2001年10月9日
黒柳『去年は急遽代役をなされるという大きい役だったんですけどまあそれは後で伺うとしましてお父様が片岡仁佐衛門になりまして何年もなりますけど』
片岡「そうですね」
『なんとなく片岡孝夫さんという名前もなつかしい名前なんですけどとってもおもしろいと思ったんですけどお姉さまが宝塚の有名な男役でいらして”シオカゼ コウ”という男役で、お兄様が片岡孝太郎といて女形で』
「男女逆なんです。」
『普段暮らしてられるときはどうなんですか?』
「あの普通ですよ。歌舞伎の女形の方って少し女らしい方が多いんですけどうちの兄は男っぽいほうなんですよ。声も立ち振る舞いも。姉も小さい頃はボーイッシュなところはありましたけど私にとっては普通の姉です」
『でもお父様が片岡仁佐衛門という名前をお継ぎになられるときは大変でしたでしょう?』
「そうですね母が1番大変だったとおもいますねえ」
『大きな名前ですし襲名なさるって発表されてから3年ぐらい?』
「発表してから少しありまして襲名披露から3年ぐらい。日本を回りますから」
『いろいろ口上があったりねえ。その3年の真ん中ぐらいで一番下のあなたがご結婚なされて大変だったでしょう』
「う~んうちにも一段落して襲名興行にもなれてましたしバタバタはしましたけど仕事ではなくプライベートですからなんとかいきました」
『結婚式はお父様がバージンロードを一緒に歩いて下さる。』
「その当日の直前にお父様はこちら花嫁様はこちらこの曲がなりますからこうして下さい。ここで止まって・・・とかあるわけですよ。でもそうしてもお互い舞台がありますから感覚が舞台感覚なんですよ。だからここらへんが止まる位置だねとか言って。並んだときになんかしっくり行かないんですよそこを2人で変えてここで止まろう、パパはこうでるから京はこう出てとか段取りみたいになっちゃうんですね」
『写真を御覧下さい。お父様は新郎ぐらい若いわね。ご主人は大手食品メーカーの営業部長で今は?』
「今は”戦略課”とかですか」
『サラリーマンと申し上げてよろしいですか?』
「そうですね会社員ですね」
『お父様は素敵な感じでバージンロードを歩いて下すってうれしかったんじゃない?』
「どうですかね感想は聞かなかったんですけど多分仕事でもなかったと思います。多分初めてで私は前に仕事であったんですけど」
『でも仕事でなく花嫁衣裳を着るのはうれしかったんじゃないですか?』
「そうですね隣にいるのが本物の父ですから」
『役者さんじゃないですからね。花嫁の父は泣くとか言いますけどどうでしたお父様は?』
「いや泣くことはなかったです私が見る限りでは。逆によろこんでよく娘を渡したくないとかあるじゃないですかでもそういうこともなくよろこんでくれました。安心しました」
『一番下のお嬢さんなんでね手放したくないとかあるのかなって思って。前の晩にねよく”今までお世話になりました”ってやるじゃないそういうことをした方がいいんじゃないかって思ったんですって』
「やっぱり形にしちゃうのはいやなんで母親にした方がいいかって聞いて言ったほうが良いんじゃないかということで前の晩にチラッといったんですね」
『どうでした?』
「”これからもよろしくお願いします”っていうこれで終わりではなく立場が変わるんですけど親子であることには変わりはないわけですからそこを強調して”これからもよろしくお願いします”っていったんですけど」
『それで』
「はははははって笑ってました」
『お父様もいつそういうのが来るのかと思ってらしたんじゃない。結婚してそれぐらい?』
「丸2年ですね」
『女優さんとしてもお忙しくなる時期じゃありません?』
「結婚してからしばらくは時間があったんですけどそれからは立て続けに舞台がありまして」
『お忙しい。話は変わるんですけどお父様の片岡孝夫さんも何回もいらしてくだすったんですけど仁佐衛門になってから泥棒が入って家族を守る為に大変だったとか。お父様の頭の所にいつもあるんですって』
「違うんですよ。私の小さい頃から頭の所になにかあるんですよだから自然なことだったんですよ。でもおかしいことなのかなって改めて思って。変な棒が置いてあるんですね」
『お父様がここにいらして泥棒退治の話をなされてそれも3回もなされてその話を御覧頂きます』
「はい」
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『』黒柳徹子 / 「」片岡仁佐衛門
『泥棒捕まえるのも上手っていうか泥棒を捕まえたんですって?』
「あのですねそれはですね私の家に友達が来てまして送っていこうっていうんで倅が出て、車の泥棒だったんですよ。それで”誰だ!!”って言ったんで僕が走っていってとっ捕まえたんですよ」
『捕まえたんですか?』
「わたしはね枕もとには木刀が置いてあるんですよ。僕は3回ぐらい追いかけたことがあるんですよ。木刀を持って。それで止めて下さいって言われて逆に取り上げられて殴られたらどうするんですかって。家族をまもらなくてはいけないという使命感からですね。」
『女性にとっては心強い。でも奥様はご心配でしょうそんなものもって外に出ないでって。』
「外に出たときは嫁に”おい持ってこい”っていって持ってきてもらったんですけど」
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『はははそうなんですって。じゃあ小さい頃から木刀があった』
「ええですから自然なことだったんであるのが当然というか。よく考えてみたらちょっと変かなって」
『そういうことが自分の家におこるってあんまりみんな思ってないところがあるでしょ』
「そうですね」
『3回捕まえたとおっしゃったから』
「そうですね」
『そういう強いお父様だと役柄だとおありでも普段のハンサムなお父様を拝見しているとね』
「結構男気があるというか頼りがいのある父ですね」
『そこがまた魅力なんでしょうね。背がお高くてスラとしてるんですけどいざとなれば家族を守るという姿勢があると言うところが家族が頼りになされる所なんでしょうね。女優さんとしては急遽”千恵子飛ぶ”っていう舞台で三田佳子さんの代役をなさった時にほんのちょっとしかない時間の中でどんな風におやりになったかお話を聞きたいのでちょっとコマーシャル』
『去年代役をなされたことで大変片岡京子さんのことが有名になったんですけど。高村光太郎の奥さんの”千恵子飛ぶ”という芝居だったんですけど元々出てらしたんですってね』
「妹の役と千恵子の姪の二役だったんですね。初めて二役頂いて結構頭いっぱいで自分の役だけで精一杯だったんですね。なかなかこう自分の思う通りに表現できなくて家に帰ってからも台本広げて自分の本来の妹と姪の役に・・・」
『姪ってのは妹の子供てことですか?』
「そうです」
『それは難しい。別の人間をやるんだけど血は繋がってるていう。そういうことがあって』
「わたしはテレビも見る余裕もなく、新聞を見る余裕もなく焼く作りに没頭してたんですね。でこういうことになって役をいただいて」
『千恵子をやってくれと』
「何で私がって感じでびっくりしましたね」
『それが初日の6日ぐらい前?』
「そうですね6日ぐらい前ですかねそこで決心して。もう6日ぐらいしかないわけですからことわったら成立しないわけですね。興行が成立しないんですね。断る余裕もないわけですね。使命感っていうかそういう感じでわかりましたと」
『お気の毒ですけど三田佳子さんとしても本当にお辛い立場だったと思いますね』
「一生懸命お稽古されてたお姿をまじかでみてたわけですからそれを降板しなくてはいけなくなったっていう本当に女優としてお辛かったと思います」
『でもやるとなったらポスターとかプログラムとかの写真を取り直さなくてはいけなくなるんでしょ。』
「基本は千恵子の役作りですよねセリフを覚えて動きを覚えて会話ですから相手と会話のキャッチボールですから相手の方のも覚えてそれにポスターの取り直しとかカツラを合わせたりとか録音とか+αのことがありました」
『でも役を6日間で作らなくてはいけないっていうのが大変ですよね、やってらしたとしても』
「まったく違いますし、セリフの量も違います。衣装の数も・・ほとんど早替わりですから。幕が下りてどちらにはけるのか、どちらから出るのか分からないわけですから。体で覚えるっていう。頭がごちゃごちゃでしたね」
『平(幹二郎)さんにしてもあなたの方がお若くなったし平さんも大変だったでしょう。』
「それと私の変わりに妹の役と姪の役を代わりにやってくださる方もいあらしたしまたその人の代わりの人もいて序々に詰めていくわけですから他の女優さんも大変ですし、また平さんも私がやる千恵子に変えなければいけないわけですから」
『あなたが結婚してから1年目ぐらいでしたか』
「1年過ぎました」
『ホテルに閉じこもったんですって』
「はじめは自宅にいたんですけど”セリフがおぼえられなあ~い”ってなってなにかと家にいると電話がなったり誰かが訪ねて来たりで周りからホテルに缶詰になったほうがいいと言われまして」
『でも千恵子って役はやることになってこの人好きっていうふうになった』
「あの不思議なんですけど”千恵子飛ぶ”っていう原作があるんですけどそれを読んだときにものすごいインパクトを受けたんですよ。千恵子が私と似ている所あるなと思ったんですよだから役を作るうえではそんなに抵抗はなかったんですよ」
『それはずいぶん同じやるにしてもよかったですよね。でも初日に1つのセリフを抜かすこともなく完璧におやりになったていうことで平さんなんかもびっくりなさってたらしいですけど』
「まあなんとかぎりぎりやりましたけど」
『お父様がうしろのお部屋にいらしたことご存知でした?』
「私申し訳ないというか恥ずかしいんですけど稽古が終わった後楽屋に来てくれたんですけどあまり覚えてないんですよ。毎日目まぐるしくて多分見に来てくれたっていう」
『見に来てくれたんですけおあなた物も召し上がれないぐらいで段々千恵子に近くなってきたとお思いになったと思いますけどこれ原作は津村節子さんですけど大西信行さんてかたもお書きになられましたよね私大西さんとNHKの時代からお友達なのお電話してどうお思いになったかって聞いてみましたんでその事をコマーシャルの後に』
『わたしこの”千恵子飛ぶ”の脚本をお書きになった大西さんの感想をいいますね』
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”この千恵子の前の乱れ髪からいい女優さんだと思ってました。たった1週間の稽古だったのにひたすら純粋な千恵子を演じてくださってとてもうれしかった。それから童女を演じてくださいねとお願いしたらハイとおっしゃって本当に千恵子の感じがよくでていた。原作者の津村節子さんがとてもよろこんでらっしゃいました。ですから大西さんは今度おやりになる南座をとっても楽しみにしています。去年は無我夢中だったけど今年ははじめから自分の役なのですばらしい千恵子をみしてくれるに違いないと楽しみにしています。ただお腹が大きくなったからでられませんとわ言わないでね”
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『これが感想って言うのかほめ言葉っていうか。南座でなさる』
「そうですね今年の11月に再演をします。座長公演ということでお客様に見ていただければということで」
『今度は近藤正臣さんに代わって。正臣さんは京都の方なんで』
「地元の方なんですけど南座は初めてということで」
『でも大西さんも仰るとおりではじめから千恵子の役なんできっと前とは違った』
「そうですね」
『お父様にこの役代役でやるのよってご報告なさたの?』
「いや相談はしませんでしたね。相談する時間もなく」
『やるしかないって感じだったの』
「そうですね」
『よく乗り越えたなって自分でもお思いになるでしょう』
「ちょっと思いますけど(笑)。いい経験になりました」
『ありがとうございました』