本日の徹子の部屋ゲストは福岡翼さん

2002年12月5日

黒柳「福岡翼さんですよくいらしてくださいました。

福岡≪こんにちは。

「本当にこう言ったテレビなどの芸能ニュースのまあ草分けの方でいらっしゃるんですけども、まあいろんなお話しを伺うんですが大変面白いのは大失敗をなさった話をまずちょっと最初に中曽根ミキさんという方がいらっしゃったんですね。

≪あの川流れるという大ヒット曲を持ってらっしゃる方で沖縄出身の歌手ということで大スターだった時期があったんですが。その方が2度目の結婚して事業をやってらしたんですけども事業が立ちゆかなくなったというんでその取材に走り回りまして本人の取材と旦那さんの取材のテープをもちましてちょうど番組が本番中だったんです。僕はこのテープを担当のディレクターに渡してスタジオに駆け込んだんです。それでその時にテレビのADさんというアシスタントディレクターに中曽根ミキさんの顔写真だけは用意しておいてと叫んでスタジオに入ってそうするともう自分のコーナーが始まったんです。で実は中曽根ミキさんの取材をして今戻ってまいりました。中曽根ミキさんという方はこういう方ですと顔をどうぞと言ったつもりがスタジオのカメラマンがパーと中曽根ミキさんの顔を取るためにカメラをこう動かしてクククって肩が震えたんですよ。え!と思ってあの画面を見ましたら中曽根康弘さんと三木武夫さんの顔が映っていたんですよ。

「そうですって。そんなことって考えられないですけども。聞いた人は中曽根、三木っとも思ったんですね。元首相の2人が。

≪ですから芸能界よりも政治の世界が好きなADさんだったかもしれないですが。あとでね中曽根ミキという名前を聞いて三木武夫さんと中曽根康弘さんの顔が浮かんできて顔写真を選べたねとほめてあげましょうということになりましたけどね。

「それはすごいですね。考えてみれば中曽根ミキさんと私たちは平気でいますがその時にどちらも総理大臣をなさった方だとは思いませんよね。

≪中曽根さん、三木武夫さんとわね

「それびっくりしました。でも見てらした方は驚いたでしょうね(笑)。なんかのね事業の失敗で

≪でも僕も次の言葉が出てこなかったんですよ(笑)。どういうふうにリポートするかと思って。

「そうですよねこれが出ちゃったことをどうごまかしていいのかごまかしようがありませんよね(笑)

≪いいわけができなかったです(笑)。

「そうですねそういうこともあったそうですがなんと言ってもいろんなことがすごいんですけども速記のA級ライセンスを持ってらっしゃると知らなかったんでやっぱりそれはスッスッと書けるんでよかった。

≪まあジャーナリストになりたいですけども四年制の大学に一定時間もお金もかかるなあ。当時は速記というのは非常に新聞社に入社するのには有利だという時代でしたから。であの高知の高校を出て東京に来て速記学校に行きまして1時間に何文字というテストを2年間学習するんですがそれで検定試験というのがあるんです。それで2年目にA級というのにうかりまして。当時はA級B級と言いました今は1級2級と言っていますがその1級に受かると速記士の日一応を免許というか会員証が出るんです。だから一応持っています。今でも速記士の1級免許証。でもねぇそのころのね速記で1級に受かるとこうして雑誌なんかの座談会で速記者が必要な時期が今でも議会はそうですけどもね。先輩からよく聞いていました芸能人の対談の速記なんかをして黒柳徹子さんが1番、例えば1分間にあの言葉をどれだけしゃべるかといったらいい黒柳さんが最高だからおっつかないようと言われていました

「本当に!悪かったわ。

≪いいえいいえ

「でも大江健三郎さんと私がやるというときに若かった時ですけども日本一の(速記者)がまいりましたというからどうしてですか?というと黒柳さんが早いから大変そうだ。大江健三郎さんは終わりのところを繰り返す癖がおありなんですよ。僕は絶望したんですね僕は絶望したんですねというふうにだもんですから。(福岡さんが速記するためにペンと紙を取る)すぐにできるですか。僕は絶望したんですね絶望したんですねといいうふうになるわけです。私はもうどんどんどんどん話をするわけですから。

≪ええ(ここで速記を読み上げる)僕は絶望したんですね絶望したんですねそういうふうになるわけです。

「すごいですね。

≪でもあのねあの時期に覚えた物って体に染み付いてます

「何かの時にやっぱりいいでしょう

≪メモを取るときにあの今でも役に立つとすればこうして話をうかがいながらインタビューをしながらマイクを向けていますけども。ちょっとなんていうのかなあとご本人に内緒のことをちょっとメモを取る必要があるときがあるんですよ。例えばネクタイが似合ってないなというときには(笑)カタカナで書いたりすると読まれちゃうから

「あの鼻水というか涙が出たぞとかね。そういうようなところが書いておけるから。でもすごいですよね。

≪でもを最近はあまり使ってないですけどもね。

「でも今ちょっと拝見しただけなんですけども、あの最後の何とか出そうというその最後のだぞというところまできちっとできるんですね。途中で止めていないで。絶望したんですね絶望したですねというふうに”ね”まで

≪何々ねとか例えば言葉尻に特徴がある人たちの場合はその部分をきちっと自分でわかるような印をつけていたりする場合があります。でも黒柳さんの言葉は早口だけれども非常に発音がはっきりしているから後でこれをいわゆる日本語に直すわけですよね。それが非常に分かりやすいと言っていましたけどもね。代議士先生の場合にはなまりがあったりあるいは早口すぎて言葉が途中で途切れたりすると自分で書いた記号なのにこれはどういう意味だったんだっけって迷うことがありますからね。

「そうですか。まあ心して。そう考えたら昔はね速記の方がそばにこのまま皆さんテープをお持ちになったりねするんで。

≪今はでワープロになってからはたとえば記者会見なんかがありまして皆さん記者会見の取材に来ている新聞記者たちは記者会見が終わったらさっとノート型のパソコン出してパパパッとやっているんです。も編集部の方に届いちゃってるんですね原稿になって。

「すごいそんな時代なんですか。さていろんなお話しを伺いたいですけども高知の土佐清水出身。私は土佐清水は四国に行ったときによく芝居で伺うことがあるんでうかがったことがあるんですけども。足摺岬の近く。そこでお育ちになってお父様が割と中学1年生のときにお亡くなりになってお母様が育ててくださったんですけどもあのお母様がお台所で何かをやってらっしゃるときにその日見てらしたかわいいの映画が大好きでお母様のそばにずっといてお母様のその御台所やってらっしゃる側で観てきた映画のお話しを

≪そうなんです。例えばねぇ当時見た映画で印象に残っているとすれば24の瞳、高峰秀子さんが小豆島の分教場に赴任して初めて受け持った生徒が12人。その生徒と一緒にある日浜で遊戯をして遊んでいたら子供たちが先生を喜ばせようと思って穴を掘っているんですね。その穴にコケちゃって怪我ちゃうんです。自分たちがそのいたずらしたことに先生に申し訳ないんだけどもその先生は学校に来られなくなって1カ月ぐらい家に帰って療養しちゃうんですよ。である時に12人の子供たちがその先生に会いたい会いたい会いたいでも港から対岸の岬に行くためには船なら近いんですが陸路時間がかかると思わないですね子供だから。で親に内証で放課後行って走ってきて走って先生にごめんねと言って帰ってを来ようと相談して12人がその学校出発するんですよ。というふうにそういうことを母親のそばに行ってしゃべっているの。

「かわいい。

≪母親が大根を刻みながらうるさいの!男の子は台所に入るんじゃないのあっちへ行きなさいといって。だけど母ちゃんかわいそうなんだよその後先生の家がわからなくて子供たちが迷ちゃって泣きそうになってどうするん帰りたいんだけども道がわからないという時にバスが来るんだよ。というと母親が大根を刻んでいたのをぱっとやめて「それからどうしたの?」って

「(笑)

≪しめしめと言ってそれから実はそのバスに先生の姿が見えたので「ああ先生だおなご先生だ」と子供たちが追っかけたら高峰秀子さんふんする先生が降りてきてあなたたちどうしたの?と言ったら先生に会いに来た。道に迷ってみんなで手をつないできたというんですよ。そうすると高峰さんがもう涙をこらえて両脇に6人ずつでしっかり12人の子供を抱き締めちゃう。というと母親がそうラストはどうなるの?っていうか

「お母さんもすっかり見た感じになって。映画をしっかりご覧になった感じがしていますよね。そのころには。

≪そこで撮った記念写真がねぇラストシーンでまた泣かせるんだよとか言いながらしゃべっていました。

「やっぱりそんなに小さいときから人間の心の動きとか、きっとそういった視覚的な頭の中にしっかりそういうものが入ってくるとかそういう子供だったんでしょうねえきっとね。

≪きっと口うるさい子供だと思っていたんでしょうね。

「でもお母様はきっとそれで見たような気になって見なくてもいいなという感じできっといらしたんじゃないかしらと思うんだけども。小さいときから。だからやっぱりジャーナリストになりたいというのがちっちゃい時からおありになった

≪願望としてありました。新聞記者か雑誌の編集者になりたいなと思っていました。

「それで東京にいらっしゃいまして速記を習ったりしてたんですけども。女性セブンという女性週刊誌の記者を10年なさって。それからこの30年間テレビに出てらっしゃる。すごいでしょう30年間ですよ皆さん。

≪振り換えればね

「芸能レポーターの草分けなんですけども、あのまず初めに今みたいにカメラなどマイクなどを持っていって何かをうかがうということは全然当時はみんな考えていなかった。

≪まぁ週刊誌新聞紙の時はもちろんペンとカメラを持っていって話を聞いてメモして帰って伝えるでしたよね。そしてテレビでモーニングジャンボ奥様8時半です。という朝の番組があったんですが、鈴木春彦さんと宮崎房子さんが司会をしていた。それで芸能ニュースをやりたいからということになってそれまでの芸能ニュース、例えば鬼沢慶一さんがやっていたのはスタジオにこういうふうにお招きしてご結婚おめでとうございます。

「スター千一夜みたら感じで

≪そうするとゲストのスケジュールが合わなかったりすると成立しなかったり、あるいはまあ結婚の話だったらいいけどもちょっと聞きにくい不幸な話は聞きにくいということがあったりしてなかなかスタジオでの番組が成立しなかったケースもあるんですよね。それで僕がやるようになりましたのはそれを週刊誌のスタイルで取材をしに行ってこうして話すの写真を撮っていわゆるフリップで写真を見ながら紙芝居スタイルでやっていたんですよ。あの左幸子さんのお宅にお邪魔しました。話を伺ってきました。という形でそうすると梨元勝さんはこうそれをマイクを持ってエキトウですとか。飛行場で待ち伏せしてをかける。張り込みをする。そのためにはマイクとフィルムが必要だったんです。

「動くものがねぇ。あの方はそれで始めたの?。

≪そうです。

「ではっきりとお3人はですね鬼沢さんという方はご自分のところにいらっしゃるの来ていただいてお話しをするということの大先輩。あなたは雑誌の記者、というか新聞の記者のようにカメラをもっていって速記でお話しを聞いてきてそれでお話しを紙芝居のようにする。その後に梨元さんがカメラと動く今でいうビデオのカメラ持っていくと。それでそれぞれがやり始めてそれでだんだんととみんな全部がカメラを持ってマイクを持ってどこでもかこでも

≪多分ね。梨元さんも僕たちもそれで追っかけをするようになるんですが。そのころはまだフィルムだったんです。だからフィルムだから

「途中で切れちゃう。

≪そうなんです。せっかく黒柳さんあれからその後どうなさったですか?というと黒柳さんが実はこういうふうにねぇと面白く話し始めたとたんにプツンとフィルムが終わっちゃうんです。

「短かったですからね当時は。

≪もう15分とか20分単位で。そうするとフィルムを巻き直すための時間があったり取り替えるための時間があったりするとその間こうして待っているんです。あれ何だか嫌なもんですね。

「話したくない人なんかどこかへいちゃいますよね。

≪そうそうそうそうなんです。それがだんだん技術の発達でビデオができてしかもその最初のビデオというものは結構大きかったんですがだんだん簡略化されて持ち運びに便利なように

「もう何時間でも取れますからね。

≪そうなんです。しかも失敗したら次それに上にもう1回撮り直しができるようになっちゃってますから。

「戻して上に載せちゃうこともできますから。

≪だからその機械の発達がよくいうテレビのワイドショーの芸能ニュースのまあ加速していった1番大きな原因でもあったと思いますよ。だから駅で張り込んでいたり飛行場で張り込んでいて一言でも何か感想を聞かしてくださいと追っかけ回って。われわれにしてみればありがたい話だったんですがスターさんにとってはちょっと厳しすぎないというのが正直あったかもしれないですね。

「でもアレですね敵というとあれなんですけどもいつか新幹線に乗っていらしたら森進一さんと森昌子さんのことで何かあなたが乗っていらして。

≪あのねそれはね森進一さんが森昌子さんと結婚するというニュースが流れ始める前だったんですよ。それでお2人がおつきあいをしていると結婚するらしいと。ええまさかと当時は思っていましたからね。森進一さんがちょうど大阪の梅田コマ劇場に出演していて東京に帰ってくるというところを大阪駅まで行って僕たちはそのスタッフと一緒に新幹線に乗り込んだんですよ。なんとか取材させてほしいと。森進一さんはちょっとまだそれは言える時期じゃないというところをなんとか取りたいわけですよね。そうしましたらあ名古屋から梨元さんが乗り込んできたです。

「そうだこうだと言っている1時間ちょっとの間に。名古屋についちゃって。

≪それでまぁ森さんも森進一さんのほうも梨元さんと翼さんだからしょうがないかということでそれでまぁなんとか10分くらいだったら。じゃあどうする新幹線の中でフィルムをビデオを回しますかということになって僕と梨元さんは車掌さんの所にお願いに行きまして他のお客さんに迷惑をかからないようにというのが原則なんですよ。だからもちろん森さんはグリーン車に乗っていましたけれどもグリーン車の1番端っこの方にいってそれで10分間だけ話を聞かせてもらってということがありました。

「で東京駅にはいっぱい待っていたんですってね。

≪そうなんです。ああいう話というのは例えばどっかの社が新大阪まで行ったぞ名古屋まで行ったぞというのが東京でばれちゃって

「どうしてわかるんでしょうね。

≪ねえ不思議なんですけどもね(笑)で東京駅で大勢待っているらしいというのが話が入りましてそれは僕が言いだしたんじゃないですよ梨元さんが言い出したんですけども「森さんに横浜で降りたほうがいいですよ」

「そうかそうすると横浜でおりちゃえば自分たちのスクープにもなるし東京駅でいっぱい待っているからいやでしょうかということで森さんは横浜でお降りになったんですか?

≪そうなんです。横浜で森さんを降ろしちゃったんです(笑)新横浜で。

「そういうし烈なね。それもありますし記者会見ということになりますとだれがどこに座るというのがあると思うんですよね。有名なレポーターの方がねぇ。あれ何で決めているですか?座る位置は。

≪あれはね別に何の順番も決めはないですよ。基本的には早いもの勝ちなんですがあのそうすると1時間も早く来る社が出てきたんです。そこで今はねディレクターさんたちがジャンケンでするか。あるいはであみだくじで決めるんです(笑)。それで中央の席はだれそれひっこの席は誰それ。発言の順番も成り行きなんです。

「だからとても有名な方の声が遠くの方から聞こえたりもするんですよね。あれどういうふうになっているのかなと思っていたんですが。

≪割り込むタイミングがあるんですよ。

「そうですかそのお話し大変ですよ皆さんも本当にこちらはこちらででどんどんどんどんお聞きにならなければいけないしこっちはこっちでそのことは聞かれちゃ困るということもあるかもしれないし。それはちょっと面白いんですけどもちょっとコマーシャルです。

黒柳「まあ芸能ニュースをご専門にやってらっしゃるとそこにスターの方がお座りになって記者会見。そこで座る順はこの頃では担当のディレクターのくじ引きまたはくじ引きではなくてジャンケン

福岡≪あみだくじ

「あみだくじで決まるんですけどもその質問なんですけどもこれがなかなか難しい。

≪そうですね質問もね1番最初に聞くのは梨本さんで2番目は翼さんで3番目は例えばどなたかというふうに決まっているんですか?とよく言われるんですが全然フリートークなんですよ。ただあのまあ限られた時間の中で必要なことだけを先にきいちゃおうと思うちゃいますからでどうしても質問がぶつかったりあるいは声の高い方がかったりとかそういうことはあるんですけどもね。

黒柳「まあ芸能ニュースをご専門にやってらっしゃるとそこにスターの方がお座りになって記者会見。そこで座る順はこの頃では担当のディレクターのくじ引きまたはくじ引きではなくてジャンケン

福岡≪あみだくじ

「あみだくじで決まるんですけどもその質問なんですけどもこれがなかなか難しい。

≪そうですね質問もね1番最初に聞くのは梨本さんで2番目は翼さんで3番目は例えばどなたかというふうに決まっているんですか?とよく言われるんですが全然フリートークなんですよ。ただあのまあ限られた時間の中で必要なことだけを先にきいちゃおうと思うちゃいますからでどうしても質問がぶつかったりあるいは声の高い方がかったりとかそういうことはあるんですけどもね。

「私見てて思うのはねその方がねかなりの質問をどなたがなさってその方がどうしようかないってしまおうかなと思う瞬間にその時間が長いとこらえきれないでだれかが違う質問をしてしまうことがあるんですね若い人たちが。残念見てる方では(笑)

≪それでねぇ僕もね記憶に残っているのがね美空ひばりさんがまだ健在だったですが。ちょうどデビュー何10周年かのパーティーがありまして、その時にお母さんが病床にあったんです。それでそれなのにひばりさんの晴れ姿を見てみたいということでお母さんが車いすでそーっと遠くからひばりさんをご覧になっていたんです。それをひばりさんはご存じだったわけ。そのパーティーが終わった後に記者会見があってみんなひばりさんとお母さんの中の良さというのは知っていますからねだから今日お母さんが晴れ姿を見てもらってひばりさん嬉しかったですよね?というふうに聞いたんですよね。そうするとひばりさんがあのひばりさんがぐっと詰まったんですよ。答えに。多分いろんな思いが去来したんでしょうね。ふっとねひばりさんの目に涙が盛り上がっていたの。ああひばりさんが泣くんだというふうに僕たちが質問を控えようという形でみんなシーンとなったんですよ。で多分ひばりさんが涙をこぼすなと思っていましたらそのシーンとなった瞬間を狙ったように「ところで新曲の話なんですが」と割り込んできた新人の方がいたんです。でひばりさんはフッと涙をこぼしそうになったひばりさんがすっと背筋を伸ばしていわゆる戻ちゃったんです。スター美空ひばりさんに。その会見が終わった後ねそういうことは言ってはいけないですけども新人のディレクターと新人にああいう時というのは素直なひばりさんに戻ってひばりさんがお母さんのことを思って流す涙だから多分それは見ている人たちファンの人たちにとってもで非常にいわゆる思いがけない一瞬になったであろうのにという風にねみんなでお説教をしたことがありました。たった1回だけです(笑)

「そうですか。でもそういうことがあるんだと思います。でもそれにしても話したくない人に質問するときにとってもこちらのあまりデリケートでいらっしゃるとなかなか質問もね

≪そうなんですよ。もうひとつひばりさんの話ですか?

「いいですよ。

≪その後ひばりさんが大病してわりとひばりさんを取材で何回かして古い過去のヒット曲なんかも知っているものですから東京キットもカッパブギも。そうするとインタビューはいいわよと言ってくださってたんですよ。で誕生パーティーにも呼んでもらったりしたこともあって。大病してでみだれ髪を吹き込みをしてカムバックよみがえる不死鳥と言われた時にレコーディングが終わった後皆さん、みんなとわれわれも含めてインタヴューがあったんですね。その時にひばりさんの座右の銘というのが”今日のわれに明日は勝つ”というんですよ。

「すごいわね。

≪そうそうそうそう。それを色紙に必ず書いていたんです。

「きょうのわれに明日は勝つ。すごい。

≪要するに未来を見ているですよ。それを慌ててね僕はねぇ昨日のわれに明日は勝つときちゃったんですよ。たった1日違いなんですけども”きょうのわれに明日は勝つ”は明日未来を向いている。”昨日のわれにきょうは勝つ”じゃ過去を向いちゃうんですよね。でひばりさんがあんたとしたことがという感じでジロとにらみましてボケたんじゃない?と言われまして。それ以来ずっと笑顔を見せてくれなくなったんです(笑)

「笑顔を見せてくれない

≪はい(笑)

黒柳「さて芸能ニュースの変遷なんですけども初めはそんなふうにTBSのモーニングジャンボをやっていらっしゃった朝早くとか。それからアフタヌーンショーを梨元さんがやっていたのに鬼沢さんが3時で会いましょうをやっていらっしゃったりしてなんですけどもそのうち3時戦争というのが始まって

福岡≪そうなんです。僕が3時のあなた

「フジテレビの

≪そう。それから梨本さんが3時台で日本テレビで噂のスタジオ。だから午後の3時台のワイドショーが芸能ニュースにこう力を入れるようになったんで鬼沢さん梨元さん翼さんというのが何かねぇうるさスズメのサンバガラスなんて言われるようになっちゃったんですけどもね

「でもまたその時に芸能ニュースとしては石原裕次郎さんの大手術とかももえさんと三浦智和さんのご結婚とかご婚約とかそういう大きいニュースがずいぶんあったんですってそのころ。

≪そうなんですね。あの石原裕次郎さんが大きな手術をするという日がちょうど大雨になりましてねぇ慶応病院の入り口の玄関のところで各社がわっと中継カメラを出して雨かっぱを着て中継をした記憶があるんですが。あのそれと多分そんなに時期はずれてなかったと思うんですが三浦友和さんと山口百恵さんが結婚してレイナンダ教会で式を挙げてお二方が出てきたときのパシャパシャパシャというフラッシュの音と光あれがやっぱり非常に強い印象になっているじゃないでしょうか。芸能ニュースがわっとよくも悪くもにぎやかに取りざたされたあのへんが1種のスタートですね。

「でまあその3時戦争があってで今度は朝の早い奴もあったんですけども今はなんですか夕方になってきているんですって。

≪そうですね夕方のニュース5時6時台のまあ固い政治経済事件の合間に芸能ニュースも入るようになりましたね。

「そうなんですってね。それがこのごろお父さんが早く会社から帰ってくるということもあるんですってね。

≪そうでしょうかね。あるいは奥様方ですとか会社のOLの若い女性たちが芸能ニュースに詳しい。そうすると会社のお昼休みに昼ご飯を食べたりしていても課長や部長さんは芸能ニュースについていけないと若いOLに仲間にされないだからいい一生懸命ワイドショーの芸能ニュースも勉強しておかなきゃという傾向もあるんじゃないですかね。

「それで夕方のわりと早く会社から帰ってくると芸のニュースに間に合うという。それは土曜日にお父様ためのワイドショー講座をやっている局もあるぐらいですからそういうのがだんだん遅くなってきたりしてそういう変遷もなかなか面白いんですけどもいつのまにかここのところだんだん芸能ニュースの中に政治が入ってくるようになりましたね。

≪そうですね。たとえば田中真紀子さんの出現

「そうそうあのころからね。

≪そうですね。やっぱりあの田中さんの、それから辻元清美さんのキャラクターというのもワイドショー的といいましょうか芸能ニュース的な部分もありましたからね。

「そうですよね私田中真紀子さんの私ちょっとアフガニスタンから帰ってきたときなんで真紀子さんの私的懇談会のメンバーの一員だったんですけども。たぶん政治の人は絶対聞かないなと思ったんですけども終って出てくるときにいらっしゃったんですね。でも私なんかにものをお聞きにならないと思ったら後ろの方から「お弁当何が出たんですか?」と言われたときにこれはワイドショーの人だなと思って。幕内お弁当と言ったら幕内お弁当のどういうの?と言われたからお刺身の入っていない1番安いやつといって私は出たですけども、やっぱりあとでわかったんですけどもその方は芸能ニュースの方でしたね。やっぱり政治経済の方はあまりそういうことは、真紀子さんはねお金を使うのはよくないとおっしゃる方ですからそういうお弁当が出た。ちょうどお昼だったものですからね。そういうのってあとは次々政治のねぇニュースが芸能ニュースに入ってくるようになりましたねこのごろは。

≪そういう意味では政治をわりと身近に感じる機会をつくってくれている。功罪いろいろとあると思うんですけどもね。僕は割とプラス思考で考えたいですね。

「そうですね私もそう思います。

黒柳「もう時間もそろそろないんですけども福岡さんは1番こうポリシーにしてらっしゃることってなんかありますか?

福岡≪よくねプライバシー侵害じゃないのとかやりすぎじゃないのと言われたりしてきましたけども僕はねずっと自分がこういう仕事始めたときからタレント本人は追っかけられたりな取材をされたりするのは致し方ないと。不特定多数の人に知られることによって商品価値が上がっているわけだから。でも家族ですとか子供ですとか恩師とかつまりその方と直接かかわりがあってもマスコミの前に出て商売している人じゃない場合は本人の許可なしにはインタビューしてはいけないというそれをずっと守ってきているんですよ。だからピンポンとかいって「お留守です」という声を放送するというのは伝えるべき情報が何もないのに「只今自宅の前に来ております」というのはちょっと寂しいなと思っていましたから。それはずっと守っています。

「ああそうですか。でもいろんなものやっていらっしゃってな九州の方でもテレビをやっていらっしゃったりラジオもそれからここのお昼の金曜日

≪はい

「ワイドスクランブルでもやってらっしゃるんですけども。やってみたいことって他にありますか?

≪(笑)あのね気になっている女優さんの生涯を何とか文章化したい

「そうですか。

≪田中絹代さん型か?原節子さん型かというのを女優さんに

「それは面白いかもしれない

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