本日の徹子の部屋ゲストは中根千枝さん

2003年1月27日

黒柳「よくいらしてくださいました。みなさんこんなに小柄な方でいらっしゃって。なんだって日本で初、女性初というのを開拓していらっしゃったんですからどんなにお強いかと思いかもしれませんが非常にお強い方でいらっしゃるんですけども日本で女性初のことをたくさんなさってらっしゃる方なんですけども、なんといっても冒険小説をお読みになることがお好きだったそうですけどもあの小さいときなんかでも。好奇心がすごくお強い。それでなければこんな風にはならないと思うんですけども、どう好奇心がお強いといってもですね今度出て下さるのにあたって私がどんな芝居をする人間かということですねびっくりしたんですけどもこの間メーンウエストというこんなに胸の大きなような、それだけではないんですけどももう1人の売れない女優さんと2役やっていたんですけども。ブロンドに首ったけという芝居をですね私全然いらしたこと知らなかったんですね。どんな人間かということを見ようと思ってその前にもお目にかからしてはいただいていたたんですけども、その仕事をやっているとき私がどういうものかということでですねテレビをあまりご覧にならないという方でいらっしゃいますものですから見に来て下さったということを全然知らなくて、でどういう感想をお持ちになりました?

中根≪まあ感心しました。ずっとででっぱなしでいらしたでいらしたでしょう。だからそうしてよくあんなに続けてでおできになると思ってね、お話になることもそして体全体がリズミカルでいらした。だから見ていて全然無理がなくてそしてずっと流れていらしてさすがと思いました。

「面白かったですか?

≪ええ、面白かった。

「ありがとうございました。やはり社会人類学でいらっしゃるのでリズミカルとおっしゃりましたけどもなかなかこういう批評はないんですけども。私の小学校のトットちゃんの学校はですね何でもリズムがあを、偶然なんですけども世の中すべてのことは子供の時からリズムを教えることが大切だということ先生はおっしゃっていらしたんですね。たまたまなんですけどもそういうふうにこうもいただいて。胸もすごい胸でいたので

≪でも舞台ではあれでいいんですよね。

「そうじゃない人は全然そうじゃないというのと両方やっていましたので、まぁでもアメリカの孤独みたいな感じもよく出ていたんじゃないかと。

≪とてもよくできていました。

「そうですか恐れ入りました。というふうにですね皆さん私と今日お会い下さるためにですよ先生はわざわざ芝居を見にいらっしゃってくださった、そういう好奇心てすごいなと思うんですけどもまあさっき初、女性初というのが多いと申しましたけども。なんていったって女性で学術分野では初の文化勲章を受けになったんですけどもつい先ごろですね。それと初の東大名誉教授でいらっしゃるんですけども、初めからいうと東大東洋文化研究所の初女性助手、初女性助教授、初女性教授そして初名誉教授ということでやはり大変でにいらっしゃいましたか初で進んでいくのは

≪いいえぜんぜん。偶然をそうなっちゃっただけでね後からあるいは第三者から見ると初でしょうけども本人としてはやりたいことずっとやってきてその間にそういうふうになっちゃった。ですから特に初という感じはしない。

「でもお仕事をしていらっしゃる上で男の人たちばっかりが回りでなんて理不尽なということはありました?

≪そうですねいつも1人でしょ。だから自分は見えないわけ。だからこっちも男みたいな感じで(笑)だから女性という意識であまりしないで過ごしました。

「まあもと分野がご専攻が社会人類学ということなのであのまあこの方にしかおできにならない中野千枝さんしかおできにならないというお仕事でしてらっしゃるのでそれは男の人がどんなにいろんな事いったってみんな出来ないとするとそれは何も言えないと思うんですけども。あの冒険小説がお好きだったというのはいつぐらいのとき?

≪そうですね小学生のころから好きでしたね。その未知の不思議な国に行くという小説ね、あれが好きでした。

「ただ少女倶楽部というのが当時あったんですけども少女倶楽部よりも

≪少年倶楽部の方がそういう小説が多かったです。少年倶楽部の方が面白かったです。

「まあ普通少年倶楽部って男の子が読むんですけどもヤマナカミネタロウという人の

≪大陸の冒険小説なんか。

「お父様は弁護士で、

≪ええそうです

「中国の方で割とお育ちになった影響が

≪そうですね北京で10代ですかティーンエイジのころ北京で過ごしました。

「小学校6年生のとき中国にて、6年間中国にいらっしゃって女学生までそうすると

≪最後の女学校は東京でしたけども。

「途中までずっと向こうにいらっしゃって。そこでは随分いろんな人をたくさん見る機会がおありだった。

≪そうですね回りは全部中国人ばかりでしたから日本人以外の人たちになれたかもしれませんね。

「そうでしたからね。でもその時は自分が何を勉強しようというお考えは?

≪全然

「で日本にお帰りになったんですけどもそうするとなんだか戦争になってきてそしてあの学徒動員といったんでしたかね。工場なんかにいらっしゃって

≪工場にはいかなかったですね。それはね私津田に行ったんです

「津田塾大学。

≪津田塾の時工場作業をさせられるんですけども津田の体育館が工場になりましてですね。だから学校の中で作業を。

「そうか学校が工場になったんですね。でも凄いですね。あの津田塾が工場になったって。どんなものをつくってらした?

≪あの飛行機の部品なんですね。大きな機械をでやってたんですよ。私は機械をいじるのが好きでね(笑)授業よりそっちの方が面白かった。

「どんなもの?部分品を作るんですよねみんな。

≪ネジとかで、ネジとかを作るんですよガッと削っていって。それでその機械に向かない人はみんな手でやっていましたけどね私は機械が好きでしたから面白かったです。

「そういうところもあれなんですね未知の世界が面白いというか機械で何かをやるという。正しくは学徒勤労動員

≪そういうのでしょうね。

「飛行機の部品なんかを作っていらっしゃったりするんですけども。でもそういうふうにしてらしたんですけども戦争が終わって東大が女子を入れるというふうになったのは戦後なんですね。

≪そうですね。

「そこをお入りになったんですけどもその時は年齢の関係がありましたのでひとつ前の上の年の方が先だったんですね。

≪そうですね最初女子が入れるようになってから2年目です。

「そこは女子としては初ではなかったんですね

≪そうですね。

「年齢的なことがありますものね。1つ上の人たちのときから戦争が終わって東大に入れるようになった。それでお入りになりましてでも女の子を少なかったでしょう当時。

≪そうですね6,00人の中で18人でした。

「でも戦争が終わって女の子が18人いたんですか。

≪そうですね。

「でも6,000人の中で

≪そう6,000人の中で。

「すごい少ないですね6,000人に18人じゃ。考えられないくらいですよね。そこで東洋史を。

≪そうです。

「チベット史を。

≪東洋史に入ってそこでだんだんチベットが1番分からないということが1番分かってきてそこでチベット史をしようと思ったんです。

「それで女性の初の助手、ご卒業になってからです助手ということになった。その時はやっぱり反対がちょっと多かったんですって?

≪それは私後で聞いたんですけども教授会で反対する先生も多くてそうしたらその時に所長をしてらした先生があの中根さんに代わって私が責任を持ちますと言ってくださったんですって。だからその先生が私がちゃんとやるとお思いになったんでしょうね。それでその先生が所長だったからすっとのぼったらしいですよ。反対はあったみたいです。

「前例がないということなんですね。日本は何でも前例がないとだめなんですね。でも誰かが前例を作らないことにはねいつまでたっても出来ないですから。前例を作っていらっしゃった方でいらっしゃるんですけども。それで女子におなりになったときは26歳くらい。

≪助手の時は24かしら。

「24歳くらい。そしてそこでチベットに行こうと思って。

≪そう

「そのころチベットに行こうってすごいですよね。

≪でも東洋史をやっていましてね中央アジア、今でいうシルクロードというのに非常に興味をもちましてそちらに行きたいと思っていたんです。学者になろうと思っていなかったから。そのちょっとした特派員とかねそういうのになりたいと思って。中央アジアの方で勉強していたらチベットの方がもっとわからないかいということが分かってチベット研究するようになったんですね。それで文献だけでやっていたらそうしたらちょっと文献だけではよく分からないというので実際に行ってみよう。

「ただチベットは入れなかった。

≪当時は中国は中共の共産党が始まったばかりですから、で入れなかったのでチベットに行くには中国経由かあるいはインド経由です。だからインドに行ってってヒマラヤを越えてチベットに行けるかもしれないと思ってインドに

「いらしたんですか?

≪ええ

「お一人で

≪ええ。それはインド政府の奨学金で。

「奨学金を取りになって。その方が万事都合がいいですからね。

≪そのころは日本は外貨が全然ないわけで。奨学金、外国のお金でしか外に行けない時代でした。

「外国で留学をなさった方は全部ほとんど奨学金ですよね当時はね。でインドにいらっしゃったんですけども20何歳?

≪26でした。

「その時が26歳。そうすると26歳という若い女の子がですねあの1人でインドに行く

≪みんな反対しましたね。

「でしょうね。それから何年間もいらっしゃるんですもの

≪それから3年続けていました。

「それでどういうことをご覧になりました?

≪方々やはり人類学研究所に属していましたから人類学の調査にあちこち行きましたけども。

「ずいぶん嫁と姑の関係なんかもそこで

≪あそのそれは人類学調査を未開民族の山岳地帯でやって、平地はいわゆるインド人がいるんですね。でインド人の社会というのに興味を持ちををだしてそしてインドの社会を研究するようになってそこで嫁と姑の問題とか家族の問題とかそういうの深くやるようになったわけです。

「日本でも嫁と姑の問題はいろいろなんですけども。

≪【写真】これ何かはインド人の大家族をしましたから。例えば4人男の子がいると4人男の子が生まれた家に住むんですね。そこにみんなお嫁さんを迎えるわけです。それでこれは私ひとりますけども4人はお嫁さんなんですね。

「後ろから左の方からお顔出してらっしゃるのが中野千枝さん。

≪そうなんですけども4人大きな家族なんですね。

「嫁は嫁同士で仲良くするのかしらね。

≪そうですそうです。嫁しゅうとめ問題はあまりひどくないですよ。というのは1対4とか1対5になるでしょう。嫁が5人いるからだからね

「そうか嫁姑の問題になると一対一になるから

≪それが問題なのね。だからインドの場合は大家族ですとあの1対4とか1対5とか、そうなりますからねわりにいいんですよ。

「私が行きましたのは最近、先生がいらしたときから比べると20年近く前ですけどもわりと最近ですけどもやはり何ですかね持参金を持っていかないと大変とかってそれはありました?

≪ありますね。それでおおっぴらにいくらくれるとかね折衝します。それで期待通りの額を持っていかないといじめられたりねそれで井戸に飛び込んで死んじゃったとか。いろいろ悲劇もあるんですよ。

「それを全部仕切っているのが要するにしゅうとめということになるんですかね。その家のお母さん。

≪そうね。でもお母さんは姑はそんなにいばらないですね。

「ああそうなんですか。

≪例えば4人兄弟がいるとするとお嫁さんが次々くるでしょう1番若い弟のお嫁さんなんて年が若いでしょうそういうのはかわいがりますね。

「自分の娘のように。

≪まだきたばかりだって。

「その中で1番権力を持っているのは誰なんですか?

≪まあ1番年上の人だからお母さんの場合が多いですけども、お母さんがずいぶん年をとっていれば1番上のお嫁さんとか。

「じゃあお母さんの旦那さんですけどもお父さんはお父さんがいれば1番偉いですか?

≪そうですね。でもお父さんは家のことには全然口をはさまないですね。外が専門で、家の中は女ですから。

「そうすると姑は【写真】これ全部家族なんですか?

≪そうなんです。

「うは大変ですねこれひとつの家に住んでいるんですか?

≪このごろは近代的になっていて弁護士とかねそれから企業主とか鉄道やっている人とかいろいろ近代的な職業に就いていますから少し離れていますけどもしょっちゅう会っていますね。

「なるほどね。でお金持ちの家かもしれないんだけども

≪そう。だいたいお金持ちです。大家族というのは。おカネがないと第一大きな家はできないでしょう。

「そうなんですよね。大家族はお金持ち、大家族になればなるほど皆でお金持ちになればなるほど大家族で暮らす。そうするとお母さんはカギをいっぱい持っているんですって。

≪そうです。みんな威張るというか日本人みたいに威張るということはないけども責任を持ちますわねかぎを持っている人は。

「でもあれだけ一緒に住んでいるとみんな兄弟愛とかそういうのはずいぶん強いんですか?

≪そうですね、けんかをしてもたくさんいるからある人と喧嘩をしてもある人が味方になってくれるしその緊張をしないですよねあまり人間関係が。

「いよいよとなったら家の中でしないで外にいってけんかをするんですって。

≪嫁姑とか、夫婦げんかとかみんなパット外に出るんですよ。

「表に

≪そうすると回りの人が来てね聞いているんですよ2人の言い分を。それで回りの人がその点は嫁さんのいうことが正しいとかねこの点は姑さんの意見に従ったがどうだとかみんな批評するんですよ。

「面白いですね。

≪日本だと家の中だけでしょう。

「だからお嫁さんだってなんだってお姑さんの方ももうね鬱憤を晴らすところがない耐える。

≪バット外に出る

「回りの家の人が介入してきて

≪夫婦げんかでもそうですよ。

「夫婦げんかでも!

≪あまり困らないからと

「でも旦那さんは「あんたが悪い」とみんなから言われたらどうするんですか?

≪それでで夫婦でけんかをすると必ず奥さんが勝つことになってるんです。それで男と女はね夫婦じゃなくても道端でどっかでけんかをするでしょう。そうすると女が勝つんですよ。これは中国でもそう。それでねどうして旅行中道路で運転手と農民がけんかをしていたんです。それで農民の方が女でとても強い女です。それでも負けそうになるの言い合いをしますから、中国でもインドでもみんな言葉。暴力は使わない。そしてやっていてねそうしたら私がね助手にねどうしてあの女の人のご主人が出ないの?主人がでたら負けちゃうからというです。だから女の方が勝つことになっている。

「すごいですね。弁も立つ。

≪弁も立つ

黒柳「今日は中根千枝さんにお話しを伺っているんですけども大変お偉い先生でいらっしゃるんですけども、そのインドの家族を調べる前になにか山奥の方にお入りになったんでしょう。

中根≪ええええ、熱帯のジャングル地帯に。

「すごいですよ皆さん。日本から若い娘が26かそこらで一応ポーターなんかを雇って荷物を持ってもらってですね

≪そうです。この地帯は野生の象の出る地帯なんですよね。

「アッサム地方(インド)

≪ええ、ヒョウも出るんです。3時を過ぎるとだいたい猛獣がその前に次の村まで行くんですけどもで一緒に行かないとやられるものですからあそこに遠くの方に何も待っていますよね(写真)それで私たちもそこに剰員してなるべく大勢で行くんです。

「合流してね。でもアレですよねまあ・・・

≪社会人類学ですねえ

「そうだ。社会人類学と言いながらですねああいうところにお若い方がですねまだ26歳ぐらいでいらっしゃる時にやはりいろいろ連絡があったりいろいろつてがあったりしてあそこにいらっしゃるんですけども山奥ですのでこう何かに危険なことがあってさっき虎とかがうろつくとおっしゃいましたけども人間のいろいろなことで怖いなぁとは思わなかったんですか?

≪そうね。だいたい行く村を知っている人を探して連れて行きますから。それから女に対してどんな民族も危害を掛けないですよ。

「そうなんですか。

≪女に危害をかけるというのは人類として最低ですよね。だから男がひとりで行くと殺しに来たんじゃないかとお優しいものじゃないかとそれで向こうが怖がる。それでやられる前にやってしまえということがある。だけど女だと向こうはこうならないわけです。少なくとも。だから女の方が安全です。

「そこにアッサム、アッサムというお茶がありますよねそのアッサム地方であのそこに長くいらっしゃるんですよねずいぶん

≪そうですね、3年間続けていましたけども他のところも調査していますからときどきこう行ったり来たりしていました。

「そこでどういうことを主にご覧になったんですか?

≪そして特定の集落を選びましたねそこで克明に人間関係とか私生活全体を調べているんですね。でどういうふうにして1つの社会がまわっていくか、まあどんなところへ行ってもアレです女の人がとても忙しいです。同じようにジャングルで働いていても帰ってきてお食事の用意をするとかね

「子供の面倒を

≪子供の面倒をみるとかね。でとても忙しい。でもこの未開民族というのはとてもなんていうのか男女割に平等なんです。ですから男女ともにお酒もたばこも飲みますしね。あの女だからこれをしてはいけないというのは少ないです。

「そうなんですか。でも人類学というのは私もよく分かるんですけどもあの私も昔やってみたいなと思った仕事なんですけども、社会人類学と社会がついちゃうものですからちょっとややこしいかなと思うんですけども。

≪社会がつくと人間関係とかね、それからそのなんていう全体社会がどういうふうに構築されてどうやって動いていくとか社会的なファクト。ただ人類学というと頭のサイズとか髪の毛とか生物的なね

「まあそうですね。それからまあ一応結婚をどんなふうにするとかそういうものがありますよね。でもあの本当はこの社会人類学というのはその後英国に勉強にいらしてからきっちりと

≪そうですね。あのそれまで日本の大学になかったんですから。それで本なんかを読んでいろいろやっていましたしそれからインドではすでにありました。インドは英国の植民地だから。だから英国流の影響受けてやっていましたし。わたし自身が社会人類学というのを科学的に本格的にしたのは英国ですね。ロンドン大学。

「でもトラだとか何だとか出るところにですね3年間とにかくいらっしゃるんですからお強い方だと思いますね。26ぐらいでね。

黒柳「その後ロンドンにいらっしゃって大学にいらっしゃってその社会人類学というの勉強なさって、これは人間の住んでいる社会のどういうものかということか。

中根≪そうですねいろいろな社会がありますわね。世界中に。で非常に厳しい環境的に厳しい社会とか非常に豊かな社会。アジアでもいろいろな社会がアフガニスタンとかインドとかパキスタンとかいろいろありますよね。そういういろんな社会を比較研究するそれが社会人類学というんです。簡単に言うと。

「それは日本にはなかったお勉強の分野だそうですけども。それをなさいましてですねいろんなことを研究なさっているんですけども、なぜ日本人がスパッとものをいわないんだということについてもご研究。スパっと言わないかということご研究じゃないけども先生の研究からいうとなぜ日本人はこういろんなことスパッとなかなか言えないかというようなことも。

≪そうですね日本人の社会というのはひとつの閉鎖的なんですよね。う~んどこでも。どんな分野でも割合その人たちだけで生活しているわけ。

「それは島であるからということもありますか?

≪島であるからということもありますね。もし日本人が大陸の真ん中にいたらこんなにならなかったと思います。そうすると日本人というのは小さい集団の中で同じような人とばかり顔をあわしているでしょう。だからみんなちょっと似てきてそして相手がすぐにわかるわけ。だからこんなこと言ったらあの人ががっかりするとか怒るとかそうなるでしょう。そうするとまぁやめておこうとなるわけ。

「よその人とどんどんどんどんやられている人たちは

≪よその人はわからないじゃないこれはダメですよと言わなければよその人は分からない。でも家の人というのはかえって分かっているから言われると嫌がるわね。

「だからなるべく言わないでおこう。そこが日本人はスぱットいえないところ。

≪言えないと思うわ。

「それからやっぱり先生がおっしゃったようにタテ社会というんですか。

≪そう。こういう風に閉ざされていると縦の関係が発達するわけで、それで閉ざされているからだれが先に来たとか後に来たとかはっきりするわけ。閉ざされていないと横から違う人が入ってくるでしょう。順番ができないわね。だから当てにならない。だから閉ざされているということと私が言うタテということは非常に密接な関係があると思うと思う

「なるほどね

黒柳「これからはやっぱり日本人もねこれだけ世界とインターネットでつながっている時代ですからもうちょっとスパっとやりたい。それはどういうふうにしていたらだんだんできますか?

中根≪そういう人が増えることでしょうね。まだ10%にもなってないんじゃない。そういうことのできる人が。それから外国に行ってできても日本に行くとダメという、そうなる人が多いわね。

「多いです。外国から帰ってきたらいい人たちを受け入れたくないというものも。

≪そうそうそうそう。そういうの排除する。外国ではできても日本ではできないいうことになるのね。そこがもう少しすっと行くといいのね。それで外国では外国式に、日本では日本式というのももう少しそこを混ぜるといいと思うわ。日本式だと覚悟しているとみんな日本式になっちゃうから。なるべくそういう人が増えるとね。

「それはそれなりの弊害があると思うんですけどもでもあのイギリスなんかは日本とずいぶん似ているといわれても、ずいぶん一人ひとりは自立しているんですね。

≪そうですね。でもイギリス人ても人の感情を壊すということを非常に嫌がりますね。だからイギリス人に早く電話なんかをしたら起こしたんじゃないでしょうかといつも恐縮するのね。イギリス人は。そういうコンセブレーションというのはあってもいいんだけども、だけどそのいろいろ議論してイエス・ノーをはっきりすることが大切ね。

「大切。いろいろありがとうございました。

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