあるときおたふく風邪私お休みをしたらしいんです。それを先生にお伝えするの忘れていてうちの母が昼過ぎに幼稚園にオーディオをしたら担任の先生が出てらして「ああ南さんいらっしゃらなかったのいつもいらっしゃるかいらっしゃらないかわからないので気がつかなかったわ」といわれたんですって。
「あら
≪私も自分自身で幼稚園で友達をつくるとか何か声を出したというような記憶がないんです。幼稚園の記憶というのは何か嫌な思いでしかないです。そうそううちの母というのは朝がとても苦手でうちは母の実母と一緒に暮らしていましたのでまた祖母がとてもマメだったんです。私こんなに髪が長いのにミツアミを編むの全部祖母がやってくれて。お弁当も全部祖母が作ってくれたんですけども。あるとき祖母が盲腸炎になってしまって1週間入院をしてそのとき母があわててお弁当を作ってくれたときに何か空いているところにチョコレート入れちゃったらしいんですね。
「すごい(笑)面白い
≪そうしたらお弁当を開けたとたんにみんなからなんでチョコレートを持ってきたんだって先生に言いつけられていじめられて泣いてそういう記憶しかないんです。
「そううらやましいなあとか言わないの子供ってそのときに。
≪お菓子を持ってきてはいけないと子供の今の幼稚園もそうですけどもそういう規則があって子供なりに許せないというふうになったんです。ワッと泣いてですから自分自身がすごく暗い幼稚園時代で声も出さないし友達もいないしいるかいないかわからないし泣いたという記憶ぐらいしかないんです。
「よくそれでアナウンサーにおなりになりましたよね。
≪そうですね。何かですから子供がね成長が遅くても人間てわからないなともって。
「それはそうですよ。どうしてこういう方がアナウンサーにおなりになったのかコマーシャルを挟んで。いつごろから。
≪(笑)
黒柳「そんな内気な人と話すのもちょっと苦手のような女の子がアナウンサーになるというのは不思議なことだと思うんですけどもいつごろから。
南≪そうですね何かあのうちは母がとても強い人だったので小学校まで本当に母の後ろに隠れているような内弁慶な子だったです。中学になって母が今度は弟の世話を焼くようになって初めて母から離れて自我が目覚めたんです。で中学になって猛烈に勉強し始めたんです。いわゆるお嬢様学校といわれる所に入ったんですけども何か全然規則も厳しくてやることもなくてお勉強しかやることがなかったから闇雲に中間試験が終わるともう翌日から期末試験の勉強して、春休み夏休みお正月休みというのは朝から晩まで勉強してたんですね。
「聖心のときじゃなくて
≪東京女学館だったんですけども
「初めは東京女学館から途中から聖心にいらっしゃったのが
≪聖心は推薦で入ったんですけども
「するとすごいわね。
≪本当に朝から晩までそれだけ勉強していたらどんな学校でも。成績はよかったものですから。あのそこで初めて自分が頑張れば能力を発揮できるというのが中学になって自分の手でつかんだですね。今度は大学を推薦で入ったらやっぱり女はきれいな方が得かしらと思って勉強止めて今度は化粧に集中して。何かそこらへんから今度は自分を際立たせる目立つ仕事したいと思い始めたんですね。常に中学の時につかんだ何かに向かって一生懸命やるという姿勢はいまだに変わらないですね。その高校がで勉強だったり化粧だったり恋愛だったり今は育児ですけども常に向かうものが違うだけで心構えだけはやみくもにがむしゃらにやるという姿勢は変わらないですね
「でもすごいですね。弟さんがもしいらっしゃらなかったらお母さんはずっと一緒にいてくださったらずっとあなたは中学高校とね
≪そうですね。そのまま嫁いで子供が3人くらいいてそれはそれで幸せだったのかもしれませんけどもわからないもんですね。
「わからないもんですね。それがやっぱりそういうことに巡り合わせでこう自分で、もちろん高校生のときはああいうふうになるこういうふうになるときっと思って出したに違いないので。じゃ内弁慶のお子さんがいるからといってお母様たちはそんなに心配なさることはないんですよね。
≪全然心配していません。この田中康夫さんもお子さんの時とってもおとなしかったといいますし。古舘さんもお母様から聞いたんですけどもとてもおとなしくて
「古舘さん。信じられないですよね。
≪ねえ。おなかをこわさないようにいつも長い毛糸のあのズボン下とかを履かせてらしたとお母様が前話していらっしゃったの覚えているので。帰って遅咲きの子供の方が面白いのかなっていう気もするんですね。
「なるほどね
≪
黒柳「草野仁さんのザワイドにお出になってあれも随分長いんじゃありません?
南≪そうですねもう10年近くになると思います。
「じゃあ今年の春になると11年草野さんはおやりになってらっしゃるですってね何か。初めのころからほとんど。
≪わりと初期のころから出ていました。なかなかコメンテーターも大変な仕事ですね。
「そうですよね。内容がやはりほらちょっとしたこじゃないですかちょっととじゃないですかこのごろね。ここのところ政治とかいろいろまあさっきもおっしゃったように北朝鮮の問題とかいろいろあるのでね。
≪新聞命ですから美容院に行くときもたまった新聞を読んでない新聞を貯めておいてちょっとの間でも寸暇を惜しんで新聞を読むという感じですかね。まだまだ及ばないんですが。
「ああでも新聞はね確かにテレビのニュースやなんかでも確かにみる必要があるんですけども新聞は詳しく書いてありますものねいろんなことが。
≪赤ん坊が小さいときには授乳しながら壁に新聞を張ってこうやって壁に張ってある新聞を読んでいましたね。
「目は上に上がっていないとね下を見るわけにはいかないからね。授乳中は。じゃあなたは授乳は母乳で
≪ええ残念ながら見かけはいいんですけども半分は自分のであとは人工乳と半々でやっていたんですけども。
「”見かけは”というのが(笑)本当にすごい大きな方で出ない方というのもわりと多いんですってね。
≪みたいですね。
「どうしそんなに出るのという感じでペタンコの方がいっぱい出たりするんですってね。
≪母は出たみたいです。父の紅茶にもこうやってシュシュと入れていたそうですから。
「(笑)面白いおかあさま。お父様じゃ母乳で育ったんだ。