2003年3月4日
黒柳「夏川りみさんですよくいらしてくださいました。去年紅白歌合戦にお出になったヒット曲は”まだそうそう”というんですけどもいかがでした紅白は?
夏川≪はい小さい時からの夢で私は物心つく前から歌を歌っていたみたいなんですけどもまず歌手になりたいというのが1番の夢だったんですね。その後に父と約束していたんですけども歌手になったら今度紅白にでようでという話になって、なのでその夢の紅白のステージに立ててもの凄く嬉しかったです。
「でも時々はあまりなされませんでしたか?
≪いやもうあのリハーサルのときから凄い緊張して本番はどうなるのかと思うぐらい大変でした。
「でもあなたの衣装綺麗な衣装でしたね。
≪ありがとうございます。
「あれは沖縄の生地が前の方に
≪そうなんです。八重山ミンサー織りといいましてあの5つと4つの模様があるんですけども。
「四角いダイヤモンド模様が5つそれは
≪5つはいつのという意味で、4つは世までもという意味で。いつよいつよまでもあなたと末永くという意味で昔は愛する人思いながら女性が気持ちを込めてそれをおって好きな男性にプレゼントする
「いつの世の中の世ですよね。いつの世の中までご一緒にといういいですね。そういう模様だったんだそうです。でもあなた堂々とお歌いになったので全くそういうふうに緊張してらっしゃるとは思わなかったんですけども。あれを司会者もそうなんですけどもNHKホールの紅白歌合戦というのは特別で出ていたとたんにすごいひしひしと何かね。
≪そうなんですじわじわとだんだんだんだん緊張してきて。
「マイクロホンなんかに触れちゃう歌手の方がいらっしゃるぐらいなんですよ。でもあなたペンライトみんながふっていてお父様とお母様がいらっしゃるところが分かったんですって。お二人が石垣島からいらっしゃって。
≪でできていて。でまず司会者の方と話をしている時ものすごく緊張していてどうしよう次歌だ歌だと思っていたんですけどもイントロが流れて歌に入っていたらペンライトとがあちこちでゆれていたんです。いろんな方がふってくれているんだなと思いながら見ていたらうちの両親が目の中に入ってきたんです。あそこにいたんだと思ってなにかそうしたら急に見守られているなという気持ちであとは気持ちよく歌えることができました。
「なかなかステージの上から客席の中のましてやペンライトふってらっしゃるから暗くなっていたでしょうからそこでご両親を見つけるというのはすごいんですけども。でお父様、お父様自身も音楽をおやりになる
≪あのまあもともとは歌が大好きで本当は自分がサンシン、蛇皮線を引きながら八重山民謡の歌手になりたかったらしいんですけどもなぜか私が歌い出したのでこの子に歌を教えたらどうにかなるかもしれないと思って自分の好きな歌をやめちゃって私にその夢を託すというか。
「あとで夏川りみさんに歌っていただきます。あの”まだそうそう”をアカペラで歌っていただくんで大変なんですけども。そのお父様写真に写っていらっしゃったんですけどもまぁあなたをでご自分の夢を託したという歌をやりお父様は厳しい歌に関しては。
≪もうすごく厳しかったですね。初めて私が石垣島での自慢大会に出たのが小学校2年生のときだったんですけどもあのもう毎日ですね夜の8時から10時ぐらいまですごい厳しいレッスンだったんですけどもだんだんだんだん私も大きくなってきて小学校5年生のときだったんですけどもその時の課題曲がですね。そのころ私が中森明菜さんの歌を歌いたいなとおもっていても父がきょうわ兄弟船だといって私に教えてくれるんですけどもその教えられた通りに私が歌わないとその大好きな中森明菜さんの歌は一切歌はせてくれない。それぐらいに厳しくて
「とにかくお父様は演歌を。でも石垣島ではあなたが紅白にお出になるということで巨大スクリーンというのにうつして皆さん。
≪そうみたいですね本当に石垣島の人を集めて巨大スクリーンであのその時は同じ石垣島出身のBIGINもう出ていましたので。
「そうなんですねBIGINは徹子の部屋に来てくださったんですよ。3人でしょ。このごろは沖縄の勢いはすごいんですけども特に石垣島BIGINこの3人で。ちょっと前なんですけどもこの3人も紅白に初出場
≪そうなんです。
「じゃあ2組とも初出場ということで石垣島も大変ですよね。何か具志堅ヨウコウさん以来というんですって。
≪何かはビギンが言ってましたけども
「何かボクシングのですね具志堅ヨウコウさんは歌をお歌いならないんですがとう紅白の審査員をやったことがあるそうなので具志堅ヨウコウさん依頼の紅白歌合戦に出場ということでビギンも喜んでいたでしょう。
≪すごく喜んでいました。
「で石垣島の反応はどうでしたか?
≪も本当に会う人会う人頑張ってね見ているからねと言われても本当にみんなもやっぱりいちばん嬉しかったみたいですね。
「でもあなたの”涙(なだ)そうそう”という歌は本当に大ヒットだそうですけども”なだ”涙と書くんですね。
≪そうそうという意味は涙が止めどなくなく溢れるという意味で分かりやすく言うと涙ポロポロという意味です。
「これはもともと森山良子さんのために
≪ためにビギンが作られたんですけども
「そうなんですってね。森山さんが作詞をなさったんですか?
≪そうですビギンが最初に曲を作ってそのタイトルに涙そうそうと入れて森山良子さんにできましたよって持っていったらやっぱり森山さんが涙そうそうとはどういう意味?と聞いたららしくてこういう意味ですよと説明したら森山良子さんが22歳のときに大好きなひとつ上のお兄さんを亡くされてその兄への思いを詩に託したのが涙そうそうの歌詞になっているんですね。
「題名はビギンがつけたのね、石垣島の言葉で涙ポロポロという感じで曲はビギンが作ったんですって。それでそれに森山さんがお兄さまのことを考えてつけた歌詞がその歌詞。それを沖縄の言葉と両方であなたはお歌いになってらっしゃるの。
≪そうですね。
「これは大変長くヒットしていて沖縄でもすごいんですって。今もヒット中なんですってね。
≪何かやっぱり紅白の後にすごく歌ががんとチャートが上がって
「でもその前の2000年の3月から売り出して、ですから3年前ということになりますよね。丸2年。沖縄では2001年の年間チャートの1位に。
≪そうみたいですね。
「で去年2002年は2位。で1位はビギンの
≪シマンチュウの宝が。
「すごいですよね。20日付のオリコンというのでは36週チャートにしている。
≪もうすごく嬉しいです。
「これはあなたが歌手になってから何曲目ぐらい?
≪夏川りみになってから3曲目
「夏川りみさんの前にあなたは大変若く東京にいらっしゃいまして何歳でしたっけ?
≪14歳です。
「そうですよね。それでお父様がおっしゃるように初め演歌。
≪そうです演歌でデビューしていまして。
「星みさとさんという名前で。
≪そうです。
「お歌いになったんですけどもそれでも中森明菜さんの歌や何かが歌いたいというところがありましたか
≪歌わ本当に大好きで何でも歌えるんだったらいいなと思っていたんですけども。やっぱりその時期にはの自慢大会で必ず歌っていたのが演歌だったので人に聞いてもらえる歌は演歌じゃないとダメなのかなと子供なりにそういうのが頭にあって
「ですからそういうふうにいらっしゃっても1年に1枚、3年に3枚CD。当時はレコードですけども。出たんですけどもその後4年間後にはCDも出せない時代が
≪CDも出せなくてお仕事も何ももらえないときがあったんですね。でそういうときに1番最初に東京で頑張るぞと思っていた気持ちとは全然右比べものにならなくなっていたので。このままいてもだめだと思ってあきらめて帰ろうと思ってでもさすがに石垣島には帰れなかったんですよ。
「お父様との約束もあったし。
≪じゃあ今度は沖縄に姉がいたので那覇だったらばれないかなとおもってその姉のところに。
「何人兄弟?
≪4人姉妹なんですよ。みんな女で。
「お母さんも大変ですよ女の子ばっかり4人。でもみんな仲が良ければね。
≪みんな仲良しで。
「でお姉様が那覇にいらしたので
≪そうなんですよそこに姉の経営するお店で手伝いをしていたんですね。
「スナックみたいなところで。
≪歌を歌わないと思っていたんですけどもやっぱり何か気がついたらマイクを持っていてずっと放さなかったんですよ。で毎日歌を歌っていたらお酒を飲みにくるお客さんよりも私の歌を聴きに来てくれるお客さんの方がいつのまにか増えてしまって気がついたらもうライブ状態だったんですね。それでお客さんからリクエストをもらってそのリクエストにこたえて歌うとそのお客さんがものすごく幸せそうな顔をして聞いてくれるのがやっぱり歌っていいなと忘れかけていた気持ちがまた取り戻せるような。
「それは何歳ぐらいですか?
≪それがですね23。
「もうそんなになっていましたか。14歳で東京にいらっしゃって本当に東京で歌手になるぞっと思っていらっしゃって頑張ったんだけども。東京での生活もあったと思うんだけどもその間にキャンペーンとかもやったんですか
≪ちょくちょくやっていました。
「話全然違うんだけどもあなたすごく目がきれいね。石垣島とかにいらっしゃると目が遠くまで見えるんでしょう。
≪いえそうでもないです。視力は悪かったりもします。
「悪かったりもする。でも本当にきれい。
≪やっぱり目がすごく印象に残るみたいでそれと強い目をしているねってよく
「横から拝見していてもね。何かとても空気の澄みきったところで育ったという感じがすごくして。それはいいですよねそれだけきれいな目をしていらっしゃったらね
≪ありがとうございます(笑)
「つやつやで栄養もよさそうという感じがしますけども。じゃあちょっと実は今日は歌っていただくということにしたいのでその涙そうそう。それとウチナングチでしたっけ、ウチナングチで下ってらっしゃる所には私もわからないので皆さんにもわかるように書いてもらいます。涙ポロポロ涙そうそう歌っていただきますのでしかも今日は大胆にもアカペラで歌っていただくことになっていますのではアカペラはなかなか難しいですけどもよろしくお願いします。お父様もきっと楽しみにしてらっしゃると思います。ちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「ではどうぞ
夏川≪~涙そうそう~
「ありがとうございますどうぞお座りください。すばらしかったですね。なかなかアカペラで歌っていただくのはよっぽど自分の声に自信がないと歌えないんですけども。やはりあなたこの歌が好き?
≪もすごく大好きでもともとBIGINが2000年の沖縄サミットの年にこの歌を歌っていたんですけども私はあるときにテレビで東京の家でテレビをつけたらBIGINがうつったんですよ。「ああ!BIGINだ」と思ってやっぱり同じ島の人が歌っている頑張っている姿を見ると私まで頑張ろうという気持ちになるのでそこでBIGINが歌っていたのがこの涙そうそうでその時に初めて聞いたんですけどもさびが頭からずっと離れなくてでその後にBIGINがライブをやるよっていう情報を聞いてもこれはぜひ聴きにいかないと思っていったんですけどもその時にもう1度涙そうそうを聞いて、後でBIGINの楽屋に行ってメンバーにあの涙そうそうってあの曲ってとてもいい曲だねといったらああそうかといって、あの曲頂戴と言ったんですよ。BIGINも最初びっくりしていたんですけどもあのやっぱり何度もいいなと言っていたらもうそんなに言うんだったら歌えばいいさといわれてじゃ歌うということで夏川りみバージョンの涙そうそうが誕生したんですけども。
「まあ森山良子さんがご自分のお兄さんのことを思って歌詞をお作りになったということなので森山さんの所にもいらしたんですって。
≪そうですね。それで森山良子さんにもいいですかという話をしたらもうすごく喜んでくれていっぱいいっぱい歌ってと言ってくれたんです。で今でも何度かお仕事ご一緒させていただくことがあるんですけどもいつも本当に最近りみおちゃんをよく頑張ってるわねと私に
「森山さんも歌っていますよね。
≪歌っています。アルバムの中で6年ぐらい前に森山さんが出してその後にBIGINが出したんですけども。
「じゃああなたも歌ってヒットしてそして森山さんもきっと歌っていらっしゃるかと思うんですけども。じゃこの沖縄のメロディーですよねリズムもそういうものがやっぱりみんなに聞いてもらえるチャンスがあるというのは本当によかったですね。
≪すごくうれしいですね。でびっくりしたのがこの涙そうそうはですねあの森山さんの亡くなられたお兄さんのことを書いてあるんですけども沖縄の方では何と結婚式で歌われる。
「でも内容があうじゃありませんか。大好きだった人のことで。
≪好きな人のことで。森山さんも言ってたんですけども亡くなった人の歌じゃないのよ、大好きな人の歌で歌って欲しいわと言っていましたし
「じゃあ今結婚式で歌われるの。
≪結婚式でも歌われるて。この間もっとびっくりしたのがなぜか運動会でかけていたよと言われて。それはすごいびっくりしたんですけども。(笑)
「運動会でも(笑)走りにくいかもしれませんけども。ゆっくりなっちゃってね。でも嬉しいですね。
≪人生のいろいろな場面で聞いてもらえるということがすごくこの曲の強さだなと思いますね。
「でもBIGINもあなたのために曲を作ってくれてそれもすごくすてきな曲なんですよね。だけどきいちゃうな涙そうそう
≪何かこっちもいいんだけども涙そうそう
「でも本当に沖縄からヒット曲が出ていてあの花というのもね。本当に素晴らしい。この涙そうそうもそういうところはありますよね。本当に森山さんじゃないけども長く歌っていただきたいと思います。まだ続くんですけどもちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「今日お召しのこのお洋服なんですけどもとても大切なお洋服なんですて
夏川≪これはですね涙そうそう作詞の森山良子さんが実はプレゼントしてくれたんです。レコード大賞の金賞受賞ということなのでそれと紅白のステージもあったのであの森山さんからメールをいただきましておめでとうございます。その後に電話でお話しをしたんですがりみちゃんね紅白とかレコード大賞とかでいっぱいお衣装が必要なのよ。できれば私にね洋服をプレゼントさせてほしいと言われて。私そんなこと言われると全然思っていなかったので「いいんですか!」と言ってまあ森山さんも何着かお店で試着したらしんですけども私がいないもので森山さん自分が着てをこれだったらどうかしらということで何枚もポラロイドに写してきてくれて。
「親切ね。とってもこれはちょっと見ると厚い生地に見えるんですけどもこうやってすかすとまた透けて見えるようなきれいな生地なんです。でこれで紅白で金賞をもらいになったとき森山さんもご一緒にお出になった。
≪そうなんです。レコード大賞の金賞受賞のときに森山さんと私で登場してくるシーンがあったんですけどもそこでこの衣装を着させていただきました。
「森山さんもすごく喜んだでしょう
≪すごく喜んで。
「本当に何枚もいるんですよね。1番自分が歌う時には必要なんですけどもあ。でも歌手のかたって変えてらっしゃいますよね何度も終わりの方とかで。だから衣装が必要ですよね。歌手になるぞと思ってらしたのに那覇にお姉さんのところに石垣島には帰れないのでお姉さんのところに行ってましたのずっと怒ってらしたんですって
≪そうなんです。何があっても自分で事務所とかを辞めるということを一切するなよと約束していたんですよ父と。でもあのやっぱり勝手に私が辞めますと前の事務所もやめてしまってお姉の方に帰ったのですごく怒っていて私が電話をしても「もしもし」ても電話はガチャと切られたりして、本当に一切話もしてくれない状態んですよ。でこれはどうしようかなでもなんとかやっぱり自分が充実していて自分から話せる時が来ればいいかなと思っていたんですけども、まあ歌を歌っていたらたまたま今のうちの事務所の社長があの歌う気持ちはないのかと連絡をくれましてで歌いたいといったらじゃあ東京に出ておいでと。でできていわゆるオーディションですよね何社かのレコード会社の人の前で歌わせてもらったんですけどもオーディションが終わってまた沖縄に帰ったんですが1カ月たっても2カ月たっても全然連絡が来ないんですよ。これはだめだと思ったら3カ月目ぐらいにレコード会社が決まったよというふうに電話がきてそれでまたもう1度東京にという感じになったんですけども。でもその時もそんなに話はしてくれなくて、やっぱり今が1番すごく喜んでくれていい曲に出会ってよかったねとすごく今は応援してくれています。
「でもそのオーディションの時は演歌は歌わなかったんですか?
≪どちらかというと歌謡曲という感じで。
「そうなんですか。うんまぁいろんな曲が歌えるということは強みだと思いますよね。演歌というのはなかなか難しいですものね。そうかといって新しい曲も難しいのでその両方が歌えるということは歌手としては強みですからね。でもお父様が怒ってらしたのもわからなくはないですけども小さい小学校2年生ぐらいのときからのど自慢に出てらしてね本当に賞を取ってちゃんとやってくれると思ったのにやめてお姉さんのところに戻って何でってと怒られた気持ちも分からなくはないですけども
≪
黒柳「でもどういうところで縁があるかわからなくてBIGINは同じ石垣島出身だけどもあなたは直接ご存じなかったけどもお姉様とBIGINの誰かが同級生だった
夏川≪そうなんです。私の4人姉妹の長女とBIGINが同級生ということで。私も本当にのど自慢荒らしをやっていたころBIGINは中学の時からバンド活動をしていたので同じステージに立つということで私からかわいがってもらって今でも本当に妹のように。
「でお姉様の同級生でもあったということ。そういうところでうまくねあの方たちも曲を作るのが上手な方たちなのでそれでいい曲が恵まれたということがありましたよね。さっき歌ってくださった伴奏なしのアカペラで歌うというのは別にあなたにとっては難しいことではないの?
≪そうですね。やっぱり歌が好きなので歌ってと言われるとどこでも歌ってしまうんです。
「絶対音感がおありだと思うんですけども。あの前に声を出してみることもなく何も音も探ることもなくいきなり歌いになったのですごいなと思って。出だしの音はきちっと自分の中にあるんだなと思ったんですけども。それでもやっぱり始めの時3年たっても4年たってもなかなかちゃんとしたCDがうまくあなたにあった歌が出なかったときはつらかったでしょうね東京で。
≪そうですね大好きな歌をたくさんの前で歌いたいと思っていたんですけどもそういう仕事もなくてでも自分が好きでどっか本当に場所もかまわず歌える場所があればそれでいいかなと思っていたんですけども
「初めの3年間は14歳からいらっしゃって17ぐらいまでは1年に1枚でもCDは出たりしていたんですけどもその後の4年間は何もなくずっと東京にいらした間はやっぱりつらかったでしょうね。
≪そうですね。
「仕事もあまりなく、もちろん収入もないでしょうしね。
≪もう本当にぶらぶらしていました。
「そうでしょうね友達もあまりない。そういうのがあったので今度のヒットが余計にうれしいなと思いますけども。これからどんな歌を歌っていこうというのはあります?
≪やっぱり聞いてくれる人の心に響くような歌を歌えるようになりたいです。
「涙そうそうでしたありがとうございました。