2002年4月8日
黒柳「花人、お花をいける人なんですが川瀬敏郎さんです。大変ファンの多い方で女性のファンの多い方です。”なげいれ”という手法で花をいけられるんですがこれはご自分で考えたんですか?」
川瀬≪いえいえ。こう器にポンと入れるというのが”なげいれ”です。いれとくという花に心の花というのを作ったのが千利休でそれ以降日本の花というのは心の花を入れていく”なげいれ”というのが主流になった。自分たちもそういう流れにのっとってやっているんですけど≫
「さっき最初に皆さんにお目にかけたんですけども(たけのこに花がささっているもの)これは何なんだって皆さんお思いになられたと思いますけど竹の子をかきと見たたている」
≪そうなんです。竹の子をずっと見てたら竹の子がスッと天に登っていくような気持ちになって”ゆきもちそう”の葉っぱを切って竹の子の先にグサッとさしたんですけど。なにかこう独特の自分でも胸に落ちるようなものになってですね。竹の子というよりは不思議なものでしょ。竹の子というのは1日で1mぐらい伸びてしまうんですよ≫
「そんなに伸びるんですか!」
≪だから非常に古代のロマンみたいないけ終わった後に大和尊のような・・・花というのはそんなものなんですよ自分が大和尊になったような気になって≫
「水流の中からスッと出てきたようなね。」
≪花をアレンジメントするっていうのとは違って日本の花というのはさわっていると自分が椿になったり自分の体の中から沸き起こってくる。なんか形にしていくっていうのはすごく面白いですね≫
「元々川瀬さんのお家は京都で代々池坊さんにお花をお納めになるお家」
≪そうです。四歳ぐらいの時からずっと花を触ってきたので≫
「普通お花屋さんというのはお花何本といってお花を包んで売るんですけどそちらのお花屋さんでは(花を)いけてもお仕事」
≪家の周りは古い家が多くて子供の時は番頭に付いていけて周るということがあったんですね。古い家ですからいい道具が一杯あるわけですよ。自分もいけさせてもらってるうちにいけることが好きになって≫
「お花もたくさんあるわけですしね」
≪本当に家は全国から花が山ほど集まってきてました≫
「池坊さんというのは大変たくさんお花をお作りになられるんでしょうね」
≪仏教でいうと延暦寺みたいなものですから。親鸞とかがそっから生まれて鎌倉仏教が生まれたように一番の大元みたいなものですね。≫
「今日お目にかけてる(写真)のは本の中からなんですが最近お出しになった」
≪そうですね2年間芸術新潮に連載していた”今様花伝書”という一冊の本になって出たんですけど初めて自分らしい本になったのはこの本が初めてかもしれません≫
「2年間かけてお撮りになったものだそうですけど、これは」
※写真登場
≪”かれはす”なんです。私はハスが非常に好きなんですけどスミレとゼンマイをいれてるんですけど。ちょうどフランスに留学していた時にフィレンツェにあるサンマルコ寺院にフランジェリコという人が描いた有名なマリア様があるんですがあれをいけたときに思ったんですね。自分にとっての受胎告知というか。この枯れたものから新しいものが出ていくというのが≫
「そういう風にうかがってるから分かるんであってふっと見たら1つのものかと思っちゃいますね。近くで見るといけてある」
≪これもねえ何百本というハスの中からこのような形のハスはないです≫
「こんないい形のものがちょうどあって」
≪下に立てるものを作って立てるようにしたんですけど≫
「まあ今様花伝書という本の表紙ですのでやはりこれをよく見てほしいというのがあるんだと思うんですけど。」
≪自分にとってこの花をいけたときにある部分へ抜け出したような気持ちになったぐらい・・枯れハスに他の花を合わせようという気持ちがなかったんですよ。ハスは好きで自分の終生のテーマですので。でも枯れハスのさびしさとかいろんなものは思ってもこれをいけたときに飛んでしまうというのでしょうか何かそういう気持ちを受けたぐらい≫
※新しい写真登場
「今度は竹の子なんですが」
≪これはね”むさしあおごみ”っていう花を入れてるんですけどねえ≫
「これはやっぱり竹の子を花器に」
≪そうです。結局千利休なんかも竹の花入れ何かを見出してそれまでは名品の道具っていうのは買えない人は買えないんですよ。ところが竹というのはその人の目さえあればこの角度がいいんじゃないかとかを見出して自分の姿を切り出すことができるんです。≫
「今までは”竹”というのはあるんですけど”竹の子”というのはなかったんですけど。これは※新しい写真登場」
≪これはどくだみを入れたものですね。どくだみとほたるぼくろとへびイチゴの実を入れてるんですね。”やぶれがさ”というのが後ろにあるんですけど≫
「本当に破れた傘みたいですね」
≪花の命名ってすごいですね。≫
「これはカトリックの修道女をイメージしたものなんですって」
≪そうなんです。”どくだみ”っていうのは見てると清潔ていうか咲いていてもそんなに気にとめない花ですけどカトリックの尼僧みたいなとこがあるんですね。≫
「”どくだみ”っていう音からするとそう思わないんですけど」
≪尼僧のエリを思わせるところもありますし。でもいけてみると・・”どくだみ”が茂っているところは蛇とかが出てきそうなイメージを持つほど大地の記憶ってすごいもんですよ≫
「そして7月になると”朝顔”。私”朝顔”ってすごく好きなんですけど見る機会がなくてですねこのごろ」
≪これはね家で育ててるんですよ。毎年”朝顔”育ててるんですけどこれは原種の”朝顔”。≫
「きれいですね」
≪だからよっぽど早起きじゃないとダメなんです。原種というのは9時半ぐらいには花がしぼむくらい≫
「すぐにしぼんじゃうんですね」
≪すーとしぼんでしまうんですね≫
「では次にいきます。これもすごくてびっくりしたんですけどこういう牡丹ってあるんですね。これなんか不思議な」
≪なんか牡丹って天然に化粧した人っていうイメージで生まれて落ちた時に化粧なんかしてないのに化粧の力を持ってる人っていう感じでこれは楊貴妃という人をイメージしていけたものなんですけど。爛漫と咲く牡丹って酔わせますよね≫
※綺麗に咲く牡丹の花から枯れて花が落ちた牡丹の写真に変わる
「そうですね。ところがこれは枯れてきたんですね」
≪家で綺麗にいけていて牡丹が枯れ始めてきたんですね。枯れ落ちた時って見たことないですよね≫
「そうですね。しおれることはあっても」
≪牡丹はバサッと王者のごとく崩れるんですよ。崩れずにずーっと持ってたんですよ。なんだろうと思ってじーとしているうちに段々魅力的になってきてだからちょうど小野小町なんかがね小町が年をとって女の人の凄みみたいなね≫
「昔綺麗だったろうっていうのはなんとなく想像できますけどねえ」
≪できますできます。だから並みの花じゃないなっていう。≫
「100歳の小町っていう(笑)」
≪100歳の小町。花というのは1つの肖像がみたいなものですね日本人にとっては。私たちも父とか母とかがなくなってどんな人だったっていうと分からないんですけど「満開の桜に夕日があたったような姿」というと”ああ!こんな人だったかなあ”って。そういうものを思いながらいけていくというのが日本の花が守ってた詩情なんでしょうね≫
黒柳「独特のお花をいける川瀬敏郎さんに来てもらって話をうかがってるんですけどちょっと次はタンポポなんですけどなるほどって思ったのは花器というのは高いとか安いとかじゃないんですけどいける物ですね。これは水筒なんですって」
川瀬≪いけるものっていうのは人間でもそうなんでしょうけど全部規正でできた人ってつまらないのと同じでこういう中に花をいけてみると生き生きしますよね。≫
「アルミ製の」
≪そうですねミルク入れみたいなものでしょうか≫
※違うタンポポの写真が登場
「これは普通の家庭の窓際に咲いたような」
≪これはねアフリカの太鼓なんですよ。それに芽吹いた柳とタンポポを入れたんですけど。やっぱりこうした柳みたいな男と出会って出世して生きているのと先みたいなミルク入れにいれて田舎で過ごしているのと人っていうのはいけ方そのものだと思うんですよね≫
「まあこれは上流階級のような(※後に出たタンポポについて)」
≪(笑)タンポポが出世したような感じで。≫
「これはつつましく台所の横で咲いてるという感じで」
≪だから気の合った夫と一緒にすごしてるって感じで。だから花っていうのはいけ手とか様々な取り合わせによって同じ花がまったく別なものになっていくという≫
※新しい写真が登場
「これ虫が食ってる葉っぱをわざわざ」
≪先にとんがってるのは”みかえり草”という葉っぱなんですけど秋になるともう取り返しがつかないぐらい虫が食ったりいろんなドラマを生き抜いてきてなかなか普通じゃないでしょ。”みかえり草”というのは虫が食わなかったらしょうもない花なんですよ。食べられ続けたことによって個性的な魅力的な葉になっていくんですね。≫
「これはスレンレスのお鍋に入れてあるんですね。川瀬さんはなんでも花器になさるんですけど」
≪何でも花器になっていくんですね。今日持ってきている物もそうなんですけど(※取り出す)これはアフリカの楽器なんですよ。”なげいれ”というのは恋愛結婚みたいなものでその人が何か1つでも好きになったら好きな形って好きな人って理解するじゃないですか。≫
「従っていこうと思うし」
≪従っていこうと思うし相手を知りたいと思うし。そういうことからこの人にはどんなものを組み合わせたらいいのかなって。この花との組み合わせってどうだろうとかこういう花器に入れてみたらどうだろうって≫
「私アフリカの皆さんがあまり行かないようなところに行くんですけどそこにおっこってるものとか入らないものとかで花器になるものもあるかもしれませんねえ」
≪そうですね(笑)≫
「さしあげますね。いいかもしれない。でも花器になるものか見極めるというのもね」
≪そうですねただ拾ってきただけじゃダメなんですよ。自分たちで磨き上げて、花の器にしていかないとただただ入れただけじゃ弱いんですよ≫
黒柳「そもそも白洲正子さんていう有名な肩書き見ると随筆かってとにかく大変な方ですよね。この方がはじめの時に「あなたは京都の人だから信用するわっておっしゃったんですけどお叱りのお手紙をいただいた」
川瀬≪そうですね私ある会で言ってみれば遠山の金さんみたいなことをやってしまったわけですよね≫
「片肌脱いだりみたいなこと」
≪そうですねまだ若い30ちょと過ぎの事でしたからね。すごいお叱りの手紙をいただいたんです。≫
「原稿用紙4枚ぐらいに書いてあったそうです。」
≪いまでも読むことができないくらいのすごい内容で。内容はそういうことはやってはならない。要するに新しい花の様式を作って見せてください。言葉なんかいらない。それまでの間はあなたからの返事もなにもいらない。見せて、そして私に示してくださいと書いてあってこの間もですね広げて見てたんですけど震えてしまって≫
「でもですね川瀬さんは白洲正子さんが唯一認めた天才花人といわれてらっしゃる方なんですけどそれからお手紙をいただいて遍歴の旅ではないですけどずいぶんいろいろなところを旅されて」
※遍歴=①あちらこちらを歩き回ること②様々な経験をすること~小学館国語大辞典より~
≪まあその前からフランスから帰ってきて・・≫
「フランスにも割と長くいたんですね」
≪3年近くいましたね。ちょうどその時日本に帰ってこないつもりでフランスに行ってたのででもたまたまその中で花を発見して日本の中で自分の中の花を見極めようと思って帰ってきたんですけど白洲先生にお目にかかってから日本的なる物っていうのに伊勢神宮をはじめ日本のありとあらゆる国土を歩き続けたんですね。そのあと5,6年してできた作品を先生にお送りした時に初めて「良かった」っていうお手紙とお電話を下さったんです≫
「ああそう。うれしかったでしょ?」
≪すごくうれしかったですね。それからまた親しくさせていただいてよかったんですけど≫
「白洲正子さんがいらっしゃらなかったら今の自分はないっておっしゃってますけど」
≪先生っていえる方は白洲先生だったと思いますけど≫
「でもそういう方から認めてもらったのは自身にねえ繋がったと」
≪そうですね今の時代白洲先生みたいな人がすごく求められてるし白洲先生のお住まいは公開されてるんですね≫
「残念ですねお亡くなりになってねえ」
≪だから先生の生き方みたいなものが残ってる場が残ってることは幸せだと思います≫
黒柳「この”今様花伝書”というお出しになったご本ですけど2年間芸術新潮に毎月連載されて大変でしたね」
川瀬≪毎月8ページぐらい載せてましたので≫
「そんなに載せてましたかねあれねえ。この中にはハサミの使い方とか”なげいれ”というのはどうやってやるのかとか書いてあって」
≪結局日本の花っていうのは”生け花”というのと”生ける”ということが混同されたことが不幸なんですよね。どんなひとでも”生ける”っていう自分の姿をいけられるわけですよ。このことができるためのHow toっていうかね。そういう器から入れていったらいいかとか作品と日常というものが一体となった姿を見ていただけたらありがたいなって≫
「今日川瀬さんのお話を伺っていたら私たちは花というものにどうやて接していったらいいのか分かった様な気がしますけど。ありがとうございました」