2003年1月15日
黒柳「林家いっ平さん今日のお客様ですよくいらしてくださいました。
林家≪よろしくお願いします
「林家三平さんの二男でいらっしゃいまして、去年の9月に真打ちにおめでとうございます
≪ありがとうございます。やっと噺家として成人式を迎えたかなという感じです。頑張りたいと思います
「でもすごいんですってねお父様が亡くなったとき小学校4年生。小さかったんですけどもなんと去年が23回忌をなさった
≪その年に私も真打ちになりましたので何かの縁じゃないかなと思うんですけども別に落語協会がそうしたというわけではないんですがたまたまそうなってしまったという。
「ねえ、でもそれにしてもですよ小学校4年生の男の子がいま30過ぎて。あなたずいぶん若く見えるわね。30過ぎているようには見えませんけども。
≪どうもまだ性格がまだ10代だと思っていますのでしっかり頑張ります。
「それにしても小学校4年生だった坊やがお父様が亡くなって23回忌までなさったということですから。今30過ぎたということでびっくりしているんですけども、何か本当に昨日のようなことに三平さんがいらっしゃった時のこと思うんですが、もう丸22年以上たったということですよね。
≪まあ小さいころ父さん、僕小学校4年生まで一緒だったものですからいろいろな所に連れていってもらって兄弟の中でも1番接する時間が短いだろうというのでいろんな場所に連れていっていただきました
「お父様は45歳のときのお子さん。
≪はいそうです。もう晩年の子供なんでじゃいろんなところに行こうということで映画も見に行きましたし、スター・ウォーズからくもとり仁左衛門まで幅広い邦画と洋画をずっと見て
「(写真)こんなふうにかわいがっていらっしゃったんでしょうね。
≪連れて歩くといつも三平さんと呼ばれると「どうも加山雄三です」と言ったんですよ。
「何かお父様の名前はそういう人だと思っていたんですって?
≪はい私お父さんの名前は加山雄三だと思っていたんです(観客笑)
「そうなんですってね(笑い)
≪それずっとテレビ局とかまわっていて後ろから男の方が三平さん言って「加山雄三です」と言った瞬間本当に加山雄三さんだったんですよ。
「その方が。
≪それでうちの親父があわてて「ああ・・・どうもすいません」と本当にうちの親父のどうもすいませんを初めて聞きました。
「なるほどね。その方が加山雄三さんが声をかけたのに「加山雄三です」といっちゃった(笑)見ないうちにおっしゃったので。面白いお父様でしたからね。でもそれにしても強いうちにおなりになったというのもご家族の皆さんもうね親の光は七光だなんていうのもありますけども。あなたすごいんですってね
≪ええ兄弟とか全員合わせると芸能界とか芸人でいきますと7人いるんですねうちは。
「そうなんですって。まずお父様、お母様、お姉様
≪それで義理のお兄さま
「お姉様のヤスハさん。ヤスハ山の前にみどりさんがいらっしゃる。みどりさんのだんなさんが
≪ミネリュウタ
「ミネリュウタさんですよね。ヤスハさんの旦那さんが
≪春風亭小朝
「小朝さん。でお兄さまがいらっしゃってこぶ平さん。それを全部合わせると7人
≪いらっしゃります。いらっしゃるって自分で言っても変ですけど。
「でもまあいらっしゃいますよね。だから7×7
≪49ひかり。
「49ひかり
≪珍しいですね。
「これはまあ歌舞伎なんかではありますけどもあなたの一家の中でですからすごいですよね。
≪ものすごいですね。でもうちのお母さんが1番強いわけですよ。やっぱりうちのオフクロの言うことは絶対に聞いていないといけないですし
「でもまあ真打ちにおなりになったので皆さんお喜びでですねここ数年一時に何人かで真打ちにおなりになった方は多いんですけどもあなたの場合はお一人だったんですってたまたま。
≪はいそうなんですね。だいたい普通は何人かでなるものなんですけども私の場合は噺家がひとりでなる真打ちになるというのは決めることがあるんですね。やっぱり協会として芸人として力があるかこと、人気があること。それだけじゃなかったみたいでお母さんの力が動いたといわれているんですけども。
「そのへんがさっきの狂言の方のお名前が出たところなんですか(笑)
≪そうです宗家でございます(笑)そういうふうに言われていますね。
「そうなんですか。それで真打ちということになりましたらおうちが根岸で浅草に近いということもありますがなんと驚いたのは浅草浅草寺でお練りというんですかあれずっと。
≪やりました。
「あれ歌舞伎の方が新しいものを出すときにずっと
≪襲名ですとかやれますね。私の場合はですね先頭にシンモンタツゴロウさんという火消しの方たちを代表してきやり、キヤリ部隊が先導するんです。その後に私が1人で立ちましてその後に浅草の花柳界のげいこさんたちが並びます。その後ろにうちの師匠のこん平、小朝師匠、うちの兄貴のこぶ平が並びました。またその後ろに芸子さんが並んで林家一門が並んで浅草暖簾会の方たちが並んでその後ろに根岸2丁目町会の方たちが並んで1番最後にうちのオフクロが歩いて謝っていたという(観客笑)
「でもその身内みたいなので200人ぐらいでそれを見ようとする人たちで
≪8,000人いらっしゃいました。
「どうするんですかあの仲見世のところどうやって8,000人の人が入ったでしょうね。
≪だから回りからやって後境内の参道をくぐりますとけっこう広場があって
「あそこのところに。煙をこんなやったりするところ
≪そうですそうです。ハトがいっぱいのところにあそこにダーと8,00人の方がいらっしゃっても何かジャニーズJr.になった気持ちですね。
「外国人がおかしかったんでしょあなたのことを見て
≪そうですよと私のこと見てとりあえず芸者さんが目に入りますから観光客でくるから「オー芸者芸者」とか言って喜んでいるんですね。それで私たちが紋付きはかまでいますから正装でいるわけですから「オーヤクザヤクザ」といわれたんですよ(観客笑い)
「そんなにヤクザ有名なんですかね。
≪有名なんでしょう。あと噺家でいっ平ちゃんおめでとうという言葉がかかってその中で落語大丈夫か?という声がかかってそれはちょっとショックだったんですけどもそのためにも一生懸命頑張りました。
「それにしても根岸の若旦那とか言われると何かあのあなたには若旦那と聞こえないんですって?
≪根岸のバカダンナと聞こえるんです
「そうなんですか(笑)それにしても皆さんが守ってやってくださるということもお父様の1番心配してらしたことでしょうからそういう点ではさっきおっしゃったようにたまたまお父様がなくなった命日とあなたが
≪私のまず真打ちになって披露興行というの40日間やるわけですけども。その初日というのが9月21日からスタートということで、だからうちの親父がなくなった命日の次の日からスタートということで
「命日が9月20日。
≪20日です。
「なるほどね
≪だから本当にまあそれも何かこううちの親父が高座、まず鈴本演芸場というところにあがりまして一席”ハマノノリユキ”という人情噺をやったんですけども。なんかここに(後ろ)うちの親父がいるようでお客さまにどうもすいませんと謝っているような感じがしてた。
「でも初めからもやってらっしゃるなかったじゃないですか。どうもすいませんは。
≪そうですねうちの親父がどうもすいませんと始めたのは高座に上がっていてまたテレビの公開録画だったそうです。それでもって落語をやっているときに何か自分の中で忘れちゃったみたいですねセリフを。その時にあわてて「ああどうもすいません」と言ったのがバーとを受けてそれからどうもすいませんが始まったといわれています。
「ねえお父様をおっしゃっていましたけどもどうもすいませんと言いながら次を考えるといつもおっしゃっていました。
≪もう大変なんですよ、こっちからこっち笑ってくださいと言いながら次の言葉を考えていたといいますね。
「奥さん変えてはいけませんよどうもすいません。と言いながら次の考えていらしたそうですね。
≪そうなんです。いまくるんじゃないかとうわさしてたところなんですとか言いながらやっていましたですね。
「でもあなたはさっきおっしゃったようにお父様があなたのこと歳も45歳のときの子供だったので長く居る時間が短いだろうともっともっと長生きのつもりだったでしょうけども連れてお歩きになったためにあなたに小話とか教えてくださってあなた小さいとき出ていたことがあるんですって。
≪そうなんです。黒柳さんともお会いして。小話をやったことがあります。
「そうなんです小さいとき。
≪その小話というのがウチの親父が教わった言葉ですね。行きますね。パンツ破けたね、またかい。という
「(笑)
≪これだけなんですけども。
「子供だから小さい子だからそういうのやると本当にそれを高座に出ておやりになったの?
≪はい。うちの兄貴が小三平という名前で高座に上がって
「こぶ平さんが
≪私の場合は豆三平という名前で高座にあがりまして”パンツやぶけたねまたかい”と”子豚が空を飛んでいるようヘリコプター”とこれをやるんですよ。あともうひとつがですね”パンやどこだいそこの角をマーガリン”とやったんですね。今は受けないですけどもね。
「でもいま面白いですよ(笑い)
≪子供のころはやっぱり受けるんですよ。お客様の笑いというのがパッとしゃべりますね一瞬向こうに行くんですよ引き潮のごとく。行ってウワーと上からシャワーのごとく戻ってくるんですよ。その快感というのがウチの親父が子供の時に教えてくれたんですね。その教えてくれたことが自分の中ではなし家になろうという原動力のひとつにもなっているような気がします。
「なるほどもともとあなたはウォール街にいらっしゃって、そういうことをやる人が。あなた大学もあれなんでしょうご専門が
≪中央大学で国際経済学科というところに行っていまして
「そうなんですよ。ウォール街アメリカのニューヨーク
≪ニューヨークに行ってそういう証券マンになってかっこよくやろうと思ったんですよ。それがですね外国旅行に行ったときに夏休み大学時代というのは夏休み結構長いですから2カ月ぐらいありますのであのユーレルパスという向こうのあの学生割引の鉄道のパスがある。それに乗りましてダート全国を回ってスペインについてある居酒屋さんでご飯を食べようと思ったら全世界の人がいたんですね。アメリカ人のご夫婦の方がいらっしゃったりですとかオランダの方がいらっしゃったりドイツの先生がいらっしゃったりスペインの方がいらっしゃったりしてお国自慢が始まったんです。アメリカ人はうちはロデオがあるようこうやってこうやってやるんだよ。野球はこうやってやるんだよとワットしゃべられて、スペイン方ので闘牛があってフラメンコがあると全部話をされたときに僕の番がきたんですねそうしたら私何も言えなかったですよ。日本のこと知らなかったですよ。富士山ですとか鮨とか芸者ぐらいしか知らないものですから
「歌舞伎も能も何も知らない(笑)。
≪そういう道に進もうと思っていましたから
「ウォール街だと思っていた
≪ウォール街だと思っていたのでそれでもう自分の中でショックを受けてお前は自分の国のことを何も知らないのか。自分の大切な国なのに。
「みんなに言われたの?
≪言われたんですよ。それがショックで帰ってきてみたら目の前に落語があってシンチョウ師匠ですとか後は小さん師匠の落語を見てああ落語というのは素晴らしいものだなと思ったんです。だからよく人に聞かれるんですけども内側から見て噺家になったんでしょというわけじゃないです私外から見て噺家になったんです。
「スペインで
≪スペインに行っていなかったら噺家になってないですよ。居酒屋で会話をしていなかったら噺家になっていなかったという。
「なるほどね。ウォール街を目指してらっしゃる、ウォール街も今はちょっとこんな具合いですからね(笑)
≪そうです。今噺家でよかったかなと思っているんです。
「でもあなたこぶ平さんにおつきになって
≪私こん平です。
「こん平さんが師匠。
≪そうです。
「師匠こん平さん。それでいよいよ真打ちになるというところでそのへんの古典落語は小朝さんから習いになった
≪そうです義理の兄貴の小朝師匠がいろいろ古典落語の面倒見てくださって。
「でもあの方は人に教えない方なんですって?
≪そうです。僕は特別に教えていただいてこれは本当に宝だと思っていますし。きっと何かお兄さんとしてもいろいろと目を配ってくれてまたうちの親父のどこか見えないところで力もあったのかもしれませんし。
「それじゃそうでしょうね。
≪ありがたいなと思っています。
「特に小朝さんがおっしゃってるそうですけどもあなた史上なんでしたっけ
≪甘ったれ甘えん坊真打ちといわれています。林家評判記、暴れん坊真打ちと。吉宗評判記暴れん坊将軍にひっかけていっているわけです。
「なるほどそうですね。史上最強暴れん坊真打ち・・・甘えん坊真打ちと言われたぐらいの甘えん坊だがそうですが
≪受けなかったら泣いて高座を降りちゃうといわれたんですけども(笑)
「今は大丈夫?
≪そんなことはないです。
「そうでしょうね先の子供の時に”またかい”というのでワット笑ったあのときほど受けた時はまだないんですって?
≪はい。残念ながらございません(観客笑)だからそこを目指してそれはおやじの力がそばにあったというのが大きな力と思うんです。
「でもあなたがガマの油とかそういうものもちゃんとしたきちんとした言葉でやらないといけないというので小朝さんからもずいぶんちゃんとしたいわゆる何て言うんですかね昔の江戸弁もお習いになった。
≪ちょっとやってみましょうか
「じゃちょっとコマーシャルをはさみましてガマの油
≪言い立てのところを
「じゃあお願いしますちょっとコマーシャルです
≪
黒柳「ちょっとガマの油のところせっかくですから
林家≪これでつっかえたらまた2つ目に戻らないといけないかもしれないですね。じゃあいきますね~がまのあぶら~とこういくわけですね。はいよろしいですか危ないところで切るのが林家でございますので(観客笑い)
「でもやっぱりそういうのをちゃんと。ガマの油というのはやっぱり皆さんをおやりになる。
≪そうですね噺家のいいたてというのは口をこう流すとかあと迫力を見せるとかそういうところでやっぱり勉強しなければいけないと思っておりますのでそれをやっぱり小朝師匠に1番最初に教えていただいたことですね。
「私たちもあのそれは俳優としてではなくて他の子供の時にシロク・・・あれ何でみんな一生懸命私も覚えたんですけども。何であんなに一生懸命やったんでしょうね。
≪呼吸法ですね。お客様の前でしゃべる呼吸法というのはその勢いとか間合いとかすごく図ることができる話だと思うんですね。この話は。だからうちの親父は持っていた話といいますと地話し、源平盛衰記という話を持っておりました。
「お父様。
≪それをやっぱり18番として十八番としてやっていたんですね。まあ僕もいずれはやらないといけないと思っていますしうちの兄貴もやらないといけない話だと思っています。やっぱりこういうものは意外と難しいですけども自分の中で消化して話を演じるということの大切さというのを身をもって改めて父のビデオを見たりすると感じますね。
「お父様のビデオがある時代ですか。
≪最後のビデオを見ているとそう思いました。そう
「ですか。でも今日はお母様がお着物をお選びくださったそうですけども
≪はい
「この羽織を皆さんピンク色と思いかもしれませんが、考えられないくらい細い本当に1ミリの何分の1かのシマなんですね。
≪はいそうなんです。
「で中の着物もシマになっている。非常にしゃれた歌舞伎俳優みたいにうつっていると喜んでいらっしゃいますけども
≪自分があまりしまらないと言われますから(笑い)どうもすいません
「でもアレですねお顔を拝見してるとあなた本当に皆から甘やかされたというけども目が子供の時と同じだっただろうと思うような目の白目が青くなってるみたいな真っ青になっていてまん丸で本当に子供みたいで30過ぎているとはぜんぜん思いませんねだれもね。
≪そうですか。うれしいんだか悲しんだか(笑)
「いやいやでも若い方がいいんじゃないですか。でもみんなに20いくつって言われるでしょう
≪そうですねだいたいいわれますね。でも大体若く芸人は見られた方がいいと思います。また年をとって年を取ったなりの芸の良さというのも出てくると思いますし。
「そうですね長いですからねこれから。
≪芸人としては芸人に上手も下手もなかりけり行く先々の水に合わねばという言葉があるんですけどもその言葉どおりいろんなところに行ったときにいろんな自分の形ができるようになっていかなければいけないなと思う。それはやっぱり大人になっていかなければいけない為ですからやっぱりあまり子供でもいけないのかなと最近思っています。
「あなたご結婚とかしてらっしゃる?
≪してないです僕は独身です。結婚したら一気にふけるような気がしますので。
「それからあなたのところに来るお嫁さんは大変ですよね。
≪そうですね、私と結婚すればオフクロと結婚するような感じになる(笑い)と思うんで。
「そうではなくても(笑い)回りがね。皆さんで。それはともかくとしてお父様がすごいなと思いなったのはお父様何回か終わりの方ご病気で大変だったんですけども脳いっ血でお倒れになったの最後の方は
≪そうです。うちの父僕が私が小学校を3年の時に脳いっ血で倒れまして、それでもって病院に入院いたしましてそれでずっとやっているときに僕をお見舞いに行ったんですね。そしてひょっと見たらうちの親父が下半身不随なんですよ。お父さんもう体が動かないんだね、そんなことないよお父さんは体まだまだこれからね練習して動くようになるからよしタイスケ(いっ平さんの本名)僕が治ったタイスケって本名ですから、タイスケ僕が治ったら一緒にハワイの海で泳ごう。お父さん泳ぐことができるようになるから。というんで退院をいたしまして伊豆の方でリハビリをしましてそしてハワイの海に一緒に行ったんですね。
「本当にそれからいらしたんですってね。
≪ハワイの海でもっておやじがじゃ泰輔泳ぐからねと言ってクロールで泳いだんですよ。まだ体はいうことを聞きません。でもクロールですっと泳いでくれたときにうちのおやじってすごいんだなと思いました。何かそのたった5メートルなんですけども何千メートルも何キロも泳いだような気になりました。男というのは約束を守ってきちんとやればできるんだということそこでウチの親父は教えてくれたような気がします。その時のうちの親父は真剣でした。あの真剣さあってすごく自分の中でも持っていきたいなと。
「お父様があまりおみせにならない部分だったかもしれませんからね。でもそれにしてもなくなるどのぐらい前ですかそうすると?
≪1年半前ですね。
「そうですよね。ハワイまでいらっしゃるというのも本当はもしかしたら大変だったことかもしれないですものね。でもその前に何か温泉の方にリハビリに行ってらしたことがあったでしょうお父様。その前のご病気が何か。でここにその後出て下さったんですよ。そのとき何か痔の手術も一緒になさったんですって。ジキルとハイドとおっしゃっていましたけどね(笑い)ジキルとハイドでどうもすいません(笑)おっしゃっていました。私ね本当にサービス精神の言い方だなと思いましたねその時に。
≪脳いっ血で倒れたときもお医者さんにお名前は何ですか?と言われてそこでも加山雄三ですと言っていたんですよ(笑)本能的にそう言っていて。最後まで笑いの絶えない父でしたから、見習はないといけないですね。
「見習ないといけない。
≪本当に父はすごいです。リハビリをやっているときも卵をこのぐらいの円の中に入れないといけない。ちょうどあの右がちょっと不自由だったものですから右で入れなさいと言っていて先生が向こうを向いた瞬間に左で入れていて(笑)先生入りましたとやっていたんですよ(笑)
「ああそう(笑)
≪そういう父でした。でもそういうところが愛きょうがあってやっぱり人からサンちゃんサンちゃんと言われていたあのお父さんというのは、僕もいっちゃんいっちゃんとかいっ平ちゃんとずっとよばれたいですね。
「そうですねえじゃコマーシャル。
≪
黒柳「まあお母様がお元気でいらっしゃるのはなによりですし笑いの絶えないお家なんですけどもお兄さまのこぶ平さんは料理が自分でうまいと思っている
林家≪はいその通りです
「思っているってお上手なの?
≪と思っているです。
「何か鴨を焼こうとお家で。
≪家で鴨を焼こうという話になりまして鴨肉が好きなんですよ。それでもっていろんなところで食べ歩いてきた兄貴が買って来てくれたんですね。松坂屋デパートで。それを細かく切って薄く切ってじゃあ焼こうと
「みんなで大人数で。
≪大人数です。だいたい8人から9人ぐらいいました。そこでパット焼いたら煙がウワーと出ましたね家のついている警備会社の警報ランプがなっちゃいまして。それで全部防犯シャッターというんですか防火シャッターが全部降りちゃって閉じ込められちゃったんですよ(笑)
「全然出られなくなった
≪それでウワーと煙の中で出られなくなっちゃったのでどうしようどうしようと言っていたらあの警備会社の人が来て開けた瞬間に何ですかこの煙は?!家族一同で真っ黒になって出てきたという。
「本当に。
≪マジです。
「でもそういうふうになるとそこに閉じ込められちゃうのはいいですけどもそこでもってもし火が出たらその中に閉じ込められちゃうことになるんですかね?
≪そうですね閉じ込められて大変でしたよ。みんなであげようと思っても上がらないんですよ。
「ドアがね。
≪ドアが上がらないんですよ。そうですよ。兄貴がちゃんと焼いたのを食べておいしいよと言わなければいけないですよ。兄貴のは絶対に美味しいよと言わなければいけないですよ。
「それは煙の中でおいしいよって。
≪おいしいよって言って。まずいものを作ったとしてもおいしいよと言わなければいけないんですよ。またその中でうちのおふくろだけは言わないですね。お母さんおいしくないの?「うんおいしくない」というんですよ(笑)。姉貴は個性的な味わいねというんですよ。
「やさしいので皆さんね。でもお母さんをこないだもこちらでおっしゃってましたけどもテレビなんかをみたりなんかしていると昼間からすごいですて殴られるんですってみんな
≪私自分の出でいたテレビというのをチェックするために見てたんですよ昼間。そしたら部屋から入ってきて歩いてきて頭をゴチンと殴るんですよ。
「すごいんですよ本当にすごいんですってね。
≪こんなゲンコでかちんと殴ってあんたお天道様が出ているときからテレビを見ているんじゃないと言って殴るんですよ。それで俺殴られまして痛い痛い痛いと思ってその時のうちのオフクロの力が少し弱かったんですね。ああ年を取ってきたんだなぁと思いました。またこうやってご飯を食べているときでもいうことを聞かないとあんた仲間に入れないよと言うんですよ。家族で食っていて何の仲間なんだろう(笑い)これが不思議なんですよね。
「でもおかあさまおっしゃっていましたけどもあなたが見ていらしたのテレビだと思って殴ったら自分が出ていたものをあなたがご自分のものを見てらしたんで、まあ自分のものを見ていたんで悪いことをしちゃったとおっしゃっていました。そうおっしゃったでしょうお母様が。
≪謝りませんでした(笑)
「ああそう
≪謝らなかったけども後でお小遣いをちょっとくれました。
「何か昼間からテレビを見ていてだれでもこん平さんだろうとあなたの師匠のこん平さんだろうと殴るんですってお母様て。
≪そうですね。あのテレビに出ていてうちの親父が昔出ているときは正座してみなければいけないですよ。うちのお父さんが出た瞬間にこうやって正座してみなさんこんにちはと言ったら家族一同で今日はといわなければいけないんですよ。
「(笑)
≪それでまた小話をやってそしたらまたワット笑わなければ怒るんですよ。やっぱり温かくていつでもそういう状況でいたんでみんな何かそうですね林間学校に行っているような感じのうちですから、これはいつも楽しいです何か事件が起きます。
「何か警備会社を考えてみればつける必要がなくていつも人が家にいるんですって。警備会社をつけてらっしゃるんですけども本当はあんなにいっぱい人がいたら泥棒が入れないというぐらいいつも人がいるんですって。
≪そうですね飯を食べていても隣のおじさん誰だろう?と分からない人が飯を食べているときもありますからね。
「本当に今でも。
≪今でもそうです。家はご飯を炊くときこんな大きな釜でもって炊くんですよ。
「やっぱりお母様経済大変とおっしゃっていました。
≪家はエンゲル係数が高いですからね。
「すごいですね。
≪また大きなかまですからね。またいろんな方がいらっしゃいましたね。松田優作さんもいらっしゃいました。子供のころちょうど義理の兄貴の峰の兄貴が一緒に西部警察とか大都会というドラマをやっていて一緒に来て下さいましてそれでもってうちの親父がシャレ好きなものですからちょうどシャネルの5番でこんなに大きな器がありましてそれに氷を入れてこれブランデーだから優作君のみなさいといったら、マジで優作さんキュッとのんじゃったんですよ。ああと思ったら松田優作さんは「師匠、香りのきついブランデーですね」と言ったんですよ(笑い)。シャネルの5番ですから
「オーデコロンみたいなもの。
≪それ違うんだから(笑)ベルトをあげるから許してくれといってベルトをあげて許るしてもらったという。
黒柳「まあ貴方のおうちにはいろんな方がいらっしゃるそうですけども何か山田まりやさんがあなたのうちに
林家≪友達なんでうちに遊びに来てくれて一緒にご飯を食べてうちのおふくろが気に入ってこの子を嫁にしようとしたらしいんですよ。
「本当に
≪まりあちゃんうちのおふろいいから入っていきなさいと言って内のオフクロのお風呂というのはですねちょうどヒノキでできた風呂なんですよ丸っこい。丸いんですよ。うちのオフクロが入るとナスの漬物が入っているようなお袋なんですけどもね。それにまりあちゃん入ってきなさいといったら、いいかいいっ平あんたまりあちゃんが入っているときにのぞくんじゃないわよ!といわれてそれで待っていてまりあちゃんが出てきてお風呂おかみさんよかったですとまた愛想のすごくいい子ですから、
「そうそうそう
≪それで楽しかったですありがとうございますとお帰りになったんです。帰ったんですね。それから僕おふろに入ろうと思ってマリアちゃんの入った後ですから入ろうともってガット入ったらあいつお湯を全部抜いて帰っちゃったんですよ。底まできれいに洗って
「全部洗って帰ったんですってね。
≪だから几帳面な子でこっちは掃除もしてくれてうれしいんだか悲しんだかわからないような気持ちでお帰りになったりとかしましたね。
「そういうことがあるんですってね。だからそういうふうに人は見かけでは、マリアちゃんというのはしっかり者だということは私もよく知っているけどもやはりすごいですよね。おかみさんが見込んだだけあって。
≪そうですねうちのオフクロというのは明るい子が好きですね。やはりそうなんですよ昔から見ていてもペーさんも明るいしパー子さんも明るいし
「あなたお父様とパチンコにいらしたことがあるんですてね。
≪そうですパチンコ屋でパチンコをガーとやりましていいかいこれから内緒でお母さんに内緒でパチンコをやるからねと言って。お父さんがやったんですねそれが全部なくなっちゃったんですね。そしたら私に一言だからギャンブルってダメなんだよって言ったんですよ(笑い)
「そうですてね。でもおかあさまには内緒だからということでね。あなたはずいぶんお父様と凝縮した時間ですけどもお父様との
≪そうですねうちの父とやっぱり愛というものを教えてもらったような気がします。お父さんのやっぱり大切なとても大切な愛というものは芸にも行きますし、これからの自分の人生にも生かせていかなければいけない。そう思っています。
「そうですよね。先のハワイの海のお話しもそうですよね
≪やはり男としての力というものもっと持ってこれから芸道も励んでいってまたいっ平としても大きくなっていきたいと思います
「どうもありがとうございました本当に真打ちおめでとうございました