2003年2月7日
黒柳「中村鴈治朗さんでいらしゃいます。本当にまあつやつやとしてお元気で。つけてらっしゃるとか召し上がってらっしゃるとか?
中村≪いやもう全然ございませんそういうことは気を使わないほうです
「じゃあ特別に顔に何かつけてらっしゃるとかはないですか?
≪とんでもございません全然それはもう。
「女形で白く塗ってらっしゃると何かは肌に悪いような気がしますけど。ビンヅケ油がいいんですかね。
≪どうなんでしょうかね。そういうこと全然気をつかったことはございません。
「なにしろ昭和28年ですからちょうど50年前に曽根崎心中をお父様と一緒になさって10年。間もなく1,200回。その1,200回はモスクワか何かで
≪そうなんです。6月にねロシア興行がございましてね近松座という私が主宰している公演が行くんですけどもねそのときにね曽根崎心中をやりますので1,200回目がロシアであるなと
「お父様が生きてらしたらずいぶん大喜びだったと思いますけども
≪びっくりしてるんじゃないかと思いますよ向こうで。50年もやってるのかといって
「これはお父様の時と初演のときのお写真なんですけども良かったですねこの写真撮っておきになって
≪はい
「お父様の鴈治朗さんと。あの時は後ろから付いていかなければならないはずなのに写真をが出来上がったら前を歩いていらっしゃった(笑)
≪あのこういうことなんですね、あのいわゆる原作通りというかな後ずっと引っ張られていきまして最後はオハツが手を引いていく。いわゆる何て言うんだろう女性が男性をですよねリードするというか。
「心中物というか。
≪あのそういうこと戦後女性上位というかな
「そうなんですかここはそういうものになるものなんですか
≪なるというか、これは新作というか復活したから新しい新作なんですよね。もちろん近松門左衛門の原作なんだけども復活上演してこれが1番新しい形というかいわゆる新作同様のことでしょう。だから新作という形で50年間続けさせていただくということがね今までなかったということ。
「あのだいたいこれはこのうちのものというのがずいぶん出し物によってもあるそうですけどもこの曽根崎心中に関しては新しくできたそちらのお家のもの。
≪内のものというとちょっと違うような気がするんですけども。
「(写真)でもおきれいですね今日の鴈治朗さんは左側の女方でいらっしゃるんですけどもを通すことご一緒に。お父様の鴈治朗さんとご一緒なんですけども。
≪あの家のものというよりもそういうつもりで作ったものでも毛頭ございませんので。近松門左衛門の作品を復活上演しようという気持ちで作ったらそれがずっとお陰様で皆様からの何といいますか愛情ある応援みたいなものがございましてそれをずっと私がさせていただいているという形なんですけども。
「なるほど。ウノノブオさんがあれを脚色というものでもないですね
≪うーんいわゆるまとめられたというか。そういう形で。
「新たに今ふうにみんなが分かりやすく。まあもともとは近松のものであるという。【写真】宇野信夫さんが真ん中にいらっしゃるんですけども
≪ちょうどこれはねこれは600回の記念の時。ちょうどその時にね初めてねご一緒にこの番組を出してもらったらしいです。
「そうだったんですか。そうでしたか。
≪だから非常に記念の写真だと思って。
「昭和28年といいますからテレビが始まったのがそのちょうど昭和28年で今年がちょうど50年に。NHKが50年だったんですけどもほぼ同じだけやってらっしゃるのででどれぐらいの長さかというのが私も分かるんですけども。初めから出ています。
≪いやもう徹子さんもあれじゃないですかその時分からずっとおやりになっていたですからね。
「お陰様で。そのころやっていてまだ現役の方もちろんいらっしゃるんですけどもレギュラーをもって今でもやっている人はいない。
≪あのそういう時に巡り合わせてしゃべらせてもらって出してもらうというのは嬉しいなと思います。
「でも間にお父様がお亡くなりになって随分その徳兵衛の役のお父様がいらっしゃらなくなってお困りかと思ったらすぐに息子さんが
≪ええ、倒れたときにはでちょうど昭和55年でした。その時途中で10日目ぐらいだった。京都で父が倒れましてね急遽ね子供が変わったんです。でもそのほかには徳兵衛の役は菊五郎さんとか団十郎さんとかばんよくさんとかとご一緒しましたけども今はカンジャクがずっと持ち役のようにさせていただきましてね。
「でもいろんな方がなさったんだけどもやっぱりその息子さんだから、初めはおかしいですよね恋人がお父様だったんですけども。後に息子さんになるというふうな女形の方の面白いところだと思いますけども。
≪親子というので、これは本当に舞台というのだからとくに歌舞伎の場合なんでしょうかその親子という感情はもうとうございませんね最初から。
「なろうと本当に単なる、たんなるというとおかしいけども俳優同士の
≪そうです先輩後輩という形でぶつかってやるんだからね。
「息子さんと一緒にやってらっしゃる曽根崎心中の最近のVTRがちょっとあるそうなのでこんなふうに息子さんとカンジャクさんとやってらっしゃるところなんですけどもご覧いただきます。~VTR~
≪いま体がどうかなと思って心臓がどうかなと思ったけども全然なんともないですよ。
「お元気でいらっしゃるんですね。
≪本当に同じことでね。だからずっとやらせていただけるんですけどもね。
「でしかもキレイだから今でも女形をおやりになる。
≪元気だというのは幸せですね。やっぱりそれは。
「でもお顔につけたり何か特別な召し上がりものはないそうですけども体操とかもやってらっしゃるんですか?
≪そういうことはあまり気を使わないんです。やはり舞台をやるために何かしようというよりも精神力というのが1番大事だと思うんです。
「舞台をやるんだという。
≪あのこの役なら役をお初をやろうというこの人物になろうというね。やっぱりね病は気からというからじゃないですか、やっぱり精神力というのはしっかりしていないと。
「やりたいという気持ちがまず最初にあるんでしょう。
≪それがやっぱり大事でしょうからね。
「お好きだという事もあるんでしょうね
≪もちろんそうですよ。まあだいたいどんな役でも好きになる方ですけどもね
「やっぱり好きでないと体が病気になったりするだそうですね。いやだなと思うのがどっかにあると。
≪それは絶対にいけませんね。やっぱりその役にほれ込んで大好きにならないといけませんね。
「なるほどね。
≪お初だけじゃなくてもね。好きになるんですよなんとなく。
「やってらっしゃると。
≪その人がいとおしくなったりね。
「そうですね。でも1,200回もやってらっしゃるのに全然飽きるとかいうこともなく毎回新鮮
≪本当にそれはもう。本当に演舞場でこの月やっておりますでしょう50年前の初演のときもあそこだったでしょう。余計に思いがね。やっぱりね前の劇場じゃなくてまわりが全部変わりました。あそこはずっと川が流れておりましたからね。
「今はもうあそこ高速になっちゃっているから。
≪今度は自動車が流れている方だけども。そういう昔から裏に川が流れているんじゃないかなと思ったりするんですよ。だから何というかな気持ちですねやっぱり。
「そうですね。でも奥様の扇千景さんという方もお元気な方で
≪いやもう一生懸命にひとつの仕事を頑張ってやっております。
「だってご結婚なってからもうじき金婚式
≪そうですねあまり考えたことがないからよく分かりませんけども
「だいたい計算すると45年くらいだそうなのであと5年で金婚式で。こんなにお若いのに金婚式って。(写真)扇千景さんは今もきれいですけどもこのころもきれいでいらして。何か共演なさったんですね映画で。
≪ええ、あの東宝の映画でね共演いたしておりました。
「ちょっと小さな役でも共演をなさってその後琴の爪というお琴の爪ですね、それでお2人が主役をやるということで。これはもう46年前だそうですけど。
≪そうですか。
「そうなんですよ。可愛いお二人でね。
≪なんだかね月日が経っていくというのが分からなくてね
「毎日毎日でね。
≪毎日毎日次から次から考えますでしょ。ですからすることはあまり思わなかったですけどね。
「でも奥様いつの間にか国土交通大臣におなりになってらっしゃるんですからまあ大変だと思うんですけども。それから長男二男がいてそれぞれに子供がいて孫がいてということで。そのお孫さんと一緒にまた歌舞伎にもお出になろうというのですから
≪今度は孫が徳兵衛をやってね私がお初やろうかなと思ったりしていますからね。
「全然そんなのお年の問題じゃなくて。
≪もうないですないです。
「この間は小さなお孫さんから、パパと呼ばせてらっしゃるパパとママでおじいさまおばさまじゃないそうなんですけども。パパと一緒にやりたいものってというのがきたんですって?
≪連獅子をやりたいというのでね親子であの
「長男のお子さんですか?
≪そうですそうです。
「これはおじいさまとおばさまとご一緒で、本当はパパママですけども。
≪あの大きくなりましてね一緒にパパと踊りたいと言ってね誕生日のお祝いにねメッセージのレターをくれたんですよ。だからやろうかなと思っているんですけども
「それにしても12月31日なんですって。お誕生日が
≪そうなんです。
「ずいぶん差し迫った時にお生まれになったんですね。
≪だからあわてものかもしれませんね。あの元旦がねぇに生まれるだろうと思ってみんな安心していたら急に夕方になって飛んで出てきてということで
「ちょっと早めに行ってみようかなってお思いになったんでしょうけども。元旦になると大変でしょうからねきっとね歌舞伎のお家だと。
≪まあなんと言いましょうかそれもひとつのいろいろ運命なんでしょうかね。その日をね祖母がねみんな元旦に昔は12月31日に生まれたら元旦に届けて元旦にするじゃないですか。私の祖母がねその日を運の強いいい日だと。こんなにいい日に生まれているのになぜ変えるんだと言って父も母もしかられて祖父にもしかられてその日にちゃんと生まれた日にするんだと。
「鴈治朗婦人が
≪初代の鴈治朗夫人。そうらしいですよ。
「でもその方が元旦というよりも差し迫って面白いかもしれませんね。
≪まあねなんといいますか大晦日に誕生日なものだからいろいろなところにお参りに行きますでしょう。いろんなところというか先祖のお墓とかそれから神様にも。それで全部で初もうでのちゃんときれいにお掃除をなさった後なんです。ところで初詣に行っているような気がしましてね皆さん初もうでにいらっしゃる前になんだか初詣をしているような気がするんですけども。
「お誕生日なんですからね。そういうことで。本当にさっき申し上げたましたように曽根崎心中は50年。現在もやってらっしゃるんですけどもまだまだ孫とも一緒に恋人をやろうかなということだそうですけども本当に。奥様とももうじき金婚式という。珍しいですねこんなにお元気でね。何事もなくあっと言う
≪本当にあっという間という気もしますね50年。しかしひもといてみるといろいろあったんでしょうけどもね。なにしか本当に毎日ね曽根崎心中をやっていてもその50年前のことを思い出しますね。やっぱり初演の時評判をいただいてその時は2代目中村センジャクでしょ。あのセンジャクに負けてやるもんかと思ったりするんですよ。
「なるほど
≪初演の時に評判をとったやつによく考えてみたら私なんですけども
「自分になるんですけどもね。
≪でもで負けるもんかと思うとねこう力がわいてきましてね
「なるほど
≪
黒柳「まあちょっと国土交通大臣のことばっかりうかがうようですけども、奥様はあのお召し物や何か舞台の歌舞伎のお召し物は別として普段のものはどんどんこれとこれがいいとかどんどんおやりになる方なんですって。
中村≪まああのなんといいますか自分が夜家庭夫人というのかなそうやっぱりそういうことを忘れないでね。だいたい何といいますか自分の仕事というのも大変だけども家庭に帰るとね自分ということになるということなんでしょう。
「そうなんでしょうねご自分のお召しになるものもそうなんですけどもご主人のもこれがいい、今日も奥様が
≪ええ
「すごいですよ扇さんという方は。お忙しいのにね。お元気なんですよねあの方は。
≪元気ですね。お互い元気だけども元気というのは何かひとつので徹子さんもそうですよひとつのものをちゃんとおやりになっているから、何かこう目標があるというのが違うんでしょうかね。
「でも扇さんはですね昔ドラマご一緒にやったことがあって何回かご一緒になったことがあるんですけども本当にあの方はお元気でしたね。ある日ね集まったんですよドラマで。4人が主役で女の人4人が主役でお一人が急に病気になってあのその日に来られないからこれはちょっと延期になりますと言って朝10時ごろに行ったらも今日はやらないとなったんですよ。そしたら扇さんがじゃあ皆様こんな早くに家を出てきてまたかえるわけにはいかないので映画を見ましょうということになってみんなで男の人もいっぱいいたんですけども入ってぞろぞろ連れていかれてピカデリーの方に行って、うんこれは上と下が両方ありますわたしもそこでみたかったんです。で私はしたの方みたい、そうですかじゃ上と下では時間がこれぐらい違いますから早く終わった人はここで待っていることとか言って彼女が全部仕切ってですね。私ねこんなにかわいい顔をしてこんなに仕切る方は少ないなと思って。それでみんな見終わってそれでバラバラででてまして、ハイハイ並んで並んでそこの数寄屋橋センターの上にご飯を食べるところがありますからそこでみんな食べましょうそこへどんどんいって下さいとかいってそこであのおにぎりのお昼のご飯を食べた覚えがあります。
≪そうですか。
「それでじゃあ今日はこれでここら辺で解散をしましょうと彼女が言ったので
≪そうですね昔よくご一緒させていただいて。
「そのときね私宝塚をおでになったお嬢さんだと思っていましたからずいぶんこんなにおかわいいのに取り仕切りがとてもお上手なの。でかわいいのそれでしっかり先頭に立ってねはいどんどんこっちですからとかいって。だから忘れられないんですそのことが。だからあの方はのちに政治にお入りになったときもねそうかもしれないと思いましたものね。あれだけ取り仕切りが
≪まあねいろいろ向こうからの向こうからというか
「政府の方から
≪政府の方からお話しがありましてねこういう形になったんですけどもね。
「でもああいう宝塚をおでになって、そしてお綺麗な女優さんとしてやっていらっしゃった方でもって珍しいケースですよねやっぱり。政治家におなりになって随分ねいろんな時期があったんですけどもまあ今は大変な役についてらっしゃるということで。
≪やっぱりねなんといいますか女性の方でも仕事をお持ちになってちゃんとやるという時代ですしそれがひとつの流れだしそういう時ですよね。何か家庭夫人というのもそれも結構なんですけどもやはりお互いに仕事をもってをやるということもいいことなんでしょうね。
「ご主人のあの鴈治郎さんをとても尊敬してらっしゃるということもあるんでしょうけども。本当にあの方は家に帰ると今度は本当にいいお母さんおばあさんなんですけども、おばあさんとは言わせてないそうなんですけども
≪本当に孫とか子供のことを本当によく見てねやってますね。
「みんなは恐れているようですか?子供たちでも。
≪そうでしょうかね。でもあのね何かあったら母親に相談をしたりしていますから
「そうでしょうねきっとね。
≪まああの奥さんたちがみんなやっていますからそれぞれがやっぱりいろいろ相談したりしているようですね。
「なるほどでそういうところがとても進んだ方だから嫁しゅうとめの関係とかじゃなくてやっぱり1番良いアドバイスをしてくれる。
≪そういうことなんですよね。嫁姑という感じじゃなくてね女としてのみたいなことなんでしょうか。
「息子よりもお嫁さんの方を大事にしてくれるようなところがきっとあるんだと思うんですけどね
≪まあどうでしょうかね。やっぱりそういうこともひとつの流れがある、うまく作れるんじゃないでしょうかね。
「そうですね。あの昔の鴈治郎さんとのお二方との可愛い写真からするとああこういう強いものを持ってらっしゃるんだなと思って
≪そうですね。
「それでみんな明るく育っていらっしゃるのでね。
≪みんながね歌舞伎が好きなんですよねもともと。
「そうなんですってね。
≪もういわゆる孫のカンジャクのところのカズタロウもそうだしセンジャクの所の虎之助というのもまたこれが歌舞伎が好きなんです。
「そうなんですお小さいのに。
≪みんなが歌舞伎が好きですね。
「全然鴈治郎さんは歌舞伎のうちに生まれた男の子だから歌舞伎俳優になりなさいとおっしゃってはいないのに
≪1度もそんなことはいったことはないですけどね。何か自分たちはやっぱりやりたいということなんでしょうね。それでびっくりするんですよですから。何でこんなにまた歌舞伎が好きなのかなと思って。
「でも心の中ではうれしくていらっしゃるでしょうね
≪うれしいというよりもねライバルがたくさん出てきたな
「おおすごい
≪それは思います。
「ライバル
≪思います。
「孫が出てきてもライバルと思う。おおすごいですねホホホ(笑)
≪
黒柳「長男のカンジャクさんのお坊ちゃんのカズタロウさんというまだ小学校6年生だそうですけどもそのおばあちゃんが一緒に連獅子をやりたいというお坊ちゃんもですね何か黒子の洋服何かを作ってもらいになって
中村≪そうなんですよ。学校から帰ってまいりますでしょうで私の楽屋にきましてですね。おはようございますと丁寧に一応先輩後輩。それでちゃんと楽屋の隅っこに行きましてですね自分でちゃんと着替えてね私の舞台に出ていく時に後ろからついてお茶を出したりするんですよ。
「お好きなのね。頼んだわけでもないのに
≪頼むわけじゃないですけどね。
「でもこの子にしてみるとおじいさま・お父様・おじさん皆が出てらっしゃるということになる。おじさんというのはお父さんの弟。
≪あの虎之助というのも同じことをしているんですよ。
「それはセンジャクさんの息子さん。同じことをやっているんですかその子も。
≪同じこと。これまたびっくりしました。
「(写真)こんなに小さいの。まだ5歳とかいう。
≪そうですよ。黒いものきて同じことしているんですよ。びっくりしましたこの間。
「何か踊りとかいろいろなものも習いたいとか言って何かやってらっしゃるんですよね。
≪そうですねカズ太郎も踊り三味線包とかね。学校の勉強が終わってもう中学校ですからね。
「かわいいですね。小さい方のお嬢さんは何だかわけがわからないかもしれないですけども。
≪ももこといって女の子が初めてできたものだからすっかり喜びましたてね
「鴈治郎さんにとっては初めての女の子のお孫さんということになるんですか。そうですね男の子が多い子がお家族ですからね。でもそういうふうになりなさいと言ってなんなさいとかそういうことは全然言わないのに孫が自発的にやるというのですからやはり心強い感じがね。
≪まあそうですね歌舞伎全体にうちの子供というのじゃなくてやはり歌舞伎全体に若い人が育ってくるというのを見ているとで頼もしいしやっぱり一緒になって立派に歌舞伎というものを続けていかなければいけないなと思いますですね。
「やはり鴈治郎さんの場合は上方歌舞伎という、大責任がおありだと思うんですけども。一緒に東京の方とはやってらっしゃるんですけども。さっきもおっしゃったように近松座というものを自分で持ってらっしゃるので皆で一緒に若い子も一緒に
≪やっぱり今年は歌舞伎のハッショウ400年でしょう。
「400年ですってねおめでとうございます。大変ですよ皆さん歌舞伎ができて400年。
≪そうでございます。それでい歌舞伎というものは江戸歌舞伎と上方歌舞伎両方がやっぱり発展してこそ本当に
「江戸と上方とは
≪そうです。
「両方同じように発展してきたことが今日あるだと思うんですけども。それで私びっくりしたんですけども鴈治郎さんはお父様の鴈治郎お継になったからこれでも鴈治郎というお名前に定着なさるのかと思ったらお名前を変えようと。
≪ええ、変えようというよりも私は坂田トウジュウロウというものが上方歌舞伎のシンボル的存在。上方歌舞伎というものを作ったのが坂田トウジュウロウなんですね。
「トウジュウロウの恋というので有名ですからね。
≪菊池寛先生がねそういうのじゃなくてやはり上方歌舞伎を作った人ですからね憧れなんですよやっぱり。
「お名前はあいていた。
≪230年ほど空いているわけです。
「230年あいていた。
≪再来年と申しましょうかあの2005年に襲名させていただくことになって。
「それはもう決まってらっしゃるんですよね。
≪はい決まっております。
「坂田トウジュウロウさんにおなりになる。今度お会いするときはもしかするとトウジュウロウさんとお会いになるかもしれない。
≪ぜひよんでください。あのいろいろしゃべりたいと思いますから。
「そうですよねセンジャクさんでお会いして鴈治郎さんでお会いしてトウジュウロウさんでお会いして。ちょっとトウジュウロウさんどこでお伺いいたします。トウジュウロウの恋というのでなかなかもちろん菊池寛のそういうお話しではあってもいかにも俳優根性がやっぱり分かるようなちょっとコマーシャルです。
≪
黒柳「でもまあこの次にお会いするときは坂田トウジュウロウとお会いするかもしれないんですけども2,000何年とおっしゃりました?
中村≪2,005年でございます。
「じゃあまああと2年ですものね。でもそこに230年あいていたお名前で、しかも上方歌舞伎をお作りになった方が坂田トウジュウロウ。でも本当かどうかは分からないんだけどもトウジュウロウの恋いという
≪それは菊池寛先生がね小説をお書きになったんだけども。あの時の小説の題材と申しましょうかダイキョウジュ昔暦。あれはね自説というか本当はね本当はトウジュウロウが死んだ後の話なんですよ。それを持ってきて何か菊地先生のね作品に
「やっぱり俳優として女の人がそういう時に言ってみればベットシーンですかね昔でいう。
≪でもね私はこう思うんですよ坂田トウジュウロウの芸というのは上方歌舞伎というのは風情のなかのリアリティーみたいなものみたいなもので。そういうやっぱり役になり切るというねそういうことがやっぱり大事なんでしょう。
「その時の心理とか体つきがどんな風になるものかということを研究するために
≪見るんじゃなくてその役にそのときにどういうふうになるのかなということ考えた
「今演舞場であれやっていらっしゃるでしょう曽根崎心中どうぞお元気で。また本当にありがとうございました。