2003年2月4日
黒柳「どうもしばらくでございました
中澤≪はい
「中澤裕子さんです。おととしのベストテンの年末の特別番組のときにモーニング娘を卒業してらしたんですけども
≪そうですね。
「元大先輩ということでリーダーということで一緒に入っていてくださって一緒に歌ってくださったんですけどもあの時にお会いしたんです。でもその時はずいぶん人数が多かったですけども10何人
≪そうですね私が卒業した時点でもう10人・・何人いたんでしょうねも2ケタです。
「あれは面白いのは決まったものじゃないですよね。別に何人って
≪あの最初は5人だったんですよ。デビューは。モーニングコーヒーという曲がデビュー曲でその時は確かに5人だったんですけども2枚目からはそこからはオーディションが始まって2枚目出したときは8人になっていて気がついたら16日
「そうこの間の2月1日のNHKですごく大きなテレビが始まって50周年というときにひょっこりひょうたん島のテーマをお歌いになったことでご一緒したんですけどもなんだかいっぱいいらっしゃいましたよ。
≪そうなんですよついこの間も第6期ということで新メンバーが決まってて5月に今のメンバーの保田圭ちゃんが卒業するんですけどもこの時点で16人ですから
「そうですよね。でもずいぶん小さい方もいらっしゃったから私があなたにお会いしたときも13歳という方もいらしたりしたんでずいぶん年齢の差はちょっとみたら全然わかないんですけども年齢の差は随分ある
≪ずいぶんあります。モーニング娘の特徴だと思うんですけどもそれは。私がデビューしたのは24歳なんですけども、その時点でも当時メンバーだった福田明日香という女の子がいたんですけども彼女が14歳中学生でしたから
「それをみんな一緒に移動したり旅したりとかいらっしゃいますよね小さいとも一緒にいるとをリーダーとしてはずいぶんそういう小さい子の面倒を見ることはあったんですか?
≪いや、年齢が1番上なのでまとめ役だったりしっかり者だったりというイメージで見られがちなんですけども実はそうではなくてわりとみんなそれぞれがしっかりしている子たちなのでリーダーだから大変なことをしたという感じもなく、もうどっちかと言うとメンバーたちが私を助けてくれたところの方がたくさん。わがままなんですね私。
「あなたが?
≪結構
「あなた集団がダメなんですってね。
≪ダメなんですよ。基本的に苦手なんですけども本当によく怒ったりするし結構短気だったりまあそういう性格のつきあいが長いメンバーだともう6年目になってだいたいわかってくれる。メンバーがフォローしてくれますね今は。
「じゃあみんな若くても小さくてもしっかりしていて
≪しっかりしていますね。
「まあそれはそうですよね。わりとプロの意識を持っていらっしゃると思うんですよね。でもなんといったってみんな入りたいのはモー娘ってどんな子たちだって何がしたい?というとモー娘というぐらいになっちゃったんで
≪そうですね。オーディションをすれば応募してくれる子たちがたくさんいるということはすごくうれしいことだなと思うんですけども。元メンバーとしても。でも私は客観的にモーニング娘というのを卒業するまで見たことがなかったんですよ。私が初代だったので。モーニング娘はないところから始まって
「あこがれて入るというのじゃなかったのでね
≪だから皆がどういうふうにモーニング娘を見ているのかというのがよく分からないんですけども。
「今でも。なにしろシャ乱Qの
≪ロックボーカリストオーディションというのを受けた
「そうなんですってね。シャ乱QのロックボーカリストオーディションというのがあってそれまであなたはOLをしていらっしゃって
≪はいしてました。
「あまりそのもちろん歌手になりたいというお気持ちはあったんだけども何でもオーディションを受けるというタイプでもなかったんですって?
≪そうですね。何かどうせ無理だろうとか、こういうお仕事って簡単にできることだとは思えないし勇気ないしああこのままOL生活のままそのうち結婚してお母さんになっておばあちゃんになって私の人生はこんなものなのかなってぼんやり考えていたんですけども。まぁそのオーディションに出会ってしまったので
「それはつんくさんが考えたオーディションだったんですか?
≪いやシャ乱Qというあのはたけさんにギターのはたけさんがプロでデュースという形であの平家みちよちゃんという女の子がグランプリをとってはたけさんをプロデュースでデビューしたんですけどもを私たちは落選組みだったので
「そうなんです。そこからモーニング娘ができたそもそものなりたちなんですけども。すごく不思議なのはあなたたちは落ちた組みなんですってね。
≪そうですそうです最終的に
「ロックボーカリストのオーディションにシャ乱Qのにダメで。だめだなって自分で思ったりなんかして。
≪そうですね結果が出たときにはでもやるだけのことをやれたし、この年齢で自分の最後のチャンスだと思って思いっきりできたのでも悔いはないと思っていたんですけどもまあ何か不思議な縁で。
「その落選、次のトップのグランプリの人の次の人たちぐらいが5人
≪その中であの当時の5人がデビューした当時のメンバーがもう1度呼ばれてあのすぐデビューさせてあげるというわけではなくてデビューするためにある試練を与えるけどもそれをやる勇気はありますか?やる気はありますか?というチャンスを与えられたわけなんですよ。その時点でメンバー全員がそれぞれ高校生だったに中学生だったりみんなこう東京出身の子もいたんですけども私以外は北海道だったりしたので学校と
「あなたはそのとき大阪
≪私は大阪です。みんな行ったり来たり行ったり来たり
「やったところがを大阪なんですかそのオーディションをやったところが?
≪ええと地方の大阪オーディション東京オーディションいろいろあったんですけども。で結局東京に集まってきて
「大阪だけじゃなくて東京でやったりそれから北海道から入った後にの中に。ああそうじゃお家から離れてくることになった
≪そうです。で1度はあきらめかけたものをそんな大きなチャンスを与えられたら結構みんな割とよし頑張るという子たちばっかりだったのでやります何が何でもやります。
「世の中ではモーニング娘というのはある種ちょっとみんながバッと集まって突然発生したようにちょっと思っているんですけどもそういった
≪ではなかったんですね。
「グランプリのオーディションのグランプリの人ではない次の人たちの、そのグランプリの人はその中に入っていなくて。
≪もうソロで
「グランプリはソロでいくということになったので。その5人でやりましょうということになって。その試練というものはどういうものなんですか?
≪試練というのはCDを”愛の種”というインディーズで1枚私たち出しているんですけどもその愛の種というCDを全国5カ所で何枚だっけ?誰に聞いてんだろう(笑)10万枚?いや違う違う(笑)5万枚、すごい昔のことなので、何かもうとにかくあり得ない状況と
「途方もない数ですよねあなたたち5人にしてみれば
≪ああそうだ1人10,000という計算で5人で50,000枚で5カ所で完売しましょうというのが
「1カ所10,000枚
≪目安として
「大変ですよね。だけど。
≪そうですねだけどでもお陰様で4カ所目で完売できたので、名古屋だったんですけどもその瞬間にデビューが決まったのが自分の中で分かるわけじゃないですか。みんなで抱き合って。
「そうじゃそれが試練だったの。でもあなたの昔お勤めしているOLの会社の方たちはご親切に大阪で売るという時はずいぶん買ってくださったんですってね
≪そうですねもうあの当時勤めていた会社の同僚とかもう本当に
「上司の方とか
≪もう上司、社長とか(笑)あの本当に応援するから頑張りなさい
「あなたOLだったんですけどもその前からずっと前に歌手になりたいけども一緒には言えなくていもんもんとしたOLで、集団も嫌だな。さっきおっしゃったこれから結婚して子供はできておばあさんになってああいやだいやだとか思ってオーディションを受けたときに向かってそれでその前に会社に辞めさせてくださいって?
≪いえ。オーディションを受けたもののまさかこういう状況になるとは思ってなかったので
「オーディションを受けて次のグランプリじゃない人たちを集めるというのはしばらくたってからなんですか?その場所ではなかった。
≪あのそうですねオーディションを受けました、地区予選から東京でみんなと各地で残った子たちがが集まって合宿をやるんですね。合宿をやってその結果グランプリが選ばれたわけなんですけどもその状況はテレビで放送されているのでもうみんな当然友達とか会社の人達とかは知っていますよね。
「わかっちゃうなあ、会社の人にはわかっちゃうなところがあったでしょう。
≪そうなんです。とりあえずテレビに放送されるまでは黙っていたんですけどもやっぱりあの仕事をしながらこういうことをやっている自分自身がいいのか悪いのか判断ができなかったところがあったしどうせそんなところまでいかないだろうと思っていたのでTVを見てみんなびっくりした
「でもまあ見ていない人もいたかなと思っていたんですって。
≪案外ばれないかなと思っていたんですけども
「で会社にいらっしゃったら
≪会社のその私が勤めていた会社の人ではなくてうちの会社と関係のある方がたまたまを会社にいらしていて内線で「あなた昨日テレビに出ていたね」ああ・・・みている人いたんだ言わないでください内緒にしておいてくださいとか言いながら、でもその日にお話ワット広まって
「会社中に広まって。
≪そうですね。それで後輩の子たちも「中沢さんどうするんですかこれから?」とか。すごく心配してくれてました。
「でもそのときに上司に辞めさせてくださいとおっしゃったの?
≪あのやっぱり会社勤めなので有給(休暇)とかあるじゃないですか。有給がある間はお休みがとれるんですけども本当に大阪と東京を行ったり来たりする生活が始またら当然お休みもなくなってしまうし迷惑をかけると思ってあの結果はよくても悪くても会社はもう退社しなくてはいけないなと思っていたんですけども上司がいやも頑張りなさい有給はもちろんないけどももうやるだけやればいいんじゃないのというのですごく回りの人はやさしく
「社長さんも?
≪社長さんも頑張りなさい、エレベーターとかで会うわけですよ。「ああ!社長だ」とか思って何か気まずいなと思っていたら「なにかいま大変みたいだね。応援しているから頑張りなさい」って
「いい会社ね
≪本当にいい会社で。もうあのみんなの協力がなければやっぱりなかなかこういう結果は出なかったんじゃないかなって思いますね。
「そこはお幸せでしたね。その集団がいやだなんだとか心の中で思っていたにしても。
≪そうですね(笑)
「そうやってレコード・・・CDですかそこで買っても下さって皆さんね。
≪ずいぶん並んでくれたという話は聞きましたね。
「ありがたいですね。
≪すごくありがたかったです。
「5年なさったそうですからOL生活も。
≪そうですね。
「だからわりとモーニング娘という派手なところにいらっしゃったんですけども実はその前にはそういった5年間のOL生活があったんですけどもちょっとコマーシャルをはさみましてそのもっと前から実は歌手になりたかったんだけども人には言えないで(笑)もんもんの日々があったそうでございます。ちょっとコマーシャルです
黒柳「中沢さんは京都のご出身。
中澤≪はい
「でピンクレディーのファンだったんですって?
≪大好きでした。
「まあね当時はピンクレディーのファンじゃなかった子はいなかったかもしれませんでした
≪そうですね保育園に通っているときから
「そんなに小さかった
≪お昼寝の時間の前は必ずピンクレディーさんのやっぱり絵本だとかそういうのがいっぱい出ていたので取り合いっこしながら見てたりとか。本当大好きで本当にあこがれの当時はお姉さん達ですよね
「音楽もよかったですしね。何かね。
≪本当に、今も好きですね。
「あんなふうになりたいなと
≪ずっと思っていました。というか私はピンクレディーになるんだって
「決めていた(笑)
≪今みたいにモーニング娘になりたいからとそういうオーディションがあるわけではないんですけども私はピンクレディーになりたいなるんだと思っていたんですけども。
「ただ回りの方にはそういうことをおっしゃるとダメだなと思って子供心にも秘密にしていらっしゃったんですって
≪やっぱり恥ずかしいですよね。歌を歌う仕事がしたいとかテレビに映っている当時アイドル全盛期といわれている時代で小泉今日子さんとか明菜さんとか私本当にテレビっ子だったのでまあこういうお仕事したいなとやっぱり夢はふくらむんですけども何を後本当に夢の夢の夢みたいな話だったのでやっぱり勇気がないというか口に出すことさえいけないことのような。わりと自分のこと話す方ではなかったので小さいときから、ずっと黙っていましたね。
「それとお父様を割と早くにおなくしになったんですよね
≪そうです。
「ずいぶん小さいときに
≪うちの父親は私が6歳のときに亡くなっているので父親自体は本当に若い年齢で
「29
≪29ちょうど私の今の年齢のときに
「29の時に。ちょっと不思議な感覚でしょうお父様がなくなってこの年なんだって
≪本当にあの自分自身29歳の誕生日を迎えたときに、ああお父さんと同い年になっちゃったと思って。ということは当たり前なんですけども来年はお父さんよりも年上になるんだと思いながら私も半年もすれば半年もないですね
「6月、
≪6月ですね30になるので。不思議ですよね。
「こんなに若くて死ななければならなかったというのはつらかったと思いでしょうやっぱり。
≪そうですね。小さいころは全くその年齢を自分にとっては遠い将来だったので想像もつかなかったですけども、父親、そうなんです父親のこともそうなんですけども母親がまだ30歳とかそれぐらいの年齢で私妹がいるんですけども2人子供を育てていかなければならない状況だったの今の私の年齢ぐらいで経験しているんだと思うとちょっと改めて考えるとうちの母親も大変だったんだろうなと
「考えてみればあなたぐらいの年齢のときには2人子供がいてご主人を亡くしたということだと思うとやっぱりすごいなって。
≪考えられないですね。自分の親のことなんですけども。全く違う人生を歩んでやっているので
「そういうこともあるけども余計にお母様が一生懸命やってらっしゃるから歌手になるとかなんとかそんなことは言えないなと。
≪そうですねよけいな心配はかけたくないということもあったし、やっぱり自分自身本当に自分の中で大切なことというのはなかなか口に出して言えないのでオーディションを受けたときもぎりぎりまで母親には言わなかったですね。でも言わなければだめだなというときに話したらそれはやっぱりびっくりしていました。知らなかったからそんな夢があったのを。
「でもおかあさまはそれを知ってくださったばお母様はとっても自立しなさいということをいつもおっしゃってる方なんですってね。
≪本当にそうでしたね。高校を卒業してから大阪に出たんですけども家を出たいんだと地元を離れたいと言ったらもういいよって。自分のやりたいことは私にしかできないんだろうし今というのは今しかないからやりたいことはやったほうがいいからいいよって。でもこの30代ぐらいで子供2人で育ててという生活を送ってきている人だったのでやっぱり女性は男性と暮らしていくということがすごく幸せなことだと思うんですけども自立した女性にならなければだめだよって。頼ってばっかりじゃダメだからねということは小さいときからずっと言われていましたね。だから今も自立しているかどうかわからないんですけどもでも1人でなんとか考えているなって。
「そのお母様がお母さんの影響が大きいということですよね。
≪そうですね。うちの母親の言葉というのはすごく印象に残っているし
「この前お母様と(笑)あの何でしたっけまずくなっちゃったんですってこの間。
≪ええ
「ちょっといいですかコマーシャルを挟んで。その大切なお母様とまずくなっているかという原因などをちょっとお伺いして
≪
黒柳「かねがねお母さんはあなたに自立をしなさいと男の人に頼る生活じゃなくて自分でも生きられるようにとおっしゃってくださった方だけあって普段は私のことは放っておいて、私のことはいいから。妹さんがいらっしゃるでしょう。
中澤≪はいいます。
「妹さんも今も離れて、私のことはいいんだからとおっしゃっていたんですが去年の暮れあたりあなたが
≪私あの喧嘩というほどでもないと思うんですけどももともとこう連絡をとり合わないんですよ。私が電話とか手紙とかが苦手なのでもともと連絡をとらないところをたまたまお休みが近々あるのでちょっとでたまにはみんなと旅行とか行けたらいいかなとか軽い気持ちで
「おかあさまと一緒にね。
≪で連絡をしたところ「ああダメその日」とすごいあっさり、まあそれはそれでその時は何で私も怒こったのか分からないんですけども。
「あなたも休みがなかったから
≪まあ勝手なんですけどもね。
「やっと休みが取れたからじゃお母様と一緒に休みをすごそうかなと思ったらその日はダメと急に言われたから
≪言われて、なんだせっかくいこうと思っていたのにと勝手に私が計画を立て始めていたので私頑固なので1回怒こってしまうとその性格を母親も知っているのでなかなか連絡を取ってこないんですね。だから今現在も年明けても続いちゃっている。
「そしたらお母様ちゃんとその日を覚えていらっしゃってあなたに
≪そうなのまた連絡してきたんですね(笑)
「明日あのあなたどうするの?とお電話があったんですって
≪わざわざそうなんです。放っておいてくれたらよかったんですけども私も忘れかけていたのでどうするのってわざと、をわざとじゃないと思うんですけども心配して聞いてくれたんだと思うんですけどもいや「あのだからもう関係ないからもうええやん!!」ってすごい言って母親もそこまで怒ることではないのにと思っていると思うんですけどもどうもは素直になれなくて
「でもあれじゃないのお母様としてはせっかくの休みだったら友達とすごしたらいいのにって自分となんかね暮らして過ごすことはないのにっていうお気持ちだったんじゃないのかしら。
≪そういうのもあるかもしれないゆっくりしなさいっていうね。
「そうそうそうそう。でもあなたとしてはスケジュールを立てて一緒に過ごそうとしていたから
≪勝手なんです本当に。自分勝手なことだったんですけども。
「でもおかあさまとしてはだからその日はちゃんと覚えていて電話をしてあなた明日どうするの?って。ええやんって
≪予定は入っているの?と聞いてきてくれたんですけどももうまたその話に戻ちゃったなと思ってはい。
「関係ないヤンとなっちゃったものですからそのままになっちゃったんですって今も。
≪そうなんですよ。
「やっぱりなんとかしないとね。
≪もういいかげん話をしなければだめだよと回りも言っているんですけども。まあ親子ですからね何があっても何がで縁が切れるわけではないですから
「まだこれをご覧になっていればお母様もそういう気持ちだったんだなって。だから謝りたい気持ちもあるんですか自分勝手でごめんねみたいなぁ。
≪いや(笑)謝りたいというよりも家族なのでごめんねとなかなかいいづらいかったりするじゃないですか。でもまぁそのうち自然に
「なんとか。
≪なんとかしたいなって。
「でも何か大きな催しがあるときはお母様に来て欲しいって言う時はあります?
≪ありますよもちろん。わたし自身がモーニング娘を卒業するときのコンサートをだったりとか舞台だったりとか今も公演中なんですけども。
「その話しますけどコマーシャルをはさんでそれをお母様がみに
≪知っているかないっていないんです。
「ああそうですかじゃ今日ここで。それを仲直りのきっかけに
≪そうですね
「じゃコマーシャルです。
≪
黒柳「今は芝居をやってらっしゃる。
中澤≪ええ
「明治座で
≪萩本欽一さんと江戸の花嫁というお芝居を始まったばっかりなんですけども。
「そうなの。2回目の舞台なんですってね。とても面白いんだそうですけども萩本欽一さんが出演そして演出なさっているんですけども。あなたはお雪という娘役で出てらっしゃるんですけども
≪そうなんです
「ですがこれがあのアレなんですってね坂上二郎さんも出てらっしゃる
≪そうなんですよ。
「共演なさってコントを55号もずいぶん久しぶりだと思うんですけども、でこれをお母様に見てほしいと思うんだけどもはしのえみさんダブルキャスト
≪そうなんです。あのうちのお母さんがどこかで舞台やっているというのを聞いてですね見に来てくれるのはいいんですけどもちゃんと言っておかないとはしのえみちゃんが出ているときだったらやっぱり
「せっかくお休みを作ってねお母様もお仕事をやってらっしゃるそうなので来てくださると申しわけないから。それはあなたチラシをこの日に出ているこの日に出ていると書いてそれでお母様のところに送るとかしたらどうかしら?
≪そうですね。それはさすがにし自分でやらなければだめですね。
「そりゃそうですよそれはダメですよ。あのファクスでもまたは
≪連絡してみます。
「それがきっとお母様の仲直りのいいきっかけじゃないですか。でも舞台面白いですか?
≪まああの刺激がたくさんあって勉強もいっぱいできるので
「即興の部分もずいぶんもう大変?
≪大変ですけども楽しんでやっています
「そうですか。なによりですよね。でも本当にお1人でお元気でなによりです。ほんとありがとうございました
≪ありがとうございました
「中澤裕子さんでした。