2003年2月14日
黒柳「今は桑マンと呼ばれていらっしゃる桑野信義さんなんですけどもベストテンの時は本当にシャネルズとラッツアンドスターで毎週のようにお会いしておりました。
桑野≪本当にお世話になりました。
「いえいえ
≪ベストテンのドアを壊しちゃったりとかね。
「ミラーゲイトをね。あれを家に持って帰りたいといったら家に入らなかったという話。あまりにも大きくてですね。でも本当にあの時はずいぶん毎週お会いしていましたからね。後にあなたがそのいわゆるコメディアンにおなりになったのも驚いたんですけどもあの時はちょっとまだそれがわからなくて音楽をやってらしたので。本当はトランペットがお得意だということで。でも今こうやって拝見しているとずいぶんお顔が清潔というと変ですけども、洗っているとかそういう意味ではなくてあのなんだか健康そうなお肌がすごくいい不思議なあなた清潔感のおありな。あまり間近で見たことはなかったですからいつも黒いの、前の人は黒いの。あなたの塗ってなかった?
≪私は塗ってなかったんですけども
「塗ってないんですけどもあの人数がなにしろ多かったから
≪10人でしたからね
「そう。だからいちいちもちろんインタビューもしたんですけどもつくづくお顔こうやって見てなかったんですけどもこんなでしたからねみなさん(写真)あとで懐かしのランナウェイも聞かせていただきますけども。あのそんなこんなでしたからお顔をよく見ていなかったんですよ。テレビでは拝見していたんですけどもこんなふうに清潔なお顔の方だとは思わなかったので驚いています。
≪いやわたしもそんなこと言われて驚いております。どうもありがとうございます。
「いいや本当にもうちょっとね何と言ったらいいのかしら皮が厚い顔だと思っていたんですよ。本当に皮膚的にいって。そうしたら本当にすっきりとした方なのでね健康なんかにも注意してらっしゃる
≪お酒が好きなんですけども。お酒がちょっと肝機能が悪くなったときもあったんですども今は子供がいるので長生きしなくてはいけないので。
「小さいお子さんが。びっくりしましたね。
≪食べ物とかいろいろ気をつけて。
「そうなんでしょうね若い奥様とご結婚になったということも
≪再婚しました。
「その後いろいろなことがあったようですけども。それにしてもこんなに清潔な方だとは思わなかった。清潔の方って(笑)昔は顔を洗っていなかったのかと、そんなんじゃないですよ。いわゆる感じですよね。昔に比べたらそういうふうに自分でもお思いになりません。
≪まぁあのシャネルズのデビューのころというのはいわゆるバンドのイメージというか簡単に言うと突っ張って生きていたんですよね。だから誰も寄せつけないようなそういうスタイルだったじゃないですか。ちょっと不良
「勤労少年というか勤労青年と私たちはよんでいたんですけども皆さんガソリンスタンドとかいろいろな所で働いてらしたのでね。だからこんなふうにすっきりとした方だとはあまり思っていなかったのでいろいろなテレビとかは拝見していたんですけども間近にこう拝見してねこんなに肌のきれいなすっきりとした方だとは見て驚いてびっくりしています。本当に。
≪ありがとうございます。
「でもこの間セカンドバックをすられた。どうしたんですかあれは。
≪去年の11月に番組がある番組が終わってスタッフの方と食事をしましょうということになって銀座にて帰りにちょうどタクシーがすごく人が並ぶんですよ。でこんなに並んでいるのは嫌だなと思いましてスタッフの方と2人でみんなと別れてもちょっと向こうへ行けば拾えるからとちょっとスケベ心を出しまして2人で歩いていたんですけどもこっち側が車道ですよね。でスタッフがここにいて2人でしゃべりながらセカンドバックをもって歩いていたんですよ。こっち側は歩道なんですよ(セカンドバックをもっている方)まさか歩道からバイクでくるとは思わないじゃないですか。そのまますっと
「バイクできたんですか。
≪2人乗りのバイクが後ろから
「すごいですね。アーもスーもないの。
≪ええ、喋っていたら手が上がったんですよ
「(笑)
≪あれ!俺ボーリングしていないしな。みたいな。気がついたらバーと行っちゃっているんですよ。信号ひとつだけ追い掛けたんですよ。2人で。それ私今年で46歳になりますけどもを今まででベストタイムを出したぐらい早く走りました。
「早くね、そうでしょうね。
≪それでも追い付きません。
「2人組。
≪2人組です。
「その中にとても大切なものが入っていたんですってね。
≪そうなんですよまぁ2年前に亡くなったおふくろの遺髪がそれをお守りに持っていたんですね。それが入っていたので。
「どんな状況で入っていたんですか?その中に。もしかしたらそれをスった方が持っているかもしれない。
≪いやたぶん持ってないでしょうね。だいたいああいう手口というのは現金だけを抜いてあとは捨てちゃうんですよ
「捨てられたという形跡もないんですか?
≪いまだに築地署からは連絡はありませんけど。
「なるほどもしも万が一持って出した場合はお母様の遺髪はどんなふうに。
≪あのねティッシュにくるんでパウチッコみたく小さく
「透明の中に入っていたの。じゃそれもし拾った方がいたらそれは桑野さんのだから返していただきたいんですけども他の物はともかくそのお母様の遺髪なんでとっても大事にしてらしてお守りだったんですって。
≪でもそのお守りがあったから例えば金属バットで殴られたとかなかったんだと思います。
「まあね。後ろからつき飛ばされたりしてけがをしなかったとか。それはよかったかもしれません。でもまあちょっと残念ではありますね。
≪正直言って現金10万円入っていたんですよ。正直に10万円と行っちゃったんですよ。あれ100万円といえばよかったかなって。いやいや犯人がそんなのは入っていなかったよって
「出てくるかもしれない。なるほどね。でもまあその大事なお守りみたいなものができればかえして、もし万が一身近に持っていらしたらば徹子の部屋にでもただ封筒に入れてこれ桑野さんのですと書いて送ってくだされば受け取ってお渡ししますので。
≪鍵とか全部作り直しちゃいましたから。
「だから他のものはいいんです。ビニール風のものに入っていたわけですからね。まそういうものを拾った方がいらっしゃったらあのみれば違うものが来てもわかりますよね。
≪多分もうないと思いますけどね。
「そうですかでも分かりませんよ。
≪もしあれだったらお使いください。
「そんなことあなたお母様のものですからやっぱり。
≪まあね
「お返しいただいた方がいいと思いますよ。それはやっぱり望はもってお願いをしておく。テレビというのは大きいですからね。
≪そうですねその築地署の方もその銀座で僕で6件目かな。まだ地道に捜査をなさっていると思います。
「でも日本でひったくりがあるとはあまり思いませんから。
≪そこなんですよね。まさか自分がと思うんじゃないですか。でもいま日本も変わってきましたから。自分で気をつけなければだめですね。
「そうですね。そうしてけがをしたりもしますしね。でもまあお母様が守ってくださったんだと思いますが。いろいろお話しをうかがうんですが私がうらやましいと思っているのはバカ殿に出ていらっしゃる。
≪ありがとうございます。
「ねえ。私あれ大好きで毎回見ているの。
≪爺でございます。
「爺が羨ましくてね、あのバカ殿の大好きなんですけども。でももともとは東八郎さんがやってらした役を今やってらっしゃる。
≪そうなんですよね。もともとは東八郎さんが家老の役でなさっていたんですがお亡くなりになってしまったので。
「あなたは他のその他大勢だったんですって。当時は。
≪その他大勢のサムライだったんですけども志村ケンさんが当時並行して「大丈夫だ」という番組が今度番組がございましてそこでよく老人の役をやっていたんですけども、老け役がなにか似合うだろうと
「じゃ志村さんはそれをご存じで。
≪はい。で桑野おまえやってみないかといわれていやそれはとんでもございませんと。東八郎さんをという偉大な方が爺をやっていたのにその後に桑マンの私が爺なんてできません。
「志村ケンさんは東八郎さんをとても尊敬してらした。
≪そうなんです。
「だからそんなとんでもないこと。
≪とんでもございませんよね。それで東さんというのは特異なキャラクターで爺を家老をやっていましたのでとても抜けるわけがないし同じレベルにも行けないということでお断りしていたんですけどもどうしてもお前がやれと。たぶん聞いたんですけどもスタッフとか事務所の人もを無理だと志村さんそれはやめたほうがいいんじゃないかという話があったらしいんですけども志村さんが押し切ってお前がやれと。
「そうなんですか。良かったですねチャンスというのはねえ。ありがたいですね。
≪そうですね。大抜てきだったんですけども。
「であれをおやりになったので他のものもずいぶんたくさんコメディアンとして認められるようになったんじゃないんですか。
≪そうですね。志村さんのおかげですよね。まあ当時は東さんの以前のVTRとか見ながら研究したんですけども東さんて独特じゃないですか。それをまるっきりまねしてもね、これはまずいなと思いまして。その時に志村さんがそんな力を張らずに自分のペースでやれと言っていただいたので緊張申しましたけども今やっと爺として認められて。
「良かったですね。私も大好きでいつも拝見しております。
≪今度よかったら出ていただけないですか。
「いや出たいと思っているんですけども志村さんにそういうふうにお伝えください。
≪わかりました。
「バカ殿のバカ母か何かで。いかがでしょうと(笑)
≪もう喜んで伝えておきますので。
「お願いいたします。ぜひぜひ。ところであなたはトランペットをお吹きになるということでラッツ&スターの時も吹いてらしたんですけども、あなたが音楽家だとはご存じない方も若い方もコメディアンなんだって
≪そうですね。
「思ってらっしゃる方もあるかもしれないんですけども。ちょっとコマーシャルをはさんで吹いていただきたいと思うんですけども。あなたは何代か続いたお家のトランペットなんですってね。
≪僕で3代目なんですけども。
「そうなんですよみなさんびっくりしました。おじさまから
≪はい。あのうちの親父うちの父親ですね、父親の父親だからぼくのおじいさんなんですけども戦争で進軍ラッパ(写真)
「この方がお父様。
≪これはうちのおやじです。
「ジャズをやってらした。ジャズバンドの
≪71歳なんですけどもまだ吹いています。
「おじいさまは進軍ラッパ
≪進軍ラッパ。
「日露戦争ですかね。日露戦争じゃないですよね。
≪ええと六本木の旧防衛庁。そこで。
「じゃあ本当に今度の戦争ですね。
≪もともと青山生まれなんでウチの親父は。で私で3代目ということで
「そうでいらっしゃるんですか。ですからあなたとしてはトランペットをやることはそんなに。じゃあ初めの手ほどきはお父様。
≪そうですねまぁ高校行っているときに進路を決めなくてはいけないのでまあそのときにトランペット吹きでいこうと。トランペッターになりたいと。まあ反対は食ったんですけども押し通してやっぱりおやじも反対したんですけどもほんとうはうれしかったんじゃないですかね。心の中では。
「でもアレですよね横浜にラテンクオーターというのがあって
≪はいクラブで高校卒業して。
「そこでずいぶん若いときから
≪そうですね18の時から高校時代も実はダンスホールというのがございまして、社交ダンスの昔あったでしょう?
「ありましたありました。
≪今もあるんですけども新宿のステレオホールとか有楽町のツインタワー。
「フロリダとかありましたね。
≪そこに高校時代にラッパをもって修行に行けということで。学校のないときに。
「でお父様は酒・女・ギャンブルには手を出すなと。
≪そうですね。うまくなるまではお酒女ギャンブルには絶対に手を出すなと。ところが酒、多少女の人彼女ですけども、ギャンブルはしませんけどもね。
「そういうのに手を出したりもなさっていた。
≪まあちょっとですけどね。それでまあその横浜のラテンクオーターから渋谷にあったんですけども力道山が昔作ったリキパレスという
「ああ有名ですよねリキパレスって
≪エンパイアというグランドキャバレーのビルがあったんですけども。そこにまた紹介されていてその仕事をしているときにうちのリーダーとシャネルズを手伝ってくれないかと
「うちのリーダーというシャネルズの鈴木さんはもともと幼なじみなんですってね。
≪そうです。あの幼稚園から幼稚園・小学校・中学校とずっと一緒で。
「この写真だとちょっと格好良く分かりじゃないかもしれないですけどもまあ
≪今はソロで鈴木雅之でがんばっておりますけども。
「シャネルズ・ラッツ&スターのボーカルでずっとご一緒だった方なんですけども大森の方で、大森海岸のあっちの方
≪あの大森まつという
「大田区
≪大田区でございます。
「あそこでリーダーの鈴木さんとは幼稚園からご一緒。
≪そうですね家も直線で50メートルぐらいですかね。彼の家は旋盤工やっておりまして。
「だからみんな工場とかそういう所で働いたりしたあの勤労青年からプロにおなりになったということでちょっとせっかくですのでコマーシャルをはさんであなたのトランペットでみんなあまり聞くチャンスがないと思うんですよね今は特に。桑マンですから。じゃ桑マンはトランペットが本職なんだっていうことでちょっとだけで結構ですのでじゃお願いしましょう。じゃちょっとコマーシャルですみなさんご期待ください。
≪
黒柳「桑マンにちょっとお願いして星に願いをちょっとやっていただくことに。
桑野≪ちょっとさわりだけ。~演奏~
「(拍手)ご存じのようにすごく難しい楽器で音程をつくっていかなければならないんですからね。
≪音が多分普通の人は出ないと思うんですよ。ピアノとかドラムとかこうすれば音がでますよね。このラッパというのは音が出て音域を作ってからじゃないと
「並大抵のことじゃ。でもこれは特別製なんですってね。
≪そうなんです。これはヤマハにお願いしてですね日野輝政さんとお仕事したときに日野輝政モデルというのがあったんですけども。
「でも日野さんのご一緒のときうれしかったでしょう。
≪嬉しいですよ。
「トランペッターとしてはあこがれの方。
≪であのおのこう少し角度が。
「日野さんの日野スタイルなんですか。
≪はい日野さんにお願いしていいでしょうかちょっと同じようにと言ったら「うん。いいよ」と快く言ってくれたので
「そうなんですがちょっと坂になってますね。
≪はい、もうちょっとこういくとアメリカにディジー・ガレスビーという人がこういうラッパを吹いていたのを覚えていませんか。もうちょっと角度が上なんですけども。
「普通まっすぐのありますよね。
≪そうなんですよ歯のあれでこういうふうにして吹く人もいるんですよ。どっちかというと僕はこういうふうに吹くのでちょっと上がっていると自然にね。
「なるほどね。こういうふうなコンサートも今やってらっしゃるんですよねちゃんとトランペット吹いて。
≪はいそうですね。今ちょっとクラシックの方にも挑戦しましてですね桑マンのトランペットでハイドンだという
「(写真)ハイドンの格好をして、みんなにトランペットとかそういうなんというかクラシックの音楽もいいじゃないというので随分日本のあちこちでやってらっしゃるのね。コンサートのこういうの。
≪これからいろいろ回ってきたいと思うんですけども。これ嫌だなと思うのはウチのオフクロにそっくりだと思って。
「そうですねハイドンのかつらのつもりなんですけどもちょっとはみると普通の日本のおばあさんみたいな気もしないではない。1番近いところでは2月16日の日曜日
≪あさってですね。
「夜6時半からなんですけども静岡県
≪モリ町文化会館というところで
「大ホールで。面白いコンサートなんです。ちょっとVTRがあるのでこういうのをおやりになるということで桑野さんのお働きのひとつですちょっとご覧いただきましょうか。~VTR~でもすごいですねぇ桑野さんは音楽学校とが行ってらっしゃらないのに。
≪まあ一応教則本というのがありまして。もともとはクラシック、みんなクラシックのあれで勉強するんですよね。
「そうなんですか。
≪はいただオヤジがジャズのほうなので僕もそっちの方を選んだんですけども。やっぱりトランペットを日本で例えばどなたか知っていらっしゃいますかというとやっぱり日野輝政さんそれ以外はあまり名前が皆さん出てこないと思うんですよ。
「ええ、オーケストラにはいらっしゃってもね。
≪日本ジャズでもすごくうまい人がいるんですけどもあの全国的には知られてない方がたくさんいるので。私はある方から頼まれて桑野君は結構TVにも出るしいろいろトランペッターとして先頭に立ってやってくれよと。
「そうですねトランペットという楽器は素晴らしいと。柔らかい音とかいろんな音が出るんですよね。
≪そうですよね。
「まぁ難しい楽器なんですけども桑マンが「おお!こんな音楽家だったのか」とびっくりされると思うので、近い方は静岡県のモリ町の皆さん2月16日ですから前いらっしゃってください。まだ番組が続くんですけどもお弁当を毎日作っていらっしゃって大変なんですって。早起きして。ちょっとそんなこともうかがいますちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「そんなわけで桑野さんはまあ本当に高校を出てすぐにプロになってまあトランペッターとしてやろうと思っていた矢先に幼なじみの鈴木さんから一緒にやらないかといわれてそれから他の勤労青年が集まって仕事をしながら。でもベストテンにいらっしゃる時の前ぐらいまでみんなは休業届を出してきていたんですって。
桑野≪そうですね。会社の人たちはもしかしたらすぐにダメになっちゃうかもしれない
「音楽の方がね。
≪だから休業届を出して思う存分やってこいと、もしだめだったらまた帰ってくればいいじゃないか。という本当にどこの職場の方もみんなOKをしてくれて。
「みんなずいぶんいろんな仕事をしてらっしゃいましたよね。鈴木さんのお父様は旋盤の向上やていた。ガソリンスタンドに勤めていた人もいますよね
≪ええ、ギターのやつとドラムのやつ。それと私も
「あなたもそうでしたよね。それからデパートの海苔売り場という人もいたんですけども。いろんな人がいたんですけどもそこでですねスタジオミュージシャンとして井上大輔さん作曲、湯川怜子さん作詞なんですね。
≪そうですね。
「これ初めコマーシャルということで。ちょっと懐かしいと思うので皆さんにとにかく聴いていただいてこれでベストテンにいらっしゃったんですよね。
≪そうです。
「びっくりしたんですよあまりいい曲で~曲~80年デビュー。じゃあもう23年前ということになりますからね。本当にベストテンの初期のころにいらしていただいて。本当に素晴らしかったですけどもこれ井上大輔さんの曲だったんですね。
≪最初はあの。電機メーカーのラジカセのCMとして1コーラスだけあったんですけどもそれからエピックソニーという今はレコード会社の人たちがヤマハのイーストウエストというコンテストがありましてそこがサザンとかいろんなバンドがアマチュアから出ていったところなんですけどもそれで勧誘にきていてその曲を1曲にして1回でいいから出してくれと。それでだめだったらいいからということでずっとお断りしていたんですけどもパンと行っちゃったんですね。
「これが。それから次つぎつぎつぎと大ヒットでベストテンにずっとレギュラーで出てらしたというわけなんですけども。まあ本当にびっくりしちゃうんですね。それからはソロになったりコメディアンになったり。まあ初めはシャネルズでそれからラッツアンドスターだったんですけどもラッツアンドスターで別に解散しているわけじゃなくて今もあるそうですね。
≪そうですね個々に活動しているということですよね。
「そうなんですね。そういうこともいろいろあったんですけども個人的にはあなたの息子さん大きい方の息子さん。ちょっと離婚なさったんですけどもその息子さんがあのあなたと一緒に暮らしたいとある日。
≪あのまあ離婚したときに子供が2人前の奥さんの方に引き取りますよね。でまあ電話がかかってきてそっちに行きたいということでじゃ喜んでということで。
「その時何歳?
≪3歳、もうじき4歳のときですね。
「そんなに小さかったんですか。
≪はい
「それから実はですねみなさんびっくりしちゃうんですけども桑野さんはあのお忙しい最中にそれじゃ今まで妻に押しつけていた子育てをやろうじゃないかということであの本当に真剣に小さい子供
≪そうですねやっぱり本当に家のことも子育ても何もしなかったんですよ。ま忙しかったのも確かですけども。それを彼が帰ってきてからやっぱり子供っていうの俺エライ事をしちゃったなということで。
「だれもいなくなってしまった時はとても寂しかったんですってね。
≪そうですね。それでこれではいけないということでまあ償いですよね。できることは全部しようと
「さっきおばあちゃんの遺髪とおっしゃっていたそのおばあちゃんがお元気だったこともあってお仕事の時はあなたのお母様が見ていてくださったこともね。
≪うちの母がいなければなもちろん無理でしたから。
「それにしても仕事が終わったらみんなと一緒に遊びたいとかあっても子供がいるんだからとにかくさっと返ってとか。
≪まあるべくわね。でどうしても遅くなっちゃうので収録とかが。でもやっぱりお弁当はね
「朝御飯ね、朝のお弁当。
≪これでもね皆さん大変だとおっしゃるんですけどももともと料理が大好きなもので大変ではないですね。逆にうちのおふくろがお弁当を作るとやっぱり若いお母さんが作るお弁当と違うじゃないですか。かわいそうだし以外に今日はいろいろこんな感じとか。
「ずっとやっていらっしゃったそのお坊ちゃんがすごく大きくなって
≪いま18になりました
「そうですね。今度新しく結婚なさるときもその18の坊ちゃんに。18じゃないかもっと若かった。
≪中学の時なんですけどね一応相談しまして
「かわいいまたハンサムな息子さんなんですよね。相談したんですってね。
≪ちょっと時間をくれということでまあ時間がたっていてからちゃんとできるのねと。
「息子が言うの
≪僕とお袋はいるんだけどあなたは結婚してまた子供ができてそっちの方もちゃんと出来るのねと。できるならいいよということで。ちゃんとやりますからということで。
「息子さんにおっしゃって。
≪はい。
「それで結婚なさった。
≪そうですハイ。
黒柳「でも本当に桑マンになったりしてお忙しいときにもその坊ちゃんとメモでやり取りしたりずいぶんその小さかった坊ちゃんと。
桑野≪そうですね。
「だからうまくいったんだと思いますけど。大きくなったらお兄ちゃんはいいということになってあなたが結婚なさって、その兄ちゃんも生まれた後からきた弟と妹、今の奥さんになる子供をとてもかわいがってくれて。
≪そうですね何かペットみたいな感覚じゃないんですかね。年が離れていますから。
「(笑)このお2人にまた桑野さんはお弁当作っている朝早く。今日だけは給食があったんで作らなかったそうなんですけども。あまりやってしまうと奥さんに悪い
≪そうなんですよ。あまり領域を荒らしてもね。でもやりたくなっちゃうんですよ。
「お弁当を作りたい。信じられないですよね。皆さんこの方が子供のお弁当を作りたいと願っている方だなんて。じゃあ今は落ち着いて
≪そうですね本当に落ち着いて幸せです。
「そうですかぁじゃハイドンの方もどうぞご成功を祈っています。本当にありがとうございました。
≪ありがとうございました