2002年3月11日
黒柳「ご結婚なさいまして本当におめでとうございました。お相手は舞踊家で女優の藤間紫さんでいらっしゃるんですけど本当におめでとうございました。やはりけじめをつけたいとお思いになられたんですか」
市川≪私は2000年にはいろいろな思いがありまして2000年になると満60歳になるんですよ。若い頃から60になると達人になってね老けちゃってねお爺さんになってねだから自分の活動というのは60歳までと勝手に思い込んでたんですね。そのけじめの歳に近づいてもお爺さんになるところがいつまでも少年の心のままでね別の新しい時代が繰るような思いがあったんですねところが近づいてみると今日の続きが明日、明日の続きが明後日でちっとも変わりなくて。それにしても20世紀が私の活動の主体でそれが過ぎていくわけですからけじめをしたいと思いまして舞台生活でもけじめの年だったので私生活の上でもけじめをつけたいなと思いまして≫
「私は記者会見のときにとっても胸を打たれたのは藤間紫さんという方は死ぬ瞬間のことをとっても言われるかただとか」
≪死ぬ瞬間を考えて生きてるとおっしゃいましたよ。それにとっても僕はあこがれてしまって。きびしいですよね。ずいぶん若い頃から同じ物を見て、猿之助歌舞伎を作ってくだすった同士の1人で。一番教わったというのは極論すれば”愛は犠牲なり”というね私は自分のやりたいことばっかしやって人のことを考えないという者に初めてそういうことを教えてくださった方で。死ぬ瞬間を目指して生きてるというか死ぬ時に幸せに死にたいという風に考えてる方なのでどうしたら幸せにしてあげられるかなと自分なりに考えてるうちにね入籍というのもね幸せな気持ちになってくれたらいいなという気持ちもいくつかあってねえ≫
※:紙=婚姻届
「みなさんよく紙一枚といいますけど亡くなられた後に何かを発言する場合に紙があるのと無いのとでは違う」
≪どっちかが残るわけですしお互いの意思を死後に信頼できる人に任せたいという気持ちもあると思うんです。本当だったら死ぬ前の日に入籍すればいいんですけどそこまでは分かりませんから≫
「なんといっても12歳のときですか踊りを習いに行かれたのは?」
※:藤間紫さんに猿之助さんは踊りを習いに行った
≪ええ、このとき初めて会ったんですけど≫
「生き方ということにしてもねえ」
≪実践されてる方ですし。歌舞伎の出来る女優さんは日本広しといえども紫さんしかいませんからそういう点でも私も女形するときは教えてもらいに行くんです≫
「ああそう」
≪女形の基本は舞踊なんですね≫
「女優さんは女形の方に習うっていう方が多いですけど」
≪不思議に上手く出来るんですよ。自分が体験者だから人にも上手く教えることが出来る≫
「いずれにしましてけじめでご結婚されておめでとうございます。さて宙乗りも5500回されるんですけど本当はスポーツお嫌いなんですってねえ」
≪ゴルフやれば上手く飛ばないしね、野球やればたまに当たらないしねスポーツ音痴。≫
「興味も無く」
≪嫌いなんですね。だからよく宙乗りなんてできますねって言われますけどスポーツとちょっと違うんですかね≫
「高いところを登ったり、早替わりをされるのはスポーツとは違った神経なのかもしれませんね」
≪火事場のばか力みたいなもんですね。稽古のときは上手く出来ないんですね嫌いだからあまりやらないのでも本番のとき気合を入れてやると出来るんですね≫
「違うかもしれませんね演劇の動きとは。あれ何十役でしたっけ一番すごいのは」
≪”ダテノジュウヤ”というのは45回かえます≫
「私ロシアの一番すごい俳優さん連れていたんです。もうすごくて「ベリーグッド」っていってました」
≪ロシアではああいう早替わりというのはないそうですから驚かれるらしいですね≫
黒柳「それにしても若い方がスーパー歌舞伎を見てとても興味を持った」
市川≪大抵歌舞伎というのはねえ情けないことに”つまらない・わからない・眠くなる”というねえ評判がありましてそういう方はねえ見ないで食わず嫌いで言う方がいて見て言うんだったらいいんですけどそれだけマンエンしているということですね歌舞伎のイメージが≫
※:ここで歌舞伎を学校から見に行くことになった少年の見る前のアンケート登場
「ここにねえ17歳の少年の意見があるんですけど学校から連れて行かれた子供らしいんですけどちょっと紹介して良いですか
つまらねえ、絶対来たくねえ。饅頭でも持ってわびに来い。もっとギャグとか漫才でもやれ
つまらないから書いたんでしょうね。開演後
さっき書いたことは謝ります(会場から笑い)。さっき書いたことは始まる前で学校で連れて行かれた歌舞伎なんてつまらないと思った。でも本当に面白かった。もう一枚のことは本当にごめんなさい
こういう子は多いでしょうね」
※:市川猿之助さんは笑顔で
≪でもうれしいですね見てくれるとこう変わってくださるんですね。ずいぶんそういうお便りいただきますけどねえ先入観がつまらないと思ってるんでしょうね。わかりやすく作ってるんですけどねえ特にスーパー歌舞伎は歌舞伎の口語訳ですからねえ≫
「こういう意見が出るとねうれしいですね」
≪うれしいです。スーパー歌舞伎は歌舞伎を見たことが無い方とかに見ていただけると楽しんでいただけるんですね≫
「さて猿之助さんがこれからなさるのは”新三国志2”というんですか」
≪そうです。≫
「これお水30トン」
≪そうです舞台の上から降らせましてね≫
「舞台で流しちゃった水はどうなるんですか」
≪こう巡回式でまた戻る仕組みに≫
「これは京劇の俳優さんが出演されて」
≪19人の京劇の俳優さんが出演して下すって立ち回りを担当してくださってるんです≫
「全部で何時間ぐらいおやりになるんですか?」
≪劇中3時間半です。だから4時間半≫
※:劇そのものは3時間半、休憩を入れると4時間半。舞台では劇の途中で休憩(トイレ休憩など)が入るものもある
「休憩入れて。こういう風なものはもちろん自分でお考えになるんですが外国のビデオもよく見て」
≪そうですね映画を真似するというわけじゃなくて感情をいただくという。三国志のパート1は”恋に落ちたシェークスピア”というのがありましたね女が男装する愛の話なんですねその味をいただいたというかすごい参考になりますね≫
※:スーパー歌舞伎「三国志1」は”恋に落ちたシェークスピア”の気持ちをもらった・参考にした
「E・T見てらしても直接ではないんですけどインスピレーションというか」
※:市川猿之助さんはスピルバーグのE・Tをみてひらめいた
≪E・Tの空飛ぶ自転車から私の空飛ぶ天馬を考えたんですけどイメージを取るというかこれを舞台でやったらどうなるかなとか、それとすべて直感力ですね。その直観力をはたらかせるには自然の風景を見ても良いしすばらしい方に出会っても良いしそういうことが実は必要じゃないかと思ってますね≫
「私も自分が演技をする場合にね小さいことでもわからないことがあると私前に元々修道女だったていうホームレスの役をやったんですけど修道女はどういう風にお祈りするかというのを調べたくてほんのちょっとのことにねすごい探してね分かったんですけど」
≪我々のような仕事は知的好奇心を働かせるという仕事はいろいろな事に目を向けるということが大事だと思います。そうするといろんなものが生み出せますね≫
黒柳「初舞台は7歳」
市川≪そうですね満7歳≫
「同時に学芸会も」
≪学校に行かなければ行けないとやかましく育てられましたので小学校の頃は学芸会も≫
「小学生でいながら謝恩会とかには自分で台本も書いて演出もされた」
≪そうですね。当時祖父がですね”テンガジャヤ”という芝居で客席の中をを逃げ回る芝居があったんですねそれを取り入れまして”アリババと40人の盗賊”という芝居で盗賊の大将のカマーギンという役で立ち回りを客席の中でやりましたら当時はそんなことは知らないですからびっくりされて喜ばれたことがありましたね≫
「学芸会も一生懸命でいらして中学3年生の時は慶応におはいりになられたんですけど”エミールと探偵達を”おやりになって」
≪やりまいした。演劇部の先生が病気になりまして急遽(きゅうきょ)私が全部演出をしましてね≫
「演出はその頃からお好きでしたか」
≪大体演出とか書いたり高校のときは”宝島”というのを≫
「衣装をおやりになられたこともあたんですって」
≪はい≫
「蚊帳を海に見立ててザブザブと」
≪それは小学1,2年のときで女の子ばっかしと。当時は友達は女の子ばっかしですから≫
「近藤マッチが出たオペラありましたよね」
≪はい”イダマンテ”ですか≫
「あの時も階段で波やなんがありましたけどそれも小さい頃の蚊帳が」
≪同じことですね≫
「ご結婚なすったせいか前よりお若くなった気が」
≪そうですかだったらうれしいですけど。若返ろうと思ってますけど≫