2002年4月26日
黒柳「香川照之さんですけど今テレビ(大河ドラマ)では秀吉をやってらっしゃるんですけどなんといってもこれから映画が9本から10本公開されると」
香川≪ありがたいことですね≫
「秀吉はやってらしていかがですか?」
≪思ったのより10倍ぐらい楽しくやらさせてもらってます≫
「おでになってる方がみんなお若いのね」
≪同年代ということもあって話がすぐに通じるというか≫
「信長役の反町さんとか松島さんとかもちろん唐沢さんとかもでてますし」
≪時代的にも戦国時代の終わりごろというみんなが興味を持っている時代ですし僕自身も大きな武将をやらせてもらっているので力こぶがはいります。≫
「秀吉というのはいろんな方がやってらっしゃるし、いろんなイメージがあるし」
≪本当に一番下から一番上までしかも一年間できるというこんなありがたいことはないのでいろんなことに挑戦していこうという感じで試行錯誤しながらやってますけども≫
「やっぱり東大をおでになって俳優になっちゃうとみんなもったいないなあって言うかもしれないけどじゃあ東大出て何になったら良いかって言うといまの世の中を見ているとねえ」
≪すごく微妙ですね。僕は感情が表に出なかった子なんですよ。じとっとしてる子なんで役の中でバーンと出て行くものを与えてもらうというのが良かったですね≫
「でもお母様という方はカラッとしている方じゃない。だから子供がジメッとしてると「なんなの」ってお思いになられたこともあったでしょうね。何もおっしゃらなかったの(俳優になることについて)」
≪基本的には何も言われなかったです≫
「お母様の浜木綿子さんはお家でも明るい方なの?」
≪そうですね≫
「とにかくお出になった映画がカンヌのグランプリを取った」
≪もう2年前になるんですけど公開までにいろいろあって。≫
「(グランプリを取ったのは)2000年だったんですか」
≪そうですね撮影自体は98年から99年にかけて≫
※カンヌの写真が登場
「お子さんを抱いている方が」
≪監督兼主演のチャンウェンという方ですね。それと通訳兼中国人通訳役でNHKのディレクター(中国人の人/ユエンリン)の方が≫
「日本の方が何人か出てらっしゃいますけどほとんどが中国人ですよね」
≪スタッフは全員中国人ですけど≫
「でもあの監督は”赤いコーリャン”」
≪そうです”赤いコーリャン”の主演の俳優さんですね。チャンウェンのすごいところはパワフルなとこですね。寝ない食べない飲まないで映画を作り続けるんです。≫
「あなた方が日本の兵隊さんという役だとするとみんなに軍事教練しろって言ったんですって」
≪武装警察というところで2週間ぐらい。それで一日3時間半の”きょうつけ”をするんですけど≫
「ずっと立ってるの?」
≪立ってるんですけどピシッと立ってなきゃダメなんですよ目を見開いて精神的にも起立してなきゃダメなんですよ。注意されながら≫
「向こうの兵隊さんが注意する」
≪セミが鳴いてるだだっ広いグラウンドで僕ら15人ぐらいがきょうつけをして1時間とか30分とかそれを7セットぐらいやるんですけど。その時点で僕は33歳だったんですけどその時点で33年間で一番辛い出来事だったんです。≫
「俳優として行ってるんで軍人として行ってるんじゃないんですからね」
≪30分間の”きおつけ”ですから例えば徹子の部屋も30分間の放送ですよね。これをじっと立って見ててもきついと思うんですけど≫
「しゃべりながら立ってるんだったら我慢できるけど何も言わずに立ってるんじゃそれは大変ですよね。時期はいつから?」
≪(訓練は)ちょうど真夏の8月15日から始めたんですけど≫
「わざわざその日を選んだのかしら?」
※8月15日は終戦記念日
≪いや偶然その日だったんです。そうすると(立っていると。起立していると)いろんなことを考えるんですね僕の過去のこととかそうっすると一つの試練だけがでてきてそれに導かれるように立ってるんです≫
「その通訳の人は何だかんだ言ってその軍事教練もさぼってたんですって?」
≪絶対いかなかったですね(笑)「ああビデオがきれた。買ってこなくちゃ」とかいって。ユエンリン(通訳)には悪いんだけど。結構後半の方はユエンリンとの撮影がずっと一緒だったんです。日本語をしゃべってくれる人は彼しかいなかったんですよ。だから彼がしゃべってくれなかったら僕の意思は絶対に伝わらないんですよ。袋の中に入ってることが多い役だったんでユエンリンが訳してくれないとこの(袋の)口すら開けてもらえなくて≫
「どんなにいい加減な人でも」
≪でもねえかれは僕が早口で言うと彼もすごい早口の中国語で訳すんですけど僕は俳優としてやってきた10何年かの少しでも積み重ねがあるわけですよねでもユエンリンはついてきたりするから≫
「俳優じゃないのにね」
≪ええ、だからやっぱり何ヶ月も一緒にやってきた重みって言うかかれは良くやったと思うんですよ。≫
「でもその人(ユエンリン)を選んだ監督(チャンウェン)も通訳ができるからっていうことだったんですかね?」
≪いや映画の中の想定した人物と一緒の性格なわけですから。絶好のキャステイングだったんですよ≫
「よくそんな人探しましたね」
≪中国の東北地方。北京より少し上の長春のあたりの方言をしゃべれないといけないんですよ。僕は分からないですけどその映画自体が東北地方の方言を全員がしゃべられているんです。≫
「監督さんもしゃべれるの?」
≪チャンウェンは北京から少し離れたところ出身なんでしゃべれるんですけども。このユエンリンはまさに長春の出身なんでしゃべれるんですよ。≫
「でもまああのひげっていうのもあなたは本当にひげをおはやしになって?」
※香川さんはひげをはやした兵隊さん役
≪役が決まったのは6月でそれから帰ってくるまでの半年間ずっと伸ばしっぱなしでした。≫
「あれは付けたひげだととてもできない演技ですものね」
≪つねに泥とかを頭から被ってる役なんで≫
「でも本当に無事撮影を終えましたね」
≪本当に今考えても1本撮り終えたなって。途中終らないんじゃないかって思いました。チャンウェンの撮り方だと。日本だとこのシーンが終ったら次のシーンっていう風にノルマがあってペンで消していくやり方じゃないですか≫
「ええ」
≪でもチャンウェンは一つのシーンが撮り終わるとシーン2とシーン3の間にこのシーンを入れてみようとか言って浮かんでくるんですよ。でそのシーンをとるとまた浮かんでくるんで突き詰めていくと永遠に終らないんですね≫
「でもそうしたぐちゃぐちゃ状態だったんだけど通してみるとすごいなって」
≪これは僕の人生の中で天才の映画監督に出会えたんだと思いますね≫
「だからカンヌのグランプリも取ったんだと思いますけど。でもいろいろ撮影中もいろいろあって途中で逃げちゃう通訳の人もいて」
≪ごめんねユエンリン(笑)≫
黒柳「ちょっと映画のVTRをご覧ください~再生中~これえは本当の話ではないそうですけども監督がどうしても撮りたかったんでしょうね」
香川≪あの中国映画も含めて日本人像というのが間違えてると。それがこの映画の一番の幹になってるんです。日本人を正確に描きたいと。鬼のような日本兵とか言葉がおかしい日本兵とかは今まで出てきてましたけど本当の日本兵はこうだったんだということですごく研究したんですね。ものすごく日本のことを研究したんでよく日本のことを知ってました≫
「不愉快感とかはありませんでした?」
≪役柄はそうだったですけども文化の違いから来るストレスはありましたけども≫
「撮影中にご病気になってすごく大変だったんですけどもそれで病院にいかれたときがすごく大変だったそうですけども」
≪もうこれは笑える≫
「お腹痛かったんですって?」
≪入院しました。潰瘍ができてすごく痛くて七転八倒して僕は何年か前に十二指腸潰瘍をやっていてそのときと同じだなって思ったんですけどもやっぱ潰瘍で入院して≫
「病院行ったら4つが悪いって言われて」
≪何が悪いとかここが悪いとか言われて≫
「通訳の人はあの人(ユエンリン)じゃなくて本当の通訳の方がいたんですって?」
≪彼は撮影に戻んなきゃいけなかったんでもう一つすごいレベル(へたくそな)の人になっちゃたんですけども(笑)。病院に行ったんですけどもここが病院?って廃屋じゃないのかっていう感じの。呼んでも誰も出てこないんですけど出てきた人(医者)は青っ白い感じの初めて患者を見ますっていう感じのトカゲみたいな人が出てきてとにかく手術するとかわけのわかんないことを言い出してて鎮痛剤を打ってくれていってるのにそこまでわかんないんですね≫
「通訳がそこまでのレベルじゃない」
≪今ここにいるのはその病院にいたら死ぬと思って死ぬ気で直したんですよ。その病院じゃダメだっていうことで監督がそこから2時間離れたところに行くと大きな病院があるんですね。そこに行ってお腹痛いって言ってまってるとそこの病院の医者が十人ぐらい出てきて僕にここの病院はどれぐらいすばらしいかって言うことを僕に説明するんですね。僕はその間苦しんでいて。≫
「観てくれないの?」
≪その時付いてくれた通訳の方は翻訳家の方でしゃべるのはあまり得意じゃないんです。「病気は痛いです」って言って(笑・黒柳笑)≫
「そこにまた看護婦さんが一杯来るんですって」
≪毎朝来るんですね。僕はVIPなわけですよ。監督のチャンウェンは僕を治さなきゃということでいい病院に入れてくれたんですけど毎朝婦長さんが看護婦さんを10人ぐらい引き連れてくるんですそれで「なにか不備なことはないですか」って聞いてくるんですけど僕は「お願いだからこの点滴を換えてくれ」と。2時間で空になるから。空になって血が逆流していると。(ベッドの)後ろにブザーがあるんですけども押しても来てくれないんですよ。わかりましたっていうんですけども2時間後誰も来ないんですよ≫
「他に入院している人はいないの?」
≪いやいるんですけどもその時は僕は個室に入れられてたんですね。それで鼻に管を入れるって言うんですよ。ストローの3倍ぐらいの大きさのを≫
「そんなに大きいものを!!」
≪看護婦さんが馬乗りになって入れてくるんですけど「いやこれは絶対に入らない」て言ってでも入らなくて「中国人は入るのに日本人はおかしいわね!!!」って言って。確かに中国人は鼻の穴が大きいんですね。30分間ぐらい格闘して鼻から血は出るは涙は出るはで大変だったんだけど治療らしい治療はこれしかないって言うことでメリメリといって鼻に入れたんです≫
「それは結局何をするもの?」
≪それは鼻から空気を送り込んで胃の中のものを全部出すんですね。それで通訳の方に「これどれぐらい入れてんの?30分?1時間?」って聞くと3日か4日って言われて(黒柳笑)。まあそういうこともあって良くなっていったんですね。で次の日からご飯が食べれますということになって日本でもそうだったんですけども胃に負担をかけないものから食べるんですけどもそこでは何が出たかというと麻婆豆腐とかチンジャオロースとか油こい物ばっかし出て(笑)。まあ微妙な病院でしたけど。夢のようなことが一杯あるんですよ≫
「でもみんな人(性格)はとってもいいの?」
≪そこも微妙ですけども。あるとき看護婦さんが来て「今日は国の抜き打ち検査があるから」とか言って僕の身の回りの歯ブラシとかかばんとかをまとめてベランダに投げ捨てるんですよ。でもその国の人は来ないんですね。僕は仕方なく通訳の人に取ってきてもらってまた寝てるんですけども次の日になってまた抜き打ち検査があるからとか言ってまた僕の身の回りのものを投げ捨てるんですよ。でもその日も誰もこなくて。夢のような出来事ですよね≫
「でもその抜き打ち検査があるからって看護婦さんが知ってることもおかしいわね(笑)」
≪さっぱりわかんないですよ≫
「でもそれで良くなったんですか?」
≪まあ良くはなりましたけど。治療といっても内科の先生じゃなくて外科の先生とかが来てお腹を押すだけなんですよ。押して「ハオ」とか言っていっちゃうんでうんですけども(笑)。≫
「でも脈診るのもずいぶん違いますよね日本とは」
≪脈診たかなあ~?≫
「手相とかも観るらしいですよ」
≪手相は見てないですけども≫
「漢方の先生は見るそうですよ」
≪でもあの時は本当にやばいって覚悟しましたね≫
黒柳「平成7年に結婚してられるのよね。奥様は心配したでしょうね。行ったっきりでね」
香川≪僕も激やせ彼女も激やせ見たいな感じで≫
「お手紙とかは?」
≪手紙は書きましたけど着くかどうかは分からないんですよ≫
「奥さんに来てっていえる場所じゃないのよね」
≪そうですね。逆に来たら心配ですよね≫
「ご本もお書きになったんですけど映画は”鬼が来た”っていうタイトルでね日本では4月27日から」
≪やっと公開です≫
「シアターイメージフォーラムという渋谷の映画館とか新宿の武蔵野館とかで先ほどいろいろ話が出ましたが」
≪さっきの日誌を全て書いたのが本になります。全て書きましたんでまじで笑えます≫
「笑える。でも俳優としては本当にいい仕事が出来たっていうことでしょうかね」
≪つらかったけどありがたかったです。≫
「でも良かったですね。また、ありがとうございました」