2001年10月22日
黒柳『扮装シリーズ第12弾ですけど今年は大黒様とうさぎということで。どうしましたおじいさん』
小沢「なんか手品やる人みたいですね」
『大黒様ってこんなにピカピカ光ってるものなの』
「どうですかね会ったことないからね」
『お金持ちなんだからね。今日は第12弾ということで1弾からやってるわけなんですけどご存知ないかたもいらっしゃると思うのでさっと。1番最初はセーラ服と中学生ですかね。これは小沢さんがセーラ服が好きていうことでね。つぎは戦争中の国民服。すいとんを食べるのをやったんですけどつぎは老後の茶のみ友達こういう時代もありましたんですよ』
「まだみんな若いじゃないの」
『次はお医者様と看護婦さんです。それからパイロットと見習いスチュワーデスです。それから神主さんと巫女さんなんですけど巫女の人はあの普通はっきり言ってあれなんですけどバージンじゃないといけないんでしょ』
「あそうですか」
『ええご存じない』
「知らばっくれてるんですけど」
『それからコックさんとウエイトレス。これはあなたシェフとしか見えませんね。それから新郎新婦をやったんですね』
「これが1番バカバカしいですね」
『でもこれは森英恵さんの当時1番新しいやつを着たんですよ。次はねえあなたがアニメのやつをやりたいって言ったんでクレヨンしんちゃんとセーラムーンでした。これはスポーツ紙にカラー入りで出ましたね。お雛様もやりました』
「これは3月3日オンエアーのものでしたかね」
『そうでした。そしてガングロとスケボーの茶髪少年。茶髪少年というよりあなたがおばさんという風に見えて』
「私もまあ汚かっただけでしたね」
『今年の大黒様ていうのはなぜ大黒様なの?』
「いや童謡をねCDのアルバムで出さしていただいた」
『ああこの前あなたおしゃってましたよね。長年お二人でやってた芝居』
「それを辞めてですね歌を歌いたくなった。ときどき気が変わるんですけど。歌いたいなあ~と思って2年前ぐらいからですよとっても歌いたくなったのは。そんなもんでね2年間は芝居のスケジュールは決まってたんで2年間は芝居をやってさっーと満を持して歌おうと思ったところにビクターさんから童謡の唱歌のCDをだせと言われましてね渡に船でやらしてもらったんですよ。ほら定番のね”夕焼け小焼けに♪~”とか”うさぎおいし♪~”そういうのと一緒にね昔のねえ御伽噺っていうんですか浦島太郎とか今みんな知らなくなちゃったんでしょ。」
『ああいうの親が話してあげないのかしら』
「親も知らないんだね」
『タイヤひらめの舞い踊り~ていうから竜宮にいけばタイやひらめがいるんだなって』
「歌でね御伽噺の大体の筋は知っているんでね」
『そうですね。足柄山の金太郎も歌で熊とお相撲したんだなって』
「”足柄山の金時は熊とお相撲とりました♪”」
『そういう歌なの。ウソでしょ』
「”熊はコロリと♪負けました”って言うのもあるんですよ」
『ちがうのもあるでしょ』
「”足柄山の山奥でけだもの集めて相撲の稽古♪はっけよいよい残った”ていうのもあるんですよ」
『私ね小学校の頃童謡習ってないんですね』
「童謡習ってないって僕らも習ってないんですよ。唱歌は習いましたよ」
『童謡はトットちゃんの学校は”よく物はよく噛もう♪噛めよ噛めよ噛めよ”ってのを習ってたんですよ』
「知らないなあ」
『そらそうですよ内の学校の方しか知らないんですもの』
「お宅の学校は小学校でしょ。みんなかまない子が多かったの」
『食時の前にはよく噛めよってことで』
「おもしろいもう1回歌って」
『これは外国の替え歌って知りませんでしたから”よく噛めよ食べ物を噛めよ噛めよ噛めよ食べ物を♪頂きます~”ってなるの』
「おもしろいですね。あれじゃないですか黒柳さんはなんとなくクラッシックぽい環境でそだったから」
『そういうのもあるかもしれない。それより今可笑しくてしょうがないんですけどここ(首)んとこから顔がでてるうさぎっておかしくない』
「でもうさぎの顔が黒柳さんの顔だったら分からないんじゃない」
『でもこういう顔が出てる人がでてきて子供はうさぎだと思うの。ここに顔が出てる人が出てきて”おおいみんなウサギだぜ”とか言ってもうさぎだと思わないでしょ』
「そういうのテレビでやってるからみんなウサギだと思うんじゃないんですか」
『童謡を歌うと昔のことを思い出してきてあなたは涙がでる』
「そら涙がでる」
『あのCDのジャケットなんですけどあの犬は可愛い犬なんですってね』
「あのジャケットの犬はフーちゃんって犬なんだけどあれはカメラマンの犬なの。僕はねえ犬と一緒に写したいなあって言ったのそうしたら分かりましたって言われたの。現場に行ってみたら犬がいるんだけどカメラマンが飼ってる犬なの。そんでもってどういう風に撮影しても俺をみないでカメラマンばっかし見てるの」
『カメラマンの方ばっかし見てるの』
「ご主人の方ばっかしみてるの」
『犬の正面ばっかししか撮れないの。でもよく横顔撮れましたね?』
「カメラマンがいそいで横に行ったの」
『可愛いわねえ。これに雨雨フレフレ・・・なんかも入ってるの。あれなんかの歌詞なんかも聞いちゃうと泣いちゃうんですって』
「泣いちゃう。僕の家は商人の家だから雨がふってもお迎えなんかにきてくれないのだから2番だったか3番だったか」
【あれあれあの子はずぶ濡れだ♪柳の根方で泣いている♪ピチピチチャプチャプランランラン♪母さんこの傘かしましょか♪君々この傘差したまえピチピチチャプチャプランランラン】
「昔の子は差したまえなんて言ったんだね。いい家の子なんだよ、いい家のだからそう言ったんだよ。」
『あなたの家は迎えにこない』
「こない。家は商売やってるから柳の根方で泣いている♪。”春の小川はサラサラ流がる♪”あれを直して”春の小川はサラサラ行くよ”って歌うんだよああいうの気に入らないんだよ。昔どおりにちゃんとやっていいんですよ。”いく”って言葉を簡単に使ってもらいたくないんだよ。大事にしたい言葉なんだよ。まあいいけど」
『まああなたにとってはねえ』
「まあいいけどねもう村の鍛冶屋も学校でやらないんでしょ。なぜやらないかというと鍛冶屋さんなんかないからやらない。やったら鍛冶屋というものがどういうものか分かるじゃないか」
『そうですねみんな火事かと思っちゃうものね』
「”箱根の山は天下のけん、函コク関もものならず”って僕ら知らないで歌ってたのよ。函コク関ってなんだろうなって大人になってからああ中国の地名なんだなってわかったらうれしいじゃない」
『”ヨウチョウのしょけいは”って私達が歌ってたらねえ校長先生が分けもわからず歌うんじゃないって、羊腸と書くって羊の腸って書くって教えてくだすったんですよ』
「いい先生だ。そんなことはぼくらは分からずにただ歌ってましたよ」
『そろそろですね。今日の格好の大黒様はなぜ大黒様かって』
「子供の頃ねえ」
『ああコマーシャルの後で』
「子供のときねえ子供って2か3つの頃ですよ、そういう時代だから”ぼくは軍人大好きよ、今に大きくなったなら勲章付けて剣提げてお馬に乗ってハイドウドウ”ってのが最初に覚えた歌だったんですよ」
『そんなにちっちゃいのに』
「それでいつもね駄菓子やで売ってるおもちゃの勲章さげて鉄砲かついで近所を一回りするの。すると途中でね僕のことをとっても可愛がってくれる家があったのそこのうちへ行ってねいつのまにか大黒さんって思ってたの」
『大黒さんって家なの』
「大黒さんって家なの。大黒さんの家へ行っちゃあ。いい人なんだ。そこの家の大きな時計を壊しちゃったのでもいいよいいよっていってくれるとてもやさしい人で、大きくなってテレビだかラジオだかでこういうやさしい人がいてお元気だろうな~会いたいなあって言ったらお手紙頂いて私は大黒様じゃありません大工さんですって。大黒様が近所のやさしい大工さんと思うと忘れられないし、この大黒様の歌を歌うと近所のやさしいご夫婦なんだろうね」
『それではいよいよ大黒様の歌を歌っていただくんですけど私はこの歌を知らないんですけど皆さんご存知だということで、ピアノのすばらしい方をご紹介いただけますか』
「佐々永治さんていいます。美空ひばりさんの歌をみんなセッテングやっていらした方なんです。それで美空ひばりさんお亡くなりになったんで森繁さんの歌のステージにピアノ弾いていらしたの森繁さんがお亡くなりに・・・」
『(黒柳、小沢の腕を叩く)』
「ならないけど森繁さんごめんなさい。ならないけど私おこぼれを頂戴して歌を歌わして頂いております。森繁さんをやっていた方だから途中で歌詞を忘れてもちゃんと合わして下さるというすばらしい方です」
『フフフフフ。題名は何ていうんですか』
「大黒様です」
『じゃあ歌っていただきます』
「というようなみんな僕の好きな歌ばっかし入さしてもらったんですよ。あのご存知かなまだ戦後すぐで東京が焼け跡」
『悪いけどコマーシャルいっていい』
「東京が焼け跡でした。コマーシャル」
「それで童謡でも唱歌でもないんだけどNHKだったかな。菊田和夫さんの”鐘のなる丘”っていう連続放送劇をみんな見たんですよ。それであれが出てるんですよ当時”浮浪児”って言われてみんな焼けちゃっておとつあんもおかっつあんもいないんだけどみんな集めて面倒見てた若者の話でしょ。」
『古関雄二さんの音楽で』
「そうそうそう知ってますねえ。えらいなあ」
『あのとき放送でてたから私』
「それで浮浪児のことを思い出すと」
『見ました。そういう子達』
「うん。いっぱいいたんだよ。僕だってスレスレだったんだから準浮浪児だったんだから。戦争いやね」
『私疎開してたから見てないのよ』
「あなたが大使であちこち」
『ユニセフ』
「ユニセフで行って頭なでたり抱いたりしてる子いるじゃない。ああいう子だよ。またああいう風になるってのは胸が詰まってくるね。それでこの”鐘のなる丘”っていうのをレコードいやいや古いねCDに入れたかったんだよ。それで学生の頃その頃から芝居やってたからあちこち周って、そういうことをやってたときにまずお客さんと一体感になる為にまず芝居やる前ですよお客さんの前に行ってその当時はみんなが知ってる”金になる丘”とんがり帽子をハーモニカでみんなで歌ってくださいってやったんですよ。とってもよかったんですよ。偶然生きてるんですよ。この歌を歌うと思い出すんですよ」
「あのハーモニカがあちこちで復活しつつあるんですよ。おじいさんとかおばあさんもはいってるんですけど生涯学習みたいなものでね」
『これって割と疎開するときに唯一持っていけたのがハーモニカだったりするんですよ。これってヒヒヒって吸い込みばっかりになると具合が悪いのね』
「欠点があるんですよ」
『なに?』
「ふきながら歌えないっていう最大の欠点があるんですよ。鼻で吹きながら歌うってのをやったんですけど鼻水がはいちゃって汚いハーモニカになちゃってそんなものでやれやしなかったんですよ」
『ときどき歌ってときどき吹くってのはどう?』
「流れていきたいですけどねえ。そんな話よりもですねえCDをみなさん買って下さいってことを言いたいんですよ」
『はっきり言って大黒様っていう人を助けるって立場の人がよ買って下さいって人に押し付けがましくいっていいの?』
「昔の大黒様と違ってインチキな大黒様だからインチキな大黒様はどんどんピーアールでお願いすると」
『はいポーズ』