2001年10月3日
黒柳『あらうれしかったでしょ』
宮沢「私は賞をいただくということが最高のことだとはあまり思わなかったんですけど貰った後にいろんな友達とか母親とかが本当に喜んでくれてたのが私には一番のご褒美だったなって」
『そうですよね。じぶんでは好きでやったんでありがとうございましたって言うところなんだけど周りの人が喜んでくれるとね。』
「本当によかったね~って言ってくれるその顔が一番のご褒美」
『まありえさんもここんところいろいろあったじゃないですか。だからそれを覆すぐらいの賞でよかったな~ってまたCMや写真で評価を受けているけど女優としての賞で第23回最優秀女優賞ということでね』
「これが賞状なんですけどもね。すごくきれいなトロフィーで有名だそうです。これがモスクワの伝説の戦士」
『まあ形としてもいい形ですよね。横にも彫刻が入っていて』
「トロフィーって飾っといて素敵なものってあまりないじゃないですか」
『これは形もいいし色もいいし重いしすごいですね。でも本当に外国で賞を貰われてる人もいると思うんですけど最優秀女優賞を他所の国で貰うと言うことは大変なことですよねモスクワ映画祭ということで。香港の監督さんがあなたを見込んでヨン・ファンさんというんですか』
「監督が東京に1人でいらして、すごくチャーミングで熱意のあるひとで、香港の映画って台本が出来てない場合もあるそうなんですけど彼の場合は絵コンテもできててどうしてこの役をあなたにやってもらいたいのかっていうのもとても流れるような言葉で話して私は京劇のスターっていう役だったんですけど私にはとても無理だわと思ってお断りするつもりでお会いしたんですけど監督が君がこの役をやらないんだったらこの映画は撮らないとか言ってくれて」
『どうしてあなたのことご存知だったんですか』
「香港とか中国に私のドラマとか写真集とかがあって。私がいかずも私の分身が行ってて」
『声もなにもご存知で。これ大変難しい役なんですよね』
「1930年代のきらびやかな中国の話から京劇のスターなんですけどあるお金持ちに見初められて結婚して第4婦人になって家族の中に入るんですけど愛情とかがまったくなくお金だけがある」
『お母さんの役でもあるんですよね。めずらしいわね。』
「いやそうでもないんですけどね。大河ドラマとかで」
『中国の方がメイキャップされただけあってちょっとお顔が違うわね』
「日本でどんな方にやっていただいても宮沢りえっていう顔があるみたいで多少の個性はでるんですけど何か残るんですよね。中国の私をまったく知らない人にやっていただくととても楽に」
『お母さんらしくみえますよね。そうかというとその時代の退廃した感じもあって男装した不思議な交流もあるんですって』
「彼女はすごく強い女性(映画の登場人物)で私は表面的には強さはないんですけど内に強さを秘めてる女性で彼女に友達以上のあいじょうを持って彼女と娘と私の3人暮らしが始まるんですけど」
『いまのはそうでもなかったんですけど宝塚のような感じでジョイ・ウォンさんという香港でとても有名な女優さんなんですってね』
「香港では有名なかたで」
『この映画の題名なんですけど』
「日本語で”遊園驚夢”っていうんですけど」
『じゃあCMをはさんで予告編なんかもみてみます』
~CM~
『まあこれだけじゃなにかわからないと思いますけど。でもずいぶんお金がかかっている映画に見えますけど』
「蘇州で撮ったんですけど」
『ええ蘇州で撮ったの。綺麗なところですよね』
「世界遺産になっているところで絶対入れないような中国の昔からの建物で撮影したんですけど。これ全部ある建物で撮ったんですよ。」
『その中で中国の服をお召しになってらっしゃるんですけど。あのモスクワ映画祭の審査員の言葉で”東洋の美しさを表現していると共に東洋の女性の持っている芯の強さも表現している”って』
「初めて聞きました」
『そうなの。よかったですよね。』
「でもこれからひとつひとつがきちんと、今までもそういう気持ちで取り組んでたんですけど、これがあったから駄目になったと思いたくないのでこれからがんばんないとなって」
『でも女優という職業についてはどうお思いです』
「やっぱり私は何かを表現するということが好きで、で今この体を通して声を通して表現するということに喜びを感じてます」
『やっぱり外国で認められたっていうことが自身につながると思うんですよね、やはり』
「女優て言うのは本人1人では何もできないものじゃないですか。いい監督がいていい脚本家がいていい相手がいてやっぱり無限に出てくる何かが秘められるので出会いが大切かなって思います。」
『それはそうと話はだいぶ違うんだけどあなたの爪。ちょっと見せてくださる。すごい透き通っててすごく綺麗なの』
「これクリアネイルっていって。時代劇とかやっている時ってすごく短く切らないといけないじゃないですか。ドラマとか映画とかを撮っている時間以外でこういうことをすごくしたくなるんですよね」
『あなた”釣り馬鹿日誌”もでてらっしゃるでしょう』
「そういう時はすごく短くして。ちょっとたまったフラストレーションをこういう所で晴らす」
『この前台湾の映画にも出てらして。あまりそういうことって報道されないんですよね。台湾の映画はどうでした』
「それは今回の映画とは180°がらりと違う映画で、少人数で・インディペンデント系の監督でなんていうのかしら毎日がアクティブでそんなような状態で撮影していてそれはそれでまた楽しかったんですけど」
『タイトルが』
「”運転手の恋”っていうタイトルで。婦人警官なんですよ台湾の」
『それも面白いわね。向こうの方は固定観念がないんですね。日本だったらあなたに婦人警官の役は来ないわよね』
「それも台湾の人間の役なんです」
『中国語で大変でしたわよね』
「でもそれわ吹き替えにさしてもらったり」
『台湾は早いんですってね。吹き替えてその人がしゃべってるようにしかみえないようにするのね。でも外国で活躍するってうのは日本人をしってもらうっていうことでもいいわね』
~CM~
『香港はもちろんですけど中国・ヨーロッパでは上演が決定しているんですけど日本がまだ決まってないのよね。』
「はい単舘みたいなとこがすごく似合いそうだなって」
『香港映画祭のオープニングになったそうで。さて宮沢りえさん3度目のご出演なんですけど1回目の時が19才またその時が誕生日であなたは私の頭と同じにしてきて』
「小玉ねぎにしてきたんですね」
『玉ねぎなんですっておしゃって。かわいい。4月6日で私が1人でハッピーバースデェーの歌を歌って。これが19才の宮沢りえさんです。まあそんな昔のことじゃないけど』
「だいぶ前ですね」
『だいぶ前ですか。次は24才の時だったんですね。お誕生日の少し前だったんですよねこの時もお着物でいらしてやせたとかみんなに言われたんですけどとっても元気ですって。そんなときにいらした時の写真ですね』
「そしてこれですか。今日はお着物じゃないっていう気分だったんですよ。いろんな洋服があって真っ黒にしようと」
『またガラッと違って。あなたの香港の映画にお出でになってモスクワで賞をおとりになったことが後藤久美子さんがよろこんでくだすったんですって。』
「そう。よく電話はあるんですけどフランスでニュースが流れてすぐだったと思うんですけど私以上に興奮して”おめでと~”って私はそのときはまだ実感が沸ききってなかった頃だったんですけど。こんなに喜んでるんだっと思って」
『よかったですわねヨーロッパで評判になる映画で』
「同じ年代で同じ時期に仕事を始めていまは全然違う立場なんですけど」
『2人のお子さんのお母さんでしたか。仲がいいご夫婦で』
「やっと最近幸せな彼女と並んで彼女が私のことを素敵に思ってくれることがすごくうれしくて全然違う人生を歩んでることがなんか輝くって言うか」
『なんか自分の生きがいみたいなものがはっきりして』
「私は最近うれしいことだなって思って」
『あなたの12才のときのCMがあるんで見てもらいます』
『いや~これ覚えてらっしゃる方多いと思うんですよ。可愛かったから。でもあのときの少女がこのようになるとは。あの前歯今でも同じですかね』
「そうですね。昔の作品を恥ずかしがる方がいらっしゃいますけど私は大好きです。」
『でも可愛いじゃありませんか』
「思い出というかアルバムというか」
『ところで今日お出ししているお飲み物ですが皆さんなんだとお思いになります。フランスで飲んでおいしかったの』
「ベニスで。ベリーニっていってシャンパンに桃の果肉を入れてすごくおいしかったんです。今日は華やかな気分がいいかなって思ったんですけど。」
『小さいときから綺麗なもの美しいものがお好きだったんですって』
「そうですね言葉も美しい言葉が」
『あなたがお綺麗なことは前から存じておりますけど』
「いえ徹子さんには」
『ますますご活躍をありがとうございました』