本日の徹子の部屋ゲストは小倉智昭

2001年10月10日

黒柳『よくいらっしゃいました。主婦の友と自称してらっしゃるんですけど今でもそう』

小倉「自分でいうのは勝手ですからね」

『それはそうと今でも吃音?お金貰わないときはでるって本当なの』

「気を許すと出ますね。なんだったらノーギャラでやったらでるかもしれません」

『夫婦喧嘩の時もでちゃう?』

「そういう気を使わない相手だとでます。極端にでますね」

『小さいときからだったの?』

「物心ついた頃にはなってました」

『でもテレビ東京のアナウンサーでらっしゃるんですけど。すごいですよねアナウンサーになれるんですから』

「面接試験の時になんでアナウンサーを志望したんですか?って聞かれて僕は吃音ですからって言って入れたんですから」

『全然分からないからそういうことが言えるんだと思ったんでしょうね。』

「周りのスタッフはよく知ってますからね。またやってらと思うんじゃないですか。だから私が吃音だって知らない人はあまり親しくない人です」

『親しくなるとでる?』

「でますね」

『でも元気な家系らしくてお母様は80まで看護婦ををなさってた。』

「今は88才なんですけど8年前までやってまして」

『それでお母様はまだ続けるつもりだったんですけど周りが無理矢理辞めさせた』

「無理矢理」

『(写真をみて)右側がお母様』

「これが80才の時ですから見た目は普通よりも若いですね」

『でもあれですよねこの病院も80才までよくやらして下さいましたね。』

「65才過ぎぐらいから嘱託だったようですけど資格を持ってますんでそれと年とってますと入院されてる患者さんが安心されるようですよ」

『あらそうもう少しできるのにあなた方はどうして辞めさせたんですか?』

「患者さんを扱ってますでしょ薬を間違えたり注射をまちがえたりするとやっかいでしょ。それと若い頃から心臓の持病がありましてね僕が小さい頃はよく気を失ってたんですよ。それでわたしはお父さんより早く死ぬんだからというのが口癖でけっかてきには20年くらい父より長生きしているんですが。それと病院に勤めていると安心なんですって。たまに帰りが遅いなと思っていると”入院したから”って”心臓の調子が悪いから”って電話がかかって来て明日ここから病院にいくからっていうんですよ。病院に勤めているのが安心なんで辞めたくないって言ってましたけどねえ」

『80の時にみんなで辞めなさいって言って88までどんな風にお暮らしなんですか?』

「家にいることが主なんですけど頭はスッキリしているんですよ。まあ昔に比べると多少頑固にはなっているんですけど姉夫婦が面倒見てくれているんですけどそれ以外は膝が痛いのがあるので外には出なくなりましたけど買い物には行きますねえ」

『でも近くのお年寄りの体が悪くなった方のお宅にいらしたりしないのかしら?』

「まあ自分が面倒みられる年頃だと思ってるんじゃないですか」

『元気な方は生きがいがある方がまあ買い物が生きがいなのかもしれないですが。なにかやりたいと思ってらっしゃるんじゃないですか』

「在るのかもしれませんが口には出しませんね」

『まああなたも若い方とご結婚になったんですよね』

「まあ若い頃は。共に年をとってますからねえ年齢差は変わりませんけどねえ。15歳ですか」

『それで一軒家に引越しなされたんですが手荷物がすごかった?』

「昔ね引越し屋さんにすべてお任せして失敗したことがあったものですから自分たちでやろうということになったんです自分たちでダンボールを取り寄せて3ヶ月ぐらいコツコツとつめていたらダンボールだけで800個ぐらいに」

『すごい。なにが1番多かったんですか?』

「本とかCD、レコード、映像ソフトを僕はたくさん持っているものですからそれだけでもたくさんありますからそれと僕は貧しい生活っていうのが長かったものですからようやく手に入れたものは捨てられないんですよ」

『まあねそういうものはいざという時に手に入れられないですからね。800個っていうとトラックにするとどれぐらいになるんですか?』

「ええとね、2トン車がですね18台。出しに2日かかって、来るのに2日かかりましたね」

『収納場所はある程度つくったんですか?』

「越す前にある程度作ったんですが1年たって入りきらないということがわかってある程度手直ししたんですがまた増えちゃいましてね家内はどうするんですかって心配顔ですね」

『あなた全部ご自分でやらないと気がすまない方なんですってね』

「自分の物は自分でやらないと気がすまないですね」

『棚の色分けがすごいんですって。セーターとか』

「洋服屋さんみたいになっております」

『デパートみたいになっております』

「結局出すときは自分でさがして着ますから面倒ですよね」

『こうなっていればスッと出せる』

「そのどこにあるのかわからなくなってどんどん増えてきますよね。何を探しているのか途中で分からなくなりますよね。ありません?」

『2階から降りてきて自分はなにをしようとしていたのかわからなくなる。それを防ぐには降りてる最中に自分はなにをしようとしているのか思ってる。このあいだ可笑しかったのが電話をかけて、誰にかけたのかを忘れてその相手に”どちらさまですか”って聞いてあなたからかけて来たんでしょって言われたって。であなたが家計を全部やってらして奥様にお金をお渡しになられるんですって』

「あの通帳の管理からなにから全部自分でやってるもので。結婚の当初は家内に全部渡していたんですけどある時から自分がやるようになったんですよ。で生活のお金だけは渡しているんですが銀行カードがあるんですけど私こんな束になって持ち歩いてましてスタジオに来る前に税金を振り込んできたんですけど」

『振込みできるんですか』

「その方が手軽なんですよ。ですからそういう銀行の入出金なんかも全部やらないといけないんですよ」

『お忙しいですね』

「その他タレント業以外にもねえラーメン・焼肉とかもやってます」

『そういうものも全部やっているの?』

「そうですね今は家内が四苦八苦してやってますけど帳簿や経営は自分でやってます」

『夕食のメニューなんかも決めるんですって』

「自分の食べたいものはいいますねえ。決まってるんですけど言う事多いですねえ」

『でも朝の番組やってるんでお目覚めが早いんですって?』

「3時半におきますねえ」

『睡眠不足になりません?』

「そうですねえ最近少し眠くなってきましたけど海外いっても時差ぼけしなくていいですよいつも時差ぼけですから」

『何j頃眠くなります』

「眠くなるのは夜の食事をとった7,8時ごろに眠くなりますけどそこをしのぎますと11、12時ごろまでいきますねえ」

『そうすると平均睡眠時間は3,4時間?』

「3時間ながくても4時間。久米さんの顔をみてから寝るようになっちゃいましたね」

『大丈夫?』

「大丈夫ですね。でも合い間合い間に30分から1時間は寝ますけど」

『それはそうと小さい頃から遠足なんかに写真機を持っていって友達なんかに売ってらしたりしたんですって?』

「ええ、父親が写真が趣味でカメラ買うのに3年かけて買ったっていう父で凝り性なものですから押入れに暗室を作り、引き伸ばしを始め姉もその影響で女性としては珍しくカメラマンになったんですよ。私も小さい頃からそういう姿をみてますから安いカメラを買ってもらって遠足の時に集合写真をとるんですねそれを模造紙に張って壁新聞をつくるんですね。それを教室の後ろに張るんですね。当然希望者がでますよね。それを5円ぐらいで売ってましたかね」

『それは儲かったの?』

「でもねえ親父に言わせると原価にもならないといってましたね。でも材料は親父が買ってきますよねでも当時は自分が原材料費を払うわけではありませんから自分の儲けになります」

『でもそういう風なことがお好きだったていうのは面白いですよね』

「なんですかねえ~そういうのが好きっていうのもありますけど要領がよかったんですかね。母は台湾からの引き上げだったんですね。それでわたしが中学校に上がるくらいまでは看護婦をやめてたんですね。でも戦後でしょ食わなきゃいけないんで行商をやってたんで物を売るっていうことに興味があったのかもしれませんねえ」

『自分で働くっていうのはいいことかもしれませんよね』

「それで母は大失敗したみたいですからね」

『行商で?』

「ええ、その後何年間か父親が払ってましたよ。うちはねえ父親が家計簿をつけていたんですよ」

『でもお父様は石油会社に勤めていてお忙しいサラリーマン』

「ええ」

『お父様はサラリーマンにはなるなと』

「ええ大学出てなかったものですから専門学校にいってたんですけどポジション的にはいいところまでいったんですけど突然クビになったんですねそれからというものお前はサラリーマンにはなるなというのが口癖で技術を身に付けろとは言ってましたけどね」

『なにかお父様は特許をお取りになればとってもお金持ちになってたって』

「香水だとか卓上コンロだとかいろいろなものを考えておりましたけどねお世話になった方にっていうことでね自分自身は特許とかは興味が無かったみたいですけどね。取っといてくれりゃあねえ私だって今ごろねえ。まあ自堕落な生活を送ってきたかも知れませんけどねえ」

『でもお父様が考えになったものでいまでも普通に使っているものがあるんですって?』

「ええホースのないガスコンロとか、父親はプロパンガスの仕事もしてましたんでね、そこでそういうアイデアがあってこういうものがあれば楽になるんだよって」

『そうですか。どんどん話を聞くようですが奥様のご家族は美人家族?』

「いえいえ。というよりも男の生き血を吸って生きてるんじゃないかって。どうもね男のほうが早死にするんですねえ。妻の母親に60を過ぎてから私がスキーを教えて僕が北海道に行くと本当に着いてくるんですよ。家内がいないのに母親が一緒に来てですね夫婦に間違えられるんですよ。バッハの歌をセミプロみたいな感じでシンニフィルと歌ったり、山は1人で登りにいって死にかかったりしてますよ」

『ご主人は?』

「家内が中学生の頃に早くに亡くなったんで。」

『またおきれいなのはおばさんも』

「1人で海外行ったり飛び回ってたりしてますんであんまり老けない」

『でもいいわよね奥様は年をとっても老けないということが分かってますから』

「よく似てますからね。ただ私が15上でそれに付いていけるかっていうのもありますし平均余命からいうと私の方が先に逝っちゃうわけですから最近そういうことを心配するようになりましたね」

『奥様の貯金はしてらしてるんですか?』

「通帳は私が管理してますからねえ死ぬときは持ってってやろうかなと思ってますけど。いくらあるかも知らないんですよ」

『でもそれは奥様のお金なんでしょ?』

「そうです」

『おやさしいじゃないですか』

「仕事してますから住宅ローンなんかを除いた分を違う通帳に入れてあるんですよ」

『でも奥様はいくらあるかご存じない』

「結構聞かれることはあるんですけど”まああるよ”って答えて。いろいろ仕事してるじゃないですか資金繰りに困った時はそういうものをあてにしなければなりませんから」

『まあ奥様もおちおちしてられませんね』

「まあ何やってるかハラハラしてるかもしれませんね」

『それにしても小倉さんは大学時代バンドで大もうけ』

「大もうけてほどじゃないですけど自分たちで遊ぶ金は自分たちで作ろうって。いろんな所から仕事がありましたから1人にすると30数年前25~30万ぐらい貰ってた時もありましたね。楽器て高かったですから」

『(写真を見て)この方が小倉さん。ギターをお持ちですけど』

「ええベースですけど。こうやって一生懸命買った楽器も12チャンネル(テレビ東京)を辞めて苦しい時に二束三文で売っちゃったりしたこともありましたけどね。」

『またボーカルもやってらしたんでテープが残ってる。まあなんでも残してる方でそれを聞かして頂いてよろしいですか?何十年前ですかその頃の小倉さんのお声です』

~再生中~

『独協大学。英語をおやりになってるんですねえ』

「これはねえ英語はあんなに話せませんよ。耳から入ったものを。ビヤガーデンとかスキー場とかで結構やってたんですけど。こういうおとなしいのもやってましたし激しいロックなんかもやってました。踊り子さんを泣かしてましたけどね」

『どうして泣かしてたんですか?』

「これじゃ踊れないって」

『ああそういうことで。でも35年ぐらい前にですよ学生さんが25~30万のお金を貰ってその後テレビ東京に入ったら』

「月給が3万4500円。それで5年間やってタレントになったら月々ほとんどお金がないっていう時もありましたけどねえ」

『ああそう。じゃあ今は別として当時は学生時代が1番お金が入ったときで』

「まあ優雅だったかもしれません」

『独協大学ができてわりとすぐだったの』

「すぐです」

『話はガラリと変わるんですけどテレビ朝日系列で”せきらら白書”をやってらして岡江久美子さんと一緒にやってらして今晩も放送あるんでしょ』

「2時間スペシャルでいつにも増して充実した内容で前に結婚式がらみのことをやって受けたんですよ。それを突き進んで祝辞は何分まで許されるかとか、引き出物はいくらぐらいかとかあるいは写真のことにこだわって人生のいつ撮った写真がベストショットなのかということとか恋人の写真は持っているかとかそういうことを根掘り葉掘りひっついてくる番組で」

『スタジオで討論なすったりなすっておもしろいじゃありませんか』

「日本人って人のことが気になるじゃないですか。でも聞けないじゃないですか」

『聞きたいとおもっても聞けないとか』

「それを勝手に教えてやろうと」

『今晩をお楽しみに。ありがとうございました』

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