本日の徹子の部屋ゲストは司葉子さん

2002年12月17日

黒柳「まあどうもうしばらくでございましたお元気で。私もいろんなところで拝見しているんですけどもここにおいでいただくのはなんと20年ぶりということで。びっくりしちゃって。

≪そうですねぇ。

「その時で息子さんが中学生になったとかおっしゃっていたのね。私もひとしおあなたのお子さんに関心があるのはあのその赤ちゃんをお産みになってサンノウ病院でお産みになって今は違いますけども当時のサンノウ病院はあそこしか出口がなかったの。であなたがちょうど出てらしたときに何か看護婦さんやなんかが

≪ありがとうございましたとあいさつをして

「そこのところ私たまたま通りかかって見ちゃったの赤ちゃんを。「わあー司さんの赤ちゃんだ」と思ってみたので

≪それで覚えていてくださって。

「そうだもんでそのお坊ちゃんが31。

≪はい

「月日が経つのは早いと思ったりしてるんですけども今本番前にちょっとうがったら徹子の部屋が始まるときに1番最初の初期のスタッフがあなたのところに今1番最初から来ている人がいるんですけども、きょうはきていないんですけども。27、8年前に

≪あの”3時のあなた”をやっているときに。その時に見学にいらしたの。あのこれから徹子の部屋というのをはじめますのでと言って見学にいらしたの

「男の人が。

≪男の方が2,3人いらして。司さん大事にされてますねとおっしゃったんであれからずっと徹子の部屋を見るたびに大事にされてらっしゃるんだろうなと(笑)大事にされていらっしゃいます?

「大事にされております私本当に。大事にされてるの(笑)。おかげさまでそれが長く続いているところだと思いますけども。

≪そうですねぇ本当にそう思います。

「そうなんですかぁじゃ司さんは大事にされてらっしゃるというのスタッフの初期の人が当時ぱっと見たわけね。

≪私はまだそのころは大事にされているかどうかは分からなかったんですけども(笑)

「だからどうしていったのか私も全然そのことは聞いていなかったのでバカなことを聞いてみますけども

≪女性が司会者するという番組はそんなにたくさんありませんでしたからね

「当時はでそうそうそうそうですよね。そうですか初期の人に聞いてみます(笑)。大事にしてくれてるかどうかも聞いてみます(笑)。

≪(笑)そうですね。

「でもそういうこともいろいろあるんですけども司さんは結婚なされた相沢衆議院議員の方とご結婚なさったときにすごいきれいなご結婚式の時の写真があってまあ今ももちろんお綺麗なんだけども本当に何とお綺麗なんだろうと思ってさっきお写真を拝見してね。

≪どうしましょう(笑)何も持ってきませんでしたから。

「本当にお綺麗なんですよ皆さんご覧になってください。本当にお綺麗ね。でもこのときアレなんですってね今は何歳でも結婚するんだけども当時としては

≪34でしたかねぇ。35でしたかね。

「ですからもちろんそういうをお嫁さんなんだけどもご主人は奥さんを亡くしになっちゃっていたのね。この時の相沢さんて。

≪そうなんです外国ではまね1×とか2×とか子持ちとか平気でしょう。でも私もふと錯覚してねそんな気になってしまうちゃったんです。

「そうですねぇでも当時としては東宝ですよね。大スターの方が結婚なさるときに2人子供がいた。まあねなくなったんですからその×1じゃなんかじゃないですけどもでもまあ

≪何かでその私が3人の兄弟の1番下なんです。そのみんなねお兄さんかお姉さんなんですね。でちょっと弟とか妹とかが欲しいなっていう感じで(笑)いい加減なんですけどもね。ちょっと弟ができていいかなって。

「ああ小さい弟がいるという感じで。

≪思ちゃったりして。

「それでお母様をなくしになった相沢さんのお子様達はまだ小さかったですよね。その時まだ。10代

≪1人が中学3年生で1人が4年生でしたかね。

「まだ4年生。ずいぶん小さいですね。

≪でも4年生のはねおばあちゃんの所にいたのであの

「そうなの。でもそのふたりのお子さんもすごく大きくなっちゃって47と42とかで。それにしても司さんは私も気がつかなかったんだけどもそういうねぇ奥様が前にいらしてなくなってそういう2人子供がいるところにお嫁に行くというんだから世の中はあの時びっくりしたでしょうみんなちょっと。

≪ちょうど私の前まではねあまりスターは結構してはいけないという感じだったんです。ご先輩をいっぱい見てねまあそういうのが過ぎてちょっと時代が過ぎてほっとしてもいいかなと。例えば山本富士子さんもなさっているし有馬稲子さんもなさったし八千草さんもなさったし

「スターが結婚してもね。

≪ええ。続けられるというかそういう何か

「だいたいあのころ何かなんだかわからないけども女優さんの年代の同じ人たちってすごい多いのね。

≪そうなんですよ。

「どうしたかと思うぐらい。

≪きら星のごとく先輩が。

「本当にきら星のごとくで

≪1歳上の先輩が多いんでよかったですけども。

「でも本当にあのころ私思うんですけども何でこんなに多いのかなと思うんですよね。だいたい同じくらいの方が。みんなね例えば離婚なさってもみんな女優さんを続けているんですよ。もちろん結婚されている方もあなたのようにいらっしゃるんですけどもね。どうしてかと思うとやっぱりねぇ自分で生きていかなければならないという年代だったんだと思うんですよね。

≪そうです。

「それまでは女の人たちが働くということがあまりなかったじゃない。でも戦争が終わってちょっとしてその女の子も頑張らなければ、大人があまり当てにならないという時代だったんじゃないかしら(笑)。

≪そうですね

「だからあんなにいっぱい本当に多いんですよ。

≪あのまだ二本立ての時代でしたから映画の。あれでも足りないですね。ですけども今と違って本当に手作りの女優というか俳優が多かったですから

「そうですよね。手作りといえばあなたがちょうど女優さんにおなりになったころ何とあの素敵な池部良さんがまあ大変だったでしょうねぇ当時も2枚目で大変だった池部良さん今も大変2枚目でいらっしゃるんですけども。あなたのお顔何かメーキャップしてくださった。写真が偶然今度の皆さんご覧くださいこんなことって。池部さん真剣。池部さんもこのころまだ独身でいらしたのかしら。

≪ええ独身でしたよ。もう本当に女優さんのあこがれの的でした。これはねぇ1回目のロケでね日赤でよる夜間ロケだったんですよ。ででちょっとお待ちの時間に池部さんがちょっといらっしゃいと言ってねこっちの後ろにいらっしゃる方があの髪をする方なんですよ

「床山さん。

≪はい。それでその人にこうしてあげてとか。こっちの人はエンギカといって私を大事に大事にしてくれた人なんですけども

「君死にたまふ事なかれ。という映画でしたよね。

≪そうですね

「あの方画家の息子さんだから池部さんは。女優さんの顔もこういうふうにしたらいいんじゃないかなとあなたのお顔はねぇこういうなのがと思ってきっとやってくださったんだと思うんですけども。

≪あの相手役というのがやはり大事に皆さんお互いにねするということがありますから。

「そういうことですか。あなたもかわいかったし、お嬢さんみたいで清純で。あなたの芸名も(写真)あら!かわいいあなたの若いころ。でもあなた会社の秘書。

≪そうなんです。あるテレビ局のね。

「テレビ局の!

≪言っていいかわからないですけども毎日放送というところの秘書をしていました。

「それからスカウトされて女優さんにおなりになった方で。お名前も池部さんがお決めくださったんですって?

≪そうなんです。上のショウジというんですけども

「あなたのショウジさんとおっしゃるんですってね

≪上をとちゃえばいいんじゃないといって。

「ショウをとっちゃう

≪それでお寿司の司と言いなさいと言いなさいと言われて(笑)

「そうかお寿司の司と言いなさいと。でも司ってとてもいい名前ですものね。司葉子さんて。

≪みんな読んでくれないじゃないかと心配してくださったんですけども。

「でもこれはすぐ覚えましたね。司葉子というお名前はね。

≪覚えられるようでなかったらいけないという池部さんの意見でした。

「ああそうなのすごい。で池部さんはああやって顔をやってくださってで本当に女優さんとしてまあスタートをなさって。あのころの映画って同じくらいの二本立てで、同じくらいの20を過ぎたぐらいの若いきれいなピカピカの女優さんがウワーといらっしゃった時代だったんですねそうすると。

≪もうそれこそ朝撮影所に行きますと鏡の前にずらっとキラ星のごとく今まで見た映画で見た方たちがいっぱい並んでらっしゃるですよね。もう胸がワクワクしました。

「でも今結髪さんとおっしゃったけども床山さんとも結髪さんともいろいろ頭をやってくださっぱり顔をやってくださったり、その方のお部屋に呼ばれることがすごく光栄なことだったんですって

≪もあのその玄関から入らないで横の窓からね階段が2段ほど作ってあってそこから入れる。そこから入れるということが将来をすごく見込まれたという。

「その方たちに認められなければ女優として認められないということみたいね。

≪まあほとんどあの例えば監督さんでも助監督さんの時代にね「○○ちゃん!こっちへいらっしゃい」なんて言われるような人は将来監督になりそうな人。

「ああそう!

≪そのぐらい目があるといいますかね。

「よく見てらっしゃるんでしょうからね。

≪何年もやってらっしゃって何人も新人を育てている

「そうなんですって。あなたもお入りになったころそこから窓から入れる人は決まっていて高峰秀子さんとか

≪あの原節子さんとかタミイさんとか越路さんとかって決まっていて後玄関からお入りになる方もありますけどもそこで食事を昼食をさせていただくというというのが有望なんですよ(笑)

「そうなんですね。ご飯を食べてらっしゃいと言われればも将来約束された。でも監督さんとか制作とかわけのわかんないプロデューサーとかが言ってるんじゃなくて1番そのそばにいるあの頭を・・・向こうではなんと呼んでいらっしゃったの?

≪ええと床山さん、結髪さんと呼んでましたね

「結髪さんが見込んだ人が本当にすごいというのは今もおっしゃったように高峰秀子さん、原節子さんとそういうような越路吹雪さんとかそういう方たち皆さんがね。

≪それぞれ1人付いていますよね。1カ月間面倒を見てもらったり頭をしてもらったりなにからなにまでこの結髪さんが面倒見てくださって。

「その方たちがずっと見ていてこの人は人間的にも何から何まで全部見てね

≪お母さんみたいな人。

「そうなんですってね。ご飯をおごってもいいと。ご飯をおごるというのじゃなくてなんだか何頭のコテで

≪そうそう。そこにはで昔流にいうとセキと言うんですかねぇテキと言うんですかね(笑)コテをあっためるやつみたいな

「七輪みたいな。

≪そうそうそこにちょっとした電熱があってそこにコテを頭のコテをあっためるところがあるんですよ。そこでねお魚をお昼は焼いてくださって。

「そうなんです。そんなにすごいごちそうというわけではないけども(笑)その方たちがやってくださってごちそうしてくださるのが

≪あの高峰秀子さんなんかね「朝くるときにねめざしを買ってきたんだよ。葉子ちゃんも食べるか」なんて言ってくれてね結髪さんが焼いてくれて。はいこれで高峰さんから頂いたのよ食べなさいと言ってくださって。はい、いただきますと(笑)。

「なるほどね。やっぱりそれからああいう撮影所の中では先輩後輩がものすごくあったんでしょ。

≪そうですね。あれがやっぱり私は日本のいいところなんだと思いますけども。いまそれが何かなくなってに平均点になってしまったというのがどうかなと。ても私ねその映画の撮影中でお母さんがで7人ぐらいいたと同じかな(笑)。まあ姑さんがいたと同じかな(笑)いうぐらいみんなにかわいがっていただいて。

「そのかわり例えばふしだらな生活になったりなんかするとどうしたのあなたといわれるようなねそういう恐いこともたくさんあったんだと思うけども。

≪虫がつきそうな時でもやっぱりだめよ何とかちゃん!だめよと俳優さんにでもねぇ。

「どんどん入れちゃう。

≪入れちゃう。

「女の人ばっかり?。

≪女の人ばっかり

「今ずいぶん男の人が増えてきましたけども当時は女の人ばっかり

≪あの床山さんは男でメーキャップをする人でした。

「そういう結髪さんて頭を

≪何から何まで1カ月面倒を見てくださって。

「面倒を見てくださる。あなたはその方たちとも今もつきあってらっしゃるんですって。

≪はい

「すごいですよ皆さん。

≪もうね90近くに皆さんなられましてね。ですけども撮影所はありませんので桜のころ散る桜を見ながらまあ皆が集まるお食事をしたり

「それはすてきね。

≪でもその方たちね「葉子ちゃん、葉子ちゃん」といってね何か届物をしてくださったりね何か本当にもっと親孝行しなければいけないなと思いながらも忙しさにかまけてなかなかいかないんですけども。

「でもすごい当時からするとすごい何十年という考えられない長さですものね。

≪昔は恐かったけども今は優しくてね(笑)

「そうなの。でもそういうおつきあいっていいですよね。だから話でもどうしても映画の話とかね。そういうふうになるでしょう懐かしい昔の話とか。

≪ええそうなんです。あの時はああだったとか三船さんがどうだったとか森繁さんがどうだったとか池部さんがどうだったとかで原さん、越路さんとかまあそういう話。

「クジアサミさんとか

≪ええ。遠慮なくみんなみんなで話しを。

「でもそうですよねぇ東宝の当時といったら本当にすごかったですからね。本当にいま考えられないですけども今はもうテレビでも何でもあるんですけどもあのころ映画しかなかったから

≪そうですね。

「もう毎週のように東宝だったら東宝の映画を見てましたからね。

≪その代わり私は世界が撮影所しかなかったですから、ですからその方たちに何から何まで教えていただかないと夜中にポッと出ても本当にうまくいったかどうかわかりません。

「なるほどね。じゃそこで小手でこういうところでやるのでお魚の開きはこういう所で焼くんだとかねぇ。

≪高峰さんが葉子ちゃんものを私はねぇいま映画に入って45年なんだよとおっしゃったときに私は「あ~私も早く40年になりたいな」と思ったんですけども40年たったら嫌だなという感じで(笑)。

「あの方は子役から出てらしたからね。

≪はい2歳ぐらいからじゃないですかね。

「そうです。それでで50歳のときにもうやめちゃうんだとおっしゃったので「おしい」と私が言ったらあんた2歳か3歳か私も長いんだよとおっしゃって。

≪そうそうそう。

「飽きちゃった。長すぎとおっしゃってらしたんで。

≪でもとっても楽しい話をねいっぱいしていただきましたね

「でもそれにしてもあなたは鳥取の旧家のお嬢様となんだか知らないけどもみんなが知っているのはおかしいんだけども、みんな知っているんだけども実はそうだけどもお父様が亡くなりになって大変な時代があったそうなんで。ちょっとコマーシャルをはさみましていろんなことをお伺いしたいんですけども

黒柳「なぜか司葉子さんが鳥取の旧家のお嬢様をってというのをみんなが知っているのもおかしいですけども本当に旧家なんですって古いんですって。江戸時代からあるお家。

≪そうですね。まだそのうちはずっとありますけども。

「江戸時代から

≪住んでいます。

「住んでらっしゃる。でもあの辺て風が強くないの?

≪そうですねぇ。大陸に近いですからね。

「日本海からの風がくる気がします。でもちゃんと立っている。

≪はいこの間地震がありましてちょっとものが壊れたりしましたけどももう大変です。でもどこが壊れたといってもそう簡単には治りませんからね。それから維持するのが大変で悲鳴をあげているようです。

「でもまあ今でもその家がそこにあるんですけども。実はお父様がお亡くなりになったのはあなたがお小さいときだったのね。

≪6つの時にね

「6つ。

≪ですから母が大変だったと思います。

「であなたはご兄弟がいらっしゃるとさっきおっしゃったんですけどもご兄弟は3人?

≪はい。

「だから(写真)お父様とお母様。

≪これは新婚旅行の時かな。

「でもずいぶんお母様という方も可愛らしいかったね。あのねこのお父様のネクタイが当時としてはずいぶんしゃれているネクタイだと思いません。模様が

≪あのねとってもでおしゃれな人でね銀座なんか歩くとみんな振り返ったらしいんですけども。しゃべるとダメなんですよ。

「なんで?

≪あの辺はズーズー弁でしょう(笑)

「鳥取弁で

≪島根県弁ってご存じ?

「私知らないんですけども。

≪竹下総理がなんかがお話しになる。

「ちょっと東北弁に似ていますね。

≪そうそうそうそう。ああいうちょっとねなまりがあるんでね。だめだったらしいです

「でもお写真を拝見しているとすてきな。とても今ふうの外国のネクタイのようなものをしていらしてね。もうすごいと思ったんですけども。お母様もすてきな帯止めをしてらして全部見ちゃったんですけども。すごいすてきな帯止めをしていらして。でも何か昔の女の人て小柄だったのかしら華奢というのかしらねなんかね本当にお人形さんみたいねぇ。

≪そう。私女優になってからねはの親孝行しようと思って銀座を連れて歩いたんです。するとね小さくてねお母さんもっと背中を伸ばして伸ばして(笑)と言ったって伸びませんよね。

「でもお小さいからお人形さんみたいなのね。かわいいなと思っていたの。

≪もう戦前戦後3人の子供を抱えて頑張ってあの本当にもっともっと幸せであってほしかったんですけどもええ。幸せになったときは私たちが幸せにしようと思ったときにはもういなくて。

「とても早くお母様も。あなたが

≪女優になって10年ぐらいで。

「そうですよねもう女優さんにおなりになって有名になったのもご存じではあったんですけどもただそのいわゆる戦争もあったしいろいろあったのでいわゆる売り食い生活というのですかそのお着物とかいろんなものを売ってたりとかして

≪物々交換とかで

「食べ物と変えるとかでずいぶんご苦労なさった。

≪毎朝ね早く出かけて夜遅くに帰ってきてましたよ。その時は私ね1人いつも流留守番でしたのでそれこそ風が吹いたときなんか雨戸がね音がすごかったにしていうと抱き合って待ってました。

「そう。やっぱり大きなおうちでその旧家はいいんだけど旧家だからやっぱりその暗いし大きいし天井が高いしでしょうからね。

≪もうそのクスノキとかユーカリなんてまでは今みたいに有名じゃない木。背の高いのがあってざわざわして本当に寂しかったです。

「なるほどねそこでお母様が帰っていらしてお兄様とお姉様を大きくていらっしゃるからお一人でずっと待ってらしたんでずいぶん。それでもお母様はあなたが(写真)まあご覧ください司さんという方がどんなにね女優さんにおなりのころは可愛らしいかったってまあ綺麗ですね。これで秘書だったんだからすぐ使うとというのも無理もないと思うんですけども。あのそのお母様はあなたと一緒に東京に来て下さって

≪ええすぐじゃなかったんですけども。私が1軒の家に住むようになってしばらく東京にもいたんですけども

「でもその時にだんだん収入が増えているはずなのに一向にお金がたまらないのでどうしてなのかなと思ったらわけがあったそうなんでとても可愛らしいお母様らしいわけなのでちょっとコマーシャルをはさみましてその話を。

黒柳「司葉子さんが女優さんにおなりになってまあ収入も増えてきたのに一向に貯金がたまらないなと思ったらばお母様が

≪まあね地方ではねみんなご近所と親しくしたりいろんなことをしていますでしょ。それをそのまま東京でねたとえば郵便屋さん。当時は私ファンレターがすごかったから世田谷でいちばん手紙が多くて大変ですねと言って上がってくださいと言ってご飯を振るまったり(笑)

「あなたのファンレターを運んでくれる郵便屋さんを上がってくださいご飯をごちそうする。

≪お巡りさん交番のね。ちょっとちょっとちょっとと言ってねジュースを出すとかね。それから御用聞きさんねまだで丁稚奉公で10代くらいの坊や。いつも使いをしてくれるからこれを食べていきなさいこれを持っていきなさいという感じで。それで私が怒るとねぇ私の目を盗むためにちょっと2畳の玄関わきの部屋があるんです。そこを閉めて(笑)もう怒られるからしかられるというのがあれで私には内緒内緒で。

「でもそんなぐらいだったらたいしたことないかもしれないけども野球の人たちが一群が来てすき焼きを食べて。

≪ああ(笑)あのねぇ私の高校時代の1級下にハイドウという立教野球部にいった人がいるんですよ。でその長嶋さんたちと一緒のグループで。下屋敷さんとか杉浦さんとかその寮の料理じゃ足りないらしいんですね。ゾロッとを連れてきてはうちですき焼きを食べたりなんかして(笑)

「そうなんですてあそこの家にいけばすき焼きを食べれるぞと言ってみんなで野球の人なんかがどれぐらい食べることやですから。だから長嶋さんもいらしたかもしれませんね。

≪でで私はひたすら忙しかったですから。いないんです

「(写真:長島茂雄さんと司葉子さんの対談写真)これはあのお写真でも

≪どこからこんな写真を。

「これは長嶋さんと対談なさったのね。これはあなたの家ではない。

≪そうですね。これはで長嶋さんがねはじめて社会に出てね平凡か明星のねぇ対談だったと思います。

「もしかしたらその時に

≪背広着て初めてぐらい。でも坊主じゃないですねもう。

「そうねえどうなんでしょう。それで昔はあなたの家ですき焼きをごちそうになりましたなんて。

≪みんな食事をえさにつられて。だからずいぶんあの方たちは大勢ですからねんお肉も高かったんじゃないかと(笑)思います。

「そうですよねいいのたくさんのお母様をお出しになったんでしょうけども。でもずいぶんあなたが30ぐらいのときにお母様お亡くなりになったんですってね。だからあなたの私が通りがかりに見た息子さんがお医者様になっていらっしゃるそうでおやさしい。そのお母様の優しさはあなたの息子さんのところに出てきているんですって。

≪そうなんでよ医者に向いていたがどうかは分かりませんけども患者さんと親しくするのはとっても上手みたいですけども(笑)

「すき焼きはおごらないまでも(笑)

≪とても親切で優しいようですね。ですから私はお坊ちゃんの後援会よというおばさまたちがいらっしゃる(笑)

「そのお医者様のお坊ちゃんが。

≪選挙で出会った奥様たちとかロータリーのグループの奥様たちとか。坊やのファンよとか言って

「お医者さまでそういうふうに優しいのはいいですよね。

≪そうですね

黒柳「まあい良き妻良き母でもいらっしゃいますけどもでも司葉子さんは女優さんでいらっしゃるのでお正月早々舞台をおやりになる

≪はい。親子鷹という勝海舟の親子の話。

「1月2日から。

≪ええそうなんです。

「明治座で。大変ですよねあなた。里見広太郎さんの妻。

≪里見さんてねちょうど私も映画にデビューしたときに里見さんも東映でデビューなんですよ。

「同じくらいの

≪で初めてなのでとても楽しみ。

「でも1月2日からというとお正月なんて家でやってられないという感じでしょうね。

≪ええだからいいですねぇかえって(笑)

「面倒じゃないので(笑)。そういうとこあなたあっさりしたところがあるのでわりと。あのわからないんだけども

≪すいません(笑)

「何かね。そういうところがきっと魅力的なんだと思いますけども。でもあなたはロータリーのあのメンバーでいらっしゃいまして広報もやってらっしゃって非常にあの子供のこととかそういう世界の子供たちのことなんか随分やってらっしゃるんですよね。

≪ええもう黒柳さんも奉仕活動を盛んになさっているでしょう。私たちも何かやらなければという思いがいっぱいあって。あっちこっちからくるでしょうそういうのって。でも1つに絞らないと大変ですよね。でまあロータリーに入って皆さんと一緒に奉仕活動をしているんですけども。

「そうですねああいうまあロータリーとかライオンズとかいろいろありますけども女性のグループもありますけども皆さん本当にまあこういう世界のこととか日本の子供たちもそうですけどもまあ体の不自由な人たちとか本当に一生懸命考えてやってくださって

≪アジアアフリカから来年はロータリーの寄付によって撲滅、ポリオ撲滅。小児まひを撲滅されるということで。

「よかったですよね本当にあのアフガニスタンの爆撃の中でもユニセフは子供たちにポリオの予防接種をしたというぐらいですから。本当にやっぱりそれでもってどんどん死んでいく子供も多いので

≪見習っています。

「どうも本当に今日は楽しかったですありがとうございました。

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