2001年10月25日
黒柳『いやあ色んなことに驚いてるんですけどあなたがご所望になった飲み物単なるトマトジュースかと思ったらすごい味がしたんですけど何ですか?』
坂口「トマトジュースとビールで割ったレッドアイっていうやつなんですけど」
『流行ってるんですか?』
「いやあ僕はあまりトマトが好きじゃなくて食べられなかったんですけどトマトジュースも飲めなかったんですけどある日飲み屋さんで頼んだらすごく美味しかったんでそれから野菜・トマトジュースとか飲めるようになったんで」
『このごろ色んな物で割るのはやってますけど。トマトジュ-スをビールで割るそこにタバスコをちょっと』
「本当はレモンなんですけどね無茶苦茶辛いですね。」
『そういう飲み物だそうです。私普段はお酒を飲まないもので口の中がビビビとこれはビールのビビビなんですね。分かりました。いつもクイズで一緒なんですけど』
「お世話になってます」
『いやいや打ち合わせするときもあなたずっと座ってますでしょ』
「座ってますね」
『だから横からしか見たことなかった。それにお背えもイスに座ってらっしゃる。クイズで書くときも大体あなた私の横なのね。だからこの方の背丈と顔を横からしか見たことなかったので正面から見たらまあハンサムで驚いちゃう。それでもってお背えが高いので驚いちゃう。何センチでした』
「185センチです。あんまし高いと思われないんですよね。実際会うと高いねって言われる」
『185センチ。よく育ちましたね』
「親父はもっと大きいんですけど」
『お父様はプロレスラーで男の方たちが集まるとあなたのことよりお父様の話になる。お父様は何センチ?』
「196ですね。見上げてますね。」
『(写真が出て)あらこれあなたとお父様小さいときかしらあらかわいい』
「幼稚園ぐらいですね。親父は現役のころですね」
『プロレスファンにはプロレスの神様と言われた方で坂口征二さんがお父様なんですけど。(次の写真)これは小学一年生』
「そうですね」
『小学一年生読んでますね。こういうのって面白いわね小学一年生読んでるから一年生って。お父様うれしそうねさっきの写真は4,5歳とか』
「そうですね。」
『あなたはサーファーということで今年の夏も』
「今年は湘南と千葉に行きました。家が東京なんで車で行けるとしたらその辺なんで。海外とか行きたかったんですけど」
『私スポーツ知らないんでうっかりしたこといえないんですけど波がきたとき板の上にのって』
「そうです。向こう(ハワイ)でサーフィン始めたんですけど行って3日目ぐらいで始めて」
『この写真見てください。いいんですけどあなたが波の上にのtってサーフィンしているところが見たかった。並んでらっしゃる方は』
「これは同級生ですね。ここはノーシューアーっていう有名なポイントなんですけどね」
『これは』
「卒業式のときの写真ですね。左が同級生です」
『あなたはお若いときにハワイに行ってらっしゃると。何歳から何歳まで』
「19から23まで。高校卒業して一年すごい悩んでどうしようかとでもあんまり働きたくなかったんで海外行っちゃおうって。留学願望っていうか環境を変えようと」
『そうですか。言葉もちょうどいいときにいかれたのかもしれませんね』
「そうですね。でもバカなんで」
『だめよ自分のことをバカとか言っちゃクイズもよくおできになるんですから。日本の子と話してたの』
「そんなことないですけど。でも日本の学校だったんで。東海大学ってありますよねそこのハワイ校っていう。割とヨーロッパとかにもあるんですけどそんなかのハワイ校」
『そうですかそうすると日本の子が多い?』
「半分ぐらいが日本人でその他もアジアの人が。でも一応学校なんで授業は英語で」
『授業は英語』
「先生も外人で」
『あなたの方があちらでは外人ですけど』
「そうですね」
『いい青春時代を送られて。サーフィンだと』
「最初は観光気分で行ったんですけどそのうちお金が無くなって無料で遊べるといったら海しかなくて。でも逆にサーフィンやんなくてなにやるんだという所だったんで、友達もみんなやってたんで輪に入れなかったんで強制的に」
『でもハワイでお上手な方ってこんな波をうまいことやる人っていますけどそんなのできんの?』
「いや場所によって世界で一番って所もあるし簡単なとこもあるんであんましハードな所は入れなかったんですけど大きい波は乗れるようになりましたね」
『自分のやってるところをビデオかなんかに撮ったら。”いやあ撮ってくれる人なんかいませんよ~”なんていってないで』
「うまいとかっこよく決まるんですけどまだまだ実力が」
『ぜひ今度とって』
「わかりました持ってきます」
『乗ってらっしゃるところじゃないんだけど”メンズクラブ”っていう雑誌にサーファーとして』
「夏の企画だったんですけど」
『何回も載ってらっしゃるんですけど』
(雑誌写真でる)
「この日もやる気満々だったんですけど肝心の波が全然」
『波がねえ』
「湖みたいな所にサーフボード持って入って」
『波があれば写真撮れたんですけど』
「自然が相手っていうところが面白くていくら時間があっても波がなければ全然駄目ということで」
『このメンズクラブのカメラマンの方はサーファーのかたを良く撮っておられる』
「そうなんです”よこやまたいすけ”さんってかたで湘南で育ってずっとサーフィンやってられるんですけど」
『あなたのことをよくサーフィンが出来るって写真撮っててもよくわかるとおっしゃったそうですけど。やっぱりわかるのかな』
「そうですね。カメラマンさんでも他の方とは少し違う方で雰囲気を大切にする方で」
『坂口さんは俳優さんでどういうことをされてるのかなって思われてると思うんだけど”筋肉番付”っていうのにいきなり出たんですって』
「そうですね。自信なかったんで1回断って何回も出てくれって言われて」
『あれケイン・コスギさんがでてる』
「そうですね」
『あなたは何やったの?』
「芸能人スポーツマンNO.1っていうやつでタレントさんが16人ぐらいでて跳び箱飛んだり、ビーチフラッグっていう走っていってハタとるのをやったり6種目ぐらいやりまして1番を競うっていうやつなんですけど。全然自身が無かったんですけど1番最初にビーチフラッグをやったんですけどそれでいきなりケインさんに勝ちゃって」
『うれしかったでしょ』
「うれしかったっていうより”ええこんなものなの”って感じでそれで調子ずいちゃって跳び箱も16段」
『ええやっぱり運動はすごく』
「でも自信がなくてでも会場の雰囲気が飛ばなきゃいけないっていう感じで」
『成績はどうでした』
「この間出た時は18段」
『ええ18段!!』
「で5位でしたね」
『それでも5位。18段てすごいんでしょ』
「高さで言うと3メートルちょい」
『でもまあお父様はプロレスラーでDNAの中には』
「そうですね。よく言われるんですけどねえ。筋肉番付っていうのは真剣勝負なんでなあなあになったりしないんで気が抜けないって言うか」
『まあそういうことでみなさん感心なさってもちろん俳優としてもご活躍なんですけど男の人とご一緒になるとすぐにお父様のお話になるんですってねえ』
「そうですね今でも言われます。」
『このあとどんなにすばらしい方かって伺います。コマーシャル』
『お父様の坂口征二さんは今は引退されて新日本プロレスの会長でみんなお父様のことを』
「そうですねドラマなんかやってるとスタッフはみんな30~40代で1番全盛期のときだったんで」
『ああそう。あなたは逆に言うとお父様の全盛期は見てる』
「そうですね1番活躍してた頃は見てないですね。」
『英雄的なお父様で。まずお兄様が柔道部に』
「そうですね中学生頃に」
『あなたも始めようと思ったけど坊主頭になるのが絶対イヤだったって』
「そうなんですよ。ずっと野球をやってて中学の頃に親父から柔道やれって言われて」
『この写真ははやした頃なんでしょ』
「そうですね中1,2の2年間やってたんですけどイヤでイヤでやめて髪の毛生やした頃ですね」
『あまり柔道向かなかったって』
「好きになれなかったですね。人とケンカじゃなくて投げたりっていうのがいやで、なおかつ細かったし体重も今みたいに無かったんで」
『ところがお父様が引退なさるときに』
「そうですね生まれて始めてリングに立たせてもらって」
『中学のとき』
「中学3年の時に」
『引退するときにお兄様と一緒に花束を渡すっていうことになったんですって』
「もう泣きそうでしたね」
『どんな感じだったの』
「後楽園ホールでお客さんも満員でわりかし格闘技好きだったので見に行ってたんですけど外側からしか見たことが無かったリングに初めて中側から見てすごい世界に親父はいるんだなって」
『お父様の名前がバッと呼ばれて引退なんですから。あれねえあなた何ともいえないお顔ですねえ』
「ある意味快感でしたね。歓声といいリングてのは360度どこみてもお客さんがいるのでわりかし自分で思ってたよりすごく広く感じて」
『このときいいなって』
「人前で何かをやるのってすごいことなのかなって」
『まえの写真を見せてくださる。こんなときでもあなたがお父様の顔をジッと見てらっしゃるの”お父さんすごいなって、こんなだったんだ”ってゾクゾクするのわって』
「そうですね本当に震えましたね」
『でお父様は引退なさったわけですがこの時位から環境を変えたいっていうのがあったって』
「そうですね。割かし10代のころは内気というかシャイで今もそうなんですけど女の子とも全然話せなかったし何かを人前でやるってのが苦手だったんですね。でもそういう中でもこういう世界に憧れを持ってて」
『反抗期でもないけどお父様に』
「そうですねプレッシャーっていうか、あとは学校いけばからかわれたりすごいイヤで」
『お父様の息子だからちゃんとしとかなきゃいけないってのが』
「悪いことするとお前よりお父さんの名前が出るからって口すっぱく言われて親父とはうまくコミュニケーションとれなくて10代最後の方はグレたまではいかないですけど」
『それで決心してハワイに』
「そうですね。海外だったらどこでもよかたっていうか全てを自分でやらなければいけないっていう所に置いてみたら自分が変わるのかもしれないっていうのがあって単身向こうにいったんですけどねえ」
『向こうへ行っていい経験したんですけどそこんところから俳優になっていくってのはどういうことですか?』
「むこうの学校で演劇の授業なんかを取っててわりかし親代わりみたいにしてくれる先生がいたんですけど」
『どこの国の方?』
「アメリカ人のかたで白人の方なんですけど。すごい可愛がってくれて。その先生がチャンスがあるんだったらやったほうがいいよって言ってくれて。それで卒業の1ヶ月前ぐらいですかね普通に学校にいったらみんな泣いててどうしたんだっていったらその先生が死んじゃってて心筋梗塞ですか。一人暮らしだったんで誰も見つけることが出来なくてそれがショックで。でその言葉がすごい自分の中に残ってて」
『あなたの事を認めてくれる人がそんなに居なかったときにね』
「だめでもやってみたらいいって言ってくれてたんで無理を承知でやってみようかなって」
『それで日本にお帰りになってメンズクラブの写真があるんですけどこのとき震えたんですって』
「震えましたね」
『コマーシャル挟みましてあとで中身をお届けします』
『日本に帰ってきたらメンズクラブの1999年の8月号でモデルをしないかといわれたんですけど顔がこわばちゃったんですってね。悪くわないと思いますけど』
「友達と撮る写真と同じだろうっていう気持ちで行ったらもうとんでもない」
『なんかカメラを友達と思いなさいって言われたけど友達とは思えなかった』
「思えなかったですねえ。敵に見えました」
『まだあるんですよ。可愛いと思いますけどこれが初仕事』
「ほんとうに初仕事」
『でも坂口さんは律儀だと思うんですけどこのメンズクラブのモデルをやってらしていそがしいと思うんですけど』
「はいおかげさまで来年から一年間表紙をやらしてもらえるんですよ」
『でも俳優やってお忙しくなっちゃうとねえ一年間ずっと表紙の写真を撮るというのも時間がかかるし』
「自分の中ではモデルも俳優も違うものであって僕の原点でもあるので両方続けていきたいなっと思ってるんですけど」
『さいきんではお父様がお前変わったなっておっしゃるんですって』
「たまにありますね。最近忙しくてたまにしかあえないんですけど仕事の話なんかをするときにポツリというんですけど」
『お喜び?』
「そうですねあんまし口数多い人ではないんですけど家に帰って戸棚なんかを開けると出てるドラマなんかを全部ビデオに撮ってたりして」
『ああそう。あなたも大きいんですけどお母様も大きいんですってね』
「そうですね165ぐらい」
『昔はお仕事は?』
「むかし女優さんをやってたみたいですけど」
『あれなんですって体はお父様ににて顔はお母様に似たんですって』
「そうなんですよ」
『お父様に似ないでどうのこうのじゃないけど(会場静かな笑)綺麗なお顔でお母様に似たのが良かったのかもしれないですね』
「よく言われます」
『お父様が巡業なされたときはちっちゃい時は寂しい思いをしたとか』
「昔は一年中地方に行ってたんでほとんど会えなかったんで月に一回ぐらいしか会えなかったんで」
『最初の写真みたいに抱かれてるとうれしかったんじゃない』
「うれしかったですね」
『この間クイズの時に本番前に草野仁さんがあなたがいらっしゃたらみんなに”初めてのファンクラブができましたって”いったけど本当なの』
「はいおかげさまで」
『でもお仕事初めて・・・』
「2年と半年ぐらいです。実際ファンの方とコミュニケーションとてなかったんで」
『何人ぐらい?』
「一回目会合やったんですけどそのときは150人ぐらい」
『会合やったの!!どうしてみなさん笑うの』
「決起集会です」
『どんなことやったの?』
「ほとんどトークですね。歌とか歌えないんで昔のビデオ流したりとか」
『そんなときには波乗りのビデオとか流したり』
「いちおう写真とVTRを流しました」
『さっきないっていったじゃない』
「そうなんですよあると思ったんですけど」
『でも女の方が多い?』
「そうですね」
『こういう風になってその演劇の先生も喜んでると思う』
「はい。ありがとうございました」